「あ」
「あ?」
あの初対面の翌日、直哉と菜葉の二人は偶然屋敷の廊下で出会った。
直哉は昼食へ、菜葉は訓練所に向かっている最中の事であった。
「誰かと思えば、5歳下の女にボコられたヘボヘボ兄さんやん」
彼女はその場で立ち止まり、クスクスと笑いながら出会い頭の煽りを入れる。
対して直哉はと言うと、悔しさと怒りが混じってどうしようもないと言った様子だった。
「まだ一回やろが!んなマグレで勝った気なっとんちゃうぞ!」
「おーこわいこわい、妹は可愛がらなあかんで」
「っざけんなや!」
限界を迎えたのか怒号をあげ、握り拳で壁を強く叩く直哉。
「……次やる時は絶対泣かしたる。今更頭下げても許さへんぞ」
「ならさっさと鍛えや。今よりデカい差ついても知らへんで?」
今すぐに殴り合いの喧嘩へと発展しそうな空気が漂う中、横を通り過ぎた躯倶留隊員の肩が直哉と当たる。
「痛ったいな!どこ見て歩いとんねん!」
謝りもせずその場を去ろうとする相手に怒りの矛先を向け、ぶつかった相手に対して掴みかかる。
当主の息子が相手だ、当然恐れてすぐに謝るだろうと。
直哉はそう、考えていた。
「うるせえよ。当主のガキだからって威張りやがって、アンタ横の女に負けたんだろ?」
「あぁ!?」
「お前もだ、随分調子乗ってんじゃねえか。女の癖して所作より戦いを学んでやがる、気に食わねえ」
そのまま彼は二人に謝罪の一言も送らず去っていってしまった。
(は?はあ?何でや、なんであんなカスに舐められなあかんねん……クソクソクソ!)
ここ一晩で、直哉の評判は地に堕ちていた。
元々横柄な態度から嫌われてはいたが、それを表に出されなかったのは当主の息子であると言う事と強さの二つが理由である。
だが菜葉と言う対抗馬が生まれ、同時に敗北した直哉を慕う者など……
「ほら言ったやろ、早よしないとデカい差ついてまうで?」
「……お前は、文句も言わへんのか」
「は?言ってどうなんねん。その暇あったら今より強なって、舐めてきた奴全員殴って黙らせりゃええ。それが出来んのならそれまでって事や」
直哉はとことん、菜葉の事が気に入らなかった。
俺を負かした女、と言うだけで嫌う理由は十分であったがそれよりも。
(何で俺に勝った奴が、そんな弱そうにしてられんのや!)
強い者は強く振る舞う、弱い者は弱く振る舞う。これが禪院家で学んだ事。
なのに目の前の女は、何故か強さをひけらかさない。
何故、自分に勝った事を誇らない。
「てか、アンタ意外とガキやねんな。兄の癖してみっともないわ」
「……マジで、イラつく事しか言わへんねんな」
「これでイラついてるん?……ハハッ!やっぱ兄貴ガキやわ!」
直哉の事を笑い飛ばした後、手を振りながら元々向かっていた方へと再度歩き出す菜葉。
「あ、てか、負けた奴のこと兄貴って呼ばんでもええか……」
かと思うと、突如彼女は足を止めて独り言を言い始めた。
「せや、アンタが勝つまで名前で呼ばせてもらうことにするわ」
「は、はあ!?何勝手に決めてんねん!」
「別にええやろ?ウチより弱いねんから。じゃあまたな、な〜おや!」
とことん煽った末、そのまま走り去っていく菜葉。
直哉は怒りが収まらず、地団駄を踏みながら反対方向に向かって歩いていく。
その後の昼食でも、心はモヤモヤとしたままだった。
***
屋敷に備えられた訓練所は多くの者が使用する。
柄や躯倶留隊との共同スペース、そんな場所では当然、菜葉の肩身は狭かった。
(周りの奴ら、ウチの事ばっか見てきおる。昨日のやって所詮ガキ同士の喧嘩や思ってるんやろ、舐め腐りやがって)
『……お前は、文句も言わへんのか』
直哉に言われた言葉が彼女の頭を反芻する。
先程からずっとだ、真意は分からないが、何故か胸が落ち着かない。
(……ウチだって、そんな大人にはなれへんわ)
あの発言は本心と言うより、半分自戒、半分強がりのようなものだった。
文句も言いたい、舐めたやつを負かす自信も無い。
それでも禪院家で女が立場を上げると言うとは、それほど大変な事であった。
直哉とは違い、生まれながらにしてどこか舐められ続けてきた人生。
いつか変える事を夢見て、只ひたすらに術式を磨く。
(昨日の戦いで大分わかった……自分の未熟さも嫌ってほど。当面の課題は変形の複数同時発動と操作、並行して精度も上げてきたい)
腕を変形させ、次は足、それを同時に動かしてみる。
ぎこちなさはあったが簡単な動作なら何とか行えていた。
だが所詮その程度の動作。
(これやと高速で複雑な変形、操作する練習にはならへん……なんか、なんか良いやり方は……)
1分ほど悩んで悩んで悩み続けた末、一つの案が頭に浮かんだ。
急いで物置から"それ"を取り出し、訓練所の端に戻る。
その案とは、"縄跳び"であった。
(これなら適度に単純、適度に高速、今のウチには丁度良いわ!)
