第四回戦までの空き時間は短かった。いえ、ツォルンとの会話が楽しかったなんてことはなく、本当の時間としてね。
まあそうか、四回戦目か。脱落者は増えてきている。詳細は聞いていないが単純に考えると、今私は八人のうちで一位という結果。つまり脱落者は7人。
……あと何回戦えば優勝なのか、くらいはどうしても知りたいが、教えてくれないのだ。
会場への大扉の前で待つ。今回は相手の後に入場する手はず。
お、相手が入場したかな。音でわかる。わからないはずがない。
あー。
この声援は、少し、中毒性があるかもしれない。あと何回、肌で楽しめることができるのか。そんなことを扉越しに思う。
さて。入場する。
しかし、その足は3歩で止まった。
コロシアム中央の対戦相手。黒いロングワンピースドレスを着た女性。
いや、ドレスではないのだ。
上半身は、肩を隠す程度の短い袖に、体のラインを忠実に表現する絞ったシルエット。
下半身は、脚さばきを隠すためのボリューム過剰なロングスカート。
上下の黒い海上に統一的に施される金色のパイピングと刺繍模様は、その機能性に上品さを彩る。これで胸元が開いていれば、誰が見てもドレスだ。長い金髪は頭上でまとめあげ。あの記憶のまま。マリア先生は堂々とそこにいた。
足を動かす。つい、駆ける。待機線を越えて。
「先生!」
いや、近寄らないと声が聞こえないのだ。先生はそれまでひたすらに、目を大きく開けて私を見ていた。
「あ、あなた、アリーナ姫、様!? 何やってんのこんなとこで!」
あー、そういう感想になります? それは、一言では答えられない。
「いやぁ、あはは……」
と私は笑うしかなかった。
先生は変わっていない。そうか、彼女も、私に敬語を使わない希少な人だった。
と、仲裁役から、先生との距離を離すよう指示が来る。仕方がない、待機線まで戻ろう。
しかし、そうか。先生と、なのか!
試合開始の合図だ。
先生を見据える。
ああ。笑みが抑えられない。
綺麗な構えっていう言葉、あるじゃない? そのたった五文字。意味を語り尽くすのに何万文字必要? 不可算かもしれない。
だけど。
彼女のそれ! なんなのだ。
私は何年無駄な足踏みをしてきたのだろう。
ああ、そうか、私も構えるのか、それは恥ずかしいな。四肢にむずがゆさがある。
しかしここで変に構えを調整しようとするのは本末転倒。仕方なく平常に構える。
あ、私から仕掛けなくてはならないのか!
先生との距離を詰め、構え直した。先生は楽しそうな顔をしていた。今すぐに、何を考えているのか言葉に出してもらいたい!
さて。
だめだ。
何番の手を選択しようにも、通用する絵が思い浮かばない。
いや、一回戦で使ったあのオリジナルの手、やってみようか。
左手の甲を彼女のそれに当てると同時に、その左手首を返し、そのまま先生の左手首を掴む!
はは、だめだ。掴みはしたが、即座に、私の左手の人差し指と親指の切れ目を狙って振りほどかれる。その動作に伴って先生は体を左に回転させ。
その勢いで、右手の裏拳が飛んでくるかな?
妙に右腕が畳まれていることに気付く。これだと、右の裏拳がどこに放たれるか予測しにくい。たまらず右脚に力を入れ、後ろにのけぞって距離を取り裏拳をかわすことに。
ふと、眼下で翻る先生のスカートが目に入った。 脚が見えない!
