蜃気楼の街 ウイユヴェール   作:ヴァーミ

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試練を越えた先に広がる、白い石造りの街。伝説は真実だった——そして、それぞれの「再会」が待っている。

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行動開始

 

 

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試練を越えた先に広がる、白い石造りの街。伝説は真実だった——そして、それぞれの「再会」が待っている。

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行動開始

 


 

街の入口に、一行は立っていた。

 

白い石造りの建築物が、整然と並んでいる。二階建て、三階建ての家屋が道沿いに連なり、壁は漆喰で塗り固められていた。窓枠や扉には金色の装飾が施され、陽光を反射して輝いている。屋根は赤褐色の瓦で覆われ、窓辺には色とりどりの花が飾られていた。

 

街路樹からは見たこともない果実がたわわに実り、石畳の道は丁寧に掃き清められている。道端には小さな水路が走り、澄んだ水が流れていた。

 

「……本当に、あるんだ」

 

アーネストが呟いた。

 

遠くから見えた白い輪郭が、今は手の届く場所にある。

二年間、この街を目指して旅をしてきた。噂を集め、手がかりを追い、源石嵐を越えて——ようやく、辿り着いた。

 

ウイユヴェール。

 

蜃気楼の街。感染者の楽園。

 

伝説は、真実だった。

 


 

「警戒を解くな」

 

ドクターが低い声で言った。

 

「まだ何が起きるか分からない。隊列を維持しろ」

 

一行は慎重に街へと足を踏み入れた。

 

イプセンが先頭を歩き、メテオが後方を警戒する。アーネストとマニュエラは中央、ドクターとハンス、医療班がその間に挟まれる形だ。

 

「美しい街だ」

 

ハンスが呟いた。彼の声には震えがあった。

「トーマスは……息子は、本当にここに……」

 

「きっといますよ」

アーネストがハンスの肩に手を置いた。

「ここまで来たんです。きっと会えます」

 

ハンスは頷いた。だが、その目には不安と期待が入り混じっていた。

半年間、音信不通だった息子。生きているという確信はない。だが——ここまで来て、諦めるわけにはいかなかった。

 

街は生きていた。

 

小さな広場に差し掛かると、井戸の周りで女性たちが談笑していた。籠を抱え、編み物をしながら、穏やかに言葉を交わしている。

一行の姿に気づくと、彼女たちは驚いた様子で顔を見合わせた。だが、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、会釈を送ってくる。

 

「ようこそ」

 

年配の女性が声をかけてきた。

「旅の方ですか? 珍しいですね」

 

「ああ。源石嵐を越えてきた」

ドクターが答えた。

 

「あの嵐を?」

女性は目を丸くした。

 

「それはそれは……大変でしたでしょう。どうぞ、ゆっくりしていってください」

 

敵意はなかった。むしろ——純粋な歓迎の気持ちが感じられた。

 

さらに進むと、パン工房があった。入口には焼きたてのパンが並び、香ばしい匂いが漂っている。

窯の前では、太った男が汗を拭きながらパンを焼いていた。

 

「おう、旅人さんか!」

 

男は人懐こい笑顔を見せた。

 

「腹が減ってるなら、持っていきな。遠慮はいらねえ」

 

カウンターには「ご自由にお取りください」と書かれた札が立てかけられている。

 

「……無料なのか」

イプセンが呟いた。

 

「無料も何も、金なんてこの街じゃ使わねえよ」

パン職人は当然のように言った。

「必要なもんは必要な人のところに届く。それがこの街のやり方さ」

 

マニュエラはアーネストの半歩後ろを歩きながら、周囲に視線を向けていた。

 

住民たちは穏やかだった。だが、警戒は解けない。

 

「マニュエラ、大丈夫よ」

 

アーネストが振り返った。

「敵意は感じないわ」

 

「……はい、アーネスト様」

 

マニュエラは頷いた。だが、警戒は解かなかった。

 

この街が楽園だとしても、アーネストを守ることが自分の使命だ。油断はしない。決して。

 


