はらぺこヴァンパイア 作:棗の
入学式が終わって、
梓は教室の一番後ろの席。
梓の二つ前には、席に着く数分前まであれこれ助けてくれた
太陽の光は窓からまだ照り付けるけれど、朝よりはずっとマシになっていた。
朝から来るはずだった曇り空が遅れてやってきたらしくて、教室の中は電気が点いている。
梓はようやく笑って、念願の入学式に向き合う余裕ができていた。
胸元のリボンと、目の前の入学式のしおりの紙を見て、実感が湧いてくる。
私、やっと高校に通えてる。
「教科書は事前に購入していると思いますが、もし購入していない方がいればこの後すぐに連絡を――」
担任の女性教師の話も、梓の耳には入っていなかった。
もう二度と行けないと思っていた学校に通えてる。
もう一回、高校生できるんだ。
嬉しい。
高校の入学式が人生で二度目の人なんて、私以外ここにはいないはず。
どこの学校でも大体似たような内容なんだ。
ちょっと不真面目だけど、今はこの嬉しい気持ちに浸っていたい。
さっき、星野さんからまた話しかけられた。
私の使ってるシャープペンが、星野さんとたまたまお揃いだったみたい。
「運命感じちゃうかも!」って、大げさに驚いてた。
そんな小さなやりとりが、冷たい体の奥でぼんやりと暖かい。
淡々と流れる説明を片耳で聞きながら、周囲の生徒たちは、梓の方を何度となく見ていた。
驚くほど美しい、
入学式の時はずっと顔を伏せていたクラスメイトの少女が、今はプリントを見て微笑を浮かべている。
あの子は誰だろう?
芸能人? 何かのドッキリの人?
日本人じゃなさそう。
同い年に見えない。年上っぽい。
すごく大人っぽい。大学生ぐらい?
肌の色も目の色も珍しいだけではなく、異次元と言えるほど綺麗。
男子の誰かが「すげぇ……」と小声で呟くほどだった。
「……はい。以上です。何か質問はありますか?」
担任の女性教師が周りを見回して言うが、誰も手は挙げない。
数分待って、「では今日はここまでです。明日からよろしくお願いします」と言うと、生徒たちの緊張がすうっとほどけて、誰からともなく喋り始める。
同じ中学出身の人同士が集まって、自然とグループが出来上がり始める。
梓はプリント類をファイルに入れて、黒いリュックにしまっていく。
教室の時計を見て、時間を逆算していく。ほんの一か月前のように。
今は11時55分。ここから学校を出て、地下鉄の駅まで歩いて、地下鉄に乗って最寄り駅から歩けば1時には家に帰れる。太陽の光がきついのは地下鉄の駅までのはず。
家の中の、優しい暗闇に帰れる。
ざわつく周囲に溶け込んでそのまま教室を出れば大丈夫。
荷物を入れて、リュックの蓋を閉じて、立ち上がろうとした。
「ねえねえ、名前なんていうのぉ?」
横から声がした。女の子の声。
淡い黒髪をパーマやカールで盛った女の子が、横の席に座っていた。
リボンがついていない着崩した制服で、いわゆるギャルっぽい感じの、梓と馴染みのない雰囲気の子。
「あ……え、えっと、み、三浦梓、です」
どうしてこんな子が私に? ギャルの子とはクラスの打ち上げとか、日直とかでしか喋ったことない。
どうして?
