はらぺこヴァンパイア 作:棗の
今日の献立はビーフシチューとほうれん草のおひたしだった。
ひじきと大豆の漬物の小鉢が置いていた。
「梓、改めてお疲れ様。入学式、なんとかなった?」
少し疲れた顔の
「ママのおかげでなんとかなったよ。今のところばれてない。アルビノを知ってる人がいたみたいで、すぐに帰れたよ」
纏わせた嘘の鎧は、ひとまず娘を守ったようだった。
一美は色々な感情を娘への愛情で潰して「良かった」と言う。
テーブルの中央のシチューがますます減らなくなってくる気がする。
「あ、でも、入学式の看板の前で写真撮るの忘れちゃった。やっぱり太陽が怖くてだめだった」
「今日は天気がよかったからね。気分は悪くなってない?」
心配そうに見る
「日が沈んだからもう元気。外が夜だとやっぱり調子がいい気がする。なんか人間だった頃のお昼前みたいな感じで、いろんなことができそうって気分になるよ。お昼はその逆」
「夜にもっと色んなお店が開いていればいいんだけどね」
浩平と梓は笑い合った。
一美はシチューをすすって、娘の顔をじいっと見る。
無理をしているようには見えない。本当に大丈夫だったのかは分からないが、少なくとも初日から良くないことがあったわけではなさそう。
持って帰ったプリントも特に変わったことは書いていなかった。
梓を学校に入れるのは、少なくとも警察を騙すよりは難しくないことだった。
職場に昔いた、今は養護教諭をしている友人に無理を言って、合格者の欠員枠として娘を入れてもらった。
公立高校にそんなことが通じるのか半信半疑だったが、幸いにもうまくいっていた。
——希少疾患を患った娘が、御校で是非とも学びたいと言っている。学習意欲は十分にある。
——どうか、入学を認めてあげてほしい。
学校側には、感情を込めた刃を。
——娘は再び学校に通いたいと言っている。カルトのことはあなたたちの捜査に支障があるから伏せたい。捜査の邪魔はしたくない。
——学校側には、長年希少疾患で患っていた娘を再び学校に通わせたいとだけ伝える。
——私の方でも娘が何かカルトに関することを思い出せば、報告すると約束する。
警察側には、
一美は二つの嘘を使い分けたが、梓は当然、そのことは知らない。
ただ、「また警察の人が来るかもしれないから、その時は覚えてないと言ってほしい」と言っただけだった。
新しい一歩を踏み出した娘を、ただ笑って見ていたい。
「入学式の校長先生の話、ちゃんと聞いてた?」
「ううん。二回目だしもういいかなって」
梓は無邪気に笑って言った。暖かい空気が流れて、人間二人の前の食べ物が減っていく。
「……そういえば、梓。明日なんだけど、雨の予報なの。梓、確か雨はだめだったよね」
一美が言うと、梓が慌て始めた。
「えっ!? あ、そ、そうなんだ……ごめん、見てなかった」
逃亡の間欠かしたことがなかった天気のチェックを梓は忘れていた。
明日は春らしい大雨の予報。早朝からお昼過ぎまで雨らしい。
「ママが明日の仕事、ちょっと遅らせるから学校まで送るわ。元々そういう話だったでしょ?」
「そ、そうだけど。それはどうしても太陽の光がダメってなった時だけだし」
事前に梓は一美と話し合っていた。
しかし、高校生にもなって事情もないのに車通学なんて良くないと思ったので、梓は言い出すつもりはなかった。
「娘が怪我するかもって時に放っておくわけにはいかないわ。ママとパパで交互にするから」
「でも……」
梓は言い淀むが、実際のところ、雨が降ったらどうしようもないことも事実だった。
傘を差してちょっとでも指や脚に触れたらそこから汚い黒い血が漏れるし、制服がぐちゃぐちゃになるとクリーニング代もかかる。
「……お願いします」
梓が頭を下げると、両親はそっと微笑んだ。
ちょうどテレビのCMも終わって、バラエティ番組でクイズが始まる。
梓はぼんやり見ながら、明日の段取りを頭の中で組んでいく。
自己紹介。
もう考えてるから大丈夫。
出身中学は
学生証の写真。
写真は特に怖いことはないはず。牙が見えないように澄ました顔で。
部活の説明会。
体育館で話聞くだけ。どの部活がいいかは後で決めよう。
お昼休み。
梓の思考がふっと止まって、教室で受けた質問責めの光景が浮かんでくる。
受けきれないほどたくさん投げられて、囲まれた。
今日は早く帰るって言い訳が使えたけど、今度はそれは使えない。