 

一行は街の中心部へと続く大通りに出た。

 

道幅は広く、両側には様々な建物が並んでいる。野菜の配給所、食肉の分配所、衣服の工房、道具の修理所——どの建物にも品物が並び、住民たちが行き交っていた。

 

配給所では、老人が野菜を籠に詰めていた。隣の女性と何か話しながら、トマトの色を確かめている。

 

衣服の工房では、若い女性たちがミシンを踏んでいた。窓から見える布地は色鮮やかで、子供服や作業着が仕上がりを待っている。

 

道具の修理所では、髭を生やした職人が鍋の底を叩いていた。火花が散り、金属音が響く。

 

イプセンは周囲に意識を巡らせていた。

 

(……エーテルだ)

 

微かだが、確かに感じる。テラに来てから初めて——この街の空気には、エーテルが流れている。

 

リッチとの戦闘が脳裏をよぎる。エオルゼアの古い書物でしか見たことのない存在が、なぜこの大地にいたのか。

そして今、この街に漂うエーテル。偶然とは思えない。

 

(何かがある)

 

穏やかな街並み。笑顔の住民たち。だが、イプセンは警戒を解かなかった。

 

「活気があるわね」

メテオが周囲を見回した。

「でも、どこか……穏やかすぎる気もする」

 

「争いがないからだろう」

イプセンが答えた。

 

「外の世界では、感染者は追われる身だ。だがここでは——誰もが対等に暮らしている」

 

住民たちは一行に気づくと、物珍しそうに視線を向けてきた。

だが、敵意はない。むしろ、好奇心に満ちた温かい眼差しだった。

 

「進もう」

ドクターが促した。

「街の中心部で、責任者に会いたい」

 


 

ドクターは歩きながら、街の仕組みを観察していた。

 

配給所の前を通り過ぎる。野菜、果物、パン——品物は豊富だが、誰も代金を払っていない。住民たちは必要な分だけを取り、会話を交わし、去っていく。

 

(共有財産制か)

 

理論としては知っている。全ての生産物を共同体の財産とし、必要に応じて分配する。貨幣を介さない経済システム。

だが、それを実現した社会は——少なくともドクターの知る限り、テラには存在しない。

 

(なぜ機能している?)

 

普通なら破綻する。誰かが多く取りすぎる。誰かが働かなくなる。不公平感が蓄積し、やがて崩壊する。人間の欲望を制御できた共同体など、歴史上ほとんど存在しない。

 

だが、この街は——少なくとも表面上は——安定している。

 

住民たちの表情を見る。疲弊はない。諦めもない。むしろ——穏やかな満足感がある。

(何が違う?)

 

ドクターの目が、住民たちの肌に浮かぶ結晶を捉えた。淡い色の結晶。見たことのない色だ。

(あれは……何だ?)

源石病の結晶とは、明らかに様子が違う。黒みがかった赤や紫ではなく、透き通るような淡い青色。特異な状態だ。

 

(この街には、何かがある)

 

それが答えの一部かもしれない。もし病の脅威が和らいでいるなら、人間の欲望の形も変わる。明日を奪い合う必要がなければ、今日を分かち合える。

 

だが、それだけでは説明がつかない。

 

(この街は、いつからここにある?)

建築様式を見る限り、相当な歴史がある。数十年ではない。おそらく——数百年単位。

それだけの期間、この仕組みを維持してきた。外部との接触を最小限に抑え、閉じた循環の中で社会を営んできた。

 

だが——何かが引っかかる。

 

(あの源石嵐だ)

街を囲む幻影の嵐。侵入者を阻む試練。そして、住民たちの源石に起きている変化。

 

ふと、肌に触れる空気を意識した。穏やかな風。快適な気温。源石嵐の只中にあるはずなのに、この街には塵一つ舞っていない。

 

街の外縁部には緑の丘が広がり、畑には作物がたわわに実っている。砂漠の真ん中で、だ。

(この気候すら、何者かに制御されているのか?)

