はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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人間とちがう-4月11日23時10分

遠くの横浜(よこはま)市街地から、ぼんやりとしたざわめきが聞こえる。

 

時々車が家の前を走る音以外は、静まり返った部屋。

(あずさ)は遮光された自室にいた。

両親はもう寝ている。

 

明かりもつけず、机の上でプリントを広げていた。

明日の予定の確認中。

 

梓は、カーテンを閉め切った真っ暗な部屋であってもプリントの文字まで見えていた。

梓の視界では、見えるもの全てがうっすらと月明かりに照らされているように明るく見えていた。

ヴァンパイアの持つ暗視能力によるものだ。

 

ヴァンパイアに変えられて一年、この力で防犯カメラの場所を見たり、真っ暗な中で走り続けたりしてきた。

 

今は電気代の節約になるちょっと便利なだけの能力。

ママには電気つけてねって言われるけれど、体に染みついた癖がなかなか抜けていない。

暗いところだとちょっとだけ気持ちが落ち着くのもあるから、しばらく治りそうになかった。

 

そうやって真っ暗な部屋で、梓は机の上のプリントを眺めていた。

 

「やっぱり……健康診断明日だ」

 

毎年春の、入学式や始業式の後しばらくして行われる行事。

男女に分かれて時間を区切って、保健室や視聴覚室を使って検査をする。

 

普通の女子高生だったら、下着気を付けないととか、体重増えてたらやだなぁとか、今年の先生ちゃんとした人だといいなぁとか、そういう事を考えるのだろうけれど。

今の梓にとってはそれよりも根本的な話だった。

 

計測項目のところを見る。

身長、体重、視力、握力、聴力、心電図検査、胸部X線検査、尿検査。

毎年見るたびにやだなぁと思う文字列ばかり。

でも今は、一過性の気持ちじゃ済まない問題がある。

 

「どうしよ……」

 

パジャマの上から、自分の胸のふくらみに手を当てる。

なんの動きもない。心臓は一年前からずっと止まっている。

胸部X線検査。何が映るんだろう。その場で再検査とかされたらどうしよう。

尿検査。できない。ヴァンパイアはそういうことをしない。

握力。

 

「……嫌な予感がする」

 

昔一度だけ、なかなか襲える人が見つからなくてイライラして壁を殴ったら、壁に穴が開いたことがあった。

まるでハリウッドのアクション映画みたいに。

 

梓は玄関のごみ置き用の棚から、空っぽの調味料の瓶を持ってきた。

レジ袋の中に入れて、瓶を手で持って「えいっ」と力を入れて握ってみた。

 

ギリッ、と音を立てて握った部分から雑巾みたいにねじ切れて、下半分がぼとりとレジ袋の中に落ちた。

手に残った瓶も細かいヒビがたくさん入っていて、ちょっと力を入れると砂糖菓子みたいにばらばらになった。

 

「うわ……」

 

何も握っていない手のひらには、細かいガラスの破片が刺さっていた。

砂糖をつまんだみたいな白い結晶が真っ白い指先についていた。

 

その砂糖がまるで皮膚の中から押し出されたように、パラパラとレジ袋の中に落ちていった。

ガラスが刺さっていた場所は、もう傷一つなかった。

 

 

暗闇も傷も怖くないはずなのになんだか怖くなって、袋を縛ってごみ箱に捨てた。

 

「絶対だめだ。機械壊しちゃう」

 

むしろ今まで何もなくて良かったと思う。

普通に触る分には問題ないけれど、力を入れるとこんなふうに化け物になってしまう。

蓋が開かない調味料とかも絶対触ってはいけないし、肩をもんだりするのもきっとよくない。

怒ったりするのもだめ。ちょっと押しただけで漫画みたいに相手が壁まで吹き飛んじゃうかもしれない。

 

また自分の出来ないことが一つ増えて、ため息が漏れた。

 

梓はプリントとの対決に戻る。

 

聴力。わからないけれどすごく鋭くなっている気がする。

視力。人間だった時はぎりぎり1.0だったけど、目は良くなった気がする。

身長と体重。そういえば一度もはかってないけれど、特に興味もない。

 

スマホの時計は23時40分。

親に相談は今からできない。クラスの人には話せない。

 

胸の奥がざわざわする。なんだか一人ぼっちになった気分。

そんなことないはずなのに、一人で漫画喫茶をはしごしていた頃に戻った気分。

 

鞄からノートを取り出す。ぱらぱらめくって『困った時』と書いたページを開いた。

『ママに電話する』……できない。

『早退する』……できない。

『保健の先生に相談』……。

 

「……そっか。ママの知り合いって言ってたし、なんとかしてくれるかも」

 

梓は時間割と健康診断のプリントを横に並べて、予定を組みたてていく。

漫画喫茶に隠れて逃げ回っていたときのように。

 

