はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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宝箱-4月22日12時15分

1年2組の教室の昼休み。

みんなのアイドル・三浦梓(みうらあずさ)は教室にいなかった。

 

『今日は体調が悪いから』と保健室にいるらしい。

 

星野由佳(ほしのゆか)は梓不在の3人グループの中で、コンビニの菓子パンを食べながらスマホをいじる。

LINEの三浦梓の画面。

最後に送ったLINEも既読が無い。眠っているのかもしれない。

 

『梓大丈夫? わたしいこうか?』

 

由佳が打った文字が、タップで梓へと飛ぶ。

既読はつかない。12:15の文字の上には何も浮かばない。

 

梓が教室にいなくても、教室の雰囲気は変わらない。

ただ由佳にだけは、いつもと違って遮光カーテンのないこのグループの席が、なんだか梓の参加を拒否しているようで、いらだちが募る。

 

今日は快晴。観測史上最速の真夏日らしい。

暑いし、太陽の光も強い。

 

世界すらも梓を嫌ってる。許せない。

 

 

「あずちん大丈夫かなー。なんか午前中から調子悪そうだったんだよねぇ」

 

由佳から見て右隣の八坂(やさか)が言う。

由佳は顔をあげず、パンを食べているから返事できないふりをする。

 

「確かになんか調子悪そうではあったよね……午前中の体育の時も、なんか震えてたし」

 

笹川(ささかわ)がそう返した。由佳ももちろん知っていた。

 

午前中の体育は屋外でのソフトボール。

梓は日の当たらないグラウンドの端で、赤い眼を伏せて縮こまっていた。

捨てられた猫みたいだった。

この暑いのに冬物の体操服を着ていて、熱中症にならないか心配だった。

 

由佳はそのせいで全然ボールも打てないし、守備の時に顔にボールが当たってしまった。

その時のバッターが、自分の右にいる八坂早紀(さき)

「ゆかっちーめんごめんごー! 大丈夫ー?」なんて言ってた。

 

 

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初対面の時からちょっと苦手なタイプかもと思った。

だけど、日に日に嫌いな感情が募って、今はもうはっきり嫌いな相手だった。

 

人を好きになるのは難しいけど、人を嫌いになるのは簡単。

一つ嫌なところがあれば、二つ三つ四つとすぐに増えて、あっという間に大嫌いまで転げ落ちる。

 

チャラチャラしていて、いわゆるギャルなんだけど、それよりも嫌いなのはその臭い。

デパコスのクロエの香水。

 

前、千夏(ちなつ)に聞いたときにそう言っていた。

高校生が持っているはずもない大人向けのやつ。

わたしが絶対に買えないほど高いもの。

 

梓がいない時に聞いたことがある。

八坂のそれは、母親のものらしい。メイクしてると母親が面白半分でかけてくるとか笑いながら言っていた。

 

高校生でその格好でクロエって。全然合ってないし、頭悪そうに見えるよ。

元々頭悪いんだろうけど。

 

クロエの香水のパッケージを見るだけで、心はざわめく。

においが鼻をつくたびに、ぴりぴりと胸が痛む。

胃が痛いってこういうことなのかもしれない。

 

大人の香水。大嫌いなにおい。

 

 

「これだけ日が出てると辛いんだろうね。梓……大丈夫かな」

 

由佳は笹川の方だけを向いて言った。

 

「あーそっか。あずちん、太陽の光駄目だったよね。確かに今日あっついよねほんと……30度超えてるよね絶対」

 

そうね、と笹川が言って、いつものように弁当を食べる。空席のほうなど見もせずに。

八坂もスマホをいじりながら手作り弁当を食べている。

 

千夏が冷たい。

梓のこと、心配じゃないの?

