はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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不機嫌-5月8日15時55分

(あずさ)は不機嫌だった。

 

 

天気は快晴。

雲一つない五月晴れ。

それだけでヴァンパイアにとっては最悪なのに、今日は悪いことの連続だった。

 

 

昼休み。星野由佳(ほしのゆか)八坂早紀(やさかさき)が喧嘩した。

事の発端は八坂の一言。

 

 

「ゆかっちっていつもコンビニパンだよねー。太るよー」

 

 

なんとなく発したその言葉の直後、由佳が急に机を叩いて立ち上がって、悲鳴みたいな声を上げて八坂に掴みかかった。

 

笹川(ささかわ)が慌てて仲裁に入った。

由佳は無言でしばらく八坂を見た後、何も言わずに教室を出て行った。

八坂も笹川も、ばつの悪そうに教室を出てどこかに行った。

 

 

四人いたのにあっという間にひとりでぽつんと取り残されて、周りのクラスの子たちがなんとなく見ていた。

痛みを感じないのに痛い気がして、梓も外に出た。

どこか一人になれる場所に行きたかった。

 

 

友達同士の喧嘩なんかほとんど見たことがない。

ドラマの中で大人同士が演技をする所すら見るのが辛いのに、もっとひどいものなんて見たくなんてなくて。

 

思い出したくもなくて。

なんだか泣いてしまいそうで。

せめて人目のつかないところで泣きたかったから。

 

だけど。

 

図書室に人が増えて、いつもの遮光の席が使えなかった。

視聴覚室に軽音楽部の先輩たちがいて、近寄れなかった。

保健室に熱中症で倒れた人がいて、申し訳なさそうに断られた。

 

校内のどこも太陽の光でいっぱい。

光で溢れていて、ヴァンパイアには優しくない世界。

 

仕方がないからトイレの個室にずっと籠っていた。

狭くて、嫌な臭いがした。

良くなかった漫画喫茶に泊まった時の記憶が頭をよぎった。

他の人の迷惑になるけれど、起きる時間を体に言い聞かせて座ったまま眠っていた。

 

 

昼休みが終わる直前に由佳と八坂は帰ってきた。

けれども一言も喋らず、ずっとピリピリした空気のまま六時間目まで過ごした。

 

針のムシロって言葉があるらしいけれど、こういう時に使うんだと思った。

 

ホームルームが終わると同時に由佳は八坂を睨みつけて、全身で怒りの空気を撒いて教室を出ていった。

 

笹川は八坂に「あんたさ、いい加減にもうちょっと賢くなってよ」と言って、手を引いてどこかに連れて行っていた。

 

 

せっかく出来たキラキラした友達の輪が、簡単に砕けてしまって。

カラオケの時の失敗の記憶も頭から離れなくて、帰りの車の中でもなんだか気持ちが悪くて。

 

 

これは罰だと思った。

13人も殺して何の罪も償ってない自分への罰。

 

神さまが調子に乗りすぎた自分に、今日一日でいっぱい罰を与えたんだと思った。

 

 

だから。

 

 

その罰に耐えた自分に、()()()()()()()()()

 

 

お腹はそんなに空いてない。でも満腹じゃない。

 

 

自分が何かおかしい。わかってる。

 

 

だけど食べたかった。

だって私はヴァンパイアだから。

 

 

「ただいま」

 

だから家に帰ってブレザーを脱ぎ捨てて、冷蔵庫の引き出しを開けていた。

 

4月の頃よりだいぶ減ったけれど、血液パックがいくつか入っている。

その一つを手に取って、ゆらゆら揺らす。

 

きれいな赤色。

おいしそうで、温かくて、きれいな色。

 

お菓子と一緒。食べれば、ちょっとだけ気持ちが落ち着くから。

 

だって私はヴァンパイアだから。

別にいいでしょ?