「すっごい肌白いねぇ。びっくり……外国の人? あ、日本語はわかるぅ?」
舌ったらずな口調で、質問がたくさん飛んでくる。
「あ、え、えっと、日本人です。えっと――」
その答えの前に、梓はクラスメイトに取り囲まれた。
「赤い目ってはじめてみた。カラコン?」
「もしかしてモデルとかやってた?」
「ほんとに同い年?」
梓が一つ答えようとすると、三つ四つと質問が飛んでくる。
席に座った梓の周りに、人だかりができていた。
女の子が多数、男の子が少数。
まるで流れの速い川の中にいるみたい。
こんなにクラスの子たちに囲まれる経験なんて一度もなかった。
人間だった頃もないし、その後だってもちろんない。
何か答えないと。
記憶の中にあるたくさんの嘘から、一つ取り出す。
本当のことは絶対に言えないから。
ごめんなさい、って思いながら。
梓は口元を押さえて、周りの人をざっと眺めてから、目を伏せて言った。
「あの……私、”アルビノ”なんです」
アルビノ。
肌や髪の色を作るメラニンが少ない性質を持った人の総称。
太陽光が生命を脅かすことも多く、太陽光を浴び続けることは危険とされる。
「あっ……ごめんなさい」
「アルビノ!? 実在するんだ……」
「初めて見た。肌しろ……」
「髪白くないんだ」
反応は二つに分かれた。
聞いてはいけないことを聞いたと、目を逸らし離れるものが、数名。
歓声を上げたのが、多数。
「あるびの? 初めて聞いたかもぉ。あるびのって国の人? 日本人だよねぇ」
目の前のギャルっぽい少女も、申し訳なさなどなく、首をかしげて無邪気に笑った。
梓の一言で、クラス中に興奮の波が伝播していた。
ネットや漫画で聞いたことがある激レアキャラのアルビノが目の前にいる。
ホームルームの緊張を晴らすように興奮が伝播していく。
「誰かいんの? 知り合い?」
「アルビノだって! 本物初めて見た!」
「目もめっちゃ真っ赤じゃん……」
「その言い方は失礼だろ。あ、俺は
「めちゃめちゃ綺麗……メイクしてる?」
「何て名前?」
「オレ知ってる。さっき三浦って言ってた」
梓が二言目を紡ぐ前に、周りの人が口々に喋りだす。
まるで濁流に流されているよう。
そんなこと想定していない。
梓はあいまいに笑って「あの、あんまり調子が良くないので、また明日」とリュックを背負った。
しかし高校生たちにとって、美しく珍しいアルビノがクラスにいるというニュースは刺激的過ぎた。
入学式を彩る思い出の輝きをさらに高めようと、梓の退路が自然と塞がれていく。
「でかいリュック……重くない?」
「肌しろ……外国の人?」
「ミウラさんだって。日本人だよたぶん」
「実は芸能人だったりしない?」
飛んでくる質問一つ一つを聞いてはいるけれど、答えたくなかった。こんな扱いされるなんて思ってないし、経験もない。
梓は「あの、えっと」とわたわたと言葉を紡ぎながら退路を探した。
「ストップストップ! 三浦さん困ってるから! 明日!」
包囲をかき分け梓の前に現れたのは、星野由佳だった。
小さな体をいっぱいに動かして、手をぱたぱた振って周りの注目を集めた。
一瞬、梓に柔らかい目を向けて。
「三浦さん急いでるから」と周りを囲むクラスメイトに言った。
「三浦さん、
そんなことは言っていない。
「よろしく……星野さんって、三浦さんの知り合い?」
女子生徒が聞くと、由佳は周りの男女を見回しにっこり笑って言う。
「朝わたしから声かけて、すぐに仲良くなったの。困ってたみたいだから」
梓からはその由佳の表情は見えない。
さっきからずっと、川に流されているみたい。
「ごめんね三浦さん。また明日。ばいばい」
由佳が手を振ると、それに合わせて周りの男女も手を振って、僅かな退路ができた。
梓はぺこりとおじぎをして、リュックを持って教室を出た。
空模様がどんよりしている間に、小走りで地下鉄駅のほうへ駆けていく。
人間の限界を超えない速さで。
どうしてかわからないけど助けてくれた。
朝に続いてホームルームも。
アルビノの皆さんごめんなさい。こんな怪物が利用してごめんなさい。
もうしばらく嘘をつかせてください。
ありがとう、星野さん。
今日初めて会った人だけど、すごく親切にしてくれた。
がんばれるかも。きっとできる。
普通の高校生に、きっとなれる!
「——ふぅん。地下鉄で帰ってるんだ」
帰路につくクラスメイト達に目もくれず、星野由佳は窓辺からアルビノ少女を見ていた。