はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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きっとなんとかなるから(一)-3月24日19時8分

夜の食卓。

 

献立はうどんとサバの味噌煮とサラダ。(あずさ)の前にも置かれていた。

 

「梓、今朝のことなんだけど……どうして平気だったの?」

 

テレビで流れている芸人たちのバラエティを気にせず、一美(かずみ)が話しかける。

 

「ふふん。実はヴァンパイアが日光を浴びても平気になる薬が見つかったの。それのおかげで、もう平気」

 

梓は得意げに言ったが、一美は箸を置いて、梓の赤い目をまっすぐ見る。

 

「……太陽の光が怖いのはそのままでしょ? 梓、朝のときすぐに部屋に戻っちゃったし」

 

梓が今日一日考えていた、ネタばらしまでの流れが崩れ去った。

目を泳がせて、「……うん」と呟く。

 

「太陽の光で怪我しなくなっただけ。で、でも! 昨日のお昼からずっと練習してたの。だからちょっと体を出すぐらいなら大丈夫——」

 

「危ないことはしてないの?」

 

梓の言葉に被せて一美が問い詰めた。

目が笑っていなかったし、机に置いた手がぎゅっと握られていた。

 

「その薬をもらうのに危ないことはしてない?」

 

真っ黒い、のっぺらぼうみたいな人外の顔が頭をよぎる。

 

「してない。してないよ。全然してない。今まで使う理由がなかったから使わなかっただけ。ほんとだよ」

 

ちくりと罪悪感で胸が痛む。

 

「……でも、梓、ママとパパに気を遣わなくていいのよ。梓が帰ってきただけで本当に幸せなの」

 

それは一美の偽らざる本音だった。

今にもまた、唐突に消えてしまうかもしれない娘を、今度こそ絶対に離したくはなかった。

 

「だっ……だけど。私、遊んでばかりだし」

 

「梓は遊んでないよ。練習、よく頑張ったね。怖かったのに」

 

浩平(こうへい)が笑って梓に言った。

梓は目に涙をにじませて、「ありがとう」と言った。

 

冷たい胸の中に暖かいふわふわしたものが溜まっていく気がした。

このままパパとママがご飯を食べるのを見ているだけでもいいって気がしてくる。

 

 

梓は一度ふっと息を吐いて、自分の言葉を紡ぐ。

 

「えっと、ママとパパのためでもあるけど、私の気持ちでもあるの。ママ、夜に買い物行ってくれたけど、ほとんど時間がなかったし、夜は寝る時間だし。

私だってお昼に生活したいの」

 

二人の親は、娘の言葉を待った。

 

「薬があれば、太陽の光を浴びても大丈夫。怖いけど、きっと乗り切れる」

 

「……梓、本当に大丈夫なのかい? ヴァンパイアは昼寝て夜起きる、っていう映画が多いけど」

 

浩平が言った。

 

「大丈夫。寝なくても疲れないの。疲れたって感じないし、体調が悪くなったりもしない。

ただ太陽の光があるところはちょっと怖いだけ。パパとまた釣りにも行けるよ」

 

梓がにっこり笑って言うが、浩平の表情は曇ったままだった。

 

「……今は楽しくて疲れを感じてないだけかもしれないよ。睡眠不足っていうのは体が落ち着いたときに来るんだ」

 

「もう十分落ち着いてるよパパ。ほんとに大丈夫なの。疲れたとか、眠たいとか、この一年感じたことがないから。

気持ちが沈んだりしたことはいっぱいあるけど、体は丈夫なの」

 

「それが本当ならすごいことだけど……梓、そんなに無理をすることないんだよ。

梓は長い間ずっと辛い生活をしてきたんだから。体にもう休んで大丈夫って言ってあげないと」

 

梓の目にじわりと涙が滲んだ。

 

