「……来るぞ。……地表の……光が見える……。『殺意』の周波数が……全画面を……埋め尽くした……!」
ノッカーが叫ぶ。彼の頭部のココペリ・アンテナが、不協和音を奏でるように激しく震動していた。
ピータービルトは、地底の「光の膜」を突き破り、再びレッドロックの灼熱の太陽の下へと躍り出た。
だが、そこはもはや元の荒野ではなかった。
崖の上、空、そして道の先。
LAWの殲滅部隊――『ホワイト・レギュレーター』たちが、幾何学的な陣形で俺たちを包囲していた。
重力無視の浮遊戦車、無機質なハミングを上げる自律型ドローン、そして中央に鎮座するのは、巨大な「情報の断頭台」を背負った人型兵器だ。
『――対象を確認。歴史的エラー、および管理外データの所持。即時、デリートを実行する』
合成音声が渓谷に響き渡ると同時に、無数のレーザーサイトがピータービルトの赤い装甲に集まった。
「ガハハ! 随分なお出迎えじゃねえか! 運転屋、まずは俺の新しい『笛』を吹かせてやれ!」
ダタラが叫び、排気バイパスを開放した。
「……了解だ。……ノッカー、ココペリ・アンテナで奴らの演算を狂わせろ! 先生、回避の最短ルートを!」
「言われるまでもない! 左30度、岩の隙間を抜けろ! 奴らの秩序を、その『不条理な重量』で粉砕してやれ!」
俺はアクセルを底まで踏み抜いた。
新設された【ソニック・チャージ】が、V8エンジンの咆哮を「物理的な破壊力」へと変換し、フロントバンパーから放射状に放たれた。
――ドォォォォォォォンッ!!
空気を震わせる重低音の壁が、前方で待ち構えていた浮遊戦車を直撃する。
鉄を砕くのではない。奴らの「存在を維持するプログラム」を、ココペリの不規則な旋律が直接書き換えたのだ。白く美しい戦車たちが、空中で唐突にバラバラの「記号」へと分解され、ただの砂となって霧散していく。
「……あ、……きれい。……真っ白なカラスが、……砂遊びしてるみたい」
アリスが窓から身を出し、鍵を掲げた。
襲い来るドローンの群れが、彼女の鍵から放たれる琥珀色の波紋に触れた瞬間、すべての推進力を失い、まるで眠りに落ちるように崖下へと落下していった。
「……計算通り。……奴らの……『正しい音』は、……俺たちの……『歌』には……勝てない……!」
ピータービルトは、赤い装甲を返り血(オイル)で汚すこともなく、管理社会の軍勢を「概念的」に蹂躙しながら、渓谷を駆け抜けていった。
「……おじさん、止まって。あの大きな人……泣いてる。……ううん、……泣くのを……忘れさせられちゃったんだね」
アリスが窓越しに、中央に鎮座する巨大な人型兵器――『断頭台(ギロチン)』を指差した。
その兵器は、他のドローンのように無機質な記号で構成されているのではない。
装甲の隙間から、まるで血管のように張り巡らされた光ファイバーが脈打ち、その「目」にあたるセンサーは、深い絶望を湛えた人間の瞳のように、鈍い光を放っていた。
「……解析、……完了。……あれは……ただの……ロボットじゃない……。……かつて……LAWに……反抗した……『人間』の……脳と……神経を……演算回路として……埋め込んでいる……! ……生きた……断頭台だ……!」
ノッカーの声が恐怖で裏返った。
管理社会の究極の皮肉。反逆者を処刑するだけでなく、その「後悔」と「恐怖」を動力源として、永劫に同胞を狩り続けさせるシステム。
「……かわいそうに。……あんなに……重いものを……背負わされて。……わたしが、……おろしてあげる」
アリスが『錆びた鍵』を胸の前で握りしめた。
その瞬間、『断頭台』のセンサーが真っ赤に発光し、背負った巨大な刃が空間を切り裂くような高周波を発した。
『――エラー。――共感。――削除。――苦シイ。――殺シテ。』
合成音声の裏側に、押し殺された何千人もの「人間の叫び」が混ざり合い、ピータービルトのキャビンを振動させた。
奴の背後の刃が振り上げられ、狙いは正確にアリスへと定められた。
「……先生! 奴の『叫び』に当てられるな! 指導を頼む!」
「ふむ……。あれはもはや機械ではない、『呪い』の塊だ。ドライバー、真っ向からぶつかるな! 奴の『罪悪感』の隙間を突け! 12速から一気に8速へ落とし、赤い岩肌を利用した縦回転のドリフトを見せてみろ!」
ケットシーが毛を逆立て、かつてないほど鋭い声で命じた。
「……わかった。アリス、その鍵を……奴の『心臓』に届かせてやる。しっかり掴まってろ!」
俺はステアリングを右へと、一気に切り崖の斜面へとピータービルトの巨体を駆け上がらせた。重力制御を左側に集中させ、18輪のタイヤが火花を散らしながら、垂直に近い岩壁を蹴り上げる。
「ガハハ! 泣いてる暇はねえぞ! 湿っぽい空気は、俺の鉄屑(スクラップ)で吹き飛ばしてやる!」
荷台のハッチが爆音と共に跳ね上がり、イッポンダタラが巨大な「ソニック・キャノン」に肩を入れた。
地底で見つけたココペリの石笛と、赤騎士の廃材を強引に溶接した、禍々しくも神々しい急造兵器だ。
「運転屋! 奴の眉間に風穴を開ける隙をくれ!」
「了解だ、ダタラ! ……アリス、少しだけ揺れるぞ!」
俺は垂直に近い岩壁を走りながら、18輪の重力制御を瞬時に反転させた。ピータービルトの巨体が、崖から剥がれ落ちるように空中へと躍り出る。30トンの質量が『断頭台』の頭上へ降り注ぐ、死のダイブ。
「……標的、……固定。……ノイズ……100%……放射!」
ノッカーが計器を叩く。
「食らいな! 太古の目覚まし時計だ!!」
ダタラが引き金を引いた瞬間、砲口から放たれたのは物理的な弾丸ではなく、「純粋な悲鳴を浄化した黄金の衝撃波」だった。
――ゴォォォォォォォンッ!!
