はらぺこヴァンパイア 作:棗の
今日のご飯は炊き込みご飯と味噌汁とグラタンだった。食卓には銀色のビール缶が一つ置かれている。
テレビではクイズ形式でためになる情報を教えるバラエティが流れている。番宣を兼ねて梓も知っている俳優が出ていた。
「梓、一週間お疲れ様。頑張ったわね」
「ありがとう。……本当にやっていけるのかな」
すぐに梓の表情は曇ってしまった。
浩平がビールを少しだけ飲んで、赤ら顔の中でも神妙な顔つきになる。
「……何かあったのかい? 健康診断は何とかなったって聞いたけど」
梓は父の晩酌タイムを邪魔するようなことを言ってしまうかどうか、少しだけ悩んだ。
母の方を見ると、静かにうなずいた。
「……今日、はじめて体育があったんだけど、見学してたの。太陽が怖いから。
そしたらクラスの人に『やっぱり体弱いんだね』『体育館でやる時に出たら大丈夫だよ』って気を使われて……そういうわけじゃないんだけど」
嘘でみんなをだましていること。
嘘で同情を買っていること。
嘘でアルビノの人のふりをしていること。
そういうことも勿論嫌だけれど。
そういう”体が弱い人”扱いになるのも嫌だった。
すごくワガママで、嘘つきが言うべきことじゃないけれど。
梓が中学の頃、本当に体が弱い男の子がいた。
噂話で聞いた程度だけど免疫がよくないらしい。
いつもマスクをして、授業を休みがちだった。
気を使われていたし、それを妬んでいじめっぽいこともあったらしい。
本人は明るく振舞おうとしていたけど、あんまり友達も多くないみたいだった。
中三の頃には「またあいついないよ」と笑われているのを何度も見た。
決定的だったのは、その子が文化祭の劇で役を持っていたのに、長期入院になったこと。
一人抜けたせいで脚本も役も練り直しになって、結局みんな夜まで残って練習になっていた。
そこからその子は卒業まで、来たり来なかったりをしていた。
久しぶりに学校に来た日に、挨拶してもみんなに無視されていた。
梓もかわいそうだとは思ったけれど、自分にできることは特にないと思ったし――正直なところ、怖いから関わりたくなかった。
幸いにも、自分に向けて挨拶されることはなかった。
その立場に自分がなるかもしれない。
そう知っていたら、もっと別のことをしたと思う。
色々な配慮をしないといけない人は、それだけみんなから距離も遠くなる。
梓がその経験から思ったこと。
だからこそ、この一週間の自分の行動は良くないと思っていた。
こそこそ隠れて、嘘ついて。
それはもしかすると、因果応報なのかもしれない。
「……うーん。それは難しいね。梓が出来ない事も学校ではやらないといけなくなるし、全部同じってわけにはいかないからね」
梓は頷く。
ご飯が食べられない、健康診断ができない、外で運動ができない……あとは何が増えるんだろう? と思うと、それは人間の高校生活じゃなくて、漫画喫茶を転々として逃げ回っていたときに近い気がする。
日に日にできないことが増えて、行けない場所が増えて、使えるお金が減っていく。
「だけど、ヴァンパイアとは関係なく、できないことや難しいことがある人も学校に通っているよ。腕が不自由だったり、足が不自由だったりね。
そういう人でも、できること、できないことを分けてみんなと一緒に過ごしている。それが学校だし、社会だと思うけどどうかな」
父の言葉を梓は飲み込んで考える。
障がいのある人たちのように、できることが限られている人でも学校にいる人はたくさんいる。
だけど。
「うん。だけど……私はそういう人たちと違って、嘘をついてるから」
障がいのある人は、たくさんいる。
そういう人がいることをみんな知っているし、障がいのある人たちも、知ってもらおうとしている。
本当のまっすぐな気持ちで。