真っ暗な部屋で、ヴァンパイアは静かに明日に備えていく。

 

 

 

そうして迎えた翌・金曜日。晴れ。

 

冬物の体操服姿の梓は保健室にいた。カーテンで遮られたベッドの上。

独特な消毒用アルコールのにおい。

初めての高校で、入学して早々に保健室で、体調が悪くもないのに横になっていて、なんだか申し訳ない気持ち。

 

思いのほか簡単に抜け出すことはできた。

梓は早めに登校し、保健室の先生に事情を話した。

そうしたら健康診断がはじまったらすぐ、保健室に来るように言ってくれた。

クラスメイトの目を盗んで、こっそり移動していた。

 

 

今いるのは、遮光カーテンがある個室スペースのベッドの上。

居心地だけなら図書室より上だけど、さすがに何度も利用したくはなかった。

 

「……三浦(みうら)さん、お待たせ。体は大丈夫?」

 

カーテンの向こうから声がする。

保健の先生の声。朝ちょっと会っただけだけど、ママと同い歳ぐらいの優しそうな人だった。

 

「大丈夫です。あの、忙しいときにすいません」

 

「良いのよ。私もごめんなさいね。かずちゃんからは色々聞いていたんだけれど、忙しくて」

 

ママはかずちゃんって呼ばれてるんだ。なんだか新鮮な気持ち。

 

「体質が体質だし、専門のところで検査するって入学前に言われてたのよ。

学校への届け出をしたことは覚えてるんだけど、三浦さん本人に伝えるのを忘れてたわ」

 

涙が出そうになった。

ママはいつだって私のことを考えてくれてる。

私が昨日の夜に気づいたことなんて、ママは全部想定済みで、ずっと前から準備してくれていたんだ。

大人ってすごい。

 

「いいんです。あの、健康診断終わるまで、ここにいといていいですか?」

 

「大丈夫よ。太陽の光は当たらないと思うけど、他に大丈夫かしら? 物がちょっと見えづらいって聞いているけど」

 

アルビノの嘘を通すための嘘だ。アルビノの人は視力が低い人が多いらしいから。

 

「大丈夫です。日常生活に影響がないぐらいには見えるので」

 

「あらーそうなのね。じゃあ私は健診に戻るから、ごゆっくり」

 

カツカツと靴音が聞こえて、ドアを開け閉めする音が聞こえて、静かになる。

 

 

遠くから歓声が聞こえる。

体育の授業の声かもしれない。

自分と違って、昼の世界で思いっきり生きている人たちの声。

 

スマホを取り出すと、LINE通知。星野由佳(ほしのゆか)

 

『三浦さんどうしたの? 体調悪いの?』

 

私がいないことがばれてる。私は目立つからなのかな。

星野さんは健康診断の移動教室にまでスマホ持って行ってるんだ。見つかって没収されなければいいけど。

 

『私は病院で検査になってるの忘れてた だから健康診断は受けなくていいって』

 

さすがにすぐに既読はつかなかった。

スマホで時間を見て、ノートに書いた予定を思い出す。

 

確か12時前に健康診断が終わって、その後そのままお昼ご飯のはず。

お昼ご飯はいつも通り図書室にいるとして、お昼の後が問題になる。

今日は初めての体育がある。

健康診断で体操服を使うから、着替えずにそのままお昼を食べて体育の授業、という流れらしい。

 

「……見学、するしかないよね」

 

体育は外らしい。天気は晴れ。絶対に無理だと思った。

教室の中ですらずっと焚火の近くで手をかざしているような感覚なのに、外に出たらどうなるか。

 

それに、アルビノで太陽の光に弱いって言ってるのに、体育の時に元気になるのもおかしい。

目立つのは嫌だけど、仕方がないと思う。

 

 

嘘が嘘を呼んで体を縛り付けていく。

 

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三浦梓の本当はどこにあるのか分からなくなる。

 

 

個室の中で知らない天井を見上げる。

個室を包む闇は、家の中と違って優しくない。

 

学校の中で本当に落ち着ける場所なんてない。

ぜんぶ人間のために作られた場所。

 

学校は大変なことがたくさんあるけれど、ヴァンパイアが人間と暮らすんだから、大変なのは当たり前のはず。

 

 

「……ちがう」

 

だけど思ってしまう。

ワガママなことだけど。

 

欲しかったのは、こんなのじゃない。

私がずっとずっと我慢して、パパとママに頑張ってもらってまで欲しかった学校生活は、こんなのじゃないって。

 

ヴァンパイアには、無理なことだったのかな。

 

 

「……12時前まで寝ようかな」

 

なんだか嫌な気持ちがまた顔を出してきたから、そう言って目を閉じる。

意識が無理やり途切れた。

梓は寝息も立てずに動かなくなった。

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