それから1月ほど経ったある日、いつものように倉庫で訓練していた菜葉は突然直哉に声を掛けられた。
「そろそろ俺らも強なってきたし、二人で手合わせせん?」
今まで二人は個人個人で相手にアドバイスをしながらの訓練しかしてこなかったが、流石に実戦抜きでは限界を感じてきたのだろう。
直哉の提案は至極真っ当なものであったため、菜葉は断る訳もなく首を縦に振った。
二人はすぐに距離を取り、準備運動をし始める。
「1ヶ月ぶりやない?こうやって殴り合うんわ」
「ま、あん時の俺とは別もんやで」
「わかっとるわそんな事」
身体が両者温まり、構えを取る。
直哉は相手の動きに対して動きを作る後出しの構え、菜葉は相手の反応よりも早く動く先打ちの構え。
対照的だが、その雰囲気はどこか似通っている。
互いの間に開始の合図は必要なかった。
菜葉が勢いよく飛びかかる。
足を変形させ素早く間合いを詰め、それから腕を変形させ攻撃をする初動の動き。
ここ1ヶ月で、菜葉は結局同時変形と操作を完璧にまでは出来なかった。
だがその代わり編み出されたのが、変形と変形に少しのズレを許す、ある意味妥協と言える手法。
これにより少しのブレはあるが、さらに高速で力強い動きが可能になった。
だがその攻撃を直哉は躱わし、菜葉の脇腹に一撃見舞う。
直哉が受けたアドバイス、それは『カウンター前提で動きを作る』事。
相手の動きを高度なレベルで予測することが必須だが、出来れば投射のレベルは格段に跳ね上がる。
勿論意識を始めて一月の直哉がこれを初撃で成功させたのは、普段から隣で動きを見ていた菜葉相手だから、と言うのはあるが。
「チッ、痛ったいな」
菜葉は腕を更に肥大化させ、振り払う様にして腕を振る。
咄嗟の術式発動だったためか直哉も完璧には避けきれず、腕に少し喰らってしまう。
(ウチのアドバイス、もうものにし始めとる。癖も読まれてるやろし……)
(雑さは残っとるけど明らかに手数が増えとるな。不意打ちやとカウンターも間に合わへんし……)
二人の判断は同じだった。
直哉は投射を重ね掛けして、菜葉は足を最適な形に変形して加速する。
速度は両者共200キロを超え、床の埃が風で舞い上がる。
打ち合いは互角……に見えた。
(やっぱな!菜葉は所詮素の肉体で加速しとる。俺みたいに作った動きを後追いする訳やないから、切り返しで毎回ラグが生まれとんねん!)
直哉の術式による加速と菜葉の術式で変形させた肉体での加速。言うなれば車と電車の違いの様な安定感の差が両者の間には出来ていた。
極限まで加速した直哉の拳が菜葉の顔面に直撃する。
呪力強化や変形ありとは言え、弱点である目や鼻、脳の存在までは無くせない。
時速200キロの超高速戦闘の中、攻撃による怯みは致命的な隙……互角だった両者の関係が一気に崩れる。
(……クソッ!足止めてしもうた!)
その上菜葉は完全に止まることはなく、慣性のまま前へ体制を崩す。
そこにすかさず追撃を入れる為近づく直哉。
先日の反省を生かし、手と地面の動きから変形を予想、足元からのカウンターを常に頭に入れながらの追撃。
しかし、菜葉は自ら地面に向かって身体を加速させる。
当然、直哉は地面の変形を警戒……だが彼女の狙いは別にあった。
足元に向いた注意を逆手に取った、身体をしならせてのシャチホコ蹴りである。
「お返しや!」
「……がふっ…蹴りやと!?」
その威力は直哉が前方に動いていた事で倍増していた。
直哉の体がふらつく、それを見逃さずに菜葉は足をムチの様に変形させ首に巻き付ける。
そのまま前転、足で掴んでの投げ技だ。
「クソが!ウザいねんその変形!」
「アンタの速度も相当きしょいわ!」
両者共に立ち上がり、近接戦。
打ち合いではなく一撃で決めるつもりの初手の踏み込み、両者の距離がぐんと近づく。
直哉の右拳が菜葉の顔に向かう、投射で加速させたクリーンヒット確定の軌道。
しかし菜葉は、先刻の顔目掛けての攻撃から攻撃の軌道を予測していた。
彼女の上半身がぐいりと反り返る。
直哉の拳は顔では無く空気を打ち、体は無防備になってしまう。
(なんでその体制で倒れんのや!)
直哉が気づかないのも当然である。
菜葉はシャチホコ蹴りの際着いた手で地面に呪力を流していたのだ。
そして時間を置いてから変形させ、自らの体を支えていた。
まさに裏の裏を突いた戦術。
だが直哉も仕組んでいた。
カウンター前提の動き、左手での二撃目を作っていたのだ。
変形させた地面が勢いよく菜葉の上半身を押し戻し、構えていた拳が高速で直哉へと向かう。
対し直哉は先ほどと同じ軌道の左拳、念のため作っていたそれは超高速のカウンターとなって菜葉の顔へと向かう……はずだった。
菜葉は右拳が引っ込むのを確認し、カウンター対策として胴体を少しだけ伸ばしていた。
同じ軌道の場合、これならば顔には当たらない。
二人の拳が互いを打ち合うのは、同時だった。
直哉の拳が菜葉の胸に、菜葉の拳は胴を伸ばした影響で上から直哉の頭部へと。
当たった瞬間、菜葉は後方へ大きく吹き飛ばされ、直哉は勢いよく地面に叩きつけられた。
(顔は無事やが胸がクソ痛い……!!体ねじらせて避けた方が良かったわクソ……!!)
