アリスは微笑んで死を乞う   作:ベイベ後藤

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17話 ネバダの境界線

 

「……これより……ネバダ州。……空気が……変わる。……電子の砂嵐(ジャミング)が……ひどくなっていく……」

 

ノッカーが、不気味に明滅する計器を見つめながら呟いた。

ユタの赤い岩肌を抜け、ピータービルトが踏み込んだのは、見渡す限りの灰色の平原。

地図上では空白地帯、通称「ドリームランド」エリア51を取り巻く不毛の地だ。

 

空は不自然なほど濃い群青色。

地平線の先では時折、物理現象とは思えない「青い稲妻」が音もなく走り空間を焼き切っている。

 

「先生……。前方の空に見えるあの『光の輪』は何だ? まるで世界に穴が開いてるみたいだぞ」

 

「ふむ……。あれこそがLAWが隠し続けてきた『究極のゴミ箱』第51管理セクターの排気口だな」

 

ケットシーが、逆立つ毛を抑えながら目を細めた。

 

「あそこでは時間も空間も、さらには『忘れられた可能性』さえもが圧縮され廃棄されている。幸運の女神も、あそこには近寄りたがらんよ」

 

その時、アリスが急に身を乗り出しフロントガラスに両手を押し当てた。

 

「……あ、……思い出した。……おじさん。……わたし、……あそこの一番奥に……『約束』を置いてきたの」

 

「約束だと? 誰とだ」

 

「……だれか、じゃなくて……『世界』と。

……わたしが最後の一人になったら……この鍵で……全部、……おしまいにしましょうって」

 

アリスの表情から朝のドタバタで見せた無邪気さが消え、出会った頃の「死神」の静謐な眼差しが戻っていた。

彼女の胸元の鍵が、地平線の光の輪と呼応するように鋭く、悲しげな音を立てて共鳴する。

 

「……ギ、……ギギッ……! ……おじさん、……上! ……光るカラス……じゃない! ……LAWの……超音速迎撃機だ!」

 

モスマンが叫ぶ。

雲ひとつない群青の空から、三機の銀色の閃光が、音速を置き去りにした衝撃波を伴って急降下してきた。

 

「ガハハ! 来やがったな! ネバダの洗礼ってわけか!」

 

ダタラが砲塔に飛び乗る。

 

「運転屋! 砂漠を耕す準備はいいか! ここから先は止まった奴から『過去』にされるぜ!」

 

俺は15段変速のレバーを力任せに叩き込んだ。

 

「……ああ。アリスの約束の場所まで、この30トンを止める奴は神様だろうがLAWだろうが撥ね飛ばしてやる!」

 

「……あのね、おじさん」

 

猛烈な勢いで迫り来る銀色の閃光――迎撃機『セラフィム』が空を裂く音さえ彼女の声の前では遠い残響に過ぎなかった。

アリスは鍵を握りしめたまま、どこか遠く、時間の外側を見つめるような瞳で語り始めた。

 

「……わたしが生まれたとき、世界はもう、とっても疲れ果ててたの。みんなが、みんなの心を覗き見して、数字に変えて、綺麗に並べて……。そうしないと、怖くて仕方がなかったんだって」

 

アリスの指先が、鍵の蔦模様をなぞる。

 

「……だから、わたしは作られたの。もしも、この『管理』が壊れて、世界がぐちゃぐちゃの悲しみで溢れそうになったら……そのときは、わたしが全部を『無』にしてあげるねって。

それが、わたしと世界の、最初の約束」

 

「……保険、か。失敗したときの『リセットボタン』として、お前を作ったんだな」

 

俺がハンドルを握り直すと、アリスは小さく首を横に振った。

 

「……ううん。……リセットじゃないよ。……『永遠の、静かな、眠り』。……でもね、あそこの『穴』の奥に……わたしの心の半分が、まだ閉じ込められてるの。……それを取り戻さないと、わたしは……ただ、壊すことしかできない……『機械』のままになっちゃう」

 

彼女の瞳に、微かな、だが確かに人間らしい「拒絶」の色が走った。

 

「……わたし、……旅をして、……わかったの。……世界は……終わらせるためじゃなくて、……『さよなら』を言うために、続いてるんだって。……だから……あの約束を……書き換えに行きたいの」

 

「書き換える? どんなふうにだ」

 

アリスは今日一番の、そして最も切ない微笑みを浮かべた。

 

「……『また明日ね』って……笑って言える世界に……おやすみを言えるように」

 

その瞬間、頭上の空が真っ白に弾けた。

セラフィムが放った、空間そのものを消去する概念弾道が、ピータービルトの数メートル後方を直撃した。

 

「ギギッ! ……おじさん……アリス! ……くるよ! ……約束を……邪魔する奴らが……いっぱいくる!」

 

モスマンの叫びと共に地平線の光の輪から、おびただしい数の「影」が溢れ出した。

 

「ガハハ! 湿っぽい話はそこまでだ!

アリスお嬢、その『書き換え』ってやつ、俺様が派手に墨をぶっ掛けて手伝ってやるぜ!」

 

荷台のハッチが火花を散らして跳ね上がる。

イッポンダタラが仁王立ちで担ぎ出したのは、

レッドロックで仕留めた『断頭台(ギロチン)』の巨大な超高周波ブレードを強引に「矢」へと加工した弩級の投射兵器だった。

 

「おい、ダタラ! そんな重いもん撃てるのか!」

 

「馬鹿を言うな、運転屋!