本当に大丈夫なのかな? と思うときは時々あるけど、憎たらしいほどにこの体は丈夫だ。

雨に濡れた血と傷で誰かわからないぐらい顔がぼろぼろになっても、ほんの数時間で元に戻ってしまう。

体の心配より服や周りの汚れの心配をしはじめたのは、ヴァンパイアになって半年経った頃。

 

だけど今はそれが、普通の人間らしくない、異常な感覚になっていると気付き始めていた。

 

そんな考えをずっと持っていちゃいけない。

私は人間として生きるんだから。

もう誰も殺さないし、誰も傷つけない。

 

梓は少し悩んで、自分の願いを口にした。

すごく自分勝手で、子どもっぽいことだとはわかっているけれど。

一度開いた気持ちの箱はもう閉じられなかったから。

 

 

「……私ね、もう一回、学校に行きたいの。もう一回、高校生になりたい」

 

 

愛する親たちは大して驚きはしていなかった。

どこか「やっぱり」と言っている気がした。

 

梓はぎゅうっと両手を膝の上で握って、二人の顔を見ずに続けた。

 

「すごく自分勝手なことだけど、もう一回やり直したいの。だから薬も買ったし、練習もいっぱいした。ま、まだ三月だから、間に合うかもしれないし!

前と同じ学校だとばれちゃうから、別の学校で。もう一回。制服とかもお昼にお店で準備できるし、えっと……」

 

梓は席を立って、部屋からノートを持ってきて慌ててめくった。

『学校でできること』と書いた先、『学校に行くために』と書いたところをかいつまんで読み上げようとした。

けれども思ったより早く両親に自分の考えを見抜かれてしまい焦っていた。

 

「自分勝手なことじゃないのよ。梓。当たり前のこと。事故で無理やり終わりになっちゃったから、やり直したいと思うのは普通のことよ」

 

一美がそっと梓の片手に手をのせる。ようやくそこで両親の顔を見ることができた。

二人とも、柔らかく笑って静かに見ていた。

梓を非難するようなことなど、まったく考えもせずに。

 

「ママ……パパ……!」

 

怒られると思ったし、悲しまれると思った。

だけど、認めてくれた。

 

梓がにっこり笑ってお礼を言おうとすると、一美が固い表情で、ゆっくりと言葉を発した。

 

「でも梓、今の体でお昼の学校に通うのは、本当にすごく大変なことよ。太陽の光を浴びるのが怖いこと以外にも、辛いことや、できないことはたくさんあると思う」

 

歩み始めた娘の夢に、ブレーキをかけることなんてしたくはないけど。

どうしても確認しておきたかった。その意志の強靭さを。

一美と浩平が、梓から聞いた話をもとに話し合った内容だった。

 

舞い上がっている娘は気付かないだろうが、ほんの数日考えるだけでも分かるほど、無数の困難が昼の学校にはある。

 

「夜の学校でも、高校卒業の証明書は取れるし、融通も効きやすいわ。三部制の学校もあるし、通信制の学校もある。

高校の卒業証明が取れれば、大学の受験も、専門学校も行けるのよ」

 

大学は一般的に、高校よりも融通が利きやすく、制服などの制限もない。

それまでは一旦、我慢するのが得策だと一美は考えていた。

 

「通信制の学校なら家の中で授業を受けられるし、梓の体質にも合っていると思うわ。家にはパソコンもあるし」

 

梓は少し迷ったが、「わかってるけど」と続ける。

 

「私は……お昼の世界で生きたいの。前みたいにみんなと遊んで、ファミレスに行ったり、映画を見たり、旅行に行ったり。

まだ先だけど、将来働くときも、お昼に働いて、夜に帰ってきて、パパとママと一緒に過ごしたいから」

 

眩しい世界の中で見た、光り輝く人間たちの日常。

奪われた高校生としての生活。

 

それがどうしようもなく梓の心を支配して、無数にあるはずの困難をそっと隠していた。

 

 

一美は一口、食事を口に運んで、飲み込んで、また言葉を発した。

 

