木場祐斗が駒王学園に入学し、生徒会書記としての地位を確立してから数ヶ月。秋の気配が漂い始めた頃、シトリー陣営に激震が走った。
放課後の生徒会室。いつになく重苦しい沈黙の中、ソーナ・シトリーは手にした書簡を震える指で握りしめていた。傍らには、副会長の真羅椿をはじめ、花戒、巡といった眷属たちが沈痛な面持ちで控えている。
「……身勝手な話だわ。名家同士の繋がり、次期当主としての義務。そんな言葉で、私の人生を盤上から放り出そうとするなんて」
書簡の内容は、冥界の有力貴族からの強引な縁談だった。
本来、ソーナは「自分より知能の劣る男とは結婚しない」と公言し、チェスでの勝負を条件にそれらを退けてきた。だが、今回の相手は狡猾だった。名家の威光を盾に上層部へ働きかけ、チェスではなく「レーティングゲーム」による決着を強引に承認させたのだ。逃げ場をなくすために開催時期を公示し、冥界の観客を大勢招き入れるという、外堀を埋め尽くした卑劣なやり方。
「……祐斗。私は、あんな男の所有物になるために研鑽を積んできたわけじゃない」
ソーナの瞳には、怒りと共に、微かな「恐怖」が揺れていた。積み上げてきた知略の城が、理不尽な権力という暴力で崩されようとしている。
俺は静かに彼女の傍らに歩み寄り、震える手に、俺の手を重ねた。
「……会長。その盤面、俺に預けていただけませんか」
ソーナが顔を上げる。一年前、京都から来たばかりの俺を「騎士」として受け入れた彼女と、今、真正面から視線がぶつかった。
俺にとって彼女は、もはや単なる「主君」ではない。冷徹な転生者の心に、唯一灯された暖かな光だ。
「でも、相手は正規の眷属をフルメンバーで揃えているわ。今の私たちの戦力では……」
「いいえ。キングであるあなたと、騎士である俺。二人だけで十分です。……いえ、二人『が』いいんです」
俺は彼女の手を力強く握りしめた。
「俺は、あなたの騎士です。……そして、あなたの心を誰にも渡したくないと願う、一人の男でもあります」
直球の告白だった。背後で椿たちが息を呑むのが分かったが、構わない。ソーナの頬が赤く染まり、彼女は一瞬言葉を失った後、小さく「……馬鹿ね」と呟いて、俺の胸に額を預けた。
数日後。冥界の特設会場には、下卑た笑みを浮かべる貴族の男と、その精鋭眷属たちが揃っていた。対するシトリー陣営は、ソーナと俺の二人だけ。
「ハハハ! シトリーの小娘も、ついにトチ狂ったか! 騎士一人で何ができる!」
観客席からも嘲笑が漏れる。だが、俺は無表情のまま、ソーナの隣で静かに抜刀した。
手にしているのは、『捕食の魔剣』。
「ゲーム開始」
審判の声が響いた瞬間、俺の姿は会場から「消失」した。
天与の身体による神速。魔術的な予兆さえ一切残さない、純粋な物理的加速。
「がはっ……!?」
最初に吹き飛んだのは、前衛にいた敵の「戦車」二名だった。俺は魔剣を抜かず、掌打だけで彼らの強化鎧ごと肉体を粉砕した。衝撃吸収の術式を反転させ、俺が歩いたことで生じた慣性エネルギーをすべて一点に叩き込んだのだ。
「な、何だ!? 何が起きた!」
パニックに陥る敵陣。俺は影に溶け、死神のように背後に現れる。
敵の魔術師が放つ広域破壊魔法。それを、俺は『捕食の魔剣』の一振りで霧散させた。魔力を喰らい、因子の輝きを吸い取る。
「……無駄だ。俺の主の知略を汚した罪、その身で贖え」
俺はあえてトドメを刺さず、敵の眷属たちの手足を一本ずつ、再起不能な角度で叩き折っていった。会場に響き渡るのは、悲鳴と、骨が砕ける無機質な音。
そして最後に、俺は腰を抜かして座り込む「王」の男の前に立った。
「ひ、ひぃっ! 助け……」
「安心しろ。殺しはしない。……ただ、二度と誰かを『所有』しようなどと考えられないよう、その心を折るだけだ」
俺は魔力針を彼の額に突きつけた。
奪い取るのは魔力ではない。彼の傲慢さの根源である「自尊心」の因子。解析の魔剣で彼の精神構造をハッキングし、底なしの絶望を脳に直接叩き込む。
男の瞳から光が消え、彼は廃人のように崩れ落ちた。
会場全体が凍りついたような静寂に包まれる。
観客席にいる他の貴族たちも、俺のあまりの「異質さ」と「残虐なまでの強さ」に、声も出せない。これがシトリーの騎士。誰にも手出しを許さない、絶対的な「守護者」。
俺は血に汚れていない手で、ソーナへと歩み寄った。
「チェックメイトです、会長」
ソーナは誇らしげに、そして熱を帯びた瞳で俺を見つめ、大勢の観客の前で俺の腕を強く抱きしめた。
「ええ。最高のゲームだったわ、私の祐斗」
この日、冥界の歴史に刻まれた。
シトリーの若き王女には、理不尽な介入を許さない「最凶の騎士」がついているという事実が。