俺様を誰だと思ってやがる。……ノッカー!

あの空飛ぶ銀バエどもの『存在確率』ってやつを、座標で寄越せ!」

 

「……了解! ……ココペリ・アンテナ……強制同期!

……敵機の……回避パターン……10秒先まで……譜面(スコア)にしたぞ!」

 

ノッカーが叫び、ホログラムの照準がダタラの視界に焼き付く。

ダタラの鋼鉄の筋肉が、ミシミシと悲鳴を上げながら兵器を絞り上げた。

 

「……一匹……二匹……三匹。

まとめて、地獄のゴミ箱へ叩き込んでやる!」

 

――ズ、ドォォォォォォォンッ!!

 

放たれたのは、断頭台の「死の記憶」を纏った鋼鉄の巨矢。

それはセラフィムの『概念シールド』を紙切れのように切り裂き、空中で三つの銀光を串刺しにした。

 

――ピキィィィィィィィンッ!

 

爆発ではない。

命中したセラフィムたちは、まるで石化したかのように空中で静止し、次の瞬間、細かい砂となってネバダの砂漠へ降り注いだ。

 

「見たか! これが『一本足鍛冶屋』の、最高傑作だ!」

 

ダタラが空に向かって拳を突き出し、勝利の咆哮を上げる。

だが、その背後の地平線……光の輪からは、さらなる巨体――空を埋め尽くすほどの「移動要塞」が姿を現し始めていた。

 

「ふむ、正面からあの移動要塞に挑むのは流石に『無謀』という言葉でも生ぬるい。

ドライバー、ハンドルを左へ切れ! あの干上がった塩湖の亀裂に飛び込むんだ!」

 

ケットシーが三度笠を飛ばさんばかりの勢いでフロントガラスの先、蜃気楼のように揺れる地割れを指差した。

 

「左だと? 先生、あそこは行き止まりの断崖だぞ!」

 

「目に見えるものだけが真実だと思うな!

あそこは、かつてエリア51の『裏口』として使われていた、空間の継ぎ目だ。

管理を徹底するあまり、奴らが地図から消し忘れた“死角”だよ」

 

俺はケットシーの言葉を信じ、急旋回で塩湖へと突っ込んだ。背後では、移動要塞の巨大な主砲が放った光条が、つい先ほどまで俺たちがいた場所を消滅させていた。

 

「……計算、……開始。……空間の……歪み、……検知! ……おじさん、……そのまま……アクセルを……緩めないで! ……壁が……開くよ!」

 

ノッカーが叫ぶと同時に、目前の断崖がデジタルノイズのように激しく乱れた。

現実の風景が剥がれ落ち、その奥から幾何学的な冷たい光を放つ「地下高速回廊」が姿を現した。

 

「よし、全員しっかり掴まってろ! ここからはピータービルトの独壇場だ!」

 

俺はギアを最高段まで跳ね上げた。

18輪のタイヤが特殊舗装の路面を噛み、キャビン全体に凄まじいGがかかる。

背後の地平線で吠える移動要塞を置き去りにし、俺たちはエリア51へと、光速に近い速度で滑り込んだ。

 

「……あ、……聞こえる。……わたしの……半分。……泣くのをやめて、……怒ってる」

 

アリスが呟く。

回廊の壁面には、彼女の記憶の断片と思わしき古い映像や数字が、無数に投影されては消えていった。

 

地下回廊の終点。

目の前の防壁が左右に裂けると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。

広大な地下空洞の天井からは、何万本もの光ファイバーのケーブルが、まるで巨大な柳の枝のように垂れ下がっている。

その中心で、巨大な水晶の繭に閉じ込められた「もう一人のアリス」が浮かんでいた。

彼女の周囲には、これまで見てきた赤い砂漠や古い街並みとは正反対の、色彩を奪われた、冷酷な「完璧な青」の世界が渦巻いている。

 

「……いた。……あれが、……わたしの……冷たい半分」

 

助手席のアリスが、震える手で繭を指差した。

その瞬間、繭の中に眠る「もう一人のアリス」が、カッと目を見開いた。

 

『――遅イ。――何故、来タ。――コノ世界ハ、消去サレル運命。――慈悲ナド、不要。』

 

地下空間全体に、氷のような少女の声が響き渡る。

同時に、天井のケーブルが生き物のようにうねり、ピータービルトを全方向から刺し貫こうと襲いかかってきた。

 

「ガハハ! 歓迎の挨拶にしちゃあ、トゲが多すぎるぜ!」

 

ダタラが砲塔を回し、迫り来るケーブルを次々と叩き落としていく。

 

「……ダメだ、……数が……多すぎる! ……あっちの……アリスは、……この施設の……全演算能力を……使ってる! ……おじさん……物理的な……シールドが……持たない!」

 

ノッカーの叫びと同時に、キャビンのガラスにヒビが入る。

俺はステアリングを握りしめ、繭に向かってアクセルを踏み込んだ。

 

「アリス! その鍵で、あっちの自分と話をしろ!

俺たちは、お前をそこへ届けるための『弾丸』だ!」

 

「……うん。……おじさん……いこう。……『約束』を……終わらせるために」

 

アリスが鍵を高く掲げると、琥珀色の光が青い虚無を切り裂いていく。

俺たちは、管理社会の最深部で、少女の「拒絶」と「希望」が激突する一点へと、30トンの巨体を弾丸として撃ち込んだ。

 

 

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