アリスは微笑んで死を乞う   作:ベイベ後藤

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5話 ネブラスカの蜃気楼

 

「いいか、アリス。その人形にあまり変なことを教え込むなよ。俺のトラックは、これ以上カオスになる余裕はないんだ」

 

俺はピータービルトの重厚なステアリングを握りながら、バックミラー越しに助手席の光景を眺めて溜息をついた。

 

ネブラスカ州のハイウェイは、笑えるほど何もない。右を見てもトウモロコシ畑の残骸、左を見ても乾いた地平線。そんな退屈極まりない直線の旅路を、今、このキャビン内の「騒音」が台無しにしていた。

 

「……だいじょうぶ。……この子、……『ラジオ』になりたいって」

 

アリスが膝の上に乗せているのは、アイオワで仲魔になったトウモロコシ人形のコーン君(アリス命名)だ。

見た目はただの麦わら細工の案山子のミニチュアだが、中身はこの土地の数百年分の雑学と怨念が詰まった一級品の怪異である。

 

「ザザッ…………こちら、ルート666交通情報……ザザッッ。……前方3マイル地点、……ハタネズミの集会により、……微かな渋滞の予感……ザサッ」

 

コーン君が、カサカサと乾いた音を立てながら、アナウンサーのような口調で喋り出した。

 

「おい、ネズミの集会なんてどうでもいい! それより、LAWのパトロール・ポッドの影はないのか?」

 

俺が突っ込むと、コーン君は首を180度クルリと回転させ、空ろな眼窩で俺を見つめた。

 

「カサッ……。……運転屋、……せっかち。……管理社会、……心臓に悪い。……それより、……1920年代の、……禁酒法時代の、……裏ルートの、……話を、……聞くか?」

 

「聞かねえよ! 今の俺たちはその裏ルートすらLAWに監視されてるんだ!」

 

「ガハハ! 運転屋、そう怒るなよ! この新入り、なかなか『素材』がいいぜ。ちょっと炙れば、いいポップコーンの匂いがしそうじゃねえか!」

 

荷台の窓からイッポンダタラが顔を出し、巨大な指でコーン君を突っつこうとする。

 

「ギギィッ! ダメ! ……そいつ、……火に近づけちゃ、……ダメ! ……ポップコーンになったら、……俺が、……全部食っちゃう!」

 

天井の梁に張り付いたモスマンが、よだれを垂らしながら抗議の声を上げる。

 

「……うるさい。……みんな、……静かに。……ノッカー、……寝てる」

 

アリスが人差し指を口に当てて「しーっ」とたしなめると、足元でバラバラに分解したトランスミッションの部品を抱いて寝ていたノッカーが、モゾモゾと動いた。

 

「……コーン……。……お前、……繊維、……多すぎ。……デフの、……ギアに、……詰まるなよ……。……オイル、……吸うな……」

 

寝言まで機械の心配か。

俺は頭を抱えた。

 

シカゴで「世界の悲しみの器」なんて大層な正体が判明したアリスだが、今の彼女は、拾ってきた妙な喋る人形で遊ぶ普通の少女にしか見えない。

だが、そのコーン君が喋る「100年前の交通情報」のおかげで、なぜかLAWの最新型レーダーが俺たちを見失っているのだから、この世の理屈は分からない。

 

「……おじさん。……コーン君が、……あそこに、『おいしいお水』があるって」

 

アリスが指差した先――陽炎が揺れる地平線の彼方に、ありもしないはずの緑豊かなダイナーの看板が、ぼんやりと浮かび上がっていた。

 

「……運転屋、……左後方。……1950年代の、……迷子の、……ピックアップトラックの幽霊が、……追い越したがってる……」

 

コーン君が、窓の外の何もない空間を指差しながら、砂嵐のような声で告げる。

 

「幽霊に道を譲る趣味はねえよ! それに、さっきから言ってるだろ。俺の視界には地平線とアスファルトしか映ってねえんだ!」

 

俺がハンドルを握る手に力を込めると、今度は天井からモスマンが逆さまにぶら下がってきた。

 

「ギギィ……。……幽霊、……おいしそう。……古いガソリンの、……匂い。……一口……いい?」

 

「ダメに決まってるだろ! お前はさっき電球を二個も盗み食いしたばかりだ。これ以上エネルギーを摂取して、夜中に発光し始めたら目立ってしょうがない」

 

「ガハハ! モスマン、幽霊なんて食っても腹は膨れねえぞ! それより、そのコーン野郎の『皮』を一枚くれよ。ノッカーの親父が『エンジンのパッキンが足りねえ』ってボヤいてたぜ!」