(今ので拳喰らうんかいな……!!上からとか避けようないやんけボケがァッ……!!)
片方は胸を押さえ、片方は頭を抱えて地面に蹲っている。
こうして2度目の戦いは相打ちに終わったのだった。
***
「妹殴るとか頭どうかしとんちゃう?」
「お前が頭どうかさせたねん、言ってる事めちゃくちゃやぞ」
戦いが終わって1時間経っても二人が立ち上がることはなく、戦い終わりの会話は仰向けになりながらの開催となった。
前回より結果が良かった者、対して悪かった者、だが共通して焦りを持っている。
(1月、たった1月でここまで埋められんのか。来月、再来月、引き分けにすら持ってけんかったら……)
(1月、もう1月経ってんねんぞ。5歳下の妹との差をまだ埋めきれてへん、もし次勝てへんかったら……)
互いに違う、1月と言う時間の重み。
実の所二人とも、本気の訓練と言うのをしたことがなかった。
直哉は禪院家の当主の座が殆ど確定している中の訓練、真剣に取り組んだことなど無い。
菜葉は自分の実力を知らず、向かう先をも無い中の訓練、真剣に取り組める訳がなかった。
初めての本気と初めての挫折、焦り、自分の努力が報われない恐怖が二人の背中にへばり付いている。
(置いてかれんとちゃうか、直哉に)
(置いてかれんとちゃうか、菜葉に)
奇しくも、二人が至った恐怖は同じだった。
初めて味わう敗北の恐怖、それに抗う為、直哉は震える足を押さえ立ち上がる。
そして、立ち上がれそうにない菜葉の手を取り、また訓練を始めるのだった。
***
1日の訓練を終え、屋敷へと戻る菜葉。
倉庫以外では直哉と話すことは殆どなく、ある意味秘密基地の様になっていた。
二人とも年齢で言えば小学校に通っている頃である、堅苦しい雰囲気の禪院家で唯一年相応の娯楽だった。
(……疲れた。身体中痛いし、頭もくらくらしとる。直哉のやつ、人の事ボカスカ殴りすぎやねん、まったく)
俯きながらふらふらと廊下を歩く。
そうしてしばらく進んでいると、誰かの足に引っかかり盛大に転げてしまった。
「どこを見て歩いている」
「……扇叔父さん」
禪院扇、家では彼女の叔父に当たる存在だ。
炎を刀に纏わせ戦う、素手での戦いが多い禪院家の術師の中では珍しい部類の人間である。
「奴の子と言うだけでも腹が立つ。その上女だと言うのだからな、さっさとどこかへ行け」
「はい、すみません」
いつもの関西弁を封印して、なんとか取り繕いながら受け答えをする菜葉。
彼女は扇の事に苦手意識がある。
当主になれなかった恨みを本人では無くその子供にぶつけてくる、特に女の菜葉への当たりは強かった。
「……娘が生まれた、双子でだ」
立ち去ろうとする菜葉を引き止める様に話を始める。
「……それは……おめでとうございます」
「めでたい訳があるか、女の双子だ。その癖一人は呪力が殆どない出来損ない」
彼の子が、女で呪力無し。その意味は幼い菜葉でも理解できた。
家の中での核は当然落ちる。
だがそれよりも、今まで馬鹿にしていた存在が自分の子となる気持ち悪さが強いのだろう、と。
「貴様がまともな生活を送れているのは、貴様の父と、その術式のお陰だ。所詮運に恵まれただけ……あまり調子に乗るなよ」
菜葉は性格が悪い。それは彼女自身も理解している事で、それを隠すつもりも毛頭なかった。
典型的な禪院の血を継いだと言うべきだろうか。
扇の前では押さえているが、ここまで言われるとその気持ちも揺らぐ。
その上強くなる為には目標が必要だ。
変なプライドを保っている場合では無い。
敵は作る、そしてそれを踏み台にのしあがるべきだと考えていた。
「賭けをしようや」
「……何?」
「その出来損ないが叔父ちゃん超えたら10万、その後ウチがそいつ超えたら50万や。できへんかったら100万やるわ」
「あまり調子に乗るなと言ったはずだが?」
「乗ってないわ。ウチはな、負ける賭けはしない主義やねん」
その発言は、もはや宣戦布告だった。
扇が刀に手を添える……が、抜かれる事はなくそのまま去っていった。
(これでいい。禪院家の奴らはウチが全員泣かす、直哉も含めて全員や)
不思議とふらつきは収まっていた。
震える手に武者震いと言い聞かせ、そのまま自室へと駆けていく。
「菜葉はすぐ人の事煽るからなあ。敵作りがちやけど敵全員倒してくから若干怖いわ」
Q、直哉との模擬戦の勝率は?
A、6:4くらいやない?勿論ウチが6やけど。最近はアイツも上げてきとるし……勿論ウチが勝つんやけど。