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試練を越えた先に広がる、白い石造りの街。伝説は真実だった——そして、それぞれの「再会」が待っている。 | |
演習 行動開始 | |
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試練を越えた先に広がる、白い石造りの街。伝説は真実だった——そして、それぞれの「再会」が待っている。 | ||
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街の入口に、一行は立っていた。
白い石造りの建築物が、整然と並んでいる。二階建て、三階建ての家屋が道沿いに連なり、壁は漆喰で塗り固められていた。窓枠や扉には金色の装飾が施され、陽光を反射して輝いている。屋根は赤褐色の瓦で覆われ、窓辺には色とりどりの花が飾られていた。
街路樹からは見たこともない果実がたわわに実り、石畳の道は丁寧に掃き清められている。道端には小さな水路が走り、澄んだ水が流れていた。
「……本当に、あるんだ」
アーネストが呟いた。
遠くから見えた白い輪郭が、今は手の届く場所にある。
二年間、この街を目指して旅をしてきた。噂を集め、手がかりを追い、源石嵐を越えて——ようやく、辿り着いた。
ウイユヴェール。
蜃気楼の街。感染者の楽園。
伝説は、真実だった。
「警戒を解くな」
ドクターが低い声で言った。
「まだ何が起きるか分からない。隊列を維持しろ」
一行は慎重に街へと足を踏み入れた。
イプセンが先頭を歩き、メテオが後方を警戒する。アーネストとマニュエラは中央、ドクターとハンス、医療班がその間に挟まれる形だ。
「美しい街だ」
ハンスが呟いた。彼の声には震えがあった。
「トーマスは……息子は、本当にここに……」
「きっといますよ」
アーネストがハンスの肩に手を置いた。
「ここまで来たんです。きっと会えます」
ハンスは頷いた。だが、その目には不安と期待が入り混じっていた。
半年間、音信不通だった息子。生きているという確信はない。だが——ここまで来て、諦めるわけにはいかなかった。
街は生きていた。
小さな広場に差し掛かると、井戸の周りで女性たちが談笑していた。籠を抱え、編み物をしながら、穏やかに言葉を交わしている。
一行の姿に気づくと、彼女たちは驚いた様子で顔を見合わせた。だが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、会釈を送ってくる。
「ようこそ」
年配の女性が声をかけてきた。
「旅の方ですか? 珍しいですね」
「ああ。源石嵐を越えてきた」
ドクターが答えた。
「あの嵐を?」
女性は目を丸くした。
「それはそれは……大変でしたでしょう。どうぞ、ゆっくりしていってください」
敵意はなかった。むしろ——純粋な歓迎の気持ちが感じられた。
さらに進むと、パン工房があった。入口には焼きたてのパンが並び、香ばしい匂いが漂っている。
窯の前では、太った男が汗を拭きながらパンを焼いていた。
「おう、旅人さんか!」
男は人懐こい笑顔を見せた。
「腹が減ってるなら、持っていきな。遠慮はいらねえ」
カウンターには「ご自由にお取りください」と書かれた札が立てかけられている。
「……無料なのか」
イプセンが呟いた。
「無料も何も、金なんてこの街じゃ使わねえよ」
パン職人は当然のように言った。
「必要なもんは必要な人のところに届く。それがこの街のやり方さ」
マニュエラはアーネストの半歩後ろを歩きながら、周囲に視線を向けていた。
住民たちは穏やかだった。だが、警戒は解けない。
「マニュエラ、大丈夫よ」
アーネストが振り返った。
「敵意は感じないわ」
「……はい、アーネスト様」
マニュエラは頷いた。だが、警戒は解かなかった。
この街が楽園だとしても、アーネストを守ることが自分の使命だ。油断はしない。決して。
一行は街の中心部へと続く大通りに出た。
道幅は広く、両側には様々な建物が並んでいる。野菜の配給所、食肉の分配所、衣服の工房、道具の修理所——どの建物にも品物が並び、住民たちが行き交っていた。
配給所では、老人が野菜を籠に詰めていた。隣の女性と何か話しながら、トマトの色を確かめている。
