はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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おなかすいた-4月10日12時21分

昼休み。

 

学校の図書室の隅の席に(あずさ)はいた。

普通の教室二個分ぐらいのサイズで、狭い空間の中に複雑に置かれた本棚で、人目を遮るには十分だった。

まだ他の人はご飯を食べているはずだから、自分以外誰もいない。

 

幸いにも図書室は、厚手の遮光カーテンが貼られている。

本が日焼けしないように守るためみたいだけれど、ヴァンパイアからすれば大事な休憩部屋だった。

 

「はぁ……」

 

梓は久しぶりに疲れを感じていた。

ヴァンパイアは疲れないはずだけれど、なんだか目を瞑って今の目の前の現実から逃げたくなった。

 

 

自己紹介の時はみんな静かだった。

約30人の目線を受けながら喋るのはすごく緊張して、動いていない心臓が跳ねそうだったけれど、当たり障りのないことを喋った。

本当の名前と、グーグルマップで見ただけの岩手県(いわてけん)山奥の中学の名前だけ。

 

 

梓はそれ以外に趣味なども言わずに席に戻ったが、そのあとの昼休み開始と同時に何人かに囲まれてしまった。

 

聞かれるのは目の色のことと、肌の色。

アルビノだから、と答えて一旦引き下がってくれる人もそれなりにいたが、笹川(ささかわ)八坂(やさか)はますます聞きたいことが増えただけだったらしかった。

 

「一緒にお昼食べようよ!」と由佳(ゆか)にも笹川たちにも誘われたが、梓は用意していた嘘をまた一つ取り出した。

 

 

——ごめん。食べ物とか飲み物は薬の影響で、お医者さんに制限されてて食べられないの。

——お弁当も持ってきてない。本当にごめんなさい。

 

 

できるだけ申し訳なさそうに言って、梓は振り返らずに教室を出て図書室まで行って、今に至っていた。

 

 

「はぁー……」

 

体の中に溜まっている悪いものを外に出したくて、わざと息を吸って吐いてみる。

ちょっとだけ気分が良くなった。

今日は太陽も出ていないし、夜ほどじゃないけれど気持ちが落ち着いている。

 

 

ずっと昔の、人間だった頃の記憶を思い出してみると、入学式からしばらくのこの期間は、前の高校でもそんなに好きじゃなかった。

同じ中学出身の子が一人しかいなかったから、その子とご飯を食べていた。

そんなに話したことがない子だったけど、頑張って話して一緒にいた。

二人でどの子に話しかけようか相談していた。

 

そうだ。これはヴァンパイアだからじゃない。

私が元々そうなんだ。そんなに人と話すのが得意ってわけじゃないし。

 

 

梓はスマホを取り出して、LINEを開く。

『ママ』のメッセージが1件。

 

『午前中お疲れ様。疲れてない?』

 

梓はくすりと笑って、その場で返事を書く。

 

『ちょっと疲れてる でもママもでしょ 火曜日は忙しいって言ってたし』

 

すぐに既読がついて、ちょっと嬉しくなる。

 

『いつも通りよ。梓はまだいつも通りになってないでしょ。お昼、抜けられた?』

 

『大丈夫 怪しいって思われてるかもしれないけどお弁当ないのは本当だし』

 

自分がもし普通の人間だったら、怪しいって思っても無理はないと思う。お昼を食べずにこんなところにいるなんて。

でもそういう病気や体質だって言われたら、納得するしかないはず。好きでそうなったわけじゃないんだから。

本当にそういう病気で辛い思いをしている人はたくさんいると思うけれど、今回に限っては何も食べられないってことは本当だから許してほしかった。

だからこそママが考えてくれた嘘は、私を守ってくれるはずだった。

 

そういう人の善意とか、申し訳ない気持ちを利用している気がして、梓の中から黒い自己嫌悪の芽が出てくる。

嘘をつくってそういうこと。また悪いことしてる。

 

「はぁ……」

 

梓は近くの棚にあったよくわからない科学の本を取って、ぱらぱら読んでるふりをする。

 

ヴァンパイアが昼にやることなんて何もない。

前にいた高校だと、お弁当を食べながら友達と喋って、そのあとスマホのYouTubeで推しアイドルの動画や噂のまとめ動画を見ていたぐらい。

 

「……何も食べられないって、やっぱり変なんだ」

 

ただご飯を食べるだけじゃない。

食べながら喋ったり、その後遊んだり。その部分が丸ごと無くなっちゃうんだ。

 

ヴァンパイアが食べられるものなんて何もない。

 

食べられるものはただ一つだけ。

 

人間の血。

もうしばらく、食べてない。

 

梓はぼんやりした目で、自分の牙を撫でる。

牙の先に指が触れると、お腹の奥がざわざわしてくる。牙を自分の指に刺した。

指の内側に冷たいものが滑り込む感覚。

 

口内が黒い血で濡れてきて、それを舐めた。

何の味もしない。

 