 

 

「……ママ。いい?」

 

一美(かずみ)はふうっと一息ついて、ソファから立ち上がった。

ゆっくり電気ポットでお湯を沸かす。

 

普段の梓ならできることを手伝おうとするが、今の梓は機嫌が悪かった。

なんだかぐちゃぐちゃでもやもやしていて、いつもは気にならない窓の隙間からの明かりすら嫌で。

ドンドンと足音を立てて近づいて、乱暴にカーテンを閉めてしまった。

 

梓は牙を剥きだしにして、閉まったカーテンの向こうを睨んだ。

その向こうで輝く、忌まわしい太陽を赤い目で睨みつけていた。

 

「梓。一度座って、目を閉じて三秒数えて」

 

いつもと違う硬い声。

梓が振り返ると、笑っていない一美がいた。

 

 

梓は湧き上がる感情をぐっと飲み込んで、座って、目を閉じて三秒。

知らずに握りしめていた手が解けると、なんだか手がべっとりしていた。

手を開くと、手のひらに四つ、黒く細い穴が開いていた。爪と指にゼリーみたいな黒い血がついていた。

 

やってしまったと思う間に、手のひらの穴が映像の逆回しみたいに塞がって、手相の薄い人形みたいな手に戻った。

 

「……ごめんママ。色々あって、イライラしてる」

 

梓の声は、その肌と同じぐらいに冷たかった。

 

「わかってるわよ。梓だって人間なんだから、気分が沈む時ぐらいあるから」

 

「っ人間じゃない!! 化け物なの! 太陽が怖いの!!」

 

梓は牙をむき出しにして、拳を握って母を睨みつけた。

 

「ママに何が分かるの!? ママは太陽なんかこわくないでしょ!」

 

目の前に立つ人間に、拳を握って言葉をぶつけた。

 

 

一美は引かなかった。涙も流さなかった。

おぼつかない足で立ったまま、じいっとヴァンパイアの赤い眼を見て、「梓」と一言。

諭すように。

 

「そういう日もある。わかってるでしょ?」

 

梓は口を閉じて、ぎりぎりと口の中を牙で刺す。何度も執拗に。

どろどろの血が口の中を満たして、それを飲み込むと、ちょっとだけ気持ちが落ち着く。

 

ふうっと息を吐いて、「ごめんなさい」と、ぺこりと頭を下げた。

 

 

一美は梓の頭を一度撫でて、よろよろと台所へ行った。

お湯をためたボウルにフリーザーバッグ入りの血液パックを入れて、いつものように温め始める。

 

「……おなかすいた」

 

ぐつぐつと煮立っているお湯みたいに、自分の中に熱くて嫌なものが溜まってる。

今日溜まった嫌なものが全部全部、暴れてる。

 

ヴァンパイアだけど、ストレスは溜まる。こういうもやもやがストレスなんだ。

ストレスが溜まると、人は嫌な人になるってパパも言ってた。

人間だった頃にストレスって言葉はあんまり使わなかったけど、人間じゃなくなってたくさん理解した。

 

 

ストレスは抜かないと。

 

ストレスが溜まったら、自分を甘やかした方がいいって言ってた。

 

ちょっとぐらい、自分に甘いことをしたい。

だって私はヴァンパイアだから。

 

 

「……ママ。今日は、お風呂で食べたい」

 

梓はゆらりと立ち上がって言う。

一美は振り向かなかった。

 

梓は薄っすらと笑っていた。

これから楽しいことが始まるから。

 

別に初めてのことでも無かった。

食卓で血液パックを食べるようになってからも、何度か梓はお風呂に持って行って食べていた。

 

大雨の日。

体育の見学で、可哀そうって目で見られた日。

日差しが強すぎた日。

 

気持ちが辛くなって、もやもやしても、家に帰ったらおいしい血がある。

 

思いっきり噛みついて、引き裂いて、飲み干せば全部どうでもよくなる。

 

私はヴァンパイアだから。

 

誰も傷つけてないから大丈夫。

 

 

梓は薄っすらと笑みを浮かべ、一美の前に立っていた。

赤い目を細めて、目の前の人間を見ていた。

 

「しばらく我慢するから。今日パパ帰ってくるの遅いと思うし」

 