衣服の工房では、若い女性たちがミシンを踏んでいた。窓から見える布地は色鮮やかで、子供服や作業着が仕上がりを待っている。
道具の修理所では、髭を生やした職人が鍋の底を叩いていた。火花が散り、金属音が響く。
イプセンは周囲に意識を巡らせていた。
(……エーテルだ)
微かだが、確かに感じる。テラに来てから初めて——この街の空気には、エーテルが流れている。
リッチとの戦闘が脳裏をよぎる。エオルゼアの古い書物でしか見たことのない存在が、なぜこの大地にいたのか。
そして今、この街に漂うエーテル。偶然とは思えない。
(何かがある)
穏やかな街並み。笑顔の住民たち。だが、イプセンは警戒を解かなかった。
「活気があるわね」
メテオが周囲を見回した。
「でも、どこか……穏やかすぎる気もする」
「争いがないからだろう」
イプセンが答えた。
「外の世界では、感染者は追われる身だ。だがここでは——誰もが対等に暮らしている」
住民たちは一行に気づくと、物珍しそうに視線を向けてきた。
だが、敵意はない。むしろ、好奇心に満ちた温かい眼差しだった。
「進もう」
ドクターが促した。
「街の中心部で、責任者に会いたい」
ドクターは歩きながら、街の仕組みを観察していた。
配給所の前を通り過ぎる。野菜、果物、パン——品物は豊富だが、誰も代金を払っていない。住民たちは必要な分だけを取り、会話を交わし、去っていく。
(共有財産制か)
理論としては知っている。全ての生産物を共同体の財産とし、必要に応じて分配する。貨幣を介さない経済システム。
だが、それを実現した社会は——少なくともドクターの知る限り、テラには存在しない。
(なぜ機能している?)
普通なら破綻する。誰かが多く取りすぎる。誰かが働かなくなる。不公平感が蓄積し、やがて崩壊する。人間の欲望を制御できた共同体など、歴史上ほとんど存在しない。
だが、この街は——少なくとも表面上は——安定している。
住民たちの表情を見る。疲弊はない。諦めもない。むしろ——穏やかな満足感がある。
(何が違う?)
ドクターの目が、住民たちの肌に浮かぶ結晶を捉えた。淡い色の結晶。見たことのない色だ。
(あれは……何だ?)
源石病の結晶とは、明らかに様子が違う。黒みがかった赤や紫ではなく、透き通るような淡い青色。特異な状態だ。
(この街には、何かがある)
それが答えの一部かもしれない。もし病の脅威が和らいでいるなら、人間の欲望の形も変わる。明日を奪い合う必要がなければ、今日を分かち合える。
だが、それだけでは説明がつかない。
(この街は、いつからここにある?)
建築様式を見る限り、相当な歴史がある。数十年ではない。おそらく——数百年単位。
それだけの期間、この仕組みを維持してきた。外部との接触を最小限に抑え、閉じた循環の中で社会を営んできた。
だが——何かが引っかかる。
(あの源石嵐だ)
街を囲む幻影の嵐。侵入者を阻む試練。そして、住民たちの源石に起きている変化。
ふと、肌に触れる空気を意識した。穏やかな風。快適な気温。源石嵐の只中にあるはずなのに、この街には塵一つ舞っていない。
街の外縁部には緑の丘が広がり、畑には作物がたわわに実っている。砂漠の真ん中で、だ。
(この気候すら、何者かに制御されているのか?)
それらを数百年にわたって維持し続けるには、どれほどのエネルギーが必要だ?
ドクターは眉をひそめた。
困難、などという言葉では足りない。不可能に近い所業だ。
テラの大地の歴史を紐解いても、これほどの術を数百年維持し続けた術師など聞いたことがない。リターニアの双子の女帝ですら、ここまでの持続力は持たないだろう。
いや——術師という枠組みで考えること自体が間違いかもしれない。
(これは、巨獣でも成し得るかどうかという領域だ)
この街の規模で、これほどの力を数百年。
(……どこから、そのエネルギーを?)
住民たちは穏やかに暮らしている。だが、この平穏を支えているものは何だ。誰かが、あるいは何かが、途方もない代価を払っているはずだ。
(理想郷か……それとも、箱庭か)
どちらにせよ、興味深い。ロドスアイランドが目指す未来の、一つの形がここにある。
感染者が迫害されない世界。病と共に生きられる社会。
だが——
(閉じた楽園に、未来はあるのか)
そして——その楽園を支えるエネルギーは、いつまで持つ?