 

それらを数百年にわたって維持し続けるには、どれほどのエネルギーが必要だ?

 

ドクターは眉をひそめた。

 

困難、などという言葉では足りない。不可能に近い所業だ。

 

テラの大地の歴史を紐解いても、これほどの術を数百年維持し続けた術師など聞いたことがない。リターニアの双子の女帝ですら、ここまでの持続力は持たないだろう。

いや——術師という枠組みで考えること自体が間違いかもしれない。

(これは、巨獣でも成し得るかどうかという領域だ)

 

この街の規模で、これほどの力を数百年。

(……どこから、そのエネルギーを?)

 

住民たちは穏やかに暮らしている。だが、この平穏を支えているものは何だ。誰かが、あるいは何かが、途方もない代価を払っているはずだ。

(理想郷か……それとも、箱庭か)

 

どちらにせよ、興味深い。ロドスアイランドが目指す未来の、一つの形がここにある。

感染者が迫害されない世界。病と共に生きられる社会。

 

だが——

(閉じた楽園に、未来はあるのか)

 

そして——その楽園を支えるエネルギーは、いつまで持つ?

 

ドクターは思考を中断した。今は観察に徹するべきだ。判断は、もっと情報を集めてからでいい。

だが、胸の奥に芽生えた違和感は消えなかった。

 


 

その時、歌声が聞こえてきた。

女性の声だった。複数の声が重なり合い、美しいハーモニーを奏でている。

旋律は穏やかで、どこか懐かしい。子守唄のような、祈りのような——聞く者の心を静める力があった。

 

アーネストは足を止めた。

「この歌……」

 

「どうした」

ドクターが振り返る。

 

「聞き覚えがあります」

アーネストは記憶を辿った。

 

——八歳の頃だった。

 

キローガ家の書庫。埃をかぶった古い書物が天井まで積み上げられた、薄暗い部屋。父に連れられて初めて足を踏み入れた時、その圧倒的な知識の重みに息を呑んだ。

 

「ここには、キローガ家の歴史が全て記されている」

父はそう言って、一冊の日誌を手渡してくれた。革表紙は擦り切れ、ページは黄ばんでいたが——初代当主、ヴァスコ・デ・キローガの直筆だった。

 

『私は今日、ある女性と出会った。彼女は遠い地から来たと言う。その目には、深い悲しみと、それでもなお消えない希望の光があった——』

 

幼いアーネストは、その日誌を何度も読み返した。ヴァスコの文章は、まるで物語のようだった。見知らぬ土地への旅。迫害される人々との出会い。そして——ある歌のこと。

 

『彼女が教えてくれた歌がある。遠い故郷で歌われていたという子守唄。私はこの歌を、我が家の記録に残そうと思う。いつか、この歌が誰かの希望になることを願って——』

 

その下に、歌詞が記されていた。

 

『眠れよ子よ、星の下で

 明日の陽が昇るまで

 恐れるな、闇の中を

 光はいつも、傍にある』

 

今、その歌が——この街に響いている。

「キローガ家の古文書に記録されていた歌です」

 

アーネストの声には困惑と、微かな震えがあった。

「初代当主が、ある女性から教わったという子守唄。八百年以上前の記録です。でも、なぜこの街で?」

 

「キローガ家と、この街に繋がりがあるということか」

ドクターが呟いた。

 

「興味深いな。あの声の方向へ行こう」

一行は歌声に導かれるように、街の中心部へと歩き始めた。

 


 

歌声が近づくにつれ、街の様子が変わっていった。

 

住宅街から、公共施設が並ぶ区画へ。建築様式がより精緻になり、装飾もより華やかになっていく。

 

共同食堂らしき大きな建物があった。開け放たれた窓からは、煮込み料理の匂いが漂ってくる。中を覗くと、長いテーブルに住民たちが座り、昼食を取っていた。談笑しながらスープを啜り、パンを分け合っている。

 

「みんなで食事を取る場所か」

メテオが覗き込んだ。

「家族単位じゃなくて、街全体で食事をするのね」

 