その瞬間、右腕で頭を守るも、その懸念は外れ、お腹付近に重たい回し蹴りを受けた。
あらら。
体をねじったこともあり、ある程度は側面ではなく正面で受けられたが。なかなか、くる。
衝撃で1mほど飛ばされてしまったが、バランスを崩さず着地はできた。
呼吸を再開させ、痛みを確認する。
うん、まだ大丈夫。
先生は、様子は、楽しそうだなぁ。
調息二回。
再度距離を詰めて、構える。
もう、わかってしまった。勝てる気がしない。出し抜けるイメージが何一つ生まれない。初手からして。
なので、そういう考えはやめよう。昔みたいにやろう。私の訓練成果のお披露目なのだと。
そう思い至り、一旦構えを解き、距離を取った。呼吸が息苦しいと気づいたためだ。
吸って、吐いて。そうそう、こんな感じにしよう。吸って、吐いて。
再び、構える。
では。
まず跳ね脚。右回し蹴りを頭部目掛けて。
腕でガードされる。と同時に釣り足を仕掛ける。蹴り上げた右脚のつま先で先生の腕を引っかけ、まず、ぐんと距離を詰める。その後の左正拳突きまでが、釣り足だ。
ただこの技は隙が多い。
先生が右の正拳突きを仕掛けてくる。
それを右手で左へはたき流す。
先生はその勢いを利用し、体を左へ回転。
あ、先ほどと同じ展開か。
先生の次の攻撃は。裏拳でも蹴りでも、非常に避けにくい。
一つ思いついた。
自分の体を先生にそのままぶつけよう。距離がゼロに近ければ、裏拳も蹴りも威力は相当軽減されるはずだ。
そして私には、釣り足として溜めた左手が残ってる。
間に合うか?
先生は構わず回転蹴りを放とうとする。
私も先生の腰あたりに左手を当て、はっけい──。
だめだ、かする程度しか当てられなかった。
蹴りを受ける。先生の蹴りは威力より、こちらとの距離を開けることを優先したものだった。その蹴りにより、距離は開いた。
仕切り直しか。変わらず、つけいる隙は、見つからないな。
改めて先生の顔を見た。悪魔のような笑顔だった。鳥肌が立つ。恐いという感情ではない、懐かしい。
まず先生は、距離を詰めて構えるでしょう? ただし、左手は若干上に。そしてそれは握り拳ではなく、地面を指差す。
これは「面白い技を次仕掛けるので、あなたはそれを受けなさい」というサインだ。これは、受けると、最後絶対に私が痛い目を見るケースだ。
いや、大会中なのだから、わざわざそれに乗る必要はないのでは?
それに気づくには一瞬足りなかった。
まず右の跳ね足が襲ってくる! えっ届くのこの距離で!? 受ける、いや、軽いな、本命は逆、左の回し蹴り!? ガードするもそれごと引き寄せられる。体勢が崩れてしまう。見事な釣り足。
前の攻防を交代して演じるのであれば、次に私が左正拳を撃たなければならないのだが、そんな余裕は無い!
そんなわけで、先生の右手による攻撃を受けることになりそう。せめて軽減策を!
先生の釣り足のおかげで私の体が左を向いてしまっていたので、そのまま左へ回転する。
動いている対象相手だと攻撃はやりにくいはず。それを少しでも相乗するため、ジャンプも追加してみる!
一瞬私は背を向け隙を見せた格好になるが、攻撃は来ない。であればとその回転を活かし、左回転跳び蹴りを放つ。
先生は顔前でそれをガード。ジャンプしなければもう少し、攻撃にバリエーションをつけられたか。
距離を取る。先ほどの隙、先生が攻撃して来なかった理由がわからない。
表情を見てみた。……あまり見たことがない、真面目な表情だった。これはこれで、不気味で怖い! 彼女の機嫌を損なっている、のではないと思うのだけど。
しかし考える余裕は無い。大事なのは、次どうするかだ。
構える。
私から仕掛ける。擦り抑え腕。左手の甲を、相手の左手甲から腕へ滑るように当てながら移動させ、つまり相手の左腕の自由を制限しながら近づく技。通用するとは思わないが。
私の左手甲が先生の肘を通過したころ。先生の腕が軽く上下にぶれた。
次に、ふと、私の左拳が先生の左腕の内側にあることに気づいた。
痛!
左腕関節が、曲がらない方向に曲げられようとしている!?
思わず左肩を前方に出し、痛みから逃れようとする。背中を先生に見せるような動き。
まずい、そうすると体も左に移動し、先生の溜めた右手の圏内に入る。
仕方がない。
左肩越しに、先生の右手正拳突きの構えが見えた。それは私の背中を狙うもの。
私は右拳で、自分の腰の後ろの空間を、はたく、それで、見えないその一撃を拳で弾いた。多少はイメージから外れた手応えだが、一応は成功!
