はらぺこヴァンパイア 作:棗の
連休明けの学校の昼休み。
「ゴールデンウィークって言うけどさぁ。間に学校挟まれると旅行も行けないよね」
八坂がお弁当を食べながら言う。
今日のお弁当は生姜焼きときゅうりの漬物だった。昨日の家での残り物。
「そうね。もうちょっと長かったら海外とか行けるんだけど」
八坂の向かいの笹川が言う。
昼食はコンビニのサンドイッチと家から持ってきたお弁当の半々。いつものスタイルだった。
「……そうだね」
由佳は最低限の相槌だけうって、コンビニの菓子パンをほおばる。
梓を見て、にこりと愛想笑いして、また手元に目を落としての繰り返し。
「あずちんはどっか行ったの?」
「ううん。私、お昼はあんまり動けないし。ママとカラオケに行ったぐらい」
梓は色々な感情を押し殺して、あいまいな笑顔で言った。
「カラオケかぁ。
梓は八坂の発言に答えずに、笹川の方をゆっくり見た。
視線が一瞬交差して、笹川が口を開く。
「由佳はどう? どこか行った?」
「う、ううん。わたしも行ってない。買い物しすぎちゃって、お金なくて」
由佳が笹川と梓の方だけを見て、笑って言った。
「あたしもなんだよね。水着と、部活用の衣装買ったらもうカツカツ」
笹川と八坂がダンス部に入っていることは梓も知っていた。
梓がちょっと驚いて聞く。
「ダンス部の衣装って、学校が用意してくれるんじゃないの?」
「そういうのは私立高校だけ。うちは自前だよ。
「ばっちりー。バイト始めたし、お金たっくさん稼がないとねー。ふふふ」
八坂が含み笑いをして、他の三人を見回した。
まるでサプライズプレゼントをしたいと思っているように。
「……どうしたの? 早紀ちゃん」
「できちゃったんだよねー。カレシ。隣のクラスの
笹川がにやりと笑って「おめでと」と言う。
梓も「おめでとう!」と言って手を叩いた。
八坂が大げさに笑った。
「連休入る前に告られちゃってさぁ早いよねーほんっと。カレシ1か月以上いないとなんか悲しくなっちゃうし、ちょうど良かったぁ」
八坂の左に座る由佳は、何の表情も見せずに自分の手元のパンを無言で食べていた。
「すごいね。高校入ってすぐってカップル増えるって言うけど」
「そそ。噂で聞いてた通りだよねえ。私は何番目なんだろ? 一番だといいなぁ」
箸をくるくる回しながら言って、八坂は梓の方を向いた。
「あずちんもさー、彼氏いるんでしょ?」
由佳の手がパンから離れて机に落ちて、わずかな金属音が鳴る。
笹川がちらりとそちらを向くが、それ以外の二人は反応しなかった。
1年2組の周りの男女たちも、誰からともなくすうっと静まった。
「え? いや、そんなことないけど……」
梓は本気で心当たりがないという風に首を振った。
「えぇー。絶対いるって。あずちんメチャクチャ可愛いし綺麗だし、クラスの男子……は釣り合わなさそうだけどさぁ」
八坂が悪戯っぽい笑みを笹川に向けて、「まあね」と返す笹川。
由佳があたふたとパンを持ち直して、噛みちぎって、梓の方を見る。
「あ、梓そうなの!? か、か、かれ、し」
「いないよ。最後にいたのは……中学3年の時かな。そんなに長いこと付き合ってなかったし」
それはまだ乾いていない傷痕。
心の中でようやくカサブタができたぐらいの傷。
ヴァンパイアでも治せないもの。
「おぉ」と野太い声がクラスのどこかから聞こえて、「バカ、静かにしろ」とどこかの男子がたしなめる。
中学三年生は嘘だけど、彼氏がいたのは本当のことだった。
まだ人間だった時にちょっとだけ彼氏がいたことがある。
思い出すと嫌な気分になるけれど。
「ほんとにぃー? 上級生とかにカレシいるんじゃない?」
「いないって。まだ学校入ったばかりだし、私、中学が遠かったから。知り合いすらいないよ」
梓が笑って手をぱたぱた振って否定する。
嘘と本当を織り交ぜるのに慣れてきた自分が、心の中で冷笑を浮かべていた。
周りのグループが誰からともなくまた喋りだす。
由佳の耳には、男たちの声が耳に入ってくる。
不愉快な雑音だけど、心が重要な台詞だけを選別して切り取ってくる。
「おいマジかよ」
「
「病弱だし付き合いづらいんじゃね?」
「あの顔と胸だったら絶対ありだって」
「おいバカ失礼だろ」
「
「うるせぇ」
「じゃあ俺が行く」
「引っ込んでろ」
由佳の心にその一つ一つが刺さって、不快な痛みを発する。
手元のパンを握りつぶさないように、震える手で持つ。
「ゆかっちもさー。何そんなびっくりしてんの? あずちんぐらい可愛かったらカレシいるって考えるでしょぉ」
八坂が足をぷらぷらさせながら言って、笹川のお弁当をひとつまみする。
笹川は「そうね」と小さく言って、梓の方を見る。
「焦る必要もないんじゃない? 人それぞれだしさ」
梓は頷いて、ふっと由佳の方を見る。
由佳は一瞬ぱあっと顔を輝かせて、すぐに曇る。
