はらぺこヴァンパイア 作:棗の
食後の運動を兼ねて、
家から車で10分ほどのスーパー。梓の人外の脚力で走れば5分ちょっとで行ける場所。
家の最寄りのスーパーは高いから、特売日の木曜日に少し離れたここまで来るのが
走ってここまで来るのは、
梓が人間だった頃の日課通り、車で来たけれど、梓は一人で買い物していた。
車では一美が待っている。
少しでも休んでほしかったし、自分一人でできることを増やしていきたいから。
メモアプリの買い物リストを見た。
野菜、肉類、魚、調味料。
目の前の買い物カートのかごの中には、会計を待つ品物が入っている。
「大体買ったかな」
梓は夜の方がなんだか気持ちが晴れていた。
夜に外に出たのは久しぶりだけど、このまま走って
梓の脚力なら、きっと10分もかからない。
一美が仕事を失って三日。
「今日は私が買い物に行くから!」と無理言ってひとり買い物を強行した。
せっかく、というわけではないけれど、休みになったんだから、思いっきり休んでほしかった。
本当は自分が料理も出来ればいいけれど、水の使い方が難しくてまだまだ練習中だった。
例え一瞬でも一人で夜に外出は反対されたけれど、家にいるとなんだか申し訳なさが溢れてきて、どうしても外に出たかった。
それに、さっき
胸の奥がぽかぽかして気持ちがいい。
冷たいはずの血が、体の中に入ると暖かくて、スープを飲んだ後みたいに気持ちが落ち着く。
罪悪感はたくさんある。
だけど血液パックがたくさんあって、それをいつでも飲めるという状態は、なんだかお正月のお餅をたくさん焼いて、いつでも食べていいときみたいでわくわくした。
盗んだものでそうなる自分が本当に最低なのはわかるけれど、既に二、三個は食べていて、”ヴァンパイアの自分”を抑えてこぼさずにうまく食べられるようになっていた。
梓は口の中で、まだ血液の余韻が残る牙を舐める。ちょっとだけ暖かい。
目の前のかごの中に入った食べ物は、不思議なことだけれど、
お肉も焼いたら食べられるのは知っているけれど、ただの豚バラ肉100グラム125円、という情報しか頭には入ってこない。
体と一緒に、心も変わっている。私の食べ物は血だけ。
私と普通の人の間を隔てる、深い深い崖の一つ。
どれだけ嫌でも認めるしかないこと。
実際、食べれば気持ちが楽になるし、なんだか運動した後みたいに気持ちよくなる。
血を飲むこと自体に嫌な気持ちは無い。
血はおいしい。もっと食べたい。
どうしたって、今の私はヴァンパイアだから。
誰にも絶対に話せない、気持ち悪い感覚。
梓はスマホ画面のアラーム通知を見た。
残り10時間。アンチライトの効果が切れるまでの時間。
このアラームが鳴ったら、梓は太陽の光への耐性を失う。その状態で一歩でも日の下に出れば自分は死ぬ。
だからもう一度、ブラックドッグにお金を払って、アンチライトを買わなければならない。お財布の中の一万円札はずいぶん少なくなっている。
お小遣いでちょっともらっているけれど、それでもいずれは足りなくなる。
人間だった時、食費がいくらだったのかはよく分からないけど、三日で一万円分も食べてることはなかったはずだった。
「バイト、探さないとなぁ」
「……え? 梓バイトするの?」
いきなり聞こえた声に驚いて、梓はカートを片手で押さえたまま、後ろにふわりと跳びながら振り向いた。
目を丸くした
「……あ、こ、こんばんは。ほし……由佳ちゃん」
火曜日にすごく由佳ちゃんが機嫌を悪くして、自分も名前呼びにしてと怒ってきた。
私のことも”三浦さん”じゃなくて”梓”って呼ぶようになってる。
前の高校でも名前で呼んでくれた人はほとんどいなかったし、友達も会って何か月後ぐらいまで「三浦さん」か「三浦ちゃん」だった。
「由佳でいいよって言ってるじゃん。珍しいね、こんな時間に買い物って」
由佳は梓の格好をじろじろ見ながら言う。
そういえば私服で会うのは初めてだった。お互いに。
由佳ちゃんは、グレーのだぼっとしたパーカーに黒いサルエルパンツに黒いスニーカー。
なんだか男の子みたいな服装。ふわふわした髪やちょっと幼い顔つきに全く似合っていなかった。
お兄ちゃんの服を借りて着てるみたいな感じ。
買い物かごには、キャベツ、もやし、使い捨てのお皿と割り箸、冷凍食品、お湯で作れるカップスープがいくつも入っていた。