職人の工房もあった。鍛冶屋では若者が師匠の指導を受けながら鉄を打ち、木工所では老人が椅子の脚を削っている。陶器工房では、女性たちが皿に絵付けをしていた。花の模様、鳥の模様、幾何学的な文様——どれも繊細で美しい。

子供たちの遊び場では、十人ほどの子供たちが走り回っていた。砂場で城を作る子、ブランコを漕ぐ子、追いかけっこをする子——笑い声が響き渡っている。

 

「本当に、人々が暮らしている街なんだ」

ハンスが呟いた。

彼の目には涙が浮かんでいた。

「トーマスも……こうして、穏やかに暮らしているのかもしれない」

 

「きっとそうですよ」

アーネストが言った。

 

壁には色鮮やかな壁画が描かれていた。

感染者と非感染者が手を取り合う姿。子供たちが笑い合う姿。畑を耕す人々、パンを焼く人々、本を読む人々——平和な日常の風景が、丁寧に描かれている。

壁画の中央には、一人の女性の姿があった。水色のローブを纏い、長い髪を風になびかせ、両手を広げている。胸元には仮面のようなものが描かれていた。彼女の周りには光の輪が描かれ、まるで守護者のように街を見下ろしていた。

 

「……これは」

イプセンが足を止めた。

彼の目は、壁画の女性に釘付けになっていた。

「イプセン?」

 

メテオが声をかけた。

「……いや、何でもない」

 

イプセンは首を振った。

だが、その目には——何か、複雑な感情が宿っていた。

 

「先を急ごう」

イプセンは視線を逸らし、歩き始めた。

 

メテオは壁画をもう一度見上げた。

守護者のように街を見下ろす女性。その表情は穏やかで、慈愛に満ちている。

(この人が、この街を守ってきたのね)

 

おそらく長年の間、感染者たちの楽園を維持し続けてきた存在。

(……どれほどの覚悟が、必要だったのかしら)

 

メテオは静かに歩き始めた。イプセンの後を追って、街の中心部へ。

 


 

図書館らしき石造りの建物があった。

入口の上には銘板が掲げられている。「すべての者に知識を」と刻まれていた。

 

扉は開け放たれており、中には本棚が整然と並んでいる。革表紙の古い書物から、新しく製本された書類まで——様々な本が収められていた。

 

閲覧席には数人の住民が座っていた。分厚い書物を広げて熱心にノートを取る青年、絵本を開いて隣の子供に読み聞かせる老婆、二人で一冊の地図帳を覗き込む若い夫婦——静かに、しかし確かに、知識が共有されている。

 

「立派な図書館だ」

ドクターが感心したように言った。

「この規模の街で、これほどの蔵書があるとは」

 

カウンターでは、司書らしき女性が本の修繕をしていた。破れたページを丁寧に糊で貼り合わせ、傷んだ背表紙を補強している。一行に気づくと、軽く会釈をした。

 

アーネストは本棚に目を走らせた。

 

医学書、農業書、建築書、歴史書——実用的な本が多い。だが、物語の本や詩集もある。子供向けの絵本もあった。

 

「読み書きができる住民が多いということね」

 

一冊の本が目に留まった。

 

『ウイユヴェールの歴史』

アーネストは手を伸ばしかけて、やめた。今は先を急ぐべきだ。だが——後で必ず読もう。この街のことを、もっと知りたい。

 


 

歌声が、すぐ近くまで来ていた。

 

石畳の道を進み、角を曲がると——広場が開けた。

 

中央広場だった。

 

大きな噴水を中心に、円形に広がる石畳の空間。周囲には木製のベンチが並び、色とりどりの日除けの布が張られている。噴水からは清らかな水が湧き出し、涼やかな音を立てていた。

 

そして——人々がいた。

大勢の感染者たちが、平和に共同作業をしていた。

子供たちが噴水の周りで遊んでいる。水を掛け合い、笑い声を上げている。服が濡れても、誰も叱らない。

 