根拠のない言い訳がすらすらと口から出てくる。

 

「ママも食事の時の片付け、少ない方が楽でしょ? ね? 食べていいよね?」

 

残り少ない血液パックを、こんな無計画に食べるなんて良くない。

そんな声が一瞬だけ梓の中に響いて、黒い手にかき消されて消えた。

 

 

一美は、目を逸らし、こくりと頷いた。

 

「あはっ♪ ママありがと!」

 

梓は手をアルコールティッシュで拭いて、制服のシャツを脱いで、下着姿でブレザーを畳んだ。

部屋着に着替えて、ソファに座った。

 

薄ら笑いを浮かべて、牙を自分の指で撫でる。

指先に牙を刺すと、黒い血が溢れてきて、それをちゅうっと吸い取った。

食事を待つときの楽しみ。

 

この牙が首の柔肌を貫いて、その内側にある血肉を抉り出して、冷たい身体に熱を帯びるその瞬間を待ち望んで。

 

 

 

一美は、梓が背を向けているのを確認して、台所の壁に寄りかかった。

僅かに緊張の糸を緩めた。

 

乱れた呼吸を整えて、ぐらぐらする視界の中で、コンロの横の引き出しからサプリメントを取って飲む。

歯を食いしばって流し台によりかかって、ボウルに指を浸す。

 

娘にご飯を用意しないと。

私は母親だから。

 

ボウルからフリーザーパックを出して、中身を取り出して、キッチンペーパーで拭く。

一度頬にあてて、温度を確かめて。

 

「ふうっ……」

 

苦しくなった肺から息を吐いて、後ろに振り向いた。

まだ娘は、じいっと何も点いていないテレビを見ていた。

娘の指先が、僅かに口元のあたりで動いているように見えたが、きっと気のせいだと思うことにした。

指で()()()()()なんて、17歳の娘がするはずがないから。

 

一美は大きく深呼吸して、梓の元へ行く。

 

「できたわよ」

 

いつも通りを装って言ったけれど、少し冷たい口調だったかもしれない。

いつもの娘なら、それに気づいて心配そうに見てくるはずだった。

 

「ありがと」

 

しかし今の梓は、薄っすらと笑ってそれを受け取って、片手で不器用に隠して舐めた。

真っ赤な目が母への興味を失って、じいっと血液パックだけを見ている。

 

梓は立ち上がって、部屋着を雑に廊下に脱ぎ捨て、下着姿でお風呂場へ歩いていく。

 

とん、とん、とん、と規則的な足音が聞こえ、お風呂場の引き戸が閉まる音が聞こえた。

 

 

 

怪物との対峙を終えた一美は、その場に座り込んだ。

 

「はぁ……」

 

ぐっしょりと額に嫌な汗をかいている。

前傾姿勢になって、腹式呼吸を意識して、数を数えながら一定のリズムで呼吸する。

 

恐怖心じゃない。

ただの体調の問題。

 

あれは娘。優しくて愛しい、私の娘。

 

不安定になっている脈をはかるため、左手の指を二本、右手の動脈部にあてて確認する。

緊急性はないと判断して、前傾姿勢のまま目を閉じる。

呼吸が安定してくるにつれて、冷や汗が引いてくる。

 

今日も一つ、母親としての仕事をした。

娘を無事に学校へ送り届けて、娘のために食べ物を作った。

 

あれは自分の娘。絶対に間違いない。

ちょっと機嫌が悪いだけ。

梓は優しくて穏やかな子だけど、気分の浮き沈みぐらいある。

 

 

こうやってその場しのぎをしても、体の不調が終わることなんてない。

それは自分が一番よくわかっている。けれども止めるつもりもない。

 

 

自分が梓の母親だから。

 

 

「ふぅー…………」

 

頭の中で夕飯の献立を考えながら、今日の運転を振り返る。

一度意識が途切れかけて、センターラインをはみ出してしまった。

かなり危ない兆候。別の手を考えないと。想定より早く症状が悪化している。

 

