アリスは微笑んで死を乞う   作:ベイベ後藤

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4話 アイオワのトウモロコシ人形

 

シカゴの冷徹な鉄とガラスの迷宮を抜け出すと、世界は一変して黄金色の海に飲み込まれた。

 

アイオワ州。どこまでも続くトウモロコシ畑が、午後の柔らかな光を浴びて波打っている。ハイウェイの両脇を埋め尽くす背の高い茎は、まるで外界からこの場所を隠し通そうとする意志を持った壁のようだった。

 

最新の監視システム『LAW』の触手は、この大農地地帯にも確実に伸びている。

空を見上げれば、定期的に巡回する農業管理ドローンが、害虫の有無や土壌の水分量をセンチメートル単位でスキャンしているのが見える。だが、その完璧な管理体制の裏側で、このトウモロコシの迷宮には、データでは決して測れない「古くて重い沈黙」が沈殿していた。

 

「……あつい。……風が、……お砂糖の匂いがする」

 

助手席のアリスが、窓から身を乗り出すようにして外を眺めていた。

シカゴの地下で自分の出自――「人間の悲しみの器」であるという断片――に触れて以来、彼女の瞳には微かな憂いと、それ以上に強い「何か」への渇望が宿り始めている。

 

「ギギッ……、……ここ、……隠れやすい。……ドローン、……葉っぱの影、……見えない」

 

モスマンが楽しげに翅を震わせる。一方、ノッカーは寝台の中で、アイオワの湿り気を帯びた空気に不満げな音を立てていた。

 

俺はスティーブンから送られてきた新しい座標を確認した。

目的地は、ハイウェイから数マイル逸れた、未舗装の農道(ダート・ロード)の先にある一軒の農場だ。そこは現在の効率化された「全自動農園」とは無縁の、放棄されたはずの区画だった。

 

「……見えてきたな」

 

トウモロコシの波の向こうに、古びた赤い納屋と、蔦に覆われた家屋が姿を現した。

庭先には、いくつもの「奇妙なもの」が立っていた。

それはトウモロコシの皮や芯を組み合わせて作られた、人間を模した人形たちだ。いわゆる「トウモロコシ人形(コーンハスク・ドール)」だが、そのどれもが、通過する俺たちのピータービルトをじっと見つめているような、奇妙な生々しさを放っている。

 

エンジンを止めると、ディーゼル音に代わって、トウモロコシの葉が擦れ合うカサカサという乾いた音が支配を強めた。

 

「ガハハ! 運転屋、こりゃあ凄えぜ! この人形ども……ただの細工物じゃねえ。中に『念』が詰まってやがる!」

 

イッポンダタラが荷台から飛び降り、警戒と興奮が入り混じった声を上げる。

その時、農場の家のドアがゆっくりと開き、一人の老婆が姿を現した。

かつてイリノイの古道具屋で出会った老婆と似ているが、その纏う空気はより鋭く、土の匂いがした。

老婆の傍らには、等身大のトウモロコシ人形が、まるで執事のように直立している。

 

「……よく来たね。スティーブンの『配達屋』さんと、……世界で一番哀しいお嬢ちゃん」

 

老婆の声は、枯れ葉を踏みしめるような音だった。

彼女は、アリスが膝の上に置いたあの「錆びた鍵」を一瞥し、深く、意味ありげに微笑んだ。

 

「その鍵が導くのは、失われた記憶だけじゃない。……ここには、あんたたちが運ぶべき『魂の糧』が実っているよ」

 

アリスはピータービルトから降りると、吸い寄せられるように、老婆とその足元に立ち並ぶ人形たちの元へと歩み寄っていった。

 

 

アリスが老婆の前に立つと、庭先に並んでいたトウモロコシ人形たちが、風もないのに一斉に「カサリ」と首を傾げた。

 

「……この子たち、みんな、お話ししてる」

 