炭酸飲料のペットボトルが何本かと、カップ焼きそばが一つ入ってる。
お父さんとかお兄ちゃんに頼まれたのかな? 男の人の買い物みたい。
梓は一瞬だけ目を閉じて、嘘の設定を思い出す。
今、自分は三浦梓なんだ。ちょっと変わったアルビノの人の。
「お昼だと太陽の光で焼けちゃうから。今日は親の代わりに買い物に来てるの」
「あー確かに。こんなとこまで来るんだ。梓、地下鉄通いだしもっと遠くに住んでると思った」
「家の近くのスーパー、高いんだよね。だからここまで来るのがうちのルール」
むしろここに由佳がいることがちょっと驚きだった。
実は今までも何度か会っていたのかもしれない。ヴァンパイアになってここに来たのは初めてだから、今までいたとしても分からなかっただろうけれど。
由佳は特に興味がなさそうに相槌をうって、「それよりもさ」と言う。
「梓バイトするの? お金、あんまり使うように見えないけど」
「か、考えてるだけだよ。ほら、ライブとかまた行くかもしれないし……」
そこまで言うと、由佳の顔から笑顔が消えて、すうっと無表情になる。
何か知らないけど怒ってる。なんでだろう。
すぐににこっと笑って、いつもの学校の由佳に戻った。
「色々お金使うことあるもんね。わたしもさ、バイトしたいけど親が許してくれないんだよね」
「高校入ったばかりだし、まだバイトしてる人もあんまりいないからね」
生前の高校一年生の後半、バイトしている人は結構いた。
梓は
結局メイク道具や服に使ってばかりで、行けないまま死んじゃったけど。
「あれ? ってことは、梓の家って中学からバイトできたの? やったことある感じだけど」
そんなことを考えていたら早速ボロが出た。
梓の背筋がすうっと冷える。視線が宙を泳ぐ。
「う、うん。ちょっとだけね。短期でやってたの」
「どんなバイト?」
「……え、えっと、郵便局のあれ! 年賀状整理するやつ!」
由佳がちょっと呆れ気味に笑った。
「確かに短期バイトだよねあれ。冬休みのお小遣い稼ぎにいいんだよねー」
梓は心の中でため息をついた。
良かった。本当に中学の時やったことがあるバイトだから合わせられる。
本当は家の近くのドラッグストアでのバイトだった。高校一年生でもギリギリできるやつ。
「それにしても……梓の私服、初めて見たかも。すごく可愛い」
由佳がにっこり笑って言う。
梓の服は春らしく薄めのグリーンのカーディガンに白のシアーシャツ、膝丈の白のスカート。足元は黒のくるぶし丈ソックスに黒のローファーだった。
顔はいつものナチュラルメイク。
梓の肌は代謝しないので、メイクを落とす必要もなかった。
「え、あ、ありがと。由佳ちゃんも、なんかボーイッシュで意外かも」
ストリート系のファッションが好きなのかな?
「あー……ありがと。似合ってはないよね。人と会う予定なかったから、ちょっと……」
由佳はもごもごと言って、フードを深くかぶった。
会う予定が無かったのになんで声をかけたんだろう?
三浦梓が私服で外に出ていてびっくりしたのかな。
「い、いつもはこうじゃないの! もっとちゃんとした格好してる! 信じて!」
「わかってるよー」
顔を赤くして弁解する由佳はなんだか子どもっぽくて、梓もくすくす笑ってしまう。
「梓と会うってわかってたらもっとちゃんとした服着るし……隣にいても恥ずかしくない格好……うーん」
由佳はよっぽどショックだったらしく、顔を伏せてぶつぶつ言いながら考え込んでいるようだった。
「えっと、じゃあまた明日。私、買い物して帰るね」
手を振ってカートを両手で持つと、「待って!」と慌てて由佳が近づいてくる。
肩が触れ合うほどの距離。
少しだけ肩同士が触れて、由佳が慌てて離れた。
背の高い梓を見上げて、由佳が言う。
「あ、あのね。えっと、せっかく会ったし、ええっと、ご飯、とか……」
由佳は話しているうちにだんだん声が小さくなって、顔を真っ赤にしてごにょごにょ言うだけになってしまった。
「……ごめんね、私もうご飯食べちゃったの。冷凍食品も買っちゃったし今度ね」
今の梓には一緒にファミレスに行ってドリアを食べたりすることはできなかった。
入れたとしても食べられるものが何も無いし。
由佳は何か言いたげだったけれど、梓は「じゃあね」と言って買い物に戻った。