「…………パパとママと一緒に過ごしてくれるのは、すごく嬉しいわ。

だけど、それで梓が辛かったり、悲しかったりするなら、嬉しくない」

 

一美の口調は変わらず固かった。

娘の進みたい道に口を出すなど言語道断だと常々思ってきたが、この提案に笑って首を縦に振る余裕は一美には無かった。

 

日光に耐性を得るという薬が、どこまで万能かもわからない。

ある日突然切れて、灰になって娘が消えてしまうかもしれない。

ふとした拍子に水を浴びて、大やけどしてしまうかもしれない。

 

高校の卒業資格を取る道は一つではない。

幸いにも日本には色々な選択肢がある。ヴァンパイアであっても取れる選択肢が。

 

娘が再び傷つく可能性がほんのわずかでもあるのなら、たとえ親としての信念を曲げてでも止めたかった。

 

 

梓は言葉を呑んだ。

今までいろいろな事を相談して来たけど、ここまではっきり止められたのは初めてだった。

友達の家にお泊まりをどうしてもしたくて交渉した時以来だった。

 

けれども、胸の奥で暴れる気持ちはもう止められなかった。

一度閉じた気持ちの蓋はもう壊れていて、勢いのままに言葉を紡いでいた。

 

「……パパとママを悲しませたくないけど。だけど、私……一年も、高校に行ってないんだよ。二年生になる直前で、死んじゃったから……もう一回行きたいって、思っちゃダメかな……」

 

今度は一美が言葉を呑む番だった。

 

「あんまり成績よくなかったし、部活もあんまり真面目じゃなかったけど、私、楽しかったの……もう一回、今度こそもっと真面目に、勉強も、部活も……頑張る、から……」

 

梓は目を伏せて、涙を流しながら言葉を絞り出していた。

 

思わず浩平を見た一美に、浩平は優しく頷いた。

 

「……梓、お昼の太陽は、梓にとって本当にどうしようもなく怖いんだよね。そんな怖い太陽の下で頑張らなくても、夜の学校や通信制の学校で毎日を楽しんでいる人はいっぱいいる。

昼の世界も、夜の世界も、どちらも楽しい高校だと僕は思うよ」

 

梓は赤い目を潤ませて浩平を見た。

「そうだけど」と梓は譲らなかった。

 

「それじゃあ……ずっと私は、パパとママと違う世界に生きることになっちゃう」

 

浩平もまた言葉を呑んだ。

 

「私は、パパとママと……できるかわからないけど、色んな友達と一緒に立派な大人になりたいの。そしたら、きっと」

 

きっと、私が殺してしまった人たちも許してくれるかもしれないから。

 

それはあまりにも身勝手な考えで、絶対に口には出せなかった。

そんなことで殺人の罪が晴れることなんてないってわかっているけど、どうすればいいかなんてわかりもしなかった。

だから、せめて自分のことを愛してくれるパパとママに、恩返しをしたかった。

 

自分ができる恩返しは何だろうと考えていて、梓が出した結論は、今まで通りにまた三浦(みうら)梓として生きて、失った時間を取り戻すことだった。

ちゃんと生きて、働けるようになって、立派な大人になること。

盗んだお金じゃなくて、きちんとお金を稼いで。

太陽の光が大丈夫になる薬を買い続ければ、きっとできる。

 

太陽はすごく怖いし、心配なこともたくさんあるけれど。

 

きっと乗り越えられると思ったから。

 

 

「梓……」

 

心優しく、控えめな娘が、ここまではっきりと思いを口にしたことがどれほどあっただろうか。

自分たち大人は、梓を守ろうとするあまり、梓の中にある燃え盛る若い意思を小さく見積もっていたのではないだろうか。

 

「……ママもパパも、なるべく手伝いはするけど、梓自身で何とかしなくちゃいけないこともいっぱい出てくる。優しい人ばかりじゃないし、梓が苦手なものと遭う時だってたくさんあると思う。

それに、嘘をつかないといけない場面もたくさん出てくると思うわ」

 