ドクターは思考を中断した。今は観察に徹するべきだ。判断は、もっと情報を集めてからでいい。
だが、胸の奥に芽生えた違和感は消えなかった。
その時、歌声が聞こえてきた。
女性の声だった。複数の声が重なり合い、美しいハーモニーを奏でている。
旋律は穏やかで、どこか懐かしい。子守唄のような、祈りのような——聞く者の心を静める力があった。
アーネストは足を止めた。
「この歌……」
「どうした」
ドクターが振り返る。
「聞き覚えがあります」
アーネストは記憶を辿った。
——八歳の頃だった。
キローガ家の書庫。埃をかぶった古い書物が天井まで積み上げられた、薄暗い部屋。父に連れられて初めて足を踏み入れた時、その圧倒的な知識の重みに息を呑んだ。
「ここには、キローガ家の歴史が全て記されている」
父はそう言って、一冊の日誌を手渡してくれた。革表紙は擦り切れ、ページは黄ばんでいたが——初代当主、ヴァスコ・デ・キローガの直筆だった。
『私は今日、ある女性と出会った。彼女は遠い地から来たと言う。その目には、深い悲しみと、それでもなお消えない希望の光があった——』
幼いアーネストは、その日誌を何度も読み返した。ヴァスコの文章は、まるで物語のようだった。見知らぬ土地への旅。迫害される人々との出会い。そして——ある歌のこと。
『彼女が教えてくれた歌がある。遠い故郷で歌われていたという子守唄。私はこの歌を、我が家の記録に残そうと思う。いつか、この歌が誰かの希望になることを願って——』
その下に、歌詞が記されていた。
『眠れよ子よ、星の下で
明日の陽が昇るまで
恐れるな、闇の中を
光はいつも、傍にある』
今、その歌が——この街に響いている。
「キローガ家の古文書に記録されていた歌です」
アーネストの声には困惑と、微かな震えがあった。
「初代当主が、ある女性から教わったという子守唄。八百年以上前の記録です。でも、なぜこの街で?」
「キローガ家と、この街に繋がりがあるということか」
ドクターが呟いた。
「興味深いな。あの声の方向へ行こう」
一行は歌声に導かれるように、街の中心部へと歩き始めた。
歌声が近づくにつれ、街の様子が変わっていった。
住宅街から、公共施設が並ぶ区画へ。建築様式がより精緻になり、装飾もより華やかになっていく。
共同食堂らしき大きな建物があった。開け放たれた窓からは、煮込み料理の匂いが漂ってくる。中を覗くと、長いテーブルに住民たちが座り、昼食を取っていた。談笑しながらスープを啜り、パンを分け合っている。
「みんなで食事を取る場所か」
メテオが覗き込んだ。
「家族単位じゃなくて、街全体で食事をするのね」
職人の工房もあった。鍛冶屋では若者が師匠の指導を受けながら鉄を打ち、木工所では老人が椅子の脚を削っている。陶器工房では、女性たちが皿に絵付けをしていた。花の模様、鳥の模様、幾何学的な文様——どれも繊細で美しい。
子供たちの遊び場では、十人ほどの子供たちが走り回っていた。砂場で城を作る子、ブランコを漕ぐ子、追いかけっこをする子——笑い声が響き渡っている。
「本当に、人々が暮らしている街なんだ」
ハンスが呟いた。
彼の目には涙が浮かんでいた。
「トーマスも……こうして、穏やかに暮らしているのかもしれない」
「きっとそうですよ」
アーネストが言った。
壁には色鮮やかな壁画が描かれていた。
感染者と非感染者が手を取り合う姿。子供たちが笑い合う姿。畑を耕す人々、パンを焼く人々、本を読む人々——平和な日常の風景が、丁寧に描かれている。
壁画の中央には、一人の女性の姿があった。水色のローブを纏い、長い髪を風になびかせ、両手を広げている。胸元には仮面のようなものが描かれていた。彼女の周りには光の輪が描かれ、まるで守護者のように街を見下ろしていた。
「……これは」
イプセンが足を止めた。
彼の目は、壁画の女性に釘付けになっていた。
「イプセン?」
メテオが声をかけた。
「……いや、何でもない」
イプセンは首を振った。
だが、その目には——何か、複雑な感情が宿っていた。
「先を急ごう」
イプセンは視線を逸らし、歩き始めた。
メテオは壁画をもう一度見上げた。
守護者のように街を見下ろす女性。その表情は穏やかで、慈愛に満ちている。
(この人が、この街を守ってきたのね)
おそらく長年の間、感染者たちの楽園を維持し続けてきた存在。
(……どれほどの覚悟が、必要だったのかしら)
