はらぺこヴァンパイア 作:棗の
日曜日の夜。
ヴァンパイアの殺人人形みたいな顔にたっぷり2時間かけてメイクして。髪もばっちりアイロンで整えて。
せっかく片付けてくれた春服の箱をひっくり返して。
ほとんどは丈が短すぎて着れなかったけれど、その中でもなんとか今の見た目に似合いそうな服に身を包んでいた。
グレーの長袖のロングTシャツに、ゆったり着れるエスニックな柄のロングスカート。
いつ買ったかも覚えてない組み合わせ。
あんまり趣味じゃないけど、もっと肌の出る服は家を出る前に恥ずかしくなって着替えてしまった。
背が伸びて胸が大きくなったから胸の谷間が見えちゃう服もたくさんあって、そういう服はもう着れなかった。
気のせいかもしれないけれど、遮光した昼の暗闇より、自然な夜の暗闇のほうが過ごしやすい気がした。
「ママ早く! お店閉まっちゃうよ!」
太陽が無いことに喜んだ梓は階段を何段もとばしてふわりふわりと跳び降りて、マンション1階の駐車場から手を振った。
一美は小走りでエレベーターに駆け込んで、赤い目を輝かせる娘の前まで駆け寄った。
遮光カーテンに覆われた部屋よりは明かりを通すので、たぶんお昼の間は乗れないと梓は思った。
一年ぶりに乗る車は、旅行や買い物のたびに嗅いだミント系の芳香剤のにおいがした。
すうっと息を吸い込むと、生きているときに家族で行った
梓はにっこり笑って、後部座席で体を丸めた。
一美は運転席に座って、バックミラーに映る娘の笑顔に、安堵の涙を浮かべていた。
近くのショッピングモールの営業時間は21時まで。
車で15分ぐらいのところにあるので、遊べるのは3時間ぐらい。
それでも梓は一年分遊ぼうと心に決めていた。
「梓とまたお出かけできるなんて……本当に夢みたい」
運転中の一美が言う。
後部席の梓はにっこり笑って、「私も」と返す。
「車に乗るのも一年ぶり。バスも乗れなかったし……やっぱり車って落ち着く」
「寝ててもいいわよ。いつもみたいに」
「寝ないよー。ママとのお出かけだもん。ちょっとしか時間とれないのが惜しいけど」
「また来週も、その次の週も行けるから。ね」
そんなやりとりを経て、二人はショッピングモールへ。
ショッピングモールの楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
梓が事前にメモしていた店舗のうち、二つを回り終えるころには閉店のアナウンスが流れ始めていた。
時は過ぎて21時過ぎ。
梓は両手の、買ってもらった服の紙袋を自分の横に置き、帰りの車に揺られていた。
待ちきれなくて袋の封を解いて、買ったばかりの淡いグリーンのアウターを着てみる。
バックミラーの中で満面の笑みを浮かべる娘を見て、一美も自然と笑みがこぼれた。
「夜の方が人が少なくていいかもね。試着もし放題だし」
「なんかお店の人びっくりしてたよね。私の目が赤いからかな?」
普段の梓だと、ちょっと驚かれるだけで悲しくなって泣きそうになってしまう。
だけど今の梓は幸せいっぱいでそんなことも気にならなかった。
嫌だと思った赤い目も、メイクのアクセントの一つにしてしまうほどだった。
「ふふ。梓がきれいすぎるからよ。周りの若い子、すごいびっくりしてた」
「え? そ、そうなの? ほんとに……?」
恥ずかしくなって、買った服で顔を隠した。
「梓は嫌かもしれないけど、今の梓はほんとにきれいよ。ママもちゃんと化粧してくればよかったって思ったぐらい」
「え……あ、ごめん。ママも疲れてるのに」
「謝ることじゃないのよ。娘が可愛くてどうして謝るの」
一美が笑っているのがバックミラーで見えて、梓もおそるおそる笑顔を返した。
