はらぺこヴァンパイア 作:棗の
私の癒し-4月30日12時32分
天気は晴れ。
ゴールデンウィークの中日としてある登校日。
この視聴覚室前のスペースは、梓が昼休みに学校の中を歩き回って、図書室以外の日の当たらない場所として見つけたところだった。
奥まったところにあるから、いつも明かりが点いている。
視聴覚室の中が一番いいけれど、中には入れないからこうするしかなかった。
この高校には文化系の部室がないらしい。部室棟とかも勿論ない。
視聴覚室は放課後になったら軽音楽部が使うらしいけど、昼休みの間は誰も使わない教室。
絶好の休憩スポットだった。
梓はスマホでインスタグラムのストーリーを見ていた。
好きな俳優さんがストーリーを投稿してる。ドラマの撮影現場の一枚。
すらっとして格好いい女の人。今度のドラマの番宣のリンクがあったのでタップすると、刑事ものドラマに出ることがわかった。
「刑事ものかぁ……見れるかな」
梓は自分の変化について気づいた事がいくつかあった。
なんだか
キスシーンとか、もっとその先に行っちゃう前のところとか、頑張ってお互いに気持ちを確かめようとするところとか。
なんだか、あんまり興味のないニュースをぼんやり見ているときみたいな感覚。
一年間逃げていた時も、たまにYouTubeで昔のドラマやアニメを見たりすることはあった。
その時もそんな気持ちはあったけれど、それは自分に余裕がないからだと思っていた。
だけど今は違う。
食べ物もあって、友達もいて……確かにママが仕事出来なくなったことは辛いけれど、あの時よりずっとずっと幸せなのに、なんだか違う。
青い空と白い太陽がなんだか違うものに見えたみたいに。
十字架が殺人鬼に見えたみたいに。
私のなかにあった大事な何かがなくなってる。
たぶんヴァンパイアのせいなんだ。
私の心がまずしくなったせいじゃない。
私は人殺しだし、窃盗犯だけど、たぶん違う。
心がもやもやしてくる。
もっと楽しい物を見たい。
周りを見て、誰も見てないことを確かめて。
インスタグラムを閉じて、カメラロールを開いた。
お気に入りの一枚を開く。
昨日の夜の食事。
淡いオレンジのランチョンマットの上に皿を置いて、インスタ映えする写真っぽく、ナイフとフォークも置いてみた。
「おいしそう……」
なんだかこれを見る方がちょっと安心する。
今日もまだある。ママが温めて作ってくれる。
梓は無意識のうちに、牙を舌でなめていた。
気づいているけれど治さない癖。
誰かに見られているわけでもないし、きっと大丈夫。
おいしくて、噛むたびに温かい血が漏れてくる、私の大好物。
カメラロールを一つめくると、
由佳が満面の笑みでピースしてる。かわいい。
初めて学校の子と撮った写真。なんだかちょっと恥ずかしい。
連休に入る前の金曜日のこと。
下校時に車に行こうとすると由佳が慌てだして、写真を撮りたいと言ってきた。
「写真……いいけど、どうして今?」
梓がそう聞くと、由佳はちょっと目を逸らして、けれども笑顔で言った。
「だって……連休中に梓に会えないの、寂しいから」
さびしいから、って言ってくれるのは嬉しかったしちょっと照れ臭かった。
牙が見えないように笑うのにちょっと苦労したけど、写真を撮った。
由佳ちゃんはちょっと距離が近いけど、色んなことを手伝ってくれるし、助けてくれる。
寂しいって感情もいつの間にか無くなった。
……ちょっと距離が近いけど。
「怖くないのかな……」
インカメをつけて自分の顔を映す。赤い眼と、口からちょっとだけ見える牙。
やっぱり怖いかもしれない。
パパとママは褒めてくれるけど、ブレザーと自分の顔は全然合ってない。
集合写真とか撮ってもすごく浮くと思う。
梓は何度かの試行錯誤の末、学校にいる間は、かなり抑えめのナチュラルメイクに落ち着いていた。
赤い眼を強調しすぎない、頬にチークを乗せる程度のもの。
人形みたいに見えないようにしたかったから。
早紀ちゃんとは
千夏ちゃんは大人っぽくて物知りで、メイク動画で有名なインスタグラマーの人を教えてくれる。
由佳ちゃんは朝のおはようから夕方のまた明日まで、ずっと気にかけてくれてる。
私が勝手に思ってるだけかもしれないけど、三人も友達ができた。
だから怖がらせたくないし、傷つけるなんて絶対したくない。
梓はゴールデンウィーク初日の土曜日のことを思い出す。
学校の健康診断は乗り切ったけど、法律上しないとだめらしくて、身長と体重だけ遠くの病院にママと一緒にはかりにいった。ママの元後輩が勤めてるクリニック。
