はらぺこヴァンパイア   作:棗の

44 / 70
命の歌-5月4日19時36分

(あずさ)一美(かずみ)とカラオケの一室にいた。

 

JR日吉駅(ひよしえき)の近くのカラオケ。梓が生前に何度も行ったことがある場所。

一年近く行っていないけれど体は覚えていて、慣れた手つきでドリンクバーを使って、母の分のオレンジジュースを持ってきた。

一滴もこぼさずに持ってくることなんて、元人間のヴァンパイアには容易いことだった。

 

夜なので、梓は昼と違うおしゃれな格好だった。

ちょっと毛先をカールさせた髪、薄めのブルーのカーディガンに白のシアーシャツ、色の薄めのGパン。

足元は白のくるぶし丈ソックスに青いスニーカー。

メイクもオフの日用の目元を強調したオルチャンメイク。

ヴァンパイアは代謝しないので、メイクを落とさなくても全く崩れないようだった。

 

「お待たせ。久しぶりだね、ママと一緒のカラオケって」

 

梓は一美の前にオレンジジュースを置く。

一美は少し眠そうに「ありがと」と返した。

 

梓には薄暗いカラオケルームの中で、椅子の隙間や床の模様まではっきり見えていた。

天井の照明がないところまで、全部がぼんやりと光っているような不思議な見え方。ヴァンパイアの暗視能力。

何度も行ったはずのカラオケの部屋が、ちょっと違ったように見えて新鮮な気持ちだった。

 

 

「……ママ大丈夫? 眠そうだけど」

 

「大丈夫よ。ちょっと最近、疲れが出てて。こんなに長い休み初めてだし、溜まってた疲れが出てるのかもしれないわ」

 

一美は青白い顔で笑って言って、オレンジジュースをストローで飲む。

ストローを持つ指先に絆創膏が貼られている。

オレンジジュースを頑張って飲んでいる姿を見ていると、元々年齢より若めに見える母親が、なんだかちょっと年上のお姉さんみたいに見えた。

 

ここに来るまで歩きだったが、一美は何度も休憩していた。

「普段は車だし足がちょっと弱ってるのかも」と言っていたので、梓が肩を貸して一緒に歩いた。

そのまま持ち上げられそうなほどに軽かったけど、きっとヴァンパイアの怪力のせいだと思うことにした。

 

気晴らしのつもりで誘ったけれど、余計なお世話だったのかな。

私が行きたいって言わずに、別の言い方があったのかな。

 

いけない。考え方が後ろ向きになってる。

今日はママとの楽しいカラオケ。

私はあんまり歌うまくないけど、ママを元気づけるために頑張らなくちゃ。

 

「わ、私歌うから。ママはゆっくりしてて。ね?」

 

梓はスマホの専用アプリで曲を入れて、マイクを持って立ち上がった。

画面上でずっと流れていた宣伝が止んで、曲名が出てくる。

梓が好きなアーティストの名前。

 

短いピアノのイントロ。

梓は疲れた顔をしている一美に、満面の笑みを向けた。

牙が見えるかもなんて気にする必要もない、心からの笑顔。

元気になってほしいから。

 

「——あぁ、いつものように、過ぎる日々に、あくびが出るぅ——さんざめく、夜越えぇ、今日も、渋谷(しぶや)の街に朝が降るー」

 

少しずつ高まっていくリズム。()()()()()()()()()()()()

そういえばヴァンパイアになって歌うのは初めてだった。鼻歌で何度か歌ったことはあるけれど。

 

鮮やかできれいなピアノの旋律に合わせて、記憶をたどって歌う。

高揚感。

やっぱりカラオケは楽しい。

 

「——知ら、ず知、らず 隠し、てたぁ ほんと―声を ひ……——もう……」

 

声が引っかかる。

 

なんだかおかしい。

 

なんで? ()()()()()()()()()()()。なに?

 

急激に体の中から湧いてくる焦り。違和感。

 

 

サビの途中で、すうっと音楽が止む。

荒い息の一美が、スマホから再生を止めていた。

 

梓はマイクを置いて、じいっと一美を見た。

 

滅多に見ない、母の驚いた顔。

ホラー映画を見ていた時みたい。つうっと汗が一筋、頬を伝った。

 

「……梓」

 

後ろの画面を振り返る。

とっくにサビが終わってる。タイミングがずれてる。

 

 

なんで? 覚えてないから?

声が出てない? どうして?

 

 

 

「……ママ、私、なんかずれてた?」

 

一美が僅かに悩んで、目を閉じて頷いた。

 

「…………梓、久しぶりだし仕方ないわ。ね?」

 

「ま、待って! 歌えるから! 大丈夫!」

 

何か自分の中の大切なものが崩れていく感覚。

失われたものは、太陽の光への耐性と、恋愛ドラマへの感覚だけだと思っていた。

だけど、そうじゃないかもしれなくて。

 

大切なものが、心からぽっかり抜け落ちたかもしれなくて。

 

梓は慌ててスマホを取って、別の曲を入れる。

 

きっと久しぶりだし難しい曲にしすぎただけ。簡単な曲にしよう。昔からずっと聞いてる曲。

きっと難しかっただけだから。

 

 

「……梓は確か、呼吸する必要がないのよね?」

 

梓の手にそっと、暖かい人間の手が重なる。

 

視界がゆがむ。自分は泣いている。

手を目に押さえつけて、赤い涙が服を汚さないようにした。

 

 

「……もしかして。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んじゃないかしら」

 

 

声が出ない。空気が出ない。息継ぎがうまくできない。

 

喋ることは何日か練習して、ようやく出来た。

でも歌の練習は一度もしてない。

 

 

「そっ、そんなことない! 歌えるから!」

 

そうして流れ始める別の曲。立ち上がって、自分の歌を聞いてくれる一美に笑う。

アップテンポなE-Z’s(イージス)の曲。

 

思いっきり息を吸って、歌う。

さっきよりも気分が沈んでいるせいか、音の波に乗れなかった。

マイクから増幅された自分の声で、一音目から音のタイミングが派手にずれたのが、ドラムの音とのずれでわかった。

 

数フレーズ途切れ途切れに歌って、梓はそっと座って、スマホのボタンで曲を止めた。

一瞬静かになって、カラオケの宣伝ムービーがまた流れ始める。

 

「……ごめん。ママ。ヘタな歌聞かせちゃって」

 

梓は両手で顔を覆った。

一美は梓の体をそっと抱きしめた。

 

 

一美は動悸を悟られないよう、娘を抱きしめた。

 

眠気が覚めるような歌だった。

聞いていると不安になる、統率の取れていないオーケストラみたいな歌。

まるで昔のボーカロイドみたいな、何の感情もこもってない平坦な声。

 

娘ではない別の人が歌ってるアフレコのようにも見えた。

声が途切れて、音が狂って、取り戻すためにタイミングがずれて。

 

 

陳腐な、抽象的な言い方だが――()()()()()()()()

 

 

娘は間違いなく生きているのに。

その娘の善意のこもった声なのに。

 

笑顔で、自分を元気づけようと歌っているのは痛いほど伝わったが、湧いた感情は恐怖と悲しみしかなかった。

 

ただの”下手”ではなく、何か別のものが娘の声をまねて歌おうとしているような。

 

娘に抱いていい感情ではなかった。一美は心の中で自分を毒づく。

 

 

梓は静かに泣いていた。

涙が服につかないように、顔にぎゅうっと指をめりこませて。

めりこんだ指が額の皮膚を破って、真っ黒い血が梓の白い指に鎖のように絡みついていた。

 

 

また一つ、出来ないことが増えた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。