空気がガラスのようにひび割れ、衝撃波が『断頭台』のセンサーを直撃した。
奴の「管理プログラム」が、かつて自分たちが封印した「感情の奔流」を喰らって激しくショートする。
人型兵器の動きが止まり、振り上げられた断頭の刃が、自身の重みに耐えかねて岩肌へと突き刺さった。
『――ア、ガ……。想イ出シタ……。私ハ……名前ガ……アッタ……。』
断頭台から漏れる合成音声が、絶望の叫びから、人間らしい掠れた囁きへと変わる。
その隙を、俺は見逃さなかった。
「今だ、アリス! 鍵を!!」
空中から落下するピータービルトの助手席で、アリスが身を乗り出す。彼女の持つ『錆びた鍵』が、狂ったように琥珀色の光を放ち、奴の剥き出しになったコア――「人間の記憶」が眠る心臓部へと吸い寄せられていった。
空中から叩きつけられる30トンの質量。
俺は着地と同時にフルブレーキを蹴り、ピータービルトを『断頭台(ギロチン)』の真正面、わずか数センチの距離で停止させた。
赤い装甲が摩擦熱で陽炎を上げ、周囲の砂が円状に吹き飛ぶ。
「……おやすみなさい。……もう、……だれも……殺さなくていいんだよ」
アリスが助手席から身を乗り出し、剥き出しになった敵のコアへと手を伸ばした。
彼女の指先が、脈打つ光ファイバーに触れた瞬間――。
『錆びた鍵』が、これまでのどんな時よりも眩く、慈悲深い琥珀色の光を放った。
それは攻撃ではない。
その「器」の中に閉じ込められ、演算回路として使い潰されていた何千、何万という人間の意識に「停止」という名の救済を与える、終止符だった。
『――アリ……ガト……。』
何重にも重なった声が、風の中に溶けていく。
巨大な人型兵器は、爆発することもなく、ただ内側から白く発光し、静かに崩れ去った。
背負っていた「断頭台」の刃は砂となって崩れ、後には一台の、ただの抜け殻となった鉄の塊だけが残された。
周囲のドローンや浮遊戦車たちも、中央サーバーを失った操り人形のように、次々と崖下へ墜落していく。
渓谷を支配していた「管理の冷気」が消え、そこにはただ、夕陽に照らされた赤い岩肌と、エンジンのアイドリング音だけが戻ってきた。
「……ふぅ。……九死に……一生。……敵の……ネットワーク、……完全沈黙。……地上の……空気が、……うまい……」
ノッカーが、焼き付いた計器を愛おしそうに撫でながら溜息をついた。
「ガハハ! 見たか、俺の砲撃とアリスの仕上げ! どんな鉄屑も、最後はこうならなきゃいけねえ!」
ダタラが砲筒を担ぎ直し、満足げに笑った。
「合格だ、ドライバー。……いや、合格以上の走りだったな」
ケットシーが、三度笠の埃を払いながら俺の肩に乗った。
「貴殿は今、この世界の『管理』という鎖を一本、確実に引きちぎった。
幸運の女神も、今夜は貴殿の助手席で眠りたがっているだろうよ」
俺は返事の代わりに、ステアリングをそっと撫でた。
アリスは、静かに目を閉じて消えていった魂たちの余韻を聴いているようだった。
「……よし。今夜はここまでだ。この先は、もうLAWの追っ手もすぐには来れないだろう」
俺はレッドロックの巨大な岩陰、風の当たらない平地を見つけてピータービルトを停めた。エンジンの咆哮が止まると、砂漠の夜特有の、深く、突き抜けるような静寂が戻ってきた。
「ガハハ! 祝杯だ、祝杯だ! 地底の秘宝と、勝利の美酒……といきてえが、まずはこいつだ!」
ダタラが荷台から、どこで手に入れたのか大きな鉄板と、保存食の肉の塊を引っ張り出してきた。赤い装甲を叩き上げた巨大な拳で、器用に焚き火の火を熾す。
「……ボク、……お腹空いた! ……おじさん、……お肉、……焼く?」
モスマンが、焚き火の火に羽をパタパタと明滅させながら、期待に満ちた複眼を輝かせる。
「ふむ。戦いの後の休息も、プロのドライバーの嗜みだからな」