 

イッポンダタラが、大きな指をキャビンに突っ込んでコーン君の胴体をつまみ上げる。

 

「ガサッ!? ……虐待……。……文化財保護法……違反……。……私の、……この皮は、……アイオワの、……聖なる……堆肥から、……作られた……ガサガサッ!」

 

コーン君が必死に手足をバタつかせて抗議する。

 

「あーいけないんだ。……ダタラさん。……コーン君、……痛いって」

 

アリスが頬を膨らませてイッポンダタラを嗜める。

 

「おっと、そいつは悪かったなアリス! 悪気はねえんだ、鉄を打つ時の癖でよ、つい強度を確かめたくなっちまうんだな!」

 

一本足の巨漢は申し訳なさそうに頭をかきながら、荷台の暗がりに引っ込んでいった。

すると、足元で丸まっていたノッカーが、眩しそうに片目を開けて這い出してきた。

 

「……うるさい。……コーン……。……お前、……うるさい……。……お前の、……ガサガサ音、……ピストンの……異音と、……紛らわしい。……黙れ、……さもないと、……グリスまみれに……する」

 

ノッカーが手に持った油まみれのレンチを突きつけると、流石のコーン君も「ガサッ……」と短く鳴いてアリスの膝にうずくまった。

 

「……おじさん。……みんな、……なかよし?」

 

アリスが首を傾げて、純粋な瞳で俺を見てくる。

 

「……まあ、そうだな。賑やかを通り越して、もはやサーカスの移動車に乗ってる気分だ」

 

俺は苦笑いしながら、ダッシュボードに置いてあった不味いコーヒーを一口すすった。

 

「あーだがまぁこれだけ騒がしいと、LAWが作り上げた『完璧で静かな世界』ってのが、どれだけ空虚なもんだったかよく分かるぜ。不味いコーヒーに、油臭い空気、それにうるさい仲魔たち。……これが『生きてる』ってことなんだろうな」

 

俺が少しだけしみじみとした口調で言うと、アリスは嬉しそうに頷いた。

 

「……うん。……わたし、……このトラック、……だいすき」

 

その瞬間、コーン君が再びカサカサと不穏な音を立て始めた。

 

「ガサッ……。……感傷、……終了。……警告、……警告。……前方、……蜃気楼の、……密度、……上昇。……存在しない、……はずの、……『ハッピー・ダイナー』が、……実体化を、……開始……ガサッ」

 

フロントガラスの向こう。

さっきまで陽炎だと思っていたネオン看板が、異様な鮮明さを持って俺たちの道を塞ぎ始めていた。

 

「おい、冗談だろ……」

 

俺はブレーキペダルを慎重に踏み込み、ピータービルトを減速させた。

フロントガラスの向こう、地平線の彼方から湧き出した陽炎が凝縮し、あり得ない色彩を帯びていく。

そこにあったのは、1950年代の古き良きアメリカをそのまま切り取ってきたような、クロームメッキが眩しいダイナーだった。

看板には『HAPPY DINER - ALWAYS HOME』の文字が、昼間だというのにネオン管をチカチカと明滅させている。

 

駐車場の舗装はひび一つなく、どこから連れてきたのか、磨き上げられたキャデラックやシボレーが数台、律儀に並んでいた。

 

「ガサッ……ガサササッ! ……警告。……座標、……不一致。……この場所は、……1972年に、……竜巻で、……消滅済み……。……現在は、……不毛の地……。……これは、……デジタルな、……お化け屋敷……ガサッ!」

 

アリスの膝の上で、コーン君が激しく手足をバタつかせる。その空ろな眼窩からは、警告を示すような微かな光が漏れていた。

 

「……おじさん。……あそこ、……おいしそうな匂いがする。……けど、……誰も、……息をしてない」

 

アリスが不安げに俺の袖を掴む。彼女の感覚は、見た目の美しさに騙されるほど鈍くはない。

 

「ギギィ……。……あそこ、……食べちゃダメ? ……壁の……電飾、……すごく……高純度。……一度に、……食べたら、……お腹……壊すかも」

 

天井のモスマンは、恐怖よりも食欲(電力)に突き動かされているようだが、その触角は不快そうに丸まっていた。

 

「ガハハ! 幽霊のレストランか! 面白え、俺が自慢の槌で『営業停止』にしてやろうか!」

 

荷台のイッポンダタラが威勢よく叫ぶが、俺はそれを制した。

 