アリスが呟き、一体の人形の頬にそっと触れる。その瞬間、彼女の瞳が黄金色に明滅した。

アリスの指先から錆びた鍵を通じて、目に見えない波紋がトウモロコシ畑全体へと広がっていく。

 

「おい、アリス!」

 

俺が駆け寄ろうとしたが、老婆が枯れ枝のような手で俺を制した。

 

「邪魔をしちゃいけないよ、運転屋さん。この子は今、この土地が溜め込んできた『収穫されなかった想い』を読み取っているんだから」

 

老婆の言葉通り、アリスの周囲で異変が起きていた。

トウモロコシ人形たちの空洞な眼窩から、淡い光が漏れ出す。それはLAWが「非効率」として切り捨てた、この土地の古い農夫たちの祈りや、土に還れなかった無念の記憶だった。

 

「ギギッ! ギギィ!」

 

モスマンが怯えて俺の背後に隠れる。ノッカーは地面に耳を当て、驚愕に目を見開いた。

 

「……地面の底、……歌ってる。……古い……土の、……歌」

 

突然、一体の人形がアリスの手を握り返すように動いた。それは歪な形をしていたが、どこか幼い子供のような愛嬌があった。

 

「……あたたかい」

 

アリスが微笑むと、その背後に巨大な影が立ち上がった。それは、この土地の守護神であり、今は忘れ去られた悪魔――クエビコの顕現だった。

しかし、その神聖な儀式を切り裂くように、空から不快な金属音が降り注いだ。

 

『LAW』の大型広域監査ドローン。アイオワの平穏な管理データを乱す「異常値」を検知し、排除するために現れたのだ。

 

「ターゲット、大規模バグ。……広域焼却(パージ)シークエンス、開始」

 

ドローンの下部に装備された熱線砲が赤く加熱される。

 

「チッ、野暮な連中だぜ!」

 

俺は腰のホルスターから、DDSと連動したカスタム・リボルバーを引き抜いた。

 

「イッポンダタラ、アリスを、いや、この『畑』ごと守るぞ! 焼かせんじゃねえ!」

 

「ガハハ! 任せろ、運転屋! 黄金の海を黒焦げになんかさせねえよ!」

 

イッポンダタラが巨大な槌を振り回し、迫り来るドローンのセンサーを鉄屑で狙い撃つ。

 

アリスは、ドローンの無機質な警告音にも動じず、目の前のトウモロコシ人形を抱きしめた。

 

「……だいじょうぶ。……みんなの歌、……わたしが、……持っていくから」

 

アリスが鍵を高く掲げると、トウモロコシ畑の葉が一斉に逆立ち、猛烈な突風が吹き荒れた。それは単なる風ではない。この土地に眠っていた「想い」が、実体を持った防壁となってピータービルトと農場を包み込んだのだ。

ドローンが放った熱線は、黄金の風に押し返され、空中で虚しく霧散した。

 

「……あ、……あ……」

 

老婆が驚きに目を見開く。アリスの抱きしめていた人形が、柔らかな光の粒となって、彼女の胸の中へと吸い込まれていった。

 

「……おじさん。……この子、……一緒に行きたいって」

 

アリスが振り返ると、彼女の傍らには、トウモロコシの皮で編まれた小さな、しかし意思の宿った瞳を持つ新しい仲魔が立っていた。

 

「……収穫、……完了だ」

 

ノッカーが小さく呟く。

俺は空を見上げた。ドローンはシステムの再計算(リブート)を始めたのか、旋回しながら遠ざかっていく。

だが、今の俺には分かっていた。この「収穫」によって、アリスの中にある『悲しみの器』はまた一つ重さを増し、それと同時に、彼女を狙うLAWの包囲網は、より苛烈なものになるということが。

 

「……行くか、アリス。その新しい『友達』も、助手席に乗せてな」

 

俺はピータービルトのエンジンに火を入れた。

18輪の怪物は、黄金の海の中心を、新しい「記憶」を積み込んで力強く走り出した。

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