「んぅ……」

 

黒い血が噴き出る指をくわえて、吸い上げる。

梓の目が無意識のうちに眠たそうに半分閉じられて、舌で牙を舐めていた。

 

 

ちょっとおなかがすいているかもしれない。

誕生日の前の日に食べたきりで、もう二週間ぐらいになる。

 

 

それに気づいた途端に、すうっと周りが暗くなって、真っ黒い13個の影が自分を見下ろしている気がした。

梓の目の前だけが不自然に空いていて、そこに一人増えるのを待っている気がした。

 

 

()()()()()()()()

 

 

「やだ……」

 

目をぎゅっと閉じて、顔を机につける。

 

私はおなかがへるほど、おかしくなる。

 

すごくおなかがすけば、誰でも殺しちゃう。

 

防犯カメラの位置を見て、夜中に追いかけて、誰にもばれないように殺しちゃう。

周りを歩く人みんなが、ただのご飯にしか見えなくなる。

 

まだ”おかしくなる”までは遠いけれど、このまま何も食べなかったら、絶対そうなる。

 

その時にあの教室にいた誰かに噛みつく可能性だってある。

みんな警戒なんてしてない。するわけがない。

三浦(みうら)梓はアルビノの人間で、ヴァンパイアじゃない。

今のところは。

 

 

梓は自分を見下す罪の影と目を合わせたくなくて、誰か助けてほしくて、机の下でスマホを開いた。

ちょうど一美とのトーク画面。既読がついていた。

 

震える指が恐怖に操られて、文字を打っていく。

 

 

『ちょっとおなかすいた』

 

 

既読がついた。それから、2分。

 

 

『家に帰ったら冷蔵庫の製氷室の横の引き出しを開けて』

 

 

そんな一文が返ってくる。罪の影たちが止まる。

 

「……ママ?」

 

言っていることが分からなかった。

 

冷蔵庫の中に何があるんだろう。

確かにここ数日見ていない。なにも飲まなくなったから見る機会がなかった。冷蔵庫の紅茶をこっそり飲むこともなくなっていたし。

確かそこにはアイスクリームとか、冷凍したお肉とかが入っていたはず。

どちらも食べられない物。

 

 

梓がそっと顔を上げると、もう影はいなかった。

知らない人が一人、梓のことなど気にもせずに本棚から本を取って、遠くの席で読み始めただけだった。

 

「冷蔵庫の、引き出し……?」

 

メッセージに呆然とする梓の手元でスマホの画面がロックされる頃には、おなかがすいた感覚は収まったようだった。

 

ふうっと息をついて、スマホを置く。

画面の上にLINEの通知ポップアップが出た。星野(ほしの)由佳。

 

『わたしごはん食べ終わったよ 教室の外にいるから何か困ってたら言ってね』

 

その直後に、はちまきを巻いた白いうさぎのスタンプが送られてきた。

梓もよく知っている、ロフトとかでよく見かけるキャラクターだった。

 

梓は時計を確認した。12時35分。あと20分ぐらいある。

まるで漫画喫茶暮らしだった時みたいに、予定を頭の中で組んでいく。

 

 

教室には戻れなさそう。午後からは部活の説明を聞いて、14時過ぎには終わりのはず。

雨はもう止んできてる。予報通りお昼過ぎには止みそう。

だけど雨だから走って学校を出ることはできない。

念のため手袋をして傘をさしたり、準備が必要。

 

全部ひとりでできること。

ヴァンパイアの自分だったらできるけれど、今は高校生の三浦梓。

だから誰かに頼みたい。

 

『頼みたいことがあるから図書室の近くまで来れますか』

 

一秒もせずに既読がつく。白うさぎのスタンプで『了解』の文字。

 

 

本をしまって図書室の外に出ると、少し息の上がった星野さんがいた。

走ってきたのかな?

 

「ほ、本読んでたんだ。お待たせ! 困ったことがあるの?」

 

なんだか犬みたいだと思ってちょっと可笑しかった。

 

「あのね。今日ちょっと、病院に行かないといけなくて。昨日みたいにたくさん質問されると困っちゃうの。いい方法ないかな」

 

「あ……そ、そうなんだ」

 

由佳の顔から期待の成分が薄れていった。

 

「……病院、大変だよね。わたしに任せて。三浦さんはホームルーム終わったら、なんとなく外に出てくれれば大丈夫だから」

 

由佳はまたにっこり笑って、ガッツポーズする。梓も笑って「ありがと」と言う。

梓の笑顔に、由佳は頬を赤らめてちょっと目を逸らした。

 

「お安いご用ですよっ。わたしのこと、いっぱい頼ってくれていいからね」

 

やっぱり優しい人だ。会えて良かった。お礼のお菓子とか買っておこうかな。

 

「……星野さんも中学の時の友達とかいるの?」

 

由佳の自己紹介を思い出す。

趣味は特になくて、出身中学は梓の家からちょっと離れた武蔵小杉(むさしこすぎ)のほうだと言っていた。

 