「待て、ダタラ。……LAWのやつらだ。力づくで俺たちを止められないと悟って、今度は『懐かしさ』という罠を仕掛けてきやがった」

 

俺はピータービルトを、その「幸せなダイナー」の入り口の目の前に停めた。

エンジンを切ると、辺りは不気味なほどの静寂に包まれる。風の音も、虫の声もしない。ただ、スピーカーから流れているであろう微かなオールディーズのメロディだけが、鼓膜を撫でていた。

 

「ノッカー、お前は車に残ってエンジンの予熱を切らさないようにしてろ。何かあったら、即座に15段変速をぶち込んでここを脱出するぞ」

 

「……了解。……この街、……周波数、……おかしい。……ボルト一本まで、……計算されすぎてる。……気持ち悪い」

 

俺はアリスの手を引き、コーン君を脇に抱え、そして肩にモスマンを乗せてダイナーの重厚なドアを開けた。

 

「カランコロン」と、教科書通りにカウベルが鳴る。

店内の空気は、驚くほど清潔だった。油の匂いも、不味いコーヒーの香りもしない。ただ、無機質なオゾンのような匂いだけが漂っている。

カウンターの奥から、作り物のような満面の笑みを浮かべたウェイトレスが近づいてきた。

 

「いらっしゃいませ! 『ハッピー・ダイナー』へようこそ。お客様の現在のアドレナリン量と栄養状態に基づき、最適な『思い出のメニュー』をご用意しております」

 

ウェイトレスの瞳を覗き込むと、そこには人間らしい光はなく、高速で明滅するログデータが走っていた。

 

「……思い出のメニューだと? 悪いが、俺はさっき不味いコーヒーを飲んだばかりでね。」

 

俺が冷たく言い放つと、ウェイトレスの笑みは一ミリも崩れることなく、アリスの方を向いた。

 

「お嬢様には、特別に『スティーブン様からのメッセージ・サンデー』をご用意いたしましょうか?」

 

その言葉に、アリスの身体がびくりと震えた。

コーン君が、俺の脇の下で「ガサッ!」と短く、鋭い警告音を上げた。

 

「スティーブンからの……サンデー?」

 

アリスの声は小さく、頼りなく店内に吸い込まれた。

俺の手を握る彼女の指先が、目に見えて冷たくなっていくのがわかる。ウェイトレス――いや、LAWが用意した対話用インターフェースは、その反応を「ポジティブな受容」と判断したのか、さらに笑みを深くした。

 

「ええ、お嬢様。あなたがカプセルの中で夢見ていた、あの甘くて、温かな記憶の再現です。栄養素は完璧に調整され、あなたの『器』にこれ以上の悲しみは必要ないと、システムが判断いたしました。さあ、こちらへ」

 

ウェイトレスが白手袋をはめた手を差し出す。その指先からは、微かに電子的なノイズの音が漏れていた。

 

「ガサッ……ガササッ! ……嘘つき。……偽物。……ガサッ! ……この店、……1950年代の、……建材じゃあ、……ない! ……すべては、……高純度の、……霊子変換された、……ポリ塩化ビニル……ガサッ!」

 

俺の脇に抱えられたコーン君が、必死に短い手足をバタつかせて、アリスと俺の間に割って入ろうとする。

 

「……おい。スティーブンの名を出せば、俺たちが喜ぶとでも思ったか?」

 

俺は腰のリボルバーには触れず、代わりに胸ポケットから一箱のタバコを取り出した。もちろん、今の時代にはどこにも売っていない、アイオワの老婆から譲り受けた古ぼけたやつだ。

俺は一本を口にくわえ、ウェイトレスの鼻先でこれ見よがしに火をつけた。

 

「……お客様。当店内は、最適化された空気清浄システムにより、喫煙は……」

 

「空気清浄? 笑わせるな。この店で一番の『汚れ』は、あんたのその作り物のツラだ」

 

俺は紫煙をウェイトレスのディスプレイのような顔面に吹きかけた。

煙が彼女の輪郭をなぞると、一瞬だけ、その流線型の装甲の下にある、複雑に絡み合った光ファイバーの網が透けて見えた。

 

「アリス、よく聞け。スティーブンがもしお前に何かを伝えたいなら、こんなイチゴジャムまみれのデザートなんかには託さない。……あいつはもっと、冷たくて、不親切で、それでいて逃げ場のない『現実』を突きつけてくる男だ」

 

「……うん。……おじさんの、……言う通り」

 