メテオは静かに歩き始めた。イプセンの後を追って、街の中心部へ。
図書館らしき石造りの建物があった。
入口の上には銘板が掲げられている。「すべての者に知識を」と刻まれていた。
扉は開け放たれており、中には本棚が整然と並んでいる。革表紙の古い書物から、新しく製本された書類まで——様々な本が収められていた。
閲覧席には数人の住民が座っていた。分厚い書物を広げて熱心にノートを取る青年、絵本を開いて隣の子供に読み聞かせる老婆、二人で一冊の地図帳を覗き込む若い夫婦——静かに、しかし確かに、知識が共有されている。
「立派な図書館だ」
ドクターが感心したように言った。
「この規模の街で、これほどの蔵書があるとは」
カウンターでは、司書らしき女性が本の修繕をしていた。破れたページを丁寧に糊で貼り合わせ、傷んだ背表紙を補強している。一行に気づくと、軽く会釈をした。
アーネストは本棚に目を走らせた。
医学書、農業書、建築書、歴史書——実用的な本が多い。だが、物語の本や詩集もある。子供向けの絵本もあった。
「読み書きができる住民が多いということね」
一冊の本が目に留まった。
『ウイユヴェールの歴史』
アーネストは手を伸ばしかけて、やめた。今は先を急ぐべきだ。だが——後で必ず読もう。この街のことを、もっと知りたい。
歌声が、すぐ近くまで来ていた。
石畳の道を進み、角を曲がると——広場が開けた。
中央広場だった。
大きな噴水を中心に、円形に広がる石畳の空間。周囲には木製のベンチが並び、色とりどりの日除けの布が張られている。噴水からは清らかな水が湧き出し、涼やかな音を立てていた。
そして——人々がいた。
大勢の感染者たちが、平和に共同作業をしていた。
子供たちが噴水の周りで遊んでいる。水を掛け合い、笑い声を上げている。服が濡れても、誰も叱らない。
老人たちがベンチに座り、陶器を作っている。ろくろを回し、粘土を形作り、模様を刻んでいく。その手つきは熟練していて、美しい器が次々と生まれていた。
若者たちは広場の端で、野菜の仕分けをしていた。トマト、人参、葉物野菜——新鮮な野菜を籠に分け、運んでいく。
歌っていたのは、広場の隅に集まった女性たちだった。子供たちを膝に乗せ、古い子守唄を歌いながら、編み物をしている。その声は穏やかで、広場全体を包み込んでいた。
誰もが穏やかな表情をしていた。
イプセンの目が、住民たちの肌に浮かぶ結晶を捉えた。
(……色が違う)
外の感染者たちの結晶は、黒みがかった赤や紫だった。だがここの住民たちの結晶は——淡い青や緑、透き通るような白。まるで水晶のように澄んでいる。
(あれは源石じゃない)
イプセンには分かった。あの結晶は源石ではない。クリスタルだ。
「……本当に、感染者の楽園だったのか」
ハンスが呟いた。その声は震えていた。
「トーマス……息子は、本当にここに……」
一行の姿に気づいた住民たちが、作業の手を止めた。
だが、敵意はない。むしろ——好奇心と、歓迎の表情が浮かんでいた。
「旅人さんだ!」
子供の一人が叫んだ。濡れた服のまま、一行に駆け寄ってくる。
「外から来たの? 珍しい!」
他の子供たちも駆け寄ってきた。
「どこから来たの?」
「お腹空いてない?」
「パン、あるよ!おいしいよ!」
マニュエラがアーネストの前に出ようとした。だがアーネストは彼女の肩に手を置き、首を振った。
「大丈夫よ、マニュエラ。敵意はないわ」
アーネストは膝をついて、子供たちの目線に合わせた。
「ありがとう。私たちは遠くから来たの。この街のことを教えてもらえる?」
「うん!」
子供たちが口々に答えた。
「ここはウイユヴェールだよ!」
「みんな優しいの!」
「病気でも、追い出されないの!」
その言葉に、アーネストの胸が締め付けられた。
病気でも、追い出されない。
それがどれほど貴重なことか——感染者たちの旅を見てきたアーネストには、痛いほど分かった。
大人たちが近づいてきた。
中年の女性が、一行の前に立った。茶色の髪を後ろで束ね、質素だが清潔な服を着ている。首筋には、源石病の結晶がわずかに光っていた。その表情は穏やかで、警戒の色はない。
「ようこそ、ウイユヴェールへ」
女性は微笑んだ。
「私はエレナ。この街の世話役のようなものです」
「世話役……この街の代表者か」
ドクターが尋ねた。
「代表というほどではありません」