165センチ、52キロ。それが今の
人間の時と全然違う。背が伸びてるし、体重は減ってる。
他の検査項目は、私が心の病気だからいいってことにしたらしい。
人間は死ぬとちょっと体重が減るって聞いたことがある。
心臓が動いてないから、私の体はきっと死んでる。
だから余計なお肉が落ちたのかな。
……胸と腰回りだけは増えたけれど。
下着もお店でちゃんとはかってもらったら、人間だった頃よりサイズアップしていた。
目立ちたくないのに、どうしてもブレザーの前を閉めると胸が強調されちゃう。
なんだか全部ちぐはぐで、今ここでぼうっとしている自分も、周りに人がいたらきっとじろじろ見られると思った。
人間のフリした何かが学校にいるって怖がられないかなって。
スマホにLINE通知。
『今日は図書室にいないの? 具合悪いの?』
梓は呆れたように笑った。
梓はお昼の度に教室にいるわけではなかった。太陽の光が辛かったり雨の日は、「ちょっと気分が悪いから」と保健室に行ったり、図書室に行ったりしていた。
最近の由佳は、何も言わなくても図書室まで来るようになっていた。
心の奥が、ちくりと痛む。
由佳ちゃんは、ちょっと人との距離感をつかむのが苦手な子なのかな、と思うときもある。
だけど、怪物の自分にとっては怖がられるよりずっとずっと良かった。
ちょっと距離が近いけど。
一人が嫌で家に帰って学校に来てるのに、一人になりたいって思うときがある。
本当に贅沢でわがままな考えをしてるって自分で思う。
警察に捕まっていないだけの犯罪者なのに、なんて贅沢なんだろう。
『そう 日差しが強くてきついから 気を使ってくれてありがと』
梓はささやかな嘘をつく。
視聴覚室の壁によりかかってる、なんて言えない。
普通の子はそんなことしない。足が疲れるし。
ヴァンパイアは疲れない。何時間でも立っていられる。
返したLINEにすぐ既読がついたのを見なかったことにして、カレンダーアプリを開く。
今は大型連休の中日。
また三日行けばお休みになる。
アンチライトを今朝打ったから、効果があるのは休みの日の朝まで。外には行けない。
財布の中にはあんまりお金がない。
ママには内緒でお小遣いをもらってるけど、それ以上お願いなんてできない。
服も、メイク道具も買いたいけど、そんな贅沢言ってられない。
バイト先も決まってないし、ママはやっぱりだめって言ってる。夜は危ないからって。
夜の方が元気なのに。
誰も私に悪いことしようとか、いじわるしようって思ってない。
だけど、色んなことをする先の道が、全部塞がれている感じ。
「土日は眠ろうかな……」
天気も晴れだし、お昼の間は動けないから。いつまでも部屋を暗くしてもらうのもパパとママに申し訳ないし。
夜の間に家事を全部手伝って、料理の練習をしたら太陽が出てくる前に寝よう。こういう時にヴァンパイアは便利だ。
「夜にママと行ける所ってないかな」
車を運転できればいいんだけど、まだできない。
ママを担いで走ることもできそうだけど、普通の人はそんなことしないし、万が一落としちゃったらママを傷つけちゃう。
家の近くに公園があるし、散歩とかいいかもしれない。
ママはここ数日、元気がなくなってる。
なんだか顔が青い気がするし、家の中を整理してたら怪我しちゃったって言って、肘のところに包帯を巻いてる。
ご飯の準備の前まで寝てることもある。
病気なのかなと思ったけど、ママは看護師だし気付かないわけなんかない。
気分が沈んでるのかな。
きっと具合がちょっと悪いだけ。
そうに違いないから。
何か気晴らしさせてあげたい。
私が人間だったら、一緒にお昼に買い物行ったりできるのに。
もっとお金があれば、横浜市内まで行けるのに。買うものが無くても見るだけで楽しいし。
パパとも遊びに行きたい。
パパが海釣りに行くときについていきたいけど、太陽の光が怖いし行けない。
パパはきっと気付いてるから、私が帰ってから一度も釣りの話をしてない。こっそり何も言わずに行ってる。
夜は釣りできないし、ママと一緒に過ごすより難しい事だと思う。
できないことがいっぱいある。
でも太陽の光が怖いだけなら、私が頑張ればなんとかなること。
授業中もそんなに体が震えなくなってきたし、きっとできる。
「……カラオケとかどうかな」
梓がアイドル好きなのは母親の影響も多分にあるし、好きな曲も被っていた。
久々に歌いたい。
最近また
ママとなら歌がうまいへたとか気にせずに行けるし。
梓はブラウザを開いて、駅の近くのカラオケを調べ始めた。