はらぺこヴァンパイア 作:棗の
「おつかれー」
「おつかれさーん」
今は使われていない三階の隅の教室。先輩たちが交渉を重ねてなんとか勝ち取ったらしい。
「ちーちゃんおつかれぇ。あっついよねぇ」
先輩たちから離れた所で待つ笹川の前に、髪を後ろで結んだ
制服のシャツのボタンが第二まで空きっぱなしで、スポーツブラをつけた胸元の膨らみが見えている。
「……ボタン。ちゃんと締めな」