 

由佳は溢れかえる感情を押し殺して、何度も練習した笑顔を作る。

自分の後ろにも人の目がある。

家の中じゃない。まだだめ。

 

由佳の手元の二つの菓子パンはあっという間になくなって、手にあるものがスマホに代わる。

スマホ越しに、空席を見る。

 

梓の机にかかっているのは、梓の大きな黒いリュック。

私服があんなに可愛いのに、それに見合わない男物っぽいやつ。

梓が纏う無数の違和感のうちの一つ。

 

もしかしてお兄ちゃんのお下がりとかなのかな? 梓に兄弟がいるような感じはない。

なんか大人びているし、末っ子っぽいワガママさがない。一人っ子なんだと思う。

聞けばきっと教えてくれる。次会った時に聞くことリストに追加しよう。

 

梓はすごく綺麗で、ミステリアスだけど、変わってるところも多い。

 

雨の日に手袋をしているのもなんだか変だし、どれだけ暑くても絶対ブレザーを脱がない。

こんなに暑い日が続くのに、汗もかいてない。よっぽどちゃんと制汗スプレー使ってるのかも。

汗のにおいも全然しないし、この前ちょっとだけ指を触ったらすごく冷たかった。

 

調べたけれど、体温調節がうまくできない人がいるらしい。

梓ってもしかしてそうなのかな。

 

……でもそんな人が、地下鉄の駅まであんな速さで走るかな。

 

 

由佳の心はいつでも梓のことを考えていた。

入学式の時からずっとそうだった。

神秘的で、どこか陰のある少女。アルビノというすごく珍しい体質の子。

 

梓は1年2組のレアキャラだった。

時々男子も噂してる。話題が無くなったら、とりあえず話に出しておけば盛り上がる確定の子。

 

梓がE-Z’s(イージス)好きで、インスタやってることも知ってた。

梓のアカウントを探してる人もいる。

アルビノの人ってすごく珍しいからすぐに見つかると思ったけど、見つからない。

ストーリーしかあげてないとか、非公開アカウントだと思うとか。

そういう話が飛び交っていた。

 

 

自分だけが知っていることがどんどん減っていく。

 

わたしが一番最初に梓と会ったのに。

 

入学式の光の中で、キラキラ輝く深紅の目に涙を浮かべて怯える、あの梓の姿を見たのに。

 

 

 

笹川と八坂が食べ終わって、お手洗い行ってくると立ち上がった。

空席が三つになる。

その一番奥の席、黒いリュック。

 

由佳は周りをきょろきょろ見て、そっと笹川が使っていた席に移る。

おしりが他人の体温で暖かくて、なんだかむずむずする気持ち。

 

 

千夏のことはそんなに嫌いじゃなかったし、むしろ仲良くなりたかった。

 

大人っぽくてクールな雰囲気が好き。ちっちゃくて子どもっぽいわたしには無い雰囲気。

あの八坂さえいなければ、もっと距離を縮めていたと思う。

 

なんでわたしが気になる人は嫌な人と一緒にいるんだろう。

梓も、千夏も。

 

由佳はスマホをいじるふりをしながら、梓の黒いリュックを見た。

梓のリュックはランドセルみたいに上蓋がついたタイプ。

リュックは銀の留め具で蓋が閉まっている。

留め具を横に回して蓋を開けて、ファスナーを動かせば開く。

 

その中にはきっと、今の自分が望むものがある。

 

梓がいつも持っているノート。

 

梓が保健室に行くとき、何も手に持っていなかった。だからそこにあるはず。

そこに書いている内容。絶対に誰も知らないこと。八坂も知らない。

誰が調べたってきっとわからないことが、そこに書いてるはず。

 

 

スマホを右手に持って、寝てるふりをして、左手を伸ばす。

 

やっちゃダメな事。

見つかったらどうやって言い訳する? 偶然じゃありえない。

鞄間違えた——そんなわけない。

梓に取ってきてって言われた——これならいけるかも。

わたしは梓の一番近くにいるし、納得してくれる。

大丈夫。きっと大丈夫。

 

 

全部梓のため。

八坂に負けないため。

 

あんな適当女は梓にふさわしくない。わたしが梓を守れるから。

 

どくどくと心臓が速く脈打つ。

梓に近づいたときのように、心臓が熱い。

指先が震えてる。

 

ふうっと一息ついて、梓のリュックに指先が触れる。

冷たい。

 

左手で梓の鞄の留め具をひねって、そのままファスナーを外す。

リュックの上蓋を開けた。

 

