カンナちゃんのおかげで大満足に終われた夕食の後。
外出禁止時間になるまでにはまだ余裕がありそうだし、少しだけ屋敷の中を見て回っておこう――――ボクたち4人はそう決めて、食堂を後にしようとした……けれど。
くいくいっ、と袖を引かれる感触がある。
……振り返ってみると、お人形さんみたいな雰囲気のある紫髪の子がスケッチブックを手に立っていた。
「えっと、……夏目アンアンちゃん、だっけ。 どうしたのかな?」
尋ねると、アンアンちゃんは少しだけ視線をさまよわせるけれど……意を決したように持っていたペンでさらさらと文字を書き、こちらに見せてくる。
『お願いがある。 そこにわがはいが用意した食事トレーを、代わりに同室のノアに持っていってほしい』
『たとえ見た目が悪くとも、美味な食事を食べ損ねるのはもったいない。 だがわがはい、ノアの使うカラースプレーのにおいがたいそう苦手なのだ。 頼めるだろうか?』
『加えて、監房の中であれを使わないよう注意してもらいたい。 このままでは房に戻れない』
アンアンちゃんが袖で示したテーブルには、確かに料理が盛られたお皿を載せた食事トレーがあった。
それで、ノアちゃん……城ケ崎ノアちゃんは確か――――最初に集められたラウンジでずっと物をいじって遊んでた子だよね。 食堂に来てないなとは思ってたけど、今度は監房でカラースプレーを使って遊んでるんだ……。
「うん、わかったよアンアンちゃん。 これを持っていけばいいんだね」
「匂いの件についても、なんとか言ってみますわね!」
『恩に着る。 わがはいは事が済むまでここで待つ』
ボクたちが了承の返事を返すと、アンアンちゃんは安心したようにほんの少しだけ微笑んでから――――スケッチブックを脇にしまって、そそくさと隅っこの席に座る。 ……においの問題が解決したら呼びに来てほしい、ってことみたい。
そうと決まれば、早く問題を解決してあげなきゃだね!
「……そうだわ、カンナ。 カラースプレーの代わりになる、においの少なそうなお絵描きの道具を探してみてくれないかしら? 探し終わったら、またここに戻ってくること……いい?」
「承知しました、おねえさま。 ノアねえさまには……そうです、水彩絵の具があればよさそうですね! いってまいりまーすっ!」
食堂を出た後、ハンナちゃんに用事を頼まれたカンナちゃんが、姉妹でおそろいのツインテールをぴょこぴょこさせながら駆けていく後ろ姿を見送って。
食事トレーを持ったボクとシェリーちゃんハンナちゃんの3人で、目的の場所であるアンアンちゃんとノアちゃんの房に着いてみれば……房の中は予想以上の惨状になっていた。
壁も床も目に毒なほどの赤色で塗りつぶされていて、アンアンちゃんが問題にしていたカラースプレーの刺激臭は離れたところからでもわかるくらいに広がってる……こんなところに長くいたら、ボクたちも気分が悪くなっちゃいそう。
そんな毒々しい光景の中心で、ノアちゃんは鉄格子に背を向けて床にペタンと座り込み、上機嫌に鼻歌を口ずさんでいる。
「これはまた、とんでもないことになってますねー……どうしますこれ?」
シェリーちゃんのこぼす言葉の通り、一筋縄ではいきそうにない。
今から自由時間を全部使って掃除できれば、見える範囲の赤い塗料を取り除くことはなんとかできるかもしれないけど……多分、掃除が終わるよりこのにおいにボクたちが参るのが先だろうし、それだとにおいも残ったままになる。
それに、こんな強いにおいの中でも平気で過ごしているあたり――――ノアちゃんは集中力が高い子なのかも。
ボクたちが呼びかけても、彼女の耳に届いてくれるかわからないけど……まずは声をかけてみないと。 頼ってくれたアンアンちゃんをガッカリさせないように、できる限りのことはしてみよう……!
「ねえノアちゃん! ちょっといいかな、ボクたちノアちゃんに話したいことがあるんだ……!」
「んー? のあにお話し? いいよ、なにかなぁ?」
ボクが呼びかけるとノアちゃんはくるんと振り返り、ぽやぽやとした笑顔で返事をしてくれた。
……よかった、話は聞いてくれそう。 作業をしてるとなんにも耳に入らない、なんて気質の子だったりしたらどうしようかと思ってたけど、そうじゃないみたい。
「えっとね、ボクたちアンアンちゃんに頼まれて、
「わ、ごはんだ! そういえばお腹空いてた……あっ。 ちょっとまってね――――」
手に持ってたトレーを見せると、ノアちゃんはぱあっと顔を輝かせて……でも、さすがにこの状態の室内で食べるのはためらわれたんだろう、立ち上がると――――驚くことに、スプレー缶の中に赤いの全部戻しちゃった……!
