| 推奨平均レベル - | |
2年前、暴徒に追われた少女は、一人の貴族令嬢に救われた。「誰も傷つけさせません」——あの凛とした声が、今も胸に響いている。 | |
演習 行動開始 | |
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2年前、暴徒に追われた少女は、一人の貴族令嬢に救われた。「誰も傷つけさせません」——あの凛とした声が、今も胸に響いている。 | ||
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夜が更けていた。
医療テントの片隅、マニュエラは膝を抱えて座っていた。
目の前には、簡易ベッドに横たわるアーネストの姿がある。
暴徒との戦闘で負った傷の手当てを受け、今は静かに眠っている。
規則正しい寝息が、テントの中に響いていた。
マニュエラは、その寝顔から目を離せなかった。
アーネスト様。心の中で、その名前を繰り返す。
ようやく、また会えた。
2年間、ずっと探していた。
あなたの噂を追いかけて、あなたの影を求めて——ようやく、こうして傍にいられる。
彼女の銀色の髪が、テントの灯りに揺れる。
義肢の右腕を左手で抱くようにして、マニュエラはアーネストを見つめ続けた。
——あの日のことを、忘れたことはない。
2年前。
キローガ家の領地、ブランシェ村。
マニュエラ・ローリアムは15歳だった。
その日は、普通の朝だった。
母が朝食を作り、12歳の弟リオンが騒いで、9歳の妹ミレーヌが泣いて——いつもと同じ、平凡な朝。
父は早くから畑に出ていた。小さな農地だったが、家族が食べていくには充分だった。
異変が起きたのは、昼過ぎのことだ。
「ローリアム家の娘が、鉱石病だと!」
誰かの叫び声が、村中に響いた。
マニュエラは、自分の右腕を見た。
袖から覗く皮膚に、小さな結晶が浮かんでいる。
昨夜、風呂に入った時に気づいた。まだ小さい、指先ほどの大きさの結晶。
でも、それで充分だった。
「出て来い! 感染者め!」
あっという間に、家の周りに村人たちが集まってきた。
さっきまで挨拶を交わしていた隣人が、今は石を手にしている。
「お前のせいで、村が汚れる!」
「子供たちに近づくな!」
「出て行け! 今すぐこの村から出て行け!」
父が外に出た。「待ってくれ、話を聞いてくれ」
石が飛んできた。
父の額から血が流れた。それでも父は立ち続け、両手を広げて家族を庇った。
「娘はまだ初期だ! 隔離すれば、感染は広がらない! お願いだ、子供たちだけでも——」
「うるせえ!」
誰かが叫んだ。そして、石の雨が降ってきた。
弟のリオンが、頭を押さえて倒れた。
血が、銀色の髪を赤く染めていく。
「リオン!」
母が叫んだ。マニュエラは動けなかった。足が震えて、声も出なくて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
私のせいだ。私が感染したから。私が鉱石病になったから。だからみんなが——
その夜、父は首を吊った。
納屋の梁に、縄をかけて。
遺書には、こう書いてあった。
『俺が死ねば、家族への風当たりが弱くなるかもしれない。許してくれ』
嘘だった。
父が死んでも、村人たちの憎悪は収まらなかった。
むしろ、火に油を注いだだけだった。
「父親が死んだぞ! 感染者を庇った罰だ!」
「あの家族を村から追い出せ!」
「寄生虫どもが!」
母は、その夜のうちに私たちを連れて逃げた。
リオンは頭の傷が治りきらず、高熱を出していた。
ミレーヌは泣きながら母にしがみついていた。
私は——私は、右腕の結晶を見つめていた。
この腕が、全てを壊した。
この腕さえなければ、父は死ななかった。リオンは怪我をしなかった。
私たちは、今も村で平和に暮らしていた。
「マニュエラ」
母の声が聞こえた。
「前を見なさい。後ろを振り返っちゃだめ」
その声は、どこか遠くから聞こえるようだった。
逃げている途中で、追手に見つかった。
村の若者たち、5人。松明を持ち、棒きれや農具を手にしている。
「見つけたぞ!」
「逃がすな! 感染者を村に戻すわけにはいかない!」
母が私たちの前に立った。「お願いです、子供たちだけでも——」
「うるせえ!」
言葉は最後まで紡がれなかった。