エレナは首を振った。
「この街に代表者はいません。皆で話し合い、皆で決める。私は単に、外からの来訪者への対応を任されているだけです」
「試練を越えてきたのですね」
エレナは一行を見回した。
「あれは……この街を守るためのものか」
イプセンが尋ねた。
「はい」
エレナは頷いた。
「外部からの侵入者を防ぐための試練です。ただし、本気で街に辿り着きたいと願う者であれば——道は開かれます」
「俺たちは感染者ではない者もいる」
「ええ。ですが、あなた方は感染者と共に旅をしてきた。感染者を守るために戦った。それは、この街の理念と同じです」
エレナの目が、一行を一人ずつ見つめた。
「ロドスアイランドの方々ですね。そちらのマークを見れば分かります」
「我々のことを知っているのか」
「この街に来る感染者たちから、話は聞いています。源石病の治療を目指す組織だと。感染者を守り、差別と戦っていると」
エレナは微笑んだ。
「あなた方は、この街の友人です」
「そして——」
エレナの視線が、アーネストに向けられた。
「キローガ家の方もいらっしゃるのですね」
アーネストは驚いた。
「私のことを知っているのですか?」
「キローガの紋章を見れば分かります」
エレナはアーネストの胸元を指差した。そこには、キローガ家の紋章が刺繍されたブローチがあった。盾の中に剣と薔薇——代々受け継がれてきた家紋だ。
「この街には、キローガ家に救われた者が何人もいます」
エレナの声には、深い敬意があった。
「あなたの先祖は、私たちにとって恩人です」
「先祖が……」
アーネストは言葉を失った。
キローガ家の歴史は古い。「全ての者に平等な明日を。苦しむ者に手を差し伸べ、理不尽を正し、希望を絶やすな」——初代当主が定めた家訓だ。だが、それがこの街と繋がっているとは——
「詳しいことは、後でお話しします」
エレナは言った。
「まずは——」
「あの」
ハンスが一歩前に出た。声が震えている。
「息子を……探しているんです。トーマスという名の——この街に来たはずなんです」
エレナの表情が和らいだ。
「トーマスさん。ええ、知っていますよ。この街で銅細工の職人をしています」
ハンスの膝が崩れ落ちた。
「生きて……生きているのですか……!」
「ええ。元気にしています」エレナは穏やかに微笑んだ。
「会いに行きましょうか?」
銅細工の工房は、広場から少し離れた場所にあった。
煙突から薄い煙が立ち上り、中からは金属を叩く音が響いている。
入口には、精巧な銅製の看板が掲げられていた。蔦と花をあしらった美しいデザインだ。
「トーマス」
エレナが声をかけた。
「お客様よ」
金属を叩く音が止まった。
しばらくの沈黙の後——工房の奥から、一人の男が現れた。
三十代前半。日に焼けた肌、逞しい腕。
額には汗が光り、革のエプロンには金属の粉がついている。首筋には結晶が見えるが、他の住民たちと同じ淡い青色だった。
「客?珍しいな、外から——」
男は言葉を切った。
工房の入口に立つ老人を見て、目を見開いた。
「……父さん?」
ハンスは震えていた。
「トーマス……」
「父さん……!」
トーマスが駆け寄った。
そして——二人は抱き合った。
「生きてた……お前、生きてた……!」
ハンスの嗚咽が漏れた。長い間堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出す。
「ああ……父さんが来てくれるなんて……」トーマスも泣いていた。
「俺、待ってたんだ……いつか、父さんが来てくれるって……」
「ごめんな……ごめんな、トーマス……」
ハンスは息子の背中を抱きしめた。
「お前が出発する時、俺は何も言えなかった……怖くて、向き合えなくて……」
「いいんだ、父さん」トーマスは首を振った。
「俺も、分かってた。父さんが辛かったこと。俺が感染して、父さんがどれだけ苦しんだか」
「でも、お前は——」
「父さん。俺は元気だ。この街で、仕事もある。仲間もいる」
トーマスは涙を拭い、微笑んだ。
「だから、もう大丈夫だ。ここで、一緒に暮らそう。今度こそ」
一緒に暮らそう。
半年前、トーマスがハンスに言った言葉だった。
ハンスは頷いた。何度も、何度も頷いた。
アーネストは、その光景を黙って見つめていた。
胸が熱くなる。ハンスは息子に会えた。彼の旅は、報われたのだ。
——では、私は?