「ううん。隣のクラスに男子が何人かいるけど、中三のとき別のクラスの人だったしよく知らない」

 

由佳は特に興味もなさそうにさらりと言った。

星野さんは私と違って人と話すの得意そうだし、同じ中学出身パワーを使わなくても友達が作れそう。

 

「だから、三浦さんと同じだよ。お弁当も今日無かったし」

 

一転、にっこり笑って由佳は言った。

 

「えっ? どうして」

 

「うちさ、親が忙しくてあんまり作ってくれないんだよね。だから朝コンビニで買ったパン食べただけ。

購買もなんかさ、上級生の人たち専用って感じしない?」

 

由佳は顔を伏せて言った。

 

 

入学式に親が来ていないし、そのあとのお弁当もない。

そういう人もいるんだ。

前いた高校は学食があったからお弁当を頼んだことはあんまりないけれど、確かに週五で作るのは難しそう。

 

 

「わかるかも。私も前……中学の時、購買あったんだけど、使い始めたの二年生になってからだったし」

 

「だよねー! なんかさ、使い始めたら一人前って感じしない?」

 

梓はにこりと笑って頷く。

由佳は梓の横の壁によりかかって、梓の顔を見て楽しそうに話す。

 

「クラスの子が先輩から聞いたらしいんだけど、購買のジュースって、外のコンビニよりちょっと安いんだって。学生料金にしてくれてるみたい」

 

「そうなんだ。まだ一日しか経ってないのにもうそんな情報出てるんだ……」

 

「女子のLINEグループも笹川さんが作ったらしいからさ。三浦さんもあとで招待したいみたいだよ。笹川さんが!」

 

笹川さんが、を強調して由佳は言った。

 

梓の背中に、チリチリと焦げ付くような感覚がまた走る。

忘れてた。LINEグループあったんだ。

前の高校でもほとんど事務連絡だけどあった。

一年生の冬頃に、クラスの女の子と野球部の男の子が付き合った後、同じクラスの別の子と浮気してるのがわかって、大喧嘩になってそのまま自然消滅しちゃったけど。

見たくないものを見せられた苦い記憶だった。

 

でも今回はそんなことないはず。

さすがにLINEグループとかメッセージでまで質問してくる人はいないはず。

私だったら絶対やらないから。

 

 

「……でも、困ったらわたしを頼ってくれていいからね! わたし、こう見えて結構運動もできるし、朝も早起きなの」

 

細い腕で力こぶをつくってみせる由佳。

 

「ありがと。頼りにしてるね」

 

任せて! と嬉しそうに胸を張る由佳。ころころ表情が変わって、見ていて楽しい人だと思う。

 

会って二日目と思えないぐらいにすごく親しくしてくれてる。もしかしてママの知り合いとかなのかな?

私が人間だった時の友達の友達って可能性も……ないかな。

私は顔も全然違うし、行方不明から戻ってきたことは誰にも言ってない。

元々そんなに友達が多い方でもないし。

 

「私もたぶん、早起きだよ。6時ぐらいには起きてる」

 

これは本当だった。日が出る前に起きて、ちょっとずつ太陽の光に慣れる時間にしているから。

 

「早いね。なにしてるの? メイクとか?」

 

「親が朝早起きだから、親と一緒に朝ご飯食べたくて」

 

本当のことからすらすらと嘘が出てくる自分にちょっと自己嫌悪していた。

パパとママは朝忙しいからご飯食べる時間もバラバラだし、私は何も食べていないし、朝日が怖くて眠っていたいときもあるのに。

 

由佳はそこでちょっと目を逸らして、言葉を詰まらせた。

まるで何かに躓いたみたいに。

 

けれどもすぐに笑って、「ところでさ」と話を変える。

 

「三浦さんって図書室好きなの?」

 

「え……あ、うん。スマホいじってても怒られないし」

 

「だと思った。みんなやるよねー。わたしも見たいドラマあったら、早くご飯食べて図書室行っちゃう。ドラマとか見てる?」

 

「今は見てないかな。インスタでメイクの動画見たり、Vlog見たりしてる」

 

「同じだ! フォローしてる人被ってるかも!」

 

由佳は壁に寄りかかった梓の横、肩が触れるぎりぎりの距離まで近づいて、スマホを出してインスタグラムを開いて梓の方に画面を傾ける。溜まった色々なお店のストーリーの通知に目もくれずに、ブックマークを開く。梓も知っている大学生の人の名前が何人かあった。

 

「あ、この人知ってる。この人も」

 

 

由佳と梓は、図書室の前で共通点を見つけていく。

好きなインスタグラマー。好きな芸能人。

好きなYouTuber。好きなテレビ番組。

 

梓の心に渦巻いていた黒い自己嫌悪はどこかに消えていて、ぼんやりした心の繋がりが、ヴァンパイアと人間の間にあった。

 

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