はらぺこヴァンパイア 作:棗の
木曜日。天気は晴れ。
トイレに駆け込んで、身だしなみと気持ちを整えて教室へ。
梓は時間ぎりぎりに登校してみた。
既にほとんどのクラスメイトがいて、各々集まって話している。
まだ中学の時の友達同士で話している人が多い中で、梓の席だけは違った。
グループができてる。私の席の周りに。
まるで私を待ってるみたいに。
人間だった頃なら体がこわばったり、汗をかいたりするのかもしれないが、今の自分にはそういうことはなかった。
けれども、心はざわざわと動いていた。
「おはよう」
梓は席に近づいて、笑顔で挨拶した。三人が振り向いて、笑顔で挨拶を返してくれた。
「おはよー
笹川が手を振って言う。ブレザーを脱いでシャツの袖を肘まで捲り上げていた。
「うん。また今日から晴れるって言ってたよね。困っちゃう」
由佳が笹川を一瞬見て、それから梓を見て言った。
「もうちょっと春っぽい天気がいいよねぇ。三浦さんもブレザー脱いだら?」
八坂はピンクのハンディファンを持っていた。八坂のふわふわの髪の毛が慌ただしく動いている。
「あ……えっとね。これ脱ぐと、太陽の光を浴びすぎちゃうからだめなの。暑くても我慢しないと」
梓は慌てて取り繕った。
暑さなんて全く感じてない。ただブレザーを脱ぐと、なんだか火のついたガスコンロの目の前にいるみたいに落ち着かなくなってしまう。
「大変だね……カーテン閉めとくよ。八坂さんもそれでいいよね?」
由佳がいち早く立ち上がった。
「いいよぉ。私も焼けるの嫌だし」
八坂がハンディファンを梓に向けながら答えた。
由佳は立ち上がって、梓の席を照らす窓を黒い遮光カーテンで遮った。
梓はお礼を言って、席につく。
今日から通常授業が始まる。
時間割を確認して、スマホの通知オフも確認したところで、LINEが来ていることに気づいた。
20分前。星野由佳。
『おはよう三浦さん 授業中困ったらことあったら連絡してね』
『八坂さんと笹川さんには三浦さんちょっと体が弱いかもって伝えといたから』
予鈴が鳴って、笹川と由佳が席に戻っていく途中。
由佳は梓に視線を向けて笑って見せた。
梓は色々な思いを飲み込んで笑顔を返した。
そうして始まる午前の授業は、梓にとっては太陽の光以外、何の苦もないものだった。
梓は白い肌と赤い目で目立つけれど、大人たちはそれに対して何の言及もしなかった。
アルビノの生徒がいることは、既に教師たちの連絡網でも伝わっていた。
しかし食事と太陽の光、そして屋外授業以外に特別な配慮は要らないと聞いていた。
午前の授業が終わって、昼休みになった。
梓は昨日と同じようにご飯の誘いを断って、図書室へ行った。
いつものように、分厚い遮光カーテンのある席に座る。
この遮光にどんな理由であろうと、恐ろしい太陽を遮ってくれるものがあるだけで梓にとってはありがたかった。
昨日に比べると空腹感は薄れていて、胸がざわざわするような感覚もない。
暇を潰せる場所が見つかって、梓はちょっとご機嫌だった。
近くには幸いにも誰もいない。
梓は手元の本を適当にめくりながら、昨日の夜のことを思い出す。
昨日の夜。梓は帰ってきた
一美は静かに抱きしめ返してくれた。
「食べ物は食べたいときに食べていいから」と言った。
”それ”が何なのかは全員知っていたが、それの名を口には出さなかった。
昨日の両親の献立は鮭の塩焼きときゅうりの漬物とご飯だった。
どれと比べても梓の食べ物とは全く違う見た目をしていて、ずっとテレビの方を向いていた。
現実の図書室へ意識を戻した。
梓は家から持ってきた落書き用のノートを開いて、『食べ物』のページを開いた。
テレビや本で見かけた食べ物の名前が書いてあるページ。
それぞれの食べ物を頭に思い浮かべて、そのあとに輸血用の血液パックと比べてみた。
形や食感で近そうなものがあるかもしれないから。
「たぶん上からかけたりしても、食べられないよね」
やったことはないけれど、例えばご飯の上に血液をかけても食べることは出来なさそうだと思った。
輸血用の血液パックの中の赤い液体が、白いご飯の上にかかったとたんに、なんだか急においしそうに思えなくなった。
このヴァンパイアの体は何を食べられるのか知ってる。
私の体のはずなのに、私が知らないことを知ってる。
仮に作ってもきっと悲しくなるだけだから、梓はその考えを頭から消した。
梓の中に、血液を食べ物として見ることのおぞましさや異常さはあまりなかった。
人を殺していくにつれて、血液は自分にとって美味しい食べ物で、それを飲むことにためらいなんてないことがわかっていた。
どうしてなのかはわからない。ヴァンパイアはそういう生き物だって思うことにしていた。
もし誰も何も傷つけずに血液が手に入るのなら、毎日でも飲みたいと思っていた。
水筒に入れて学校に持って行って、授業の合間に飲めたらどれだけ楽しいだろう。
「えへへ……」
久しぶりに食べたけれど、やっぱりおいしい。
何の味かって言われると分からないけれど、白湯みたいな感じだと思う。
食べたら体がぽかぽかして、喉が潤って、なんでもできる気がしてくる。
私はヴァンパイアだから。
ずっと前から気づいているけれど認めたくなくて、できるだけ考えないようにしていた。
人間は血液を食べたりしないから。
梓はきょろきょろと周囲を見渡して、誰も近くにいないことを確かめて、ノートの端に、昨日の夜も食べた”ごはん”の絵を描いてみた。
ずんぐりしたレトルトパウチみたいな形の、血液製剤のパック。
冷蔵庫に入っていた血液パックは”
中身はハンバーグのデミグラスソースみたいな色。
明らかに食べ物じゃないのに、思い出すだけでちょっと牙がうずいて、噛みつきたくなる。
私の体はもうあれを、食べ物だって認識してる。
このノートに描いたどんな食べ物とも似ていないけれど、間違いなく私の食べ物だって感じてる。
「学校で食べたらさすがにまずいよね……」
スーパーに売ってる吸うタイプのゼリー飲料とかに似てるけれど。
色も違うし、病院用のラベルもついてる。カバーとかつけてもダメかな?
どうせなら噛みつきたいけど、制服が汚れるしダメ。
水着……そもそも泳げないしダメ。
どうやったら普通のご飯みたいに食べられるだろう。においでばれるのかな。
私にはわからないけれど、錆びた鉄みたいな嫌なにおいがするらしい。
そう感じたことはない。ただなんだか良い匂いがするってことだけはわかる。
私の嗅覚も、味覚も、普通の人間と違う。
私がアルビノであることを偽っているように、食べ物も偽って、教室の中で、みんなと何か食べられるのかな。
「みんなとごはん、食べたいな……」
また新しい夢が、梓の心の底から芽生えていた。