いっそもっと悪化させて、病院に行けば。

 

 

それは()()()()()()()()()()()()()()()()()行為。

露呈(ろてい)のリスク。手が後ろに回るリスク。自分の命のリスク。

脳内の全てが警告を発していた。

 

ブラックアウト寸前の意識がかすかに、何かを破く音を捉えたが、目を開ける気力が無かった。

 

 

 

三浦(みうら)家の浴室。

 

下着姿の梓は手元の血液パックを両手で抱えるように持って、一度、口づけをする。

 

暖かい。

人肌みたいな暖かさ。まるで人間の首筋みたい。

 

人は噛んじゃダメ。でもこれならいい。

どれだけ汚しても大丈夫。今ならだれも見てない。

 

だって私はヴァンパイアだもん。

おやつを食べるだけだから。

 

ぐるぐると自分の回る黒い罪の影に、梓は牙を立てて睨みつけた。

黒い影は一瞬で霧散して、また梓は薄ら笑いを浮かべて目の前の食べ物を見る。

 

「えへへ……」

 

おいしそう。

今だけはぜいたくしたい。

暖かくて、噛み心地も悪くなくて、おいしそう。

噛みちぎりたい。ぐちゃぐちゃに噛んでしまいたい。

 

私はヴァンパイアだからいいんだ。

誰も傷つけてないから。

 

「いただきます」

 

梓は牙を立てて、血液パックに食らいついた。

一瞬も耐えられずに弾けた血液パックから、暖かい血が溢れ出て口内を満たす。

自分の血なんかよりもずっと暖かくて、美味しくて、満たされる。

 

心の中で煮えたぎっていた気持ちが、真っ赤な血で流されていく。

 

体を前に傾けて、血液パックと自分の手を床に押さえつけて。

何度も噛みついて、溢れ出てくる血に悦ぶ。

 

暖かくて、満たされていく。今日あったことなんかどうでもいい。

 

たのしい。

おいしい。

 

「はぁっ、はあぁっ」

 

犬みたいに這いつくばって笑いながら、何度も噛みついて血を吸う。

口の周りを真っ赤に染めて、血液パックをぐしゃぐしゃにして。

 

これは人間の首。

 

これは人間の首!

 

私は噛みついてる!

 

首を噛んでる!

 

血を吸ってる!

 

もっとたべたい!!

 

 

ぱしゃり、とボロボロのプラスチック繊維の塊が浴室の床に転がった。

 

時間にして、ほんの一分もなかった。

最後の一滴を舌で舐め取って、牙に絡みついたままのプラスチック繊維を、指で掴んで引き千切った。

それがまるで人間の首の繊維を噛み切ったみたいで、また少し気持ちよくなった。

 

牙をむき出しにして、天井を仰いで、ふうっと一度、熱い息を吐き出す。

 

そうして、5秒。

 

「…………はぁ」

 

梓はばたりと浴室に倒れた。

おなかの中が暖かい。体が火照っていて、気持ちいい。

 

 

足りない。

どうしようもなく足りない。

だけど、物足りなさよりも、気持ちよさの方が勝っていた。

 

今は悲しくなかった。むしろ楽しかった。

ほんの今の、数分の間だけ。

 

自分はどうしようもなくヴァンパイアで、だから、ちょっと変わってる人になろうとした。

食事の仕方だって、ちょっと変わってたって別にいいんだ。

 

誰にも迷惑をかけないところで、こうやって気持ちのままに血を吸うと、なんだか全部どうでもよくなって、すごく気持ちがよくなる。

 

いけないことだってわかってる。

三浦梓は人間だから。

 

だけど、あと数分だけ、この高揚感に酔いしれたかった。

 

 

これは最近見つけた新しい趣味。

だけどもう終わりかもしれない。

 

 

血液パックの個数は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

私の財布の中のお金と違って、ママやパパがこっそり入れてくれてる様子はない。

 

そんなこと出来るはずが無いものだから。

 

 

 

食べる頻度を、減らさないと。

 

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