はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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「いただきます」(一)-4月18日18時12分

すっかり日も沈んだ時間。

(あずさ)は、自宅のリビングにいた。

 

 

 

リビングの窓は分厚い遮光カーテンで塞がれ、隙間ができないよう縫われている。

両親の寝室に通じるドアも、廊下とリビングを繋ぐドアもぴったりと閉じられていた。

天井のLED照明で照らされており、その明るさを梓は気にしていない。

 

 

梓はソファに座っていた。

バラエティ番組を流すテレビを耳だけで聞いて、スマホでVlogを見ている。

友達から教えてもらった女子大生のVlogの華やかな暮らしを見て、いつか来る一人暮らしの時を夢想する。

 

 

そんな華やかな夢よりも、部屋の中の優しい空気よりも、ずっとずっと楽しみなものがこの後来る。

 

 

今日はごはんの日。

学校にいる時から楽しみだった。

 

 

「……梓、ちょっと来て」

 

母の言葉に梓はぴょんと立ち上がって、キッチンまで行く。

 

キッチンキャビネットの上には今日の夕食が並んでいる。

メインはバターの香りがふんわりと香る鱈のムニエルで、えりんぎとほうれん草のソテーが添えられている。

それと、付け合わせのサラダが二人分。

 

キッチンには梓の母がいた。

40代前半の女性で、長い黒髪を後ろで緩くシュシュで結んでいる。

梓と違って色の入った肌の色に、茶色い瞳。

 

その手元には、お湯を張ったプラスチックのボウルがある。

梓の母はそれに指をつけ、温度を測っていた。

 

 

ボウルの中では中身の入ったフリーザーバッグがぷかぷかと浮いていた。

さっき冷蔵庫から出して、湯せんしていたものだった。

 

「これぐらいで大丈夫?」

 

梓の母はフリーザーバッグを取り出して、拭いて梓に渡した。

梓はフリーザーバッグを手に取り、ぬいぐるみにそうするように撫でた。

 

「たぶん大丈夫。ありがとママ」

 

梓は母に笑いかけ、フリーザーバッグを返した。

 

梓の母も笑って、フリーザーバッグを開けて、大皿の上に取り出した。

ぼとり、と音がして中身が落ちた。

 

 

深紅色のどろりとした液体の入ったパック。

化学繊維で作られた密閉容器。

細長く平べったい形をしたパックだった。

 

 

表面に機械で印刷された文字があった。

『B RH+ RCC-LR NY-SSIEld3 2024/04/04 280ml 済 日赤 神奈川横浜(かながわよこはま)

そんな表記がされていた。

 

 

それは病院で使用される、血液パックとか、血液製剤(けつえきせいざい)とか呼ばれる物だった。

 

 

 

「おいしそう……」

 

 

梓は思わず小声でつぶやいた。

すぐに母の方を見て、ちょっと恥ずかしそうに赤い目を伏せた。

 

梓の母は笑って、梓の頭を撫でた。

 

「それは梓のごはんよ。そうでしょ?」

 

「……うん」

 

梓はこくりと頷いて、皿を持って食卓に置いた。

 

 

全員の食事が揃って、夕食の時間になった。

テレビでは既にゴールデンタイムのバラエティ番組が始まっているけれど、梓はそれに目もくれなかった。

 

 

 

両親の前には、鱈のムニエルとえりんぎとほうれん草のソテー、付け合わせのサラダ。

梓の前の大皿には、ラベルを下にした血液パック。

大皿の横には底の深い銀のタンブラーが置かれていた。

梓の父が時々ビールを飲む時に使っている、保温性の高いタンブラー。

 

重ねたキッチンペーパーとタオルも畳んで置かれていた。

 

 

「「「いただきます」」」

 

 

両親が箸を取ってサラダを食べ始める横で、梓はタオルを手に取って、キッチンペーパーを内側に重ねた。

包み込むように、大皿の上の血液パックを手に取った。

 

赤色っぽい液体と黄色っぽい液体が、プラスチック繊維のパックの中でゆらゆら揺れる。

梓の赤い眼がそれにあわせてゆらゆら動く。

口の端で、無邪気な笑顔が浮かぶ。

 

おいしそう。

 

タオルとキッチンペーパーでちゃんと包んでいることを確認して、梓はゆっくり口をつける。

暖かい。人の肌みたいな暖かさ。

 

 

記憶の奥底にある、昔殺した人たちの首筋が浮かぶ。

夜闇の中でぼんやり光る首筋の映像。

おいしそうな首。

 

 

赤い目を細めて、梓は血液パックを舐めた。

味はしない。けれども、湯せんの温かみが舌を伝って、口から喉へ、食事の時間を知らせる。

上あごから生えた二本の牙の先が、血液パックの繊維に触れる。

 

 

目の前にある無機質な血液パックが、まるで人の首筋みたいに思えてくる。

ぞくぞくと上ってくる気持ち。

高揚感。

 

 

いただきます。

 

梓は両手でぐっと押さえて、血液パックに噛みついた。

テレビの音に比べればずっと小さな、繊維の破れる音がした。

中の血液が牙を伝って噴き出して、それが梓の喉へ流し込まれていく。

 

温かい白湯を飲んでいるような心地。体の中に混ざって、広がっていく。

本当に噛みついているみたい。人を噛んでいるみたいな気持ち。

 

 

きもちいい。

おいしい。

 

 

梓は両手を固定することだけ意識して、何度か血液パックに噛みつく。

もっと欲しい気持ちをなだめて、押さえて。

一回、二回、三回、血を飲み込む。

 

 

「——っはぁ……」

 

まるで両手だけ別の生き物みたいに、血液パックが掴まれて口から離された。

梓が首を後ろに傾けて、口を開けたまま天井を仰ぐ。

 

「……はぁー」

 

誰にも(はばか)ることもなく、牙をむき出しにしたまま、一度大きく息を吐いた。

 

体がぽかぽか暖かくて、春先の休みの日のお昼みたい。

手と足の指先まで温かさが伝わって、CMでよく見る”体の芯から温まる”って言葉が頭をよぎった。

 

 

今だけは快楽に身を任せたかった。

 

だって私は、ヴァンパイアだから。

 

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