マグノリアは、この街にいるのだろうか。
親子の再会を見届けた後、一行は広場に戻った。
エレナが食事と休息の場所を用意すると言ったが、アーネストにはまだ聞きたいことがあった。
アーネストは意を決して尋ねた。
「マグノリア・マブロースという女性を探しています。二年前にこの街を目指して——」
エレナの表情が、わずかに変わった。
「マグノリアさん……」
「知っているのですか?」
「ええ。知っています」
エレナは少し間を置いた。
「彼女は……地下にいます」
「地下?」
「クリスタル・カタコンベ。病が進行した方々が過ごす場所です」
アーネストの心臓が跳ねた。
マグノリアは生きている。この街にいる。
だが——「病が進行した」という言葉が、胸に刺さった。
「案内してもらえますか」
「ええ。ただ……」
エレナは言葉を選ぶように言った。
「覚悟をしてください。カタコンベは……特別な場所です」
アーネストは頷いた。
覚悟など、とうに決まっている。
どんな姿であろうと、マグノリアに会いたい。二年間、そう思って生きてきた。
カタコンベに向かう前に、イプセンが口を開いた。
「一つ聞きたい」
エレナが振り返る。
「この街を守っているのは誰だ。あの幻影の嵐、そして試練——あれほどの力を維持するには、相当な術者が必要なはずだ」
エレナの表情が、わずかに曇った。
「……ミセス・ステラティオ様です」
「ステラティオ……」
イプセンの目が、一瞬だけ鋭くなった。
「その名前は、この地の言葉ではないな」
「ええ。彼女がどこから来たのかは、私たちにも分かりません。ただ、この街を守るために現れた——と、聞いています」
「会いたい」
イプセンの声には、有無を言わせぬ響きがあった。
「申し訳ありません」
エレナは首を振った。
「ステラティオ様は今、お休みになられています。いつ起きられるかは……私たちにも分かりません」
「眠っている?」
「ええ。街を守る力を維持するために、長い眠りにつかれることがあるのです。幻影の嵐も——すべては彼女の力で維持されています」
イプセンは何か言いかけて、やめた。
代わりに、小さく息を吐いた。
「……そうか。待つしかないな」
その声には、焦りと——どこか、諦めに似た響きがあった。
メテオはイプセンの横顔を見つめた。
(ステラティオ……その名前に、何か思うところがあるのね)
イプセンは多くを語らない。だが、彼がこの街に来た理由——「声に導かれている」という言葉——それと、ステラティオという名前が繋がっているように見えた。
一行は二手に分かれることになった。
ハンスは息子トーマスのところに残る。半年ぶりの再会だ。積もる話は山ほどあるだろう。
ドクターとメテオ、医療班は街の調査を続ける。ウイユヴェールの医療体制、生活環境、社会構造——ロドスにとって貴重な情報だ。
アーネストとマニュエラ、そしてイプセンは——カタコンベへ。
「俺も行く」
イプセンはそう言った。
「理由は?」
ドクターが尋ねる。
「……気になることがある」
イプセンは言葉を選んだ。
「この街の力の源が、あの場所にある気がする」
ドクターは少し考え、頷いた。
「分かった。だが、何かあればすぐに連絡しろ」
「ああ」
エレナが先導し、一行はカタコンベへと向かった。
街の北端、小高い丘の上に、石造りの建物があった。
他の建物とは違い、装飾は控えめで、厳かな雰囲気がある。入口には青い水晶が埋め込まれ、淡い光を放っていた。
「ここがカタコンベの入口です」
エレナが足を止めた。
「中は……少し、驚かれるかもしれません。でも、彼らは苦しんでいません。穏やかに眠っているだけです」
アーネストは深呼吸をした。
マニュエラがそっと傍に寄り添う。
「アーネスト様。私がお傍にいます」
「……ありがとう、マニュエラ」
イプセンは無言で入口を見つめていた。
その目には、何か——遠い記憶を辿るような、複雑な光が宿っていた。
「行きましょう」
アーネストは一歩を踏み出した。
地下への階段が、青い光に照らされていた。
マグノリアが、待っている。
二年間探し続けた人が、この先にいる。
アーネストは階段を降り始めた。