はらぺこヴァンパイア 作:棗の
グレーの半袖シャツに、膝上までのグレーのショートパンツ。
もう何年使っているか覚えていない寝間着。
マンションの一室に、由佳以外は誰もいない。
由佳は座椅子に座って、スマホの電源を入れてまた
「ただいま。梓♪」
口元に笑みが浮かぶ。
髪をドライヤーで乾かしながら、梓の赤い眼と何度も見つめ合う。
「梓もいまお風呂かなぁ。髪乾かしてるかな」
片手がスマホに伸びて、LINEを開く。
最後のLINEは昨日の夜。
『連休中もなにか困ったら言ってね』と書いた自分のLINEに、梓が可愛い黒猫のスタンプで『ありがとう』と答えている。
このスタンプは、梓にプレゼントしたお気に入りのキャラのスタンプ。
自分が使っているくまのスタンプと対になっているキャラクター。
良かった。気に入ってくれてる。
気高くてきれいな、夜に映える子。
猫みたいにミステリアスで、だけどすごくきれいでかわいい。
赤い目で、黒い髪で、黒いネコミミのあるミステリアスな子。
画面の右上の通話ボタンに指が伸びて、ぷるぷると震えて、元に戻る。
梓なら出てくれるかもしれないけど、嫌われちゃうかもしれない。
怖くて出来ない。
もし今日嫌われたら、次に会うのは連休明けの火曜日になっちゃう。
明日から退屈なゴールデンウィーク。
やることなんてないし、行けるところなんてない。
遊ぶ人なんていない。
梓と遊びたかった。
だけど、梓は予定があるって言ってた。家族で過ごすって。
「っ……」
胸の奥から胃を鷲掴みするように不可視の手が伸びて、奥歯を噛んだ。
もう、考えたって、どうしようもないこと。
髪を乾かし終えた由佳は、ベッドの下の引き出しからタブレットを取り出した。
”Yuka.Y”と書いたロック画面が映る。
パスコードを入れてロック解除。
開きっぱなしのブラウザには、いくつものタブが画面の上で渋滞を作っている。
まるで全部中途半端で何も出来てない自分みたい。嫌になる。
今開いたタブには、
梓の推しだっていうアイドルの男を調べてたタブ。
1995年5月1日生まれ。B型。出身は
メンバー内で唯一、恋愛について語る番組で堂々と彼女募集中と言って、会場を沸かせたことがある――
由佳はなんだか嫌な気分になって、別のタブを開く。服の通販サイト。
梓がスーパーで着ていた服と色違いの服一式が買い物かごに入ったままだった。
上下とアウターで合計27,500円。
そうだ。この値段を見て一旦やめたんだった。
梓との双子コーデの希望が、現金の壁で阻まれた昨日。
梓は結構いい家の子だから、いい服を着ていた。アウターだけで一万円もする。
きっと親に買ってもらったんだと思う。
親と一緒に買い物に行っているって言ってたし。
「……っ」
小さく舌打ちをした自分を、心の中で叱る。
梓にそんな感情を持ちたくない。梓には笑っていてほしいから。
また別のタブを開く。Amazonの買い物かごの画面。
梓が使っていたノートとペンの色違いが入っている。
そんなに高くもないし、注文確定のボタンを押してタブを閉じる。
ちょっとだけすっきりした。
別のタブを開く。高校一年におすすめのデートスポット一覧。
だけど無料で行けるところはない。
少し悩んで、別のタブへ。
バイト探しのサイト。高校生で親の承諾なしで働けるところが何件か。
居酒屋とか、倉庫とかばかり。
居酒屋は絶対嫌だ。吐き気がする。
お酒なんてこの世から無くなっちゃえばいい。
嫌になってみるのをやめたんだった。
別のタブを開く。白い画面の下に入力欄のある無機質な画面。
最近ちょっとだけ無料で使えるようになった、AIに質問できるサービスの画面。
昨日した質問がそのまま残っていた。
そこに映った回答の履歴を、もう一度目がなぞる。
『アルビノの人の特徴を教えて』
『アルビノは、メラニン色素の生成が不足または欠損している遺伝子疾患です。主な特徴は、白い髪、青や赤みがかった目、非常に白い肌、日光過敏症、視力低下などです』
『アルビノの人って目が赤くて肌が白いですか』
『はい、アルビノの人の主な特徴として、メラニン色素の不足により、肌が非常に白く、髪も白っぽい色になることが挙げられます。
目も色素が薄いため、青や灰色に見えることが多いですが、光の加減で血管が透けて赤く見えることもあります』
『アルビノの人は何が苦手ですか』
『アルビノの人は、強い日光を苦手とします。これはメラニン色素の欠乏によるものです』
梓が苦手なものがすぐに分かって良かった。
『クラスにアルビノの人がいます。その人は薬を使っているから、食べるものや飲み物が制限されていて何も食べないといっています。そういう人もいますか』
『アルビノの人が薬の影響で食べるものや飲み物を極端に制限されるケースは、一般的ではありません。
アルビノ自体は色素に関わる遺伝子疾患で、消化器系に直接影響を与えるものではないため、その発言には別の要因が考えられます』
『クラスのアルビノの人は、髪が黒いです。染めているようには見えないです』
『アルビノの主な特徴は、メラニン色素の欠乏による白い髪です。
髪が黒いアルビノは非常に稀で、遺伝的な要因や他の可能性も考えられますが、一般的なアルビノの特徴とは異なります』
最初は、梓の役に立つためだったのに。
『その人は十字架の絵をすごく怖がっていました。どうしてだと思いますか』
