はらぺこヴァンパイア 作:棗の
平日の朝。
バス停まで行きたかったけど、外はもう日が出ていた。
太陽の光。
ヴァンパイア最大の弱点。
ちょっと水で火傷したりするぐらいじゃ済まないほどの大けがをしてしまう。
ヴァンパイアになってすぐ、体が危ないと警告するぐらい危険なもの。
流れる水も十字架も鈴の音も、全部経験したけど。
太陽の光だけは怖くて試そうとも思わなかった。
ちょっとでも浴びれば、体が燃え上がって死ぬ。
そんな場面を見たことも感じたこともないけど、そんな感覚が体の中にある。それぐらいに危なくて怖いもの。
雨や曇りの日でもだめみたいで、漫画喫茶ぐらい窓がなく遮光された所じゃないと動けない。
ばっちり遮光しているからリビングまでは行けるけど、それでも窓の方を見るのが怖い。
もし、これが薬で何とかなるなら。
気は進まないけど、あの不気味な人外を頼るしかない。
ブラックドッグの電話番号をネットで調べてみたけど、一件もヒットしなかった。
よく見ると桁数も普通の番号と違う。
梓は真っ暗な自室でスマホの電話帳から”ブラックドッグ”を押した。
SIMカードが無いスマホは電話が通じないはずなのに、どうしてか繋がる番号。
恐る恐るボタンをタップすると、ワンコールで出た。
「……はい。
男性の声。年齢はわからないけど、梓よりも大人なのは間違いない。
「聞きたいことがあります。売っているものを教えてください」
「死体処理のサービスのほかに、死体の調理も承っております。ヴァンパイアの皆様も美味しく召し上がれるかと」
「そ、そういうのいいから! 他にあったでしょ!」
梓はこの人外が苦手だった。人の神経を逆なでるようなことばかり言う。
「『アンチライト』という薬剤も取り扱っております。ヴァンパイアの皆様が禁忌とされる日光に、耐性を与える薬です」
まるでこっちの心を読んでいたみたいに、すぐに目的の物の話をし始めた。
「それ! それ、いくらなの?」
「一万円、頂戴いたします」
高い。死体処理が千円で、それが一万円。
梓は財布を開いた。
血のついた一万円札が五枚と、千円札が四枚と、小銭が少し。
全部盗んだお金。お小遣いでもバイト代でもない。誰かが誰かのために貯めたお金。
もうこの世にいない人たちが、誰かのために使おうとしていたお金。
もう二度としません。もうお金は盗みません。
だからこの分だけでも、今回だけ使わせてください。
「一万円払えば、ずっと使えるの?」
「いいえ。効果は三日間です」
聞いておいてよかった。
予防接種みたいなものだと思ったのに、効果が短すぎる。
「……ずっと続くのはないの?」
「ありません」
この人外は優しくなんかない。
だけど嘘はつかない。
「いかがいたしますか」
3日で一万円、15日で五万円。
いや、毎日使う必要はない。ママとパパが休みの土日だけなら一か月はもつ。
その間に夜にできるバイトを探せばきっとなんとかなる。
「……もしここで払うって言うと、あんたたちはどこに来るの?」
「三浦様の目の前でございます」
「私がどこにいるのか知ってるの?」
「ええ。そうでなければ、死体処理など出来ませんよ」
とんでもないストーカーだ。お風呂も鼻歌も覗き見されてたのかもしれない。
スマホから耳を離して、玄関の方を見る。まだ帰ってくる気配はない。万が一でも、この人外を両親と会わせたくない。
「払う。来て」
そう言い終えた途端にスマホの通話が切れて、目の前の白いカーペットの下からしゅるしゅると黒い布が出てきた。
明るいところで初めて見たけど、ズボンのベルトみたいな質感なのに、ただの布みたいに見えるものだった。
それが縦長に伸びて、コートと帽子、とがった犬の耳を形作って、手袋をしているようにも見える両手が現れた。
すべては平べったくて、影絵のようにも見えた。
犬の顔に当たる部分に、白く細長い布の切れ目がある。
その向こうには何も見えない。平べったい布に見えるけれど、ただの布じゃない。
