はらぺこヴァンパイア 作:棗の
昼休みの1年2組の教室は、入学式の時よりも熱気に包まれていた。
その周りには三つの席がくっつけられていて、各々の昼食が広げられている。
窓からの日光は分厚いカーテンで遮られていて、そこだけうっすらと暗い。
それだけでそこが、三浦梓のために作られた空間だとわかる。
「やっと
梓から見て左に
ブレザーの代わりに学校指定のカーディガンを着ていて、指には薄いピンク色のリキッドネイルが光っている。
小さなパステルグリーンの弁当箱には、手作り弁当が入っている。
「その……本当にいいの? 確かに誘ったのはこっちだけどさ」
右に
八坂と同じくカーディガンで、銀色のネックレスを下げている。
プラスチックパックに入ったコンビニのサラダと、小さなピンクの弁当箱。
「食べたくなったら言ってね! どれでもあげるから!」
前に
いつもと変わらないちょっとぶかぶかの学校指定制服のまま。
左右をあたふたと見ながら、自分の手元のコンビニパンを梓の方に少し寄せた。
クラスの端、窓際に位置する梓たちグループの周りにも、大小さまざまなサイズで男女問わずグループができていた。
それだけ見ればいつもと同じ光景。
各々小さな島で話しながらも、『謎のアルビノ美少女 三浦梓』とクラス上位層の会話に耳をすませていた。
何も食べず、何も飲まず、かといって教室にもおらず、昼休みになると姿を消す不思議な少女。
こっそり何かを食べているとか、薬を飲んでいるとかそういう所も見かけたことが無い。
高校一年女子にしては背が高く、体つきも大人っぽい。
顔は芸能人かと思うほど綺麗。
だけどいつもどこか物憂げで、漫画の中から出てきたみたいな人。
その人が今、クラス上位二名と星野由佳を交え、昼休みの教室にいるのだ。
「ありがとう。先週誘ってくれたのにごめんね。お医者さんにどうしても様子見してくださいって言われてたから」
梓はまた嘘をつく。
土日で用意した嘘の言い訳リストから抜粋したもの。梓の前には封がついたままの割り箸一つ以外何もない。
「そうなんだ。環境変わったから?」
笹川が特に驚きもなく言う。
「まあね」と梓が返す。
「私、中学の時もあんまり学校行けなかったから、こんなふうに通うの初めてで。お医者さんも本当に気をつけてって言ってるんだけど……ちょっと考えすぎだよね」
梓が首を傾けて微笑を浮かべる。
まるでドラマのワンシーンみたいな綺麗な笑顔に、笹川はちょっと驚いてしまう。
「新しい環境になったし、慣れなかったのかもね。あたしもさ、中学で転校したばっかの時はしばらく具合悪かったし」
「そうそう。ちーちゃんて中二の時に引っ越して来たよねぇ。親の仕事だっけ」
向かいの席の八坂が言った。
「そ。おとうさんの転勤で
「懐かしー。一緒に
八坂と笹川が笑い合う。
間に挟まれた由佳はいつもみたいな愛想笑いもなく、じいっと自分の食べかけのコンビニパンを眺めていた。
「三浦さんはずっと横浜にいたの?」
「中学の時は実家の
嘘だ。出身中学が岩手の知らない中学ってことになっているから、整合性を持たせるための嘘。
横浜生まれなのは本当だけど。
そこで由佳がぱっと顔を上げて梓の方を見た。
なんだか懇願しているような目だったが、梓には何をしてほしいのかよくわからなかった。
「そうなんだ。通学って
再び笹川が質問した。
「ううん。地下鉄だよ」
星野さんの話だと先週言ったはずなんだけれど。
「へぇー
八坂が弁当を食べながら、笹川を見て言った。
「そうそう。先輩でもそんなにいないんだって」
由佳がそこから会話に加わる。
飛び交うのは梓の知らない情報ばかりで、どこから集めてくるんだろうと思う。
クラスのLINEグループは見ているけれど、そんな情報はなかった。
人間だった頃と同じ。
同じクラスにいて、同じLINEグループに入ってるのに、知らないことばかりしゃべってる。
こういうキラキラした女の子たちのグループにいるのは本当に初めてで——こっちが普通なのかな?