『アルビノと十字架への恐怖には、医学的・科学的な関連性はありません。
十字架は特定の宗教的・文化的な象徴であり、個人的なトラウマや心理的な要因が関わっている可能性が考えられます』
無機質な文字の隙間から、湧き出てくる疑問。
アルビノの人を見たことはないけど、ネットで調べたら視力があんまりよくない人が多いって書いていた。
個人差が多い体質だし、髪が黒いのもそのせいかもしれない。
うわべだけ仲良くするつもりの男子たちや
あの赤い眼は絶対にコンタクトじゃないし、体が弱かったらあんなに大きなリュックを背負えない。
梓が汗をかいたり、疲れてるところを見たことがない。太陽の光を怖がっている所はよく見るけど。
違和感が、いくつも頭に浮かぶ。
その間に線ができそうでできなくて、別のタブを開いて、何か文字を打とうとした。
「……やめた。良くないよこんなこと」
自分の大切な人を疑うなんて、ますます嫌な気分になる。
由佳は時計を見る。22時。もう寝る時間。
歯磨き中もずっと梓との二人っきりの写真を見つめる。
同じLINEスタンプ、同じノート、同じペン。そしてお金が入ったら同じ服。
一緒のものを増やしていきたい。他の誰よりも。
「……お金」
すうっと熱が冷えて、にやけた顔が無表情に戻る。
スマホのPaypayの画面を開く。残高は6,212円。
カレンダーアプリを見る。
『振込』と書いた日はまだ先。5月1日。
さっきの服は27,500円。電卓を開いて計算する。
5月に振り込まれる金額から由佳の生活に必要な色々な物を引いていくと、数字が大きくマイナスになった。
「……足りない」
手がLINEに伸びる。
三浦梓の二つ下のトークルーム。
『
自分の送った『体に気を付けてね』の文字に、LINEの無料スタンプで返された。
そのトークルームに、新しい文字を打つ。
『どうしても欲しいものがあります。お金がほしいです』
けれども、送信ボタンを押せなかった。
叔母のちょっと遠慮した笑顔が浮かぶ。
この前、持病のリウマチが悪化して大変って言っていた。
お金がいっぱいいるのかも。
「……やめとこ」
叔母さんならもしかすると、お金を送ってくれるかもしれない。
だけど、そんなことしたくない。
迷惑かけたくない。
トーク画面の一覧に戻って、さらに下にスクロールする。
企業からの広告LINEの中に埋もれたトークルーム。
『母』の文字。
一瞬迷って、タップする。
最後のトークは一か月前。
『死ねよ』
目を焼くような文字が画面に出てくる。由佳は開いたことを後悔した。
『ほんと最悪 あんたがいるせいで今日も断られたんだけど』
『紗枝に変な入れ知恵したでしょ こざかしいことしないでくれる?外れくじのくせに』
由佳はスマホを床に放り投げた。
乾いた音を立てて何度かバウンドして、画面が真っ黒になる。
「……うっさい。だったら子どもに頼んなよ。親権捨ててどっか行きなよ……!」
由佳は歯磨き粉の混ざった唾を洗面台に吐いて、うがいをする。
何度か咳き込んで、口の中に溜まった汚い唾と、汚い感情を何度も洗面台に吐き散らした。
「ふうっ……ふううっ……」
爆発しそうな感情を何度も深呼吸して抑え込む。
肩で荒く息をして、座椅子に座って冷たいテーブルに顔を付ける。ひんやりと冷たい。
いけない。また意味のないことしてる。
ここで怒っても、掃除の手間が増えるだけ。
由佳は放り投げたスマホを拾い上げて、電源を入れた。
このスマホは大事なもの。
梓とわたしのつながり。梓とわたしの写真が入ってる。
「あずさぁ……たすけて……」
泣きそうな声をしていた。スマホのカメラロールを開く。
困惑している赤目の少女が映る。
それだけで気持ちがすうっと解けて、何でもできる気がしてくる。
梓のためならなんでもできる。
もっともっと梓を近くに感じたい。
「あずさぁ……いっしょにいて……」
衝動のまま、梓の写真をロック画面に設定した。
一度ロックすると、時間表示の下に赤い眼の少女が映っている。
ごくりとつばを飲み込む。
吸い込まれそうな魅惑の赤い眼が、自分を見ている。
「えへへ……」
また一つやっちゃった。
連休の間だけ。梓に会えない間だけ。
大丈夫。気持ち悪いって思われないから。
由佳はゆらりと立ち上がって、壁のスイッチを押して電気を消した。
掛け布団をめくって、スマホを持って倒れこむ。
真っ暗な部屋で、由佳の泣き顔をスマホの画面が照らしている。
「あずさ……」
由佳は片手と片足で寝間着の下を脱ぎ、シャツを捲り上げた。
闇の中で、色の薄い胸元と乳房があらわになる。
はぁっと熱い息を吐いて、片手を自分の両足の間にあてる。
熱くなったところを撫でると、びくんと体が震える。
もっと欲しくなって、息が荒くなっていく。
その手が、その指が、写真の中の赤眼の少女だと思って。
美しい少女に体を求められていると思って。
「あずさぁ……」
一人の少女の部屋で、熱を帯びた声が響いていた。
【後書き】
作者です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
以上が第三章となります。
由佳の募る思いと、梓を追い詰めるヴァンパイアの飢餓。お楽しみいただけているでしょうか。
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お忙しいところ恐縮ですが、ご検討宜しくお願い致します。