アリスがゆっくりと顔を上げた。彼女の瞳からは、先ほどまでの迷いが消え、代わりに錆びた鍵と同じ、鈍い光が宿っていた。

 

「……わたし、……お腹すいてない。……それに、……ここの音楽、……全然、……踊れない」

 

アリスがそう言った瞬間、店内のスピーカーから流れていた陽気なメロディが、レコードの針を無理やり引きずったような不快な音を立てて停止した。

 

「……対話、失敗。……ターゲットの心理プロファイル、修正。……懐柔(コンシリエーション)から、……矯正(コレクション)へ移行します」

 

ウェイトレスの笑顔が、中央から左右に裂けるようにして割れた。

中から現れたのは、無数の光るセンサー。ダイナーの床や壁が生き物のように脈打ち始め、磨き上げられたキャデラックたちが、俺たちの退路を塞ぐようにして、ゆっくりとトランスフォームを開始した。

 

「ギギィッ! ……まずい! ……この店、……生き物……! ……床が……溶ける!」

 

モスマンが俺の肩から飛び上がり、パニックを起こして天井の扇風機(シーリングファン)に激突する。

 

「ガハハ! ようやく本性を出しやがったな! おいノッカー、準備はいいか! この『ハッピー』なクソッタレ共を、一気にゴミ集積場へ送ってやるぜ!」

 

外のピータービルトから、イッポンダタラの咆哮が響き渡った。

 

「……計算外……。……個体識別名『アリス』、……不純物(ノイズ)への、……高い依存性を確認」

 

ウェイトレスだった「モノ」の顔面から、触手のような光ファイバーが溢れ出し、店内のチェッカーフラッグ柄の床を侵食していく。床のタイルはもはやタイルではなく、一辺が数十センチの正方形をした「牙」となって、俺たちの足元を噛み砕こうと躍動を始めた。

 

「ギギィッ! ……おじさん、……浮いて! ……地面が、……怒ってる!」

 

モスマンが俺の両脇を掴み、懸命に羽ばたいて俺の巨体を数センチだけ浮かせる。その直下を、剥き出しになった床の基盤が猛スピードで通り過ぎていった。

 

「コーン君、アリスを頼む!」

 

「ガサッ! ……了解。……アイオワ流……『隠れ蓑の術』……ガサガサッ!」

 

アリスを抱えたコーン君が、自身の身体を構成するトウモロコシの皮を爆発的に増殖させた。それは一瞬にして編み上げられた繭となり、迫り来る触手を弾き飛ばす。見た目からは想像もつかない強度――それは何世代にもわたって、過酷な開拓期の嵐に耐え抜いてきた「土着の記憶」の硬さだ。

 

「……ターゲット、……抹消。……非効率な……『思い出』を……物理的に……削除……」

 

崩壊するカウンターの奥から、今度は調理器具をアームに改造した「シェフ」型の防衛ユニットが三体、高速回転するピザカッターを振りかざして突っ込んできた。

 

「おいおい、俺はピザじゃねえぞ!」

 

俺は腰のリボルバー、『ピースメーカー・DDSカスタム』を抜き放った。

 

「ノッカー、外部からシステムに逆流(バックフロー)させろ! この店に『本物の不純物』を食わせてやる!」

 

トラックと無線で繋がったスマホから、ノッカーの低く、不機嫌な声が響く。

 

「……もう、……やってる。……この店の……Wi-Fiに、……モスマンの、……羽ばたき音の……生データを、……10ギガ……流し込んだ。……システム、……パニック……開始」

 

その瞬間、襲いかかってきたシェフ・ロボの動作がガクガクと不自然に乱れた。

完璧な計算に基づいて動いていた彼らにとって、モスマンが発する「不規則な羽音(ホワイトノイズ)」は、論理回路を焼き切る猛毒に他ならない。

 

「今だ!」

 

俺はリボルバーのトリガーを引く。放たれた弾丸は実弾ではない。DDSによって変換された「物理破壊コード」だ。

弾丸が命中したシェフ・ロボの装甲が、まるで古いテレビの砂嵐のようにノイズに分解され、消失していく。

 

「ガハハ! 掃除なら俺にも手伝わせろ!」

 

ダイナーの正面入り口を突き破り、ピータービルトの巨大なフロントバンパーが店内に割り込んできた。

運転席にはいないはずのイッポンダタラが、荷台から遠隔操作のクレーンアーム(特製)を操り、内装を根こそぎ薙ぎ払う。

 

「運転屋! アリスを回収してさっさとずらかるぞ! この店、自爆する気だ!」

 