先頭の男が、母を殴り飛ばした。母は地面に倒れ、動かなくなった。
「お母さん!」
リオンが叫んだ。熱で朦朧としながらも、母の元へ駆け寄ろうとする。
「待って、リオン!」
私は弟を庇おうとした。
その瞬間、棒が私の右腕を打った。
骨が砕ける音がした。結晶化した部分が、粉々に割れる。痛みで視界が白くなった。
「感染した腕なんか、砕いちまえ!」
「そうだ、源石ごと叩き潰せ!」
何度も、何度も。右腕に振り下ろされる棒の衝撃。砕ける骨の音。飛び散る血。
痛い。痛い。痛い。でも、声は出なかった。叫ぶ力も残っていなかった。
ただ、弟と妹を庇うように、身を丸めることしかできなかった。
——ここで、死ぬんだ。そう思った時だった。
蹄の音が、闇を裂いた。
「お待ちなさい」
凛とした声が、夜気を貫いた。
男たちが振り返る。
松明の光の中に、一頭の蹄獣が駆け込んでくる。
その背には、貝紫色のドレスを纏った女性の姿があった。
「何だ、お前は」
「キローガ家の次期当主、アーネスト・デ・キローガです」
女性は蹄獣から降りた。月光に照らされた淡藤色の髪が、風に揺れている。
キローガ家。この領地を治める貴族の名前だ。
「貴族様か。だったら何だってんだ。こいつらは感染者だぞ」
「感染者であろうとなかろうと、キローガ家の領地に住まう者は、等しく私の守るべき民です」
女性——アーネストは、静かに、しかし明瞭に言った。
「退きなさい」
「退かねえよ! こいつらを野放しにしたら、村が汚染される! 俺たちは村を守ってるんだ!」
「それは——」
アーネストの目が、私を見た。
砕かれた右腕。血に染まった服。震える弟と妹。気を失った母。
その紫色の瞳に、何かが宿った。
「それは、守るとは言いません」
アーネストは剣を抜いた。刃が月光を反射して、白く輝く。
「誰も傷つけさせません」
その言葉は、宣言だった。約束だった。祈りだった。
男たちが襲いかかる。5対1。だが、アーネストは退かなかった。
剣が閃き、棒が弾かれる。蹴りが男の脚を払い、肘打ちが別の男を倒す。
非殺傷の、しかし容赦のない制圧。
私は、その姿から目を離せなかった。
強い。美しい。そして——眩しい。
この人は、本物だ。
口だけの正義じゃない。
綺麗事を並べるだけの偽善者じゃない。
自分の言葉を、自分の身体で証明している。
5人の男たちが地面に転がった時、アーネストは剣を収めた。
「医療班を呼びます。この子たちを手当てしてください」
彼女は部下に指示を出し、それから——私の元へ歩み寄ってきた。
「大丈夫ですか」
膝をついて、私と目線を合わせる。
「痛いところは……腕、ですね。すぐに手当てをします。もう大丈夫。誰も、あなたを傷つけさせません」
その声は、温かかった。
私は——泣いた。
父が死んでも泣けなかった。右腕を砕かれても泣けなかった。
でも、この人の前では——涙が止まらなかった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私のせいで……」
「あなたのせいではありません」
アーネストは、私の頭を撫でた。
「病に罹ったことは、誰の罪でもない。あなたは何も悪くありません」
その言葉が、胸に染み込んでいく。
誰にも言ってもらえなかった言葉。
ずっと、聞きたかった言葉。
あなたは悪くない。その一言が、私の世界を変えた。
右腕は、結局救えなかった。
感染が広がる前に切断し、後に義肢を付けることになった。
母は数日後に意識を取り戻したが、しばらくは寝たきりの状態が続いた。リオンは頭の傷の後遺症で、右目の視力を失った。ミレーヌは、まだ幼すぎて何が起きたか分かっていなかった。
私たちはキローガ家の保護を受け、領内の感染者シェルターで暮らすことになった。
でも、アーネスト様は忙しかった。領地中の感染者を保護し、各地を飛び回っていた。私は、遠くからその姿を見つめることしかできなかった。
ある日、アーネスト様が感染者シェルターを訪れた時、私は勇気を出して話しかけた。
「アーネスト様……あの時は、ありがとうございました」
「ああ、あなたは……」
アーネスト様は、私を覚えていてくださった。
「右腕のこと、申し訳ありません。もっと早く駆けつけていれば……」
「いいえ!」
私は首を振った。