老人たちがベンチに座り、陶器を作っている。ろくろを回し、粘土を形作り、模様を刻んでいく。その手つきは熟練していて、美しい器が次々と生まれていた。

若者たちは広場の端で、野菜の仕分けをしていた。トマト、人参、葉物野菜——新鮮な野菜を籠に分け、運んでいく。

 

歌っていたのは、広場の隅に集まった女性たちだった。子供たちを膝に乗せ、古い子守唄を歌いながら、編み物をしている。その声は穏やかで、広場全体を包み込んでいた。

 

誰もが穏やかな表情をしていた。

 

イプセンの目が、住民たちの肌に浮かぶ結晶を捉えた。

(……色が違う)

外の感染者たちの結晶は、黒みがかった赤や紫だった。だがここの住民たちの結晶は——淡い青や緑、透き通るような白。まるで水晶のように澄んでいる。

 

(あれは源石じゃない)

イプセンには分かった。あの結晶は源石ではない。クリスタルだ。

 

「……本当に、感染者の楽園だったのか」

ハンスが呟いた。その声は震えていた。

「トーマス……息子は、本当にここに……」

 

一行の姿に気づいた住民たちが、作業の手を止めた。

 

だが、敵意はない。むしろ——好奇心と、歓迎の表情が浮かんでいた。

 

「旅人さんだ!」

子供の一人が叫んだ。濡れた服のまま、一行に駆け寄ってくる。

「外から来たの? 珍しい!」

 

他の子供たちも駆け寄ってきた。

「どこから来たの?」

 

「お腹空いてない?」

 

「パン、あるよ!おいしいよ!」

 

マニュエラがアーネストの前に出ようとした。だがアーネストは彼女の肩に手を置き、首を振った。

「大丈夫よ、マニュエラ。敵意はないわ」

 

アーネストは膝をついて、子供たちの目線に合わせた。

「ありがとう。私たちは遠くから来たの。この街のことを教えてもらえる?」

 

「うん!」

 

子供たちが口々に答えた。

「ここはウイユヴェールだよ!」

 

「みんな優しいの!」

 

「病気でも、追い出されないの!」

 

その言葉に、アーネストの胸が締め付けられた。

 

病気でも、追い出されない。

 

それがどれほど貴重なことか——感染者たちの旅を見てきたアーネストには、痛いほど分かった。

 


 

大人たちが近づいてきた。

 

中年の女性が、一行の前に立った。茶色の髪を後ろで束ね、質素だが清潔な服を着ている。首筋には、源石病の結晶がわずかに光っていた。その表情は穏やかで、警戒の色はない。

 

「ようこそ、ウイユヴェールへ」

女性は微笑んだ。

「私はエレナ。この街の世話役のようなものです」

 

「世話役……この街の代表者か」

ドクターが尋ねた。

 

「代表というほどではありません」

エレナは首を振った。

「この街に代表者はいません。皆で話し合い、皆で決める。私は単に、外からの来訪者への対応を任されているだけです」

 

「試練を越えてきたのですね」

エレナは一行を見回した。

 

「あれは……この街を守るためのものか」

イプセンが尋ねた。

 

「はい」

エレナは頷いた。

「外部からの侵入者を防ぐための試練です。ただし、本気で街に辿り着きたいと願う者であれば——道は開かれます」

 

「俺たちは感染者ではない者もいる」

 

「ええ。ですが、あなた方は感染者と共に旅をしてきた。感染者を守るために戦った。それは、この街の理念と同じです」

エレナの目が、一行を一人ずつ見つめた。

 

「ロドスアイランドの方々ですね。そちらのマークを見れば分かります」

 

「我々のことを知っているのか」

 

「この街に来る感染者たちから、話は聞いています。源石病の治療を目指す組織だと。感染者を守り、差別と戦っていると」

エレナは微笑んだ。

「あなた方は、この街の友人です」

 


 

「そして——」

エレナの視線が、アーネストに向けられた。

 

「キローガ家の方もいらっしゃるのですね」

 