「では、頂戴いたします」
梓は財布から一万円出して、前に差し出す。
布が伸びてきて、一万円札を冗談みたいにからめとって、のっぺらぼうの黒い影まで吸い込んでいく。
「頂戴いたしました。ではこちらが、アンチライトでございます」
影から布が伸びてきて、ボールペンよりちょっと大きいぐらいの注射器が梓の手元まで運ばれてきた。
白い本体に金色の線で装飾されていて、ロココ調のデコレーションが本体の周りに施されている。
先の針は剥きだしで、長さは予防接種の針ぐらい。
中には半透明の液体が入っている。
梓がアンチライトと呼ばれた注射器を手に取ると、しゅるしゅると音を立てて布がブラックドッグに戻っていった。
「これを刺せば、太陽の光が平気になるの?」
「ええ。陽光によって燃えることはなくなります」
なんだか含みのある言い方。じろりと睨んでも、白い目のように見える部分には何の感情も見いだせない。
注射器の針を左の二の腕に刺して、ピストンを押し込む。
痛みがないし感覚もあまりないからわからないけど、液体が減っていって、空になる。
あっけなく一万円が消えた。
「……これでいいの?」
「ええ。もう効果は発揮されています」
ブラックドッグは何の表情も変えないし、そもそも表情がない。
「またご利用になられる時のために、その注射器はお持ちください。以上でよろしいでしょうか」
「待って。あんたたちが詐欺をしてないか確認するから」
玄関のドアの前まで行って、そっと鍵を開け、ドアノブに手をかける。
すごく馬鹿なことをしてるかもしれない。
こいつの言うことが嘘だったら、誰もいない家で燃えて死んじゃうかもしれない。
だけど、試さないとわからない。
ドアノブを持ち、下げた。
僅かに体重をかけると、キイッと軋んだ音をたてて、黒いドアの向こうから、白い太陽の光が入ってくる。
怖くてその先を見れない。
恐る恐る光に指先だけ出した。
何も変わらない。燃えたりもしない。
指先が恐怖で震えているのがわかる。
顔に光が当たらないように体をずらして、ドアをさらに開ける。
手を出して、腕を出しても、何も起こらない。
思い切って顔の半分だけ、ドアの向こうに出してみる。
眩しい!
燃えちゃう!
怖い!
バタン! とドアを勢いよく閉めた。
慌てて洗面所へ行くと、顔には何も変化がない。赤い目が恐怖で見開かれているぐらいで、やけどもしていない。
「……ど、どうやら、ほんとみたいね。怖いけど」
「ビジネスに偽りはありません」
梓の部屋に変わらず立つ人外が言った。
「わかった。じゃあ取引はおしまい。帰って」
いつものように追い払おうとすると、「そういえば」とブラックドッグが呟いた。
「三浦様。我々との契約は覚えておられますか?」
契約。
最初に遺体の消滅を頼んだ後、二人目の遺体を消すときに言われた気がする。
だけどあんまり覚えていない。うろ覚えの記憶の中で言う。
「ええと確か……『ブラックドッグのことを人間に話してはいけない』だっけ」
「ええ。今回のこのアンチライト、効果をお話するのは構いませんが、
何の表情も伺えないし、その口調からは何の感情も見いだせない。
YouTubeのCMで流れてる機械の合成音声みたいだった。
「わかってるよ」
よくわからないまま頷くと、ブラックドッグが上半身を90度に折り曲げ、しゅるしゅると音を立ててカーペットに吸い込まれるように消えた。
消えたところを触ったけど、硬い普通の床だった。
下の階の人は大丈夫なのか心配になる。
「すごい。こんなにあっさり何とかなっちゃうんだ」
今まではそもそも、昼に出歩く理由なんてなかったから使わなかっただけ。
でもこれからは違う。
梓は張り切ってまた玄関を開けて、悲鳴を上げてドアを閉めた。
「……太陽の光が平気になるだけで、怖いって思うのは変わらないのね」
でもそれなら、気持ちで何とかなる。
パパとママのためにできること。もっともっと一緒の時間を過ごすためにできること。
昼の世界で生きるんだ。