「梓は今、楽しい?」
「え? うん。楽しいよ」
何を当たり前のことを聞くんだろう? と不思議に思っていると、「それと同じよ」と母が言う。
「当たり前のことって思ったでしょ。娘が可愛ければ嬉しいし、娘が楽しければ、親は嬉しい。疲れなんて気にならなくなるのよ」
梓はなんだか気恥ずかしくなって、「きゅぅ」と声を出して服に顔を埋めた。
人間だった頃からパパとママのことは大好きだったけど、ヴァンパイアになって、もっともっと好きになっていた。
自分は人殺しで、強盗犯で、一年も連絡しない娘なのに、深く愛してくれている。
もっともっと一緒の時間を過ごしたい。
夜に動くのは疲れることもわかっているし、明日の朝早くから二人とも仕事なことも知ってる。
ショッピングモールのお店だって、もうレジの閉め作業をしているところもあって、本当はお昼に来てほしかったんだと思う。
人が少ないのはいいことだけど、やっぱり賑わっている方が楽しい。
昼の世界で生きたい。
その気持ちは、帰ってきてずっと募り続けていた。
「……そういえば」
一つ思い出したことがある。
ずっと昔、死体処理をする化け物のブラックドッグが言っていた気がする。
ヴァンパイアの皆様に役立つ物品を取り揃えておりますとか。
確かその中で、太陽の光の下でも歩けるようになる薬のことを話していた気がした。
梓たちが車に乗る、数十分前。
ふうっ、はぁっと深呼吸して、少し気持ちを落ち着かせる。
何回もしてきた儀式。
「きれい……」
何度繰り返したか分からない言葉が漏れる。
視線の先にいたのは、真っ白な肌の少女。
黒いキャップを被っていて、グレーのTシャツにエスニックなロングスカートという出で立ち。
背が高くて、体つきが大人っぽくて——すごくきれい。
目が赤い。すごく綺麗なカラコンを入れてる。
スマホを見て口元だけで笑ってる。
落ち着いてて、優しそうな人。
いつものようにショッピングモールの中をふらふらしていたら、きれいな少女を見つけた。
その少女は、お手洗いの近くの壁にもたれてスマホをいじっている。
誰かを待っているみたいに。
退屈なショッピングモールの中が、その周りだけ輝いて、切り取られたように見えた。
こんな人見たことない。
この時間はいつもいるのに。
こんなきれいな人、見逃すはずが無いのに。
心臓がすごい速さで動いている。
スマホを握っている手に汗がにじむ。
わたしは寒がりのはずなのに、すごく暑い。
なんて名前? 何歳?
大学生ぐらいの人。
誰か待ってる。
お手洗いの前ってことは、たぶんすぐに行っちゃう。
だから。
「…………っ」
スマホを持った手を、顔の前に持ってくる。
カメラのボタンを押す。
スマホの画面の中に、少女が映る。
どくん、と心臓が跳ねる。
いけないことだけど。
前髪の位置がちょっと気に入らないだけだから。
前髪直すだけだから。
ぴこん、と小さな音が鳴って、心臓がまた跳ねる。
瞬間が切り取られて、手元のスマホの中に納まる。
「やった……」
やっちゃった。
撮っちゃった。
震えるスマホを胸元に持ってくる。
すごく綺麗な、白い肌に赤い目の女の人が、手元のスマホにいる。
もう離さない。
ぎゅうっとそのスマホを胸元に握りしめ、フードを深く被った。
ただスマホをいじってるだけ。ただゲームをしてるだけ。
「おかえりママ! 次のお店いこうよ!」
澄んだちょっと低めの声がした。
それはきれいな女の人の声だった。
その横に立った、黒髪のおばさんに笑顔を向けて言っていた。
母親がいる。
家族と来てる。
わたしと違って。
星野由佳は唇を噛んで、パーカーのポケットにスマホを滑り込ませた。
眩い少女と反対方向に歩いて行った。