ケットシーは、ダッシュボードから降りて俺が用意した小さな皿にミルクと少しのまたたびを注ぐと、上品に喉を鳴らし始めた。
俺は焚き火のそばに座り、アリスの様子を見た。
彼女は、ピータービルトのフロントバンパーに寄りかかり、満天の星空を眺めている。
地表に散った『断頭台』の残骸も、今は月光に照らされて、ただの静かな石ころのようだ。
「……ねえ、おじさん。……星が、……とっても……騒がしいよ」
「騒がしい? 静かな夜だと思ってたが」
「……ううん。……みんな、……笑ってるの。……『ありがとう』って。……さっきの人たちも、……あそこの光の中に……混ぜてもらったみたい」
アリスが指差した天の川の彼方。
そこには、LAWの管理衛星ではない、もっと古く、もっと巨大な「命の光」がうねっていた。
「……おじさん。……約束、……覚えてる?」
「……ああ。お前を『世界の終わり』へ連れて行く。それが俺の仕事だ」
「……うん。……でも、……もう少しだけ、……この歌、……聴いていたいな。……おじさんの……トラックと、……みんなの……笑い声」
アリスはそう言って、俺の肩にそっと頭を乗せた。
彼女の体温は、出会った頃よりも少しだけ、人間らしく温かくなっているような気がした。
ノッカーは、傍らでココペリ・アンテナの微調整をしながら、静かに「子守唄」のような電子音を流している。
焚き火の爆ぜる音。肉の焼ける匂い。
明日には再び、逃走劇が始まるだろう。
だが、今この瞬間だけは、この30トンの鋼鉄の城が、世界で一番安全な「家」だった。
翌朝、感動的な夜明けとともに旅が再開されるはずだった。
……だが、ピータービルトのキャビンからは、およそ「世界の命運を握る一行」とは思えない怒号が響いていた。
「おいダタラ! 俺の予備のシャツを勝手に雑巾にするんじゃねえ! それはLAWの検問を突破するための、なけなしの正装なんだぞ!」
「ガハハ! 堅いこと言うなよ運転屋! 昨日の肉の脂がココペリ砲に詰まっちまってよぉ、お前のシャツが一番吸い込みが良かったんだ!」
「……ギギッ、……おじさん、……お腹痛い……。……昨日の肉……生だったかも……。……ボクの羽、……変な色に……光ってる……」
モスマンが、まるで安物のディスコのライトのように、毒々しい紫色の光を放ちながらのたうち回っている。
「ふむ、自業自得だな。火が通る前に食らいつくからだ」
ケットシーが優雅に顔を洗っているが、その足元には、ノッカーが徹夜で解析した「LAWの機密データ」が、猫砂代わりに散らかされていた。
「……先生! それは機密だ! 踏むな、バラ撒くな!」
ノッカーが泣きながら、足跡のついたホログラム・ペーパーを回収している。
「……ああっ! ……一番大事な……エリア51の……搬入経路図が……猫のヨダレで……読めない……!」
「……ねえ、おじさん。……この子、……変な音……出してるよ?」
アリスが指差したのは、ダッシュボードの端に置かれたノッカー自慢の通信機だ。
ココペリ・アンテナの影響か、本来ならLAWの通信を傍受するはずの機械が、なぜか「近隣の主婦たちのモーニング・ラジオ」を爆音で受信し始めていた。
『――奥様、知ってました? 今年のレッドロックのトレンドは、血のような“赤いトラック”なんですって!』
『あら嫌だわ、そんな無骨なもの。でも助手席に可愛い女の子が乗ってたら、ちょっとしたメルヘンよねぇ~』
「……メルヘン、……だって。……おじさん、……わたしたち、……流行ってるみたい」
アリスが無邪気に笑う。
「笑い事か! 全員席に付け! このままじゃLAWに捕まる前に、俺の胃に穴が開く!」
俺は荒っぽくギアを叩き込み、クラッチを繋いだ。
感動の余韻など一瞬で吹き飛ぶような、騒がしく、そしてあまりにもマヌケな旅路。
だが、この絶望的な世界で、こいつらのバカ笑いだけが唯一、本物の「生」を感じさせてくれた。