ここの学校はお昼がお弁当だから、私だけお弁当無しになる。
初めてのお昼休み。
事前に考えたやり方だと、お弁当を食べられない理由を説明して、時間まで図書館とかでゆっくりするつもりだった。
今日みたいに囲まれたら? 一緒に食べようって言われても断らなくちゃいけない。
購買部行こうって言われたらどうしよう。今日見た感じ、購買部は結構人気みたいだった。
そういえば私も前の高校でおなかがすいてパンをよく買ってた。
前の学校での入学式の後しばらくは、同じ中学の人同士で固まっていたから、梓もそうしていた。
そのあとちょっとずつ女子のグループができてきて、グループ同士で集まって友達が増えていった。
こんな質問責めなんてあったことがない。注目される程目立つ何かがあったわけでもない、普通の人だったし。
あれだけ時間があって、疲れも眠くもならないのに、全然準備できてない。
「……梓、大丈夫よ。一つずつね」
気が付くとぎゅっと握りしめていた白い手に、一美が手を重ねていた。
顔に出ていたみたいだった。いけない。心配させたくない。
「梓、ほんとに今日は大丈夫だった? 何か聞かれたりした?」
さっきと少し違う質問。梓は「ちょっとだけ」と答えた。
「肌白いし目が赤いねって言われた。アルビノって言ったら、すごいびっくりされて、色んな質問された。きれいだって言われたけど……ほんとなのかな」
「綺麗なのは本当よ。今日の梓、すごくきれいだった。ママも行きたかったぐらいよ」
ママのほうがずっと綺麗だよ、と心の中で言った。
確かに昔と見た目が違うけれど、見た目が違うだけで扱いが違いすぎると思っていた。
肌が白くて目が赤い子がいたら確かに気になるのは分かるけど、それが体質だって言われたら、深く突っ込まないほうがいいかもと思うのが普通なはず。
今日いた人たちがたまたま、ちょっと遠慮しない人たちだったのかもしれない。
きっとそう。
ママに綺麗だって言われるのは嬉しいけど、初対面の人に綺麗って言われてもよくわからない。
お世辞なんだと思う。
あんまり目立つのは好きじゃない。
ちやほやされたいとか思ったこともない。
ゆっくりクラスの中になじんで、そこから仲のいい友達を作っていきたい。
明日はもうちょっと抑えめの、柔らかく見える感じのメイクでいこう。
チークとリップの色も抑えて、アイメイクも減らして。
最低限、怖い人形みたいに見えない程度に。怖がられたくないし。
後でメイク動画見ないと。
「助けてくれる子はいたの?」
「うん。いたよ。入学式の前に助けてくれた子が、たまたま同じクラスだったの。その子も親が来てなかったから、早めに来て調べておいたって」
落ち着いた今になって、
友達が多そうなかわいい子だった。
私が帰った後、同じ学校出身の子と喋りながら帰ったのかな。
「良かった。その子もちょっと心配だったのかもね。梓がいて安心したのかも」
「……そうかな。だといいけど」
あんな挙動不審な自分と一緒にいて、迷惑じゃなかったのかな。
でも明日は太陽の光が少ないから、今日よりは落ち着けるはず。
「ママの知り合いの子とかじゃないよね? 星野由佳さんって人だけど」
「知り合いではないわ。梓がちゃんと、自分の力で作った友達よ」
一美の笑顔に、梓は照れ笑いを返した。
まだまだ練習が足りない。もっと太陽の光に慣れて、人間っぽくならないと。
「どうしても困ったら、保健室の先生がママの知り合いだから。ヴァンパイアのことは知らないけど、梓と話した”設定”は伝えてるからね」
そのことも入学前に聞いていた。
どんな手品を使ったのかわからないけど、梓はいわゆる裏口入学で入れているのだ。
でも、普通の高校生として過ごしたいし、本当に最終手段にするつもり。
両親がゆっくりご飯を食べながらテレビを見て笑ったりする中で、梓は何も口にせずに天井の照明を仰いだ。
今はまだ最初だから、色々不安なだけ。
大丈夫。きっとうまくいく。
私が入学式すぐで不安になるのは、人間だった時と同じ。ヴァンパイアだからじゃない。
【あとがき】
作者です。ここまで読んでいただきありがとうございます。
作中にあるように公立高校に短時間で、殆どの審査など無く入学するのは現代の日本の制度では不可能なようです。どうしてもやり方を思いつかなかったので、ここはご都合主義で書いてます。