アーネストは驚いた。

「私のことを知っているのですか?」

 

「キローガの紋章を見れば分かります」

エレナはアーネストの胸元を指差した。そこには、キローガ家の紋章が刺繍されたブローチがあった。盾の中に剣と薔薇——代々受け継がれてきた家紋だ。

 

「この街には、キローガ家に救われた者が何人もいます」

エレナの声には、深い敬意があった。

「あなたの先祖は、私たちにとって恩人です」

 

「先祖が……」

アーネストは言葉を失った。

 

キローガ家の歴史は古い。「全ての者に平等な明日を。苦しむ者に手を差し伸べ、理不尽を正し、希望を絶やすな」——初代当主が定めた家訓だ。だが、それがこの街と繋がっているとは——

 

「詳しいことは、後でお話しします」

 

エレナは言った。

 

「まずは——」

 

「あの」

 

ハンスが一歩前に出た。声が震えている。

「息子を……探しているんです。トーマスという名の——この街に来たはずなんです」

 

エレナの表情が和らいだ。

「トーマスさん。ええ、知っていますよ。この街で銅細工の職人をしています」

 

ハンスの膝が崩れ落ちた。

「生きて……生きているのですか……!」

 

「ええ。元気にしています」エレナは穏やかに微笑んだ。

「会いに行きましょうか?」

 


 

銅細工の工房は、広場から少し離れた場所にあった。

煙突から薄い煙が立ち上り、中からは金属を叩く音が響いている。

入口には、精巧な銅製の看板が掲げられていた。蔦と花をあしらった美しいデザインだ。

 

「トーマス」

エレナが声をかけた。

「お客様よ」

 

金属を叩く音が止まった。

 

しばらくの沈黙の後——工房の奥から、一人の男が現れた。

 

三十代前半。日に焼けた肌、逞しい腕。

額には汗が光り、革のエプロンには金属の粉がついている。首筋には結晶が見えるが、他の住民たちと同じ淡い青色だった。

 

「客?珍しいな、外から——」

男は言葉を切った。

 

工房の入口に立つ老人を見て、目を見開いた。

 

「……父さん?」

 

ハンスは震えていた。

「トーマス……」

 

「父さん……!」

トーマスが駆け寄った。

 

そして——二人は抱き合った。

 

「生きてた……お前、生きてた……!」

ハンスの嗚咽が漏れた。長い間堪えていた涙が、堰を切ったように溢れ出す。

 

「ああ……父さんが来てくれるなんて……」トーマスも泣いていた。

「俺、待ってたんだ……いつか、父さんが来てくれるって……」

 

「ごめんな……ごめんな、トーマス……」

ハンスは息子の背中を抱きしめた。

 

「お前が出発する時、俺は何も言えなかった……怖くて、向き合えなくて……」

 

「いいんだ、父さん」トーマスは首を振った。

「俺も、分かってた。父さんが辛かったこと。俺が感染して、父さんがどれだけ苦しんだか」

 

「でも、お前は——」

 

「父さん。俺は元気だ。この街で、仕事もある。仲間もいる」

トーマスは涙を拭い、微笑んだ。

「だから、もう大丈夫だ。ここで、一緒に暮らそう。今度こそ」

 

一緒に暮らそう。

 

半年前、トーマスがハンスに言った言葉だった。

 

ハンスは頷いた。何度も、何度も頷いた。

 

アーネストは、その光景を黙って見つめていた。

胸が熱くなる。ハンスは息子に会えた。彼の旅は、報われたのだ。

 

——では、私は?