「朝から階段登らないといけないのがちょっとさ。三浦さん、あの階段登ってきてるの?」
「うん……言われてみれば確かに階段、長いよね」
誰もいない時を見計らって梓は十段ぐらい飛ばして登っていた。ふわふわ跳べるヴァンパイアの不思議な力で。
そういえば人間だった頃は大変だったと思い出す。
「なんかすごい余裕だけど、もしかして三浦さんって結構運動できる人?」
八坂が梓の腕周りを見て言う。ブレザーで隠れて手首しか見えてないが、明らかに運動なんてできないような細い体。
だけど汗一つかいてないし、疲れているような雰囲気もない。
本当かわからないけど、地下鉄の駅まで物凄い速さで走っていたって噂もある。
梓は背筋にかかないはずの汗をかいた気分だった。
「ええっと……わ、わかんない。外で運動とかほとんどしたことないし……」
梓は何とか乗り切ろうと、会話を引き伸ばしてみる。
「屋内競技は? バスケとかバレーとか」
八坂が身を乗り出して聞く。
由佳も手元のパンをかじる動作を止めてじいっと見ている。
「うーん、そんなに得意じゃないと思う……。学校の体育とかもいつも休んでるし」
「体育館の体育も厳しそう?」
今度は笹川が質問を飛ばした。
「え、う、うーん、たぶん……」
梓は『助けて』のメッセージを込めて由佳を見た。
由佳は小さく頷いて、にやりと笑った。
「三浦さん、病院から激しい運動はまだ控えてって言われてるんだよね!」
八坂と笹川が由佳の方を向いて、それから梓の方を向く。
梓は頷いた。
「ど、どうしてもアルビノって、体調が不安定なんだよね。だから球技とかだとみんなに迷惑かけちゃうし、途中で体調悪そうにしてたら、見てる人もあんまり気分良くないと思うから!」
由佳の出してくれた話題に嘘をトッピングして、早口で乗り切った。
「学校の体育だしさ、そんな気負わなくていいんじゃない?」
笹川が笑って言う。
「大変だねぇ。そしたら三浦さんって土日も家にいるんだよね。普段何してるの?」
「YouTube見たり、インスタ見たり、親と買い物行ったりとか、あと音楽聞いたりテレビとか」
由佳がむっとした顔でこっちを見ていた。
「私と大体一緒じゃん。私も用事無い日はそうしてるよぉ。Huluで新着とか期間限定動画見たりとかさ。
聞き覚えのある名前が聞こえた。
国民的というほどじゃないけど、紅白にも出たしバラエティでも何度か見る人たち。
「八坂さんも
驚きと僅かな嬉しさで梓は言った。
「え……? 三浦さんも? 誰推し?」
そこまでお弁当と会話が半分半分だった八坂が、手を止めて梓の方を向く。
「ふーくんだけど……」
がたっと八坂が立ち上がる。
梓の手をぎゅっと掴んで、「一緒だ!」と叫ぶ。
由佳がぎゅっとパンを握りしめて、パンの中からジャムが飛び出た。
「すっご! こんなとこにふーくん推しいるんだ! 中学で一人もいなくてめっちゃ寂しかったんだよね!」
八坂が身を乗り出して梓と目を合わせる。
キラキラ光る目が梓の赤い目と交差する。
「良かったね」と笹川が拍手する。
「好きな曲は? カウントダウンライブ行った!?」
「えっと、『evolve』とか」
梓もヴァンパイアになってしばらく聞いていないけれど微かな記憶で答えた。
「一緒だ!」とさらにテンションが上がって叫ぶ。
「すっご……こんな被ることある!?
「あ、あずちん? 私のこと?」
さっきからなんだか流れの速い川でおぼれている気分だった。
自分よりずっと綺麗でおしゃれな子が自分のことで大喜びしているなんて、人間の三浦梓には経験がないことだった。
「そう! 梓ちゃんだからあずちんでよくない? ねぇちーちゃん」
「良いんじゃない? あ、おかず一個もらうね」
笹川も笑顔で、頷いて、八坂の弁当箱からたこさんウインナーを一つ取って食べる。
対面の由佳は全くの無表情で、八坂を睨みつけていた。
その顔に穴を開けようとするかのように激しく。
「ねね、LINE交換しようよ。今度ライブ一緒いこ?」
ギラギラにデコったスマホを出した八坂に合わせて、梓もスマホを出す。
ガタッ! と音を立てて由佳がいきなり立ち上がった。
三人の目がそちらに向く。一瞬だけ由佳の顔が梓の目に入った。
由佳は奥歯をかみしめて、眉間にしわを寄せてじいっと梓を見ていた。
その直後に由佳は「あっ、ご、ごめ」と慌てて座ってわざとらしく笑う。
「どうしたの? 由佳」
笹川が聞くと、「ちょっとさ。八坂さんのお弁当ほしくて」と言って、由佳は割り箸でひじきの漬物を取って食べた。
さっきのは何だったんだろう? と思いながらも梓がQRコードを読み込むと『さき』の文字。
「ありがと! ライブ行く友達いたんだけどさぁ進学校行っちゃってもう無理って言われたんだよねぇ。あずちんがいてくれてよかったぁ」
八坂がまるで新しいおもちゃを買ってもらった子どもみたいに喜んで、お弁当を一口つまむ。
梓はスマホをしまって、帰ったらまたネットで情報集めなおさないと、と心に決める。
「うん。その、お金なくて行けなかったらごめんね。でもがんばるから。……
ちょっと迷ったけれど名前呼びにしてみた。
八坂は「わかってるよぉ」とご機嫌な口調で返す。
笹川はその様子を見て満足げに笑って、由佳の方を一瞬見て、目を逸らした。
何も食べられないけれど、そんなことも気にならないぐらいに嬉しい気持ちが溢れていた。
今は普通の高校生出来てる。なにも怪しまれてない。みんなと一緒にいられてる。
頑張ってよかった。
梓の美貌に浮かんだ柔らかい笑顔が、クラス全体に浮かぶ不信感を溶かしていった。