明らかに常識外な液体の動き……これが、ノアちゃんの魔法なんだ。
「これでよし、と……あれ? でもそのごはん、アンアンちゃんが用意してくれたんだよね? アンアンちゃんはどうしたのかな……?」
「ええ、よく気が付きましたわね! お話しというのはまさに、そのことなんですの。 どうにもアンアンさん、貴女の使うそのスプレーのにおいがとっても苦手なようでして……このままでは自分の房に戻れないと嘆いていましたわ」
えっ、とノアちゃんが目を見開き、……しょんぼりと眉尻をさげる。
自分の楽しみに夢中になってて、まさか同室の子に迷惑をかけていたなんて考えもしてなかったみたいだった。
「……そっかぁ。 あとでアンアンちゃんにはありがとうとごめんなさいしないとだね。
でものあ、お絵描きするのガマンできないよ? だけどアンアンちゃんにはイヤな思いしてほしくない……どうしたらいいかな? えっと……」
「遠野ハンナですわ。 それから桜羽エマさんと、こちらが橘シェリーさん。
……辛いでしょうけど、がんばって今夜ひと晩だけ我慢してくださる? 明日まで我慢していられたら、遠慮なく絵を描いても大丈夫な場所を一緒に探しに行ってさしあげますわ!」
「わかった、やくそくする! のあ、ハンナちゃんのいうとおり、今夜はガマンするね!
――――ところでエマちゃん、
言われて気が付く。 ……ノアちゃんの魔法に気を取られてたせいで、まだトレーを渡せてない。
「あっ……ご、ごめんね! ずっと持ったままだったね……!」
「ううん、ありがとー。 わ、見た目のわりにすっごく美味しそうなにおいがするね! いただきまーすっ!」
ノアちゃんがもぐもぐと食べ始めるのを見届けたボクたちは監房を後にし、玄関ロビーまで戻ってきて。 ……食堂で待ってるだろうアンアンちゃんに問題が解決したのを伝えにいく前に、気になっていたことをハンナちゃんに尋ねてみることにした。
「ねえ、ハンナちゃん……絵の具のこと、ノアちゃんに伝えなくてよかったの?」
「ええ、これでいいの。 期待を持たせておいて見つかりませんでした、じゃあ
……そっか。 まだハンナちゃんと出会ってからほんの数時間しか経ってないけど……カンナちゃんがハンナちゃんにべったりな理由の一端がわかったような気がする。
ハンナちゃんって、いいお姉さんなんだね。
「へっ……!? そ、そうかしら? 確かにわたくし、カンナにとっていいおねえさまであろうと努力していますが……真っ正面からそう言われると、その、えっと……なんだか照れてしまいますわね……!?」
ボクが思わずこぼしてしまった言葉に、顔を真っ赤に染めてあたふたし始めるハンナちゃん。
さっきまですごくお姉さんの顔をしてたのに、今はなんというか、褒められ慣れてない子みたいな慌てようで……見てるとなんだか可笑しくなってきて、シェリーちゃんと顔を見合わせると。
――――ハンナちゃん、かわいいね。
――――かわいいですね!
目と目で通じ合えたような気がして口元が綻んでしまう。 ……いいなぁ、こういうの。
なんだか、すごく……仲のいい友だち同士のやりとりって感じがする。
「~~~っ、もう! 2人してなにニマニマしてるんですの!?
もういいからさっさとアンアンさんの用事を済ませてしまいますわよ、ほら早く、足を動かしなさいったら!」
真っ赤になったまま眉を吊り上げて背中をぐいぐい押してくるハンナちゃんに、シェリーちゃん共々駆け足を強制されて……わーわー騒ぎながら、意味もなくむちゃくちゃに蛇行して走った末に食堂へとなだれこむ。
……ボクたちの騒ぎ声が食堂の中にも聞こえていたんだろう、そこにはアンアンちゃんのジトリとした視線が待ち構えていた。
『はしゃぐのは結構なのだが。 おまえたち、わがはいの頼みは全うしてくれたのだろうな?』
「う、うんっ……それは、だいじょうぶ……!」
「ノアさんには、きちんと、言い聞かせて……おきました、わ……」
へたりこみながら息も絶え絶えに返事をするボクたちに、アンアンちゃんは呆れたようなため息をつく。 そうして、また新しくスケッチブックに文言を書き込もうとして……手を止め、少しの間考え込んで。
「……エマ、ハンナ、シェリー。 ……ありがとう、すごく助かる」
――――口元を隠すように掲げたスケッチブックと余り袖の陰から、彼女自身の声でお礼をしてくれた。
すぐにうつむいて走っていっちゃったけれど……これって、『今後話しかけないでほしい』って
言っていた自己紹介の時とは多少でも心持ちを変えてくれたってことなのかな? ……そうだったら、嬉しいな。
アンアンちゃんのお願い事を解決した後。
カンナちゃんが戻ってくるのを食堂の前で待っている間、少しだけ牢屋敷からの脱獄方法について話してみることになった。