「アーネスト様が来てくださらなければ、私は死んでいました。弟も、妹も。……ありがとうございます。本当に」
アーネスト様は、少し悲しそうに微笑んだ。
「あなたが元気そうで、よかった」
それだけ言って、アーネスト様は次の場所へ向かった。
私は、その背中を見送りながら思った。この人についていきたい。この人のために、何かしたい。この人を、守りたい。
その想いは、日を追うごとに強くなっていった。
半年後、母の体調はだいぶ回復していた。
リオンとミレーヌは、母と一緒に、キローガ家が紹介してくれた遠縁の親戚の元へ身を寄せることになった。
感染していない三人は、私と一緒にいるよりも、普通の生活を送れる場所にいた方がいい。
「お姉ちゃん、いっしょに行こうよ」
ミレーヌが泣きながら言った。
「ごめんね、ミレーヌ。お姉ちゃんには、やらなきゃいけないことがあるの」
「やらなきゃいけないこと?」
「うん。……大切な人を、守ること」
リオンは何も言わなかった。片目を覆う包帯の下から、じっと私を見つめて、私の手を握って、小さく頷いた。
「お姉ちゃん、がんばって」
そう聞こえた気がした。
私は、二人を見送った。そして——キローガ家の領地を離れた。
アーネスト様は、ある人を探しているらしい。マグノリアという名前の、幼馴染を。感染者シェルターの人たちが話しているのを聞いた。
「キローガ家の令嬢様は、マグノリア様を探して各地を回っているそうよ」
「マグノリア様? ああ、2年前に姿を消した……」
「ウイユヴェールとかいう街に向かったって噂だけど……」
アーネスト様には、探している人がいる。
私は——その人の代わりにはなれない。でも、傍にいることはできる。
だから、私も旅に出た。アーネスト様の噂を追いかけて。いつか、また会える日を信じて。
各地を転々とした。義肢を調整してくれる職人を探し、戦い方を覚え、生き延びる術を身につけた。
2年間。長かった。でも、諦めなかった。
「キローガ家の令嬢が感染者を探している」
その噂を聞いて、私はヴィクトリアに戻ってきた。
そして——今日、ついに再会できた。
「……ん」
テントの中で、アーネスト様が身じろぎした。
マニュエラは息を詰めた。起きてしまうだろうか。起きても、起きなくても、どちらでもいい。ただ、この人の傍にいられるだけで——
アーネスト様は目を開けなかった。寝返りを打って、再び静かな寝息を立て始める。
マニュエラは、そっと息を吐いた。
あの日から、2年。
私は、この人のために生きてきた。この人を探すために、この人にまた会うために。
そして今、ここにいる。
アーネスト様が探しているのは、マグノリアという人。私じゃない。分かっている。でも、それでいい。
私は、アーネスト様の一番になりたいわけじゃない。
ただ、傍にいたいだけ。この人を守りたいだけ。この人のために、何かをしたいだけ。
もしアーネスト様がマグノリア様を見つけて、幸せになるなら——私は、その幸せを守る。
もしアーネスト様がマグノリア様を見つけられなくて、悲しむなら——私は、その悲しみに寄り添う。
どんな形でもいい。どんな立場でもいい。ただ、この人の傍にいさせてほしい。
マニュエラは、静かに立ち上がった。
テントの入り口に向かい、外の空を見上げる。夜明けが近い。東の空が、わずかに白み始めている。
「アーネスト様」
小さく呟いた。「私は、あなたのために生きます」
それは誓いだった。呪いにも似た、絶対の誓い。
「どんな敵からも、あなたを守ります。どんな困難からも、あなたを支えます」
義肢の右腕を握りしめる。
あの日砕かれた腕。でも、今は——この腕で、アーネスト様を守れる。
「だから——」
マニュエラは振り返り、眠るアーネストを見つめた。
「どうか、私を傍に置いてください」
その言葉は、誰にも届かなかった。
でも、マニュエラにとっては——それで充分だった。
夜明けの光が、テントの中に差し込んでくる。
新しい一日が始まる。
マニュエラは、静かにアーネストの傍に戻った。目が覚めた時、一番に自分の顔が見えるように。
アーネスト様。あなたがウイユヴェールへ向かうなら、私も行きます。
あなたがマグノリア様を探すなら、私も探します。
あなたがどこへ行っても、私はついていきます。——たとえ、この命が尽きるまで。
夜明けの光の中、マニュエラは微笑んだ。
それは、幸福の微笑みだった。