でもヴァンパイアなんて空想上の生き物はいない。
そもそもそういう人たちと違って人間ですらない。人食いの怪物なんだから。
人食いの怪物が、人間のふりをしてるだけ。
浩平が口をつぐんで、またビールを口に運ぶ。
対面の一美がゆっくり口を開いた。
「変わっている人とか、他の人と違う所のある人は、どうしても目立つのよ。梓はきれいだし、目立つのも自然な事だと思うわ」
「ママ……ありがと。でも、目立つのと、体が弱いって思われるのは違うと思う」
一美は優しく頷いた。
「そうね。目立つにも、色んな種類がある。梓はちょっとミステリアスで、謎の多い人だと思われてると思うわ。
『アルビノだし体が弱そう、やっぱり体育とか見学するのかな?』って予想していて、やっぱりそうだったから、一つ梓のことが分かって、安心したのもあるのかも」
「安心?」
「みんなはじめましての中で、お互いどんな人なのか、頑張って知ろうとしているのよ。違う学校、違う環境で育った人同士だから、みんな頑張ってるの。自分の中にある人のイメージに当てはめて、この人に近い、って思ったりね。
梓のことも、今まで会ったことがある人や噂で分かろうとしているの」
梓の中で芽を出そうとしていた自己嫌悪が枯れていく。
「梓はきれいだし、見た目がちょっと変わっているし、もしかしたらちょっと怪しいって思われているかもしれないわね。健康診断に出なかったり、何も食べていなかったり」
「だ、だよね! じゃあどうすれば」
慌てる梓に、一美はそっと笑いかけた。
「怪しい、と、変わってる、はよく似ていると思うわ。
一美はいたずらっぽい笑みを浮かべていた。
浩平もうんうんと頷いている。
「……あんまり隠れたりしないほうがいいのかな」
「そうね。梓がクラスのみんなの立場だったら、こそこそしている人より、堂々とちょっと変わったことをしている人の方が、怪しいって思わないでしょ」
怯える気持ちが、すうっと優しく毛布に包まれたような感覚だった。
ヴァンパイアは普通の人間になれない。
嘘を塗り重ねても、ただの怪しい人になるだけ。
だけど、変わった人にはなれるかもしれない。
「……変わってる、になるのは避けられないんだね」
梓は苦笑いしながら言った。
「ヴァンパイアだからね」と一美が言う。
「でも、それこそが今の梓だと思うわ。雪みたいな白い肌に、ルビーみたいな赤い目の梓。それが今の私の娘」
それは初めて自分の紹介文に書かれた言葉だった。
冬にしんしんと降るきれいな雪。
ママが遊びに行くときにしてる指輪に光る、赤くてきれいなルビー。
どっちも醜い人殺しのヴァンパイアとはあまりにも違っていて、梓はなんだかすごく恥ずかしくなって、手元にある空っぽのコップで口元を隠した。
「……目が赤いってやっぱり気持ち悪いよ。学生証の写真もなんか加工したみたいだし」
メイクでごまかしてはいるけれど、学校のちゃんとした写真なのに一人だけわがまま言ったみたいで嫌だった。
学生証が届いたときも、なんだか恥ずかしくて他の子に見せられなかった。
「そんなことないよ。僕の自慢の可愛い娘だ。赤くてきれいな目をしてる」
ほろ酔いの浩平がにっこり笑って言う。
「また問題発言だよ」と梓は照れながら返した。
何か顔を隠すものが欲しかったけれど、何もなくてちょっとテレビを見るふりをした。
さっき両親から受け取った優しい言葉を、冷たい胸の中で繰り返す。
暖かいカイロみたい。
――梓のことも、今まで会ったことがある人や色んな人の噂で分かろうとしているの
――こそこそしている人より、堂々とちょっと変わったことをしている人の方が、怪しいって思わないでしょ
「ありがと。パパ、ママ」
梓は牙の目立つ笑顔で笑って、両親にお礼を言った。
来週からまたがんばろう。
ちょっと変わった人になるために。