早速菜葉は練習を始める。
最初は単純な前飛びから。
(ただ飛ぶんやない。数飛びごとに腕とか足変形させながら……あー!クッソむずい!)
例えば手を肥大化させたら即座にバランスを合わせなければならない、例えば手を剣のように鋭くさせたら巻き込まれて縄が切れないようにしなければならない。
素の肉体とかけ離れた形状を、素の肉体に近づけて行く作業。
肉体のチューニングをアドリブで行い続けるそれは、側から見ているだけでは想像の付かない難易度であった。
そしてもう一つの問題。
それは周囲の目線だった。
多くの男が汗水垂らしながら訓練をしている場で、小柄な少女が縄跳びをしている。
その光景は滑稽な物に、それどころか彼らに対する侮辱に等しかった。
(……やっぱここだと集中できへん)
そのような目を向けられる事は菜葉にとっても大きなストレス、それ故彼女は人目に付かない場所を探す為敷地の中を歩き回る事にした。
そうして見つけたのは、古い時代に使われていたであろう倉庫。
倉庫といっても訓練所の半分ほどの大きさがあり、本屋敷からも離れている。
まさに絶好の場であった。
だが倉庫の中を見て彼女は驚愕する。
直哉が居たのだ、それも汗を滝のように流した。
「直哉アンタ、何しとん」
「何って見りゃわかるやろ、特訓や特訓」
「何故ここにいるのか?」と聞こうか考えたが、そんな事をせずともなんとなく分かっていた。
彼も自分と同じ、周囲の目に耐えられず来たのだろうと。
「てかそっちこそ、何で縄跳びなんかもっとんねん」
「アンタと同じ、特訓や」
「……縄跳びで?アホちゃうん」
「アホちゃうわ。これが一番効率良いんよ」
やはり気に入らなかった。
強者の癖にあぐらをかかず上を目指そうとする姿が。
だが同時に思っていた、これは絶好のチャンスではと。
生意気な妹の未熟さを突き、兄への尊敬を植え付けることが出来るのではないかと。
「なら、兄貴の俺が見といたるわ」
「は?何急に。別にええよ、一人だけでもできんねんから」
直哉の提案を菜葉は冷たく突き放す。
実際の所、彼女のやり方は間違いというわけでもなかった。
後はこの方法で回数を重ねるだけ、只それだけのことをわざわざ人に見てもらう意味が分からなかったのだ。
「それに、兄貴言うても昨日出会って昨日ウチに負けたばっかのヘボ兄貴や。そんな奴に教わる事なんて何もないわ」
彼女の中ではもう明確な立場ができていた。
"禪院直哉は自分よりも下"これが彼女の認識で、撤回する気も微塵も無い、絶対の指針。
「……昨日も言うたけどお前の術式、複数同時発動ができへんねやろ。んで縄跳びはその練習ってのは分かるわ。ただそれより先に学ぶべきは思考の割り振り、俺は父ちゃんから教わってんねんけどお前は教わってない」
「それをウチに教えるっちゅーこと?」
「せや。俺が教わり始めたのは9歳くらいやったっけな。お前はまだ7歳、後2年も効率悪いまま縄跳びするん?そっちこそデカい差ついてまうで?」
だがそんな指針を狂わせる程、直哉の言葉は正論であった。
少し考えた後、菜葉は直哉の方へ向き直す。
「……ま、そういう事ならありがたく教わっとくわ。けど何で急に敵に塩送るような真似したん?」
「……気に入らんねん、お前が」
あの時直哉が感じたことを、菜葉は知らない。
"雑魚の罪は強さを知らん事"、かつて禪院甚爾を見た時に浮かんだ考えが、目の前の女を見ていても浮かぶ。
だから周りの奴らは彼女を見て、あんなことが言えたのだろうと、そう思っていた。
「強なってや、あいつら全員殺せるくらいに」
「言われなくとも」
誰もいない倉庫の中、二人が初めて手を取った瞬間だった。
「昔から可愛げの無い妹やで、ほんま」
Q、複数変形、操作ってそんなに難しいの?
A、ダンス初心者って上半身と下半身同時に動かせへんやん?あれと似たようなもん……これやとウチが初心者みたいになってまうな。