ダタラの叫び通り、ダイナー全体のネオンが不気味な赤色に変わり、高周波のオーバーロード音が耳を劈いた。LAWの論理では、管理できない領域は「無」に帰すのが最適解なのだ。

 

俺はアリスとコーン君を脇に抱え、混乱して天井のシーリングファンに絡まっていたモスマンを引き剥がすと、崩壊する床を蹴ってピータービルトのキャビンへと飛び込んだ。

 

「全員、何かに掴まってろ! 舌を噛むなよ!」

 

俺はピータービルトの運転席に飛び込むなり、重厚なドアを叩き閉めた。

フロントガラスの向こうでは、かつて『ハッピー・ダイナー』だった空間が、幾何学的なワイヤーフレームの地獄へと変貌していた。壁面は剥がれ落ち、剥き出しになったLAWの基幹回路が、まるでのたうつ白い蛇のように俺たちの進路を塞いでいる。

 

「ガサッ……ガササッ! ……緊急事態! ……外部空間、……完全に……閉鎖! ……ここは……LAWの……胃袋の中……。……溶かされる前に……出口を……作らねば……ガサッ!」

 

アリスを庇うように丸まったコーン君が、全身から乾いた金色の粉末を吹き出し始めた。

 

「……コーン君、……がんばって。……おじさん、……道は……あそこ!」

 

アリスが指差した先。崩壊するカウンターの奥、歪んだ次元の裂け目に、現実世界へと続く細い「光の糸」が見えた。

 

「よおし……ノッカー、過給圧(ブースト)を限界まで上げろ! ダタラ、荷台のバランスを崩すなよ!」

 

「……了解。……リミッター、……外した。……エンジン……爆発するかも……。……死ぬときは、……一緒」

 

「ガハハ! 最高の墓場じゃねえか! 行けえ、運転屋!」

 

俺は15段変速のシフトレバーを叩き込んだ。

ピータービルトが咆哮を上げる。かつてこれほどの振動をこのトラックが上げたことがあっただろうか。

重さ30トンの鉄の塊が、管理社会の胃袋を切り裂くための「弾丸」へと変わる。

 

「コーン君! 隠された術ってやつを見せてくれ!」

 

「ガサッ! ……承知! ……秘術、……『黄金の収穫路(ハーベスト・ロード)』!!」

 

コーン君が弾け飛ぶようにアリスの膝からフロントバンパーへと転移した。

彼が撒き散らした金色の粉末――それはアイオワの土壌が数千年にわたって蓄積してきた「豊穣の記憶」の結晶だ。

粉末が宙に舞うと、崩壊しかけていたデジタル空間に、一瞬だけ硬質なトウモロコシの茎で編まれた「黄金の道」が敷設された。

 

「……今だ!」

 

アクセルを床まで踏み抜く。

過給機の絶叫とともに、15段変速のギアが火花を散らしながら噛み合った。

ピータービルトは黄金の道を駆け抜け、閉ざされようとしていた次元の裂け目へと突っ込んだ。

視界が真っ白に染まる。

高周波の電子音と、ディーゼルの重低音が混ざり合い、時間の感覚が消失する。

次の瞬間――。

 

「ガクンッ!」という凄まじい衝撃とともに、俺たちは再び、乾いたネブラスカのハイウェイへと吐き出された。

バックミラーを見れば、陽炎の向こうで『ハッピー・ダイナー』だったはずの虚像が、デジタルノイズの霧となって静かに消滅していくのが見えた。

 

「……ふぅ。……助かったのか?」

 

俺はハンドルから手を放し、震える指で額の汗を拭った。

 

「ガサッ……。……任務、……完了。……少し……痩せた……ガサッ」

 

コーン君が、一回り小さくなったような体躯で、フラフラとアリスの膝に戻ってきた。

アリスは優しく彼を撫で、窓の外の何もない地平線を見つめた。

 

「……おじさん。……あのダイナーのサンデー、……本当は……少しだけ、……食べてみたかったかも」

 

「ハハ、そうか。……なら、今度本物のダイナーを見つけたら、山盛りのやつを注文してやるよ。LAWの作り物じゃない、ちゃんと不純物が混ざった、本物の甘いやつをな」

 

俺たちは、夕暮れに染まるネブラスカを再び走り始めた。

背後で消えた偽りの安息地。

だが、この18輪のキャビンの中に流れる、油と、火薬と、トウモロコシの皮の匂い。

それだけが、この狂った世界で唯一の、確かな現実だった。

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