心配が先に出るのは親の病気みたいなもの、と昨日相談した友達には言われた。

言わずにはいられなくて一美は聞いたが、娘は譲らなかった。

 

「わかってる。パパとママを安心させたいの。私はもう大丈夫だから。嘘をつかないとうまくいかないのも、いつかきっと何とかできるから」

 

ご飯を食べる時も、お手洗いの時も、文化祭の時も。

たぶん嘘をつかないといけない。

嘘をつくのは悪いことだけど、誰も傷つけたくないから。

私は、わがままなのかな。

 

「……嘘は一つや二つじゃ、済まないかもしれないわ。本当にいいの?」

 

一美は最後に一つだけ、それを確認したかった。

 

 

愛する夫と話し合い、梓がまず社会に出る一歩にすら嘘が必要だという結論になっていた。ヴァンパイアという空想上の存在を、現実のルールで説明しなければいけないから。

 

今の梓は、()()()()()()()()()()()()()()()。行方不明のままにされているから。

梓の気持ちが落ち着いて、この生活に慣れたら切り出そうと思っていたから。

 

 

梓は一度、涙に濡れた目を閉じた。

瞼の裏に、今日のお昼に見た学園もののドラマのシーンがたくさん出てくる。

そこに微かにだけど、自分が生きていた頃の思い出が混ざる。

 

高校一年生の終わりまでだけど、友達も何人かいたし、お泊まりもした。

遊びにも行ったし、ファミレスでご飯を食べながら推しアイドルの話もした。

ライブ……にはお金が無くて行けなかったけど。

 

楽しかった。

 

もう一度、楽しい毎日にしたい。

 

毎日泣くんじゃなくて、毎日笑って、パパとママにこんな楽しいことがあったって言いたい。

パパとママに笑ってほしい。

 

私ができることをしたい!

 

一緒に食べるものが無くても、私だけお風呂の入り方が違っても、一緒にいたい。

 

だから。

 

 

「……うん。がんばる。きっとなんとかなるから」

 

 

根拠なんてない。ママが言う嘘がどんなものなのかもわからないけど。

きっとうまくいくから。

絶対なんとかなるから。

 

 

ヴァンパイアの娘の輝く赤い瞳が、人間の大人二人の心を確かに動かしていた。

 

一美はふうっと息をついて、娘の顔を見た。

娘を小さな子ども扱いしていたつもりはないが、少し寂しい気持ちにはなった。

それを押しとどめて、ゆっくりと伝える。

 

夫婦で用意していた娘へのプレゼントを。

 

「梓が帰ってきた次の日、パパと車で話してたの。きっと梓はいつかまた、学校に行きたいって言うだろうって。

ママの職場の知り合いに、学校関係の人がいるから、春から入学できそうなところも見つけてるの。夜間でも通えるところもね。

太陽の光が平気になるのは予想外だったけど」

 

「パパもしばらくはすぐに有休が取れるように会社に手続きをしたから、明日にでも制服の採寸とかは行けるよ。教科書の購入とかも調べておいたから」

 

今度は泣くのを我慢できなかった。

梓は目の前の食べ物を汚さないように気を付けながら、「ありがとう」を何度も繰り返した。

 

本当に夢みたいに都合がよくて、夢みたいに両親は優しかった。

ほっぺたをつねってみると、一美の笑い声が聞こえた。

 

「今度はっ……もっと、勉強も頑張るから! 部活も幽霊部員じゃなくて、ちゃんと入るし、友達もつくるし、ママとパパの手伝いもたくさん」

 

梓は自分の白い手の甲で涙をぬぐった。赤い涙がTシャツに飛び散っていた。

 

「一つずつね。ゆっくりと進んでいけばいいの。梓。もう焦らなくていいんだから。

梓は帰ってきたの。お家にいるんだから」

 

一美はそっと梓の手に、自分の手を重ねた。

 

「おかえり。梓」

 

梓はまた、淡い赤の涙を流して、牙の目立つ口で笑った。

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