私はそのまま自分の体の右回転を利用し、軽く飛び上がって左膝蹴りを側頭部に放つ。
私の体も崩れているので力はさほと込められなかったが、それでもなんと、手応えがあった。
距離が開く。
先生はふらついて地面に左手を付くが、すぐに構えた。
あ、笑ってる! 良かったのかな?
こちらとしては、偶然が味方してくれたところもある。次はうまくは行かないだろう。
構える。やはり、私から仕掛けなければ。
さてお次は。
最初に思い浮かんだもので良い。押し切り替え。
左手左足前という現状の構えに対し、右足を1歩踏み込み、右手右足を前とする。
先生は左足を若干引き、構えを変えた私を正面に据える。
すでにお互い、拳の射程内と言える。
私は右腕を、先生は左腕を前に出し、それらは交差していて。そして私の右腕は内側を譲られている。右手によるフェイントは全て無視される。
ならばと。
まず右拳で先生の左腕付け根を打つ。
その勢いで前進。
その間に先生の左拳が下方からすり抜けてくる。顎を狙ったものだ。
左に顔を逸らしてよける。
そして溜めた左で正拳を放ちたいところだったが、その前に先生の右正拳が私の胸元を狙う。
仕方がない。左手でそれを弾く。先生が本気を出していないので弾くことができる。
そのまま近距離にて、拳の軽い打ち合い。隙のある脚は使いたくない状況。
違和感。
明らかに先生側に隙が多い。
ほら、この瞬間だって! 私の本気の一撃を入れられる余地があった。
しかし本気の一撃とはつまり、それを外してしまうと逆にこちらが隙だらけ、とも言える。
それを狙っている?
慎重さには欠ける判断かもしれない。
しかし。
先生が何をするか、見てみたい!
ここ。
一転して私は右腕を引き絞り、先生の心臓目掛けて右正拳を放つ。
全霊の一撃。
先生の両手が、それを掴もうと動く。
掴む。
私の一撃がそれを突破できないとでも!?
しかし、不思議なことが起きた。
正拳って、捻るように撃つでしょう?
先生はその捻る私の腕を、捻れが加速される方向へ捻った。
一撃の威力が増すだけでは? そう一瞬だけ思ってしまった。
すぐに気づく。
この一撃に私の腕が耐えられない。
まずい。回転を抑えないと。
半分反射的に、地面を蹴り身体を浮かせて、腕の回転と合わせるように、体を空中で回転させる。
そんなことをしていて、他にも原因はあるだろうが、とにかく、私の一撃は逸らされた。
こちらはそれどころではない。
回る視界。地面のあったところに空が見える。
ふと。
先生の顔が視界隅に映った。
私の今の回転から考えて。
0.5秒後にはまた、似た光景が見えるのでは?
右足が届く距離だ。
牽制になるかもしれない。
右足を蹴り上げた。
と同時に、私の腕から地面に衝突し出す。
あの右足に感触はあった。
地面を半回転し、低い姿勢を維持しながらすぐに立ち上がる。
先生は、向こうで仰向けに倒れていた。
え。
2秒、変化無し。
気づけば歓声が周囲を満たしていた。
進行役が先生に近づく。
先生は笑いながら、手を振りながら、なにやら応対していた、ようだった。
ちょっと待ってちょっと待って!
進行役がこちらにやって来る。
そして私の腕を掴み、歓声がひときわ大きくなった。
──。
勝ったのか。
なんだか、申し訳なくなる。
運で勝ったようなものだ。譲られた。先生の方が圧倒的に美しかった。
会場の皆にもそれが伝わっていると良いが。
進行役に退場を促される。
しかし。
ふと、倒れたままの先生と目が合った、気がした。
駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫、だけど、なんであなた、こんなに強くなってるのさ……」
「それはもちろん、先生の教えに従って鍛錬を続けていたからで」
「それでこんなんなる!?」
あれ、全然納得されていない模様。先生は続ける。
「いやぁ、だけど、こんな楽しいこともないわ。あんな風に昇華できるなんて、私も一から考え直さないと」
消化のやり方がよろしくなかったようだ。
「あ、あんな風、とは?」
「あんな体勢で攻防つなげられちゃうとはってこと。一体どうやったら崩れるのさ!」
褒められている?
