はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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輝ける世界へ(二)-3月23日12時40分

ブラックドッグからアンチライトという不思議な薬を買って、使って、それから数時間。

 

ちょうど人間ならお昼ご飯の時間まで、(あずさ)はベランダの中と外を行き来していた。

折角つけてもらった遮光用の石膏ボードをそっとずらして、真っ白い光の差す世界と、自分にとって安全な暗闇の世界を行き来する。

 

雨がむき出しの熱した刃なら、太陽の光は覆いかぶさる燃える布のように感じた。

白い光の中に出た腕に火事になったカーテンが被さって、そのまま燃やし尽くそうとするように感じた。

 

「大丈夫大丈夫……そんなことない。今は大丈夫。平気だから……」

 

指だけ、腕だけ、片方の頬だけ。

小学校一年生の時の水に慣れる水泳の授業みたい。

うろ覚えの記憶だけれど、ゆらゆらと揺らめく水が、まるで自分を吸い込んでそのまま離さないものに見えて、しばらく顔も洗えなかった記憶がある。

 

疲れないし眠くもならないし暑さも感じない体で黙々と続け、気が付くと数時間が経っていた。

 

ようやく片腕と片方の頬まで出しても、体が震えるぐらいでその姿勢をキープできた。

 

「……大丈夫。大丈夫だから。お昼の世界で生きるんだ。何が怖いの」

 

三浦(みうら)梓は人間だ。

だからお昼の太陽を浴びることなんて何にも怖くないはず。

それなのに体が震えて、足元から火が燃えあがってくるような幻が見える。

あり得ないこと。ここは私の家で、ママとパパが私のために安全にしてくれた場所。

外なら昨日も出てる。

 

あり得ない。絶対にない。私の体は太陽の光で燃えない。

私は人間なんだから。

 

今の梓は左半身だけ太陽の光の中にいる。

少し目を横に動かすと、白い光がかすかに見える。

太陽を見ると目が焼けちゃうから見ちゃダメって話が頭をよぎる。

 

本当に焼けて見えなくなったらどうしよう。

馬鹿なことはやめろと自分の中の誰かが囁く気がする。

外から見たら絶対恥ずかしいことになっている。

半分だけカーテンから出て指の先まで硬直している変な女が見えるはず。

 

「大丈夫。大丈夫だから。焼けてもすぐに治る。ヴァンパイアだから」

 

ヴァンパイアはそもそも日の光なんて自分から浴びようとしない。

私は人間として、三浦梓として生きるから。

だから日の光の当たる世界にもう一度行きたい。

 

動いてとどれだけ思っても、体が動かなかった。

まるで自分の体じゃないみたいに、ぶるぶる震えてそれ以上先に進めなかった。

 

梓はぎゅっと目をつぶって、壁に倒れこむように、ゆらりとカーテンの開いた窓へ顔を出した。

目を閉じた暗闇に明るさが差す。

絶対に今、太陽の当たる場所にいる。

 

怖い。

 

大丈夫。

 

目薬を差すときのように、光の中で目を開けた。

 

 

それは一年間、決して見られなかった世界。

 

 

背の高さがばらばらの家々。

二日前に通った中央通りには自転車や歩きの人たちが行き交い、お使いで一度だけ行った青果店ではおばさんたちが楽しそうに喋っている。

 

通りにちょっとはみ出したカフェでは、ママぐらいの歳の人が二人でコーヒーを飲んでいる。横のベビーカーでは赤ちゃんが寝ている。

 

登下校の時よく見た制服の女子高生二人が、何か話しながら楽しそうに歩いている。

一人が面白いことを言って、もう一人がお腹を抱えて笑っている。

 

別のところには男子が数人いて、コンビニの菓子パンを片手に楽しそうに歩いている。

みんな笑顔で、焦ることも、怖がることもなく。

 

小学校ぐらいの男の子たちが数人、「ばいばーい!」と言いながらマンションのエントランスへ入っていく。

 

遠くには何度も使ったJR日吉駅(ひよしえき)があって、バスから色々な人が降りていく。周りも気にせず、楽しそうに。

 

おばあさんたちが手押しの歩行器をひいて、駅のエレベーターの扉に入っていく。

 

雀が家の近くの電線に列を作って止まり鳴いている。

 

 

それらすべての上に、ヴァンパイアの天敵の真っ白い太陽がある。

 

 

青い空と白い太陽が、まるで異質な存在として目に映るようになっていた。

 

 

昼の世界。人間の世界。人間たちが楽しく暮らす世界。

 

梓は輝ける世界から目を逸らさずに見つめた。

体は震えるし喉の奥がぎゅっとするし、気が付くと首から下が炭になっているかもしれないけど、それでも数分、じっと見つめ続けた。

ぎゅっと両手を握って、人間たちの楽しい世界を作る太陽と、その下の世界を見る。

 

それは一年間ずっとあったはずの世界。

一年間、ずっと目を背けていた世界。

自分がいたはずの場所。

 

駅の入口から同い年ぐらいの女の子たちが数人出てくるのが見えた。

制服を着ている高校生。スマホを見ながら近くのどこかを指さしている。

駅のロータリーにあるファミレスに向かって歩いて行って、見えなくなった。

あのファミレスは中学の時に何度も友達と行ったし、会社帰りのパパと待ち合わせていったこともある。

ドリアが有名な、学生のお財布にも優しいファミレス。

 

今は食べられるものが何もないけれど。

 

「わ、わ、私だって、できる」

 

声が震えていた。だけど半日頑張って、ちょっと顔を出すことぐらいはできた。

きっとできる。昼の世界にまた行ける。

今通った人たちみたいに、また。

 

食べられるものはないし、空にはいつだって炎の塊があるけれど、それでもまた歩きたい。

 

 

人間と一緒に。

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