 

マグノリアは、この街にいるのだろうか。

 


 

親子の再会を見届けた後、一行は広場に戻った。

 

エレナが食事と休息の場所を用意すると言ったが、アーネストにはまだ聞きたいことがあった。

 

アーネストは意を決して尋ねた。

「マグノリア・マブロースという女性を探しています。二年前にこの街を目指して——」

 

エレナの表情が、わずかに変わった。

「マグノリアさん……」

 

「知っているのですか?」

 

「ええ。知っています」

エレナは少し間を置いた。

 

「彼女は……地下にいます」

 

「地下?」

 

「クリスタル・カタコンベ。病が進行した方々が過ごす場所です」

 

アーネストの心臓が跳ねた。

マグノリアは生きている。この街にいる。

 

だが——「病が進行した」という言葉が、胸に刺さった。

 

「案内してもらえますか」

 

「ええ。ただ……」

エレナは言葉を選ぶように言った。

「覚悟をしてください。カタコンベは……特別な場所です」

 

アーネストは頷いた。

覚悟など、とうに決まっている。

 

どんな姿であろうと、マグノリアに会いたい。二年間、そう思って生きてきた。

 


 

カタコンベに向かう前に、イプセンが口を開いた。

「一つ聞きたい」

 

エレナが振り返る。

「この街を守っているのは誰だ。あの幻影の嵐、そして試練——あれほどの力を維持するには、相当な術者が必要なはずだ」

 

エレナの表情が、わずかに曇った。

「……ミセス・ステラティオ様です」

 

「ステラティオ……」

イプセンの目が、一瞬だけ鋭くなった。

「その名前は、この地の言葉ではないな」

 

「ええ。彼女がどこから来たのかは、私たちにも分かりません。ただ、この街を守るために現れた——と、聞いています」

 

「会いたい」

イプセンの声には、有無を言わせぬ響きがあった。

 

「申し訳ありません」

エレナは首を振った。

「ステラティオ様は今、お休みになられています。いつ起きられるかは……私たちにも分かりません」

 

「眠っている?」

 

「ええ。街を守る力を維持するために、長い眠りにつかれることがあるのです。幻影の嵐も——すべては彼女の力で維持されています」

 

イプセンは何か言いかけて、やめた。

 

代わりに、小さく息を吐いた。

「……そうか。待つしかないな」

 

その声には、焦りと——どこか、諦めに似た響きがあった。

 

メテオはイプセンの横顔を見つめた。

(ステラティオ……その名前に、何か思うところがあるのね)

 

イプセンは多くを語らない。だが、彼がこの街に来た理由——「声に導かれている」という言葉——それと、ステラティオという名前が繋がっているように見えた。

 


 

一行は二手に分かれることになった。

ハンスは息子トーマスのところに残る。半年ぶりの再会だ。積もる話は山ほどあるだろう。

 

ドクターとメテオ、医療班は街の調査を続ける。ウイユヴェールの医療体制、生活環境、社会構造——ロドスにとって貴重な情報だ。

アーネストとマニュエラ、そしてイプセンは——カタコンベへ。

 

「俺も行く」

イプセンはそう言った。

「理由は?」

 

ドクターが尋ねる。

「……気になることがある」

 

イプセンは言葉を選んだ。

「この街の力の源が、あの場所にある気がする」

 

ドクターは少し考え、頷いた。

「分かった。だが、何かあればすぐに連絡しろ」

 

「ああ」

エレナが先導し、一行はカタコンベへと向かった。

 

街の北端、小高い丘の上に、石造りの建物があった。

他の建物とは違い、装飾は控えめで、厳かな雰囲気がある。入口には青い水晶が埋め込まれ、淡い光を放っていた。

 

「ここがカタコンベの入口です」

エレナが足を止めた。

「中は……少し、驚かれるかもしれません。でも、彼らは苦しんでいません。穏やかに眠っているだけです」

 

アーネストは深呼吸をした。

 

マニュエラがそっと傍に寄り添う。

「アーネスト様。私がお傍にいます」

 

「……ありがとう、マニュエラ」

 

イプセンは無言で入口を見つめていた。

その目には、何か——遠い記憶を辿るような、複雑な光が宿っていた。

 

「行きましょう」

アーネストは一歩を踏み出した。

 

地下への階段が、青い光に照らされていた。

 


 

マグノリアが、待っている。

二年間探し続けた人が、この先にいる。

 

アーネストは階段を降り始めた。

 

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