……3人で考えを出し合った結果わかったのは、まずこの牢屋敷が国家ぐるみの施設である可能性が高いこと。
警察に通報してもまともに取り合ってもらえる望みは薄く、ボクたちの身1つでは脱出できたとしてもその後が続かない。 闇雲に出ようとしても上手くいかないことは明らかだ。
それから、この牢屋敷がある場所について。 ……これはハンナちゃんが把握してくれていた。
「これは、カンナから教えられたことなのですが……魔法で自分以外の誰かや何かに影響を与えるとき、その魔法の使用に関わる情報を得られる特性があるようなんですの。 ちょっと見ててくださいませ――――」
ふわり、とハンナちゃんの身体が浮き上がる。 見えない階段を跳ねるように足を踏み出すたびに高度を上げていき、ボクたちの目線と同じくらいにまで到達すると。
そのまま物語に出てくる妖精さんみたいに軽やかに空中を滑り、くるくると舞い踊って――――最後にくるん、と振り向いてから着地すると、スカートの裾をつまんで
「これがわたくしの魔法、《ものを宙に浮かせる魔法》ですわ! ……夕食前の拘束時間のあいだに、わたくしこの魔法の特性を利用して辺りの地形をざっくりと把握したのですが……。
それによれば、ここは島。 周りは1面海が広がっていて、どの方向に行けば元居た場所にたどり着けるかはわかりませんでしたわ。 絶海の孤島、というやつですわね――――わたくし自身が提案したことなのだけど、正直途方に暮れてるわよ。 どうしたらいいってのよ、もう……!」
ハンナちゃんの話を、ボクは……きっとシェリーちゃんも、半分くらいしか聞けていなかった。
カンナちゃんの《おまじない》も、ノアちゃんの《液体操作》も超常現象ではあったけれど……ハンナちゃんが今しがた魅せてくれた魔法は、その2つを吹き飛ばしてしまうくらいのインパクトがあって。
空中を自由に動き回る姿に、一気にファンタジーが現実味を帯びてきて……2人そろって、口をぽかんと開けたまま固まってしまっていた。
「す……っ、すごいすごいすごいすごーいっ……!! ハンナさん空を飛びまわれるんですね! どのくらい高く飛べるんですか? どのくらい長く浮いていられるんですか? 何人まで一緒に飛べるんですかっ!? 教えてくださいおしえてくださーいっ!」
「ちょ……っ、近い、ちかいですわ……っ!? そんなにいっぺんに聞かれても答えきれませんっ、……こらっ、はーなーれーなーさーいー!」
硬直が解けたシェリーちゃんが弾かれたようにハンナちゃんに詰め寄る。 始まった押しあいの攻防に……止めてあげた方がいいのかな、と思いつつも踏ん切りがつかないでいると。
「あっ、おねえさまたちもご用事をすまされたんですね!」
カンナちゃんが、……目的の水彩絵の具と、おまけに画用紙の束も胸に抱えて駆け寄ってくる。
絵の具セット、見つけられたんだ……! どこにあったんだろう?
「あら、カンナ! 見つけられたのね、お手柄ですわ!」
ハンナちゃんはシェリーちゃんを横に追いやって、カンナちゃんを迎え入れる。 あっ、支えをなくしたシェリーちゃんが投げ出されて――――ナイスヘッドスライディング! ……じゃないや、シェリーちゃん大丈夫かな!?
駆け寄ってみると……よかった、大丈夫みたい。 ちょっと恨めしそうなふくれ面でハンナちゃんを見ているけれど、痛がってはいないみたいだし……見る限り怪我もなさそう。
「それでね、おねえさま。 ……ちょっと、お耳いいですか? えっとですね――――」
「……ええ、うん――――そうですわね、ノアさんに
シェリーちゃんの無事を確かめている間に、ハンナちゃんとカンナちゃんは内緒ばなしをしていて……カンナちゃんが、天井の方に向けてなにか魔法を使ったようだった。
……カンナちゃん、なにしたんだろう?
聞いてみようと口を開きかけたところで、それを遮るようにフクロウの鳴き声の通知音が4つ重なって鳴り響く。
もう外出禁止時間? いつのまにそんな時間に……とにかく戻らなきゃ!
急いで地下監房に戻ったボクたちは、天井近くに浮かぶ絵の具セットと画用紙の束がふよふよとハンナちゃんたちの房に向かって移動していくという、ファンタジックな光景の下で……おやすみなさいと、またあしたを交わしあって。
みんなと別れて自分の房に戻ると、しばらく経って……鍵のかかる音が、外出禁止時間の始まりを告げてくる。
就寝時間……1日の終わりを意識すると、なんだか急に……まぶたが重く、なってきて……。
あれ……ボク、こんなに疲れてたんだ……?
……そっか、今日はいろんなこと、あったもんね。 疲れるに、きまってるよね……。
もう、ねよう。
倒れこむようにベッドに入ると、……すぐに意識が沈んでいった。