梓の赤い眼の内側、隠しているものを見透かそうとしているような気がした。
「……由佳ちゃん? どうしたの?」
「な、なんでもない。梓、人気者なんだね」
梓が困ったような笑みを浮かべて、あいまいに笑う。
「ねぇねぇどういう人がタイプ? あずちん大人っぽいし、やっぱり年上?」
八坂が暇つぶしに聞いてくる。
まだまだ八坂の弁当は無くなりそうにないし、昼休みも終わりそうになかった。
梓は考えるふりをして、嘘の在庫から使えそうなものを探してくる。
「お、落ち着いた人かな。あんまり活発過ぎる人だと追いつけないから」
無難な回答をしてみた。
人間だった頃にいた彼氏の顔を思い出そうとするけれど、なんだかぼやっとしていて、よく思い出せなかった。
ヴァンパイアのせいだと思う。
それか、嫌な記憶だから思い出したくないってだけ。きっとそう。
遠い記憶。梓が中学三年生――ではなく、高校一年生の頃。
つまり2年前の1月頃。
まだ、
梓が所属していたソフトテニス部に、三年生の先輩たちがいた。
男女合同の部だったから男の先輩もいた。その中に一際かっこいい人がいた。
その先輩が卒業する前、先輩の大学受験が終わったタイミングで、告白した。
梓が入っていたソフトテニス部の副キャプテンだった。
何を言ったか覚えてないけれどすごく一生懸命頑張って気持ちを伝えて、お気に入りのシールをたくさん貼ったお手紙も書いた。
「ま、いいよ」って言ってもらえて付き合った。
一回か二回、ショッピングモールでデートした。
カフェに行って、ロフトで雑貨を一緒に見て、梓が緊張と嬉しさで空回りするのを「かわいい奴」って笑って見ていた先輩。
そうして3月の卒業式のちょっと前。
いきなりLINEで『ごめん。好きな人できた。別れて』の一言でブロックしてきた先輩。
なぜか分からないけれど、名前も思い出せない。
だけどそこから梓は荒れて、泣いて、それでも塾に頑張って行って。
襲われて、死んだ。
あまりにも衝撃的なことがありすぎて、忘れただけなんだ。きっとそう。
思い出したくないわけじゃない。きっとほんとに忘れてるんだ。
きっと今、落ち着いた人って口を突いたのも、その人がきっと落ち着いてない人だったからなんだ。
「あ、梓大丈夫? なんか怖い顔してる……」
梓の意識が現実に戻った。
由佳が泣きそうな顔でこっちを見てきていた。
八坂がまずいこと聞いたって顔で、手元の弁当に目を落としていた。
「え? う、ううん。なんでもない。ごめんね」
梓は牙が見えないように笑って言った。
「……と、ともかく。梓ちゃんらしいね。うちのクラスの男たちにいるかね……」
笹川がわざとらしく周りをぐるっと見回すと「いるだろ!」と笑って言う男子何名か。
梓もそれにつられて笑ってみた。由佳も梓に合わせて笑った。
凍り付いた空気が解れていって、会話が続いていく。
その中でふっと、梓を見て、無邪気に八坂が口を開く。
「あずちん、よく笑うようになったよねぇ。入学式すぐのときっていつも悲しそうな顔してたのに」
「そ、そう? そうかな……」
まだまだ日の光は怖いけど、食べ物もほとんど毎日食べているし、なんだか体が満たされている気がしていた。
だから笑う余裕も出てきたし、学校の友達をもっと増やして、色んな人と仲良くして、怖がられないようにしたいと思うようになってきた。
毎日おいしい血を食べてるし、気分がいい気がする。
家に帰ればおいしいものが待ってるって思うと、怖い太陽の光にだって耐えられる気がする。
ヴァンパイアの健康の秘訣は、二日に一度の血液パック。
ヴァンパイアが満たされたのか、三浦梓の心が暖かくなったのか、どちらなのかわからないけれど。
八坂が変わらず無邪気に、言葉を投げつけた。
「あずちんって
梓のすべてが凍り付いた。
「
梓が赤い眼を見開いて、思わず両手で口を塞いだ。
由佳が、その指の隙間をじいっと見つめた。
「隠さなくていいってぇ可愛いじゃん。なんかオタクの男子とかが気に入りそう」
「やめなよ。……梓ちゃん、もしかして気にしてる?」
笹川が心配そうに見てくる。
梓は口を閉じて、口元だけで笑って首を振る。
「ううん。ちょ、ちょっとびっくりしただけ。よく見てるね。お、親の遺伝でさ。女の子っぽくないよね!」
かかないはずの汗が背中を伝う感触。足先から腿へ、お腹へ、胸へ、首へ。
罪が這い上る幻覚。
鏡で見た自分の牙が頭をよぎる。鋭利で、残酷な形。
「……ごめんね。早紀も」
笹川が悲痛の面持ちで頭を下げた。
「ごめーんあずちん。気にしてたんだね。でも可愛いと思うよぉ」
八坂がぺこりと頭を下げて、悪びれずにまたお弁当を食べる。
「わ、わたしも可愛いと思う! 絶対可愛いって! わたしもそう思う!」
由佳が一拍遅れて言う。
「由佳……あんたさ……」
笹川が呆れた目で由佳を見た。
「……ありがと。お世辞でもうれしいよ」
梓は今だけは、自分が何も食べられないことをありがたく思った。