リュックの中が見えた。キラキラ光って見えた。

ゲームの宝箱みたい。ずっと気になっていたところ。

 

由佳は思わず右手のスマホを置いて、体をかがめて両手を梓の鞄の中へ入れる。

 

中は意外とすっきりしていた。

当たり前だ。梓は置き勉してない。全部教科書を持ち帰ってる。

廊下にある個人用のロッカーには何も入れてないと思う。

使っているのを見たことないから。

 

覗き込むと、三浦梓の誰にも見せない秘密が見えるはずだった。

 

あったのは薄い青色の真新しい財布と、ロフトで同じのを見たことがある折り畳み式の筆箱。

小さなメイクポーチと黒いハンカチ。

除菌って大きく書かれた銀のパッケージのアルコールシート。黒い折りたたみ傘。

雨の日につけてた手袋。黒い無地の大きなタオル。

ポケットティッシュ。畳んだレジ袋が何枚か。

入学式の時に学校からもらったクリアファイルと、その中に入った何枚かのプリント。

 

あのノートが無い。

 

由佳の背筋がさあっと寒くなる。教室の喧騒が遠くに聞こえる。

 

なんで? わたしが開けると思ってたから?

今日持ってきてた? 分からない。

梓は授業中に真面目に聞いてるから出さない。

持ってきてない? なんで?

趣味なのに持ってない? 今日に限って?

 

 

もしかして、梓にわたしの行動がばれてる?

 

 

由佳はリュックから両手を出して、ファスナーを急いで閉めようとする。

急ぎすぎてファスナーが途中で引っ掛かって、ギリッと音を出す。

小さな舌打ちが自分の口から洩れる。

もう一度閉めて、リュックの上蓋を戻して留め具を回す。

 

後ろを向いた。誰もいない。

千夏たちは戻ってきてない。周りの人たちも、特にこっちは見てない。

 

足元ががくがく震えていた。汗が額を伝う。首筋にも汗をかいてる。

今日暑いからって言えばきっと大丈夫。

スカートのポケットからハンカチを出す。

何度も汗を拭いて、スマホを手に取って電源ボタンを押す。

震えてる。

 

落ちついて。大丈夫。誰も見てない。

わたしのことなんか誰も見てない。

 

スマホが震えた。三浦梓からのLINE。

 

「ひいっ」

 

声が出てしまう。

口を押えて、スマホの電源ボタンを押して顔を伏せる。

 

まずい。今のも見られるとまずい。

何もやましいことはしてない。

ただ梓に取ってきてって言われた物を探してるだけ。

 

何度か肩で息をして、ちょっと暑いなって胸の奥で念じながら、また汗を拭く。

罪悪感も汗と一緒に流れてほしかったのに、ずっと胸の奥で渦巻いている。

 

 

由佳はスマホを開いて、LINEのアイコンを押した。通知2件。

 

『ごめん寝てた 太陽の光強くて怖くなっちゃって』

 

『紫外線強いし気持ち悪いから今日授業戻れないかも プリント頼んでいい?』

 

由佳は脊髄反射で『まかせて!』のスタンプを送る。既読はつかない。

 

胸の奥から嬉しさがこみあげてくる。

自分が笑っているのが分かる。

 

八坂なんかよりわたしを頼った。

梓にとってわたしのほうが大事なんだ。わたしのほうが役立つんだ。

 

嬉しさのままに、指が動きそうになる。無数の言葉が浮かぶ。

もっともっと近づきたいから。

 

『ノートどこいったの?』

『ほんとに寝てたの?』

『八坂がそっち行ってない?』

『わたしも行きたい』

 

全部全部、脳内のLINEトークルームに送るだけにとどめた。

ふうっと息を吐いて、スマホを閉じた。

 

 

高めのバカっぽい声が聞こえる。八坂と笹川が帰ってきていた。

 

「はぁートイレも暑かったよぉ。あれ? ゆかっちどしたの? ちーちゃんの席座って」

 

「千夏の席じゃないよここ。前田(まえだ)くんの席」

 

由佳が笑って言って、自分の机を引きずって元の場所に戻した。

 

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