「何度も、崩されましたけど?」
「嘘、だ!」
大の字の先生。
倒れている割に、相当元気だ。
先生は空を見つめる。
「とにかく、検討したいことが増えたよ、人生足りないねこりゃ」
「それこそ、こちらだって! 手本を見せていただきました。また数年、やるべきことが見えてきました。次はもう少し、恥ずかしくないものを、先生にお見せしますので!」
「勝っておいてそんなこと言う……。まだ、私に敬語で話してくれるんだね」
「先生ですので、もちろん」
先生はぷいと顔を背けた。
四秒開けて話し出す。
「この大会さ、私の弟子と来てるんだよね」
その独り言のようなトーンの声は、歓声の中でも聞き取ることができた。
その弟子というのは、きっと私が初戦で戦った相手だろう。
「……あなたがここまで、武術を続けてくれるとは思わなくて」
私の身分を考えると、そう思われるだろうな、と振り返って。
「……あなたのこと、一番弟子と言うようにしていい?」
そんなことだった。
「もちろん!」
先生は以前、人に教えるのは初めてと私に言っていた。それを聞いていた私としては、既に一番弟子のつもりだったが。
……いやクリフトは、もう離れているからね。
話のきりが良いという意味だろう、進行役の肩たたきの力が強まる。
「先生、ありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしています!」
先生はこちらを見ず、手を上げてひらひら動かして応えた。
退場するか。
退場口を向くと、背後、先生から声を掛けられる。
「アリーナ様!」
おっと、それは良くない名前だ。
振り向くと先生は上半身を起こしていた。
もう一度先生に駆け寄る。
先生は何か感づいたか、
「あ、ごめんなさい、アリーナ姫様?」
と訂正する。
「いえそうではなく、今私はレナという偽名を名乗っていまして」
ああそうなのごめんなさいと先生は返した後で、
「私はここ数日、『イーストイン』という宿を拠点にしてる。もし都合良ければ、会えない?」
ああそうか、今別れてしまったら、次会える保証はなかったのか!
「はい、ぜひ! もちろん! 願ってもないことです! ちなみに私は『崖っぷち』というところにいます」
先生の眉間にしわが寄った。
「それ、宿の名前? なんだか、とんでもない……」
「だと思います!」
すぐにまた再会できると思うと、楽しみでならない。
そうして私は先に退場した。
「また、すごかった!」
とはツォルンの言葉だ。
そろそろ、この単純な賛辞が素直に受け止められるようになってくる。
「演舞みたいだった! 特に最後の回し蹴り!」
「ちょっと待って。あれ、私から回ったって思ってない?」
「え、違うの?」
「あれは先生の技で、その、投げられたようなもの。そこで私が足掻いたら偶然足が先生にヒットしたというだけ」
「先生?」
そうそう、そこからか。
私と先生との関係は、初戦後に簡単に済ませている。もう少し説明を追加した。
その間にエンドール司祭が布部屋にやってくる。
試合終了してすぐに、腹部と右腕の回復希望を出していた。腹部は念のため。
右腕は、今でも力を入れると程々にピリつく。
回復呪文を受ける。
クリフトの回復に慣れていた身での感想としては、あまり変わらないレベル。クリフトの呪文スキルを褒めるべきか。
あ、回復呪文をかけた後に患部を触って回復具合を確かめるという手順は無かった。それは、クリフトが過剰なのかもしれない。
回復作業がきっかけで、ツォルンとの話が変わる。
「いやでも、すごいよ! 次多分決勝だと思う! 参加者が29名というのを聞いたから、多分そうなんじゃない!」
運で勝ってしまったのが本当に申し訳ないと思いつつ。
そうか、決勝か。
次は、私の納得する結果を出したい。先生に恥じぬよう。
負けたとしても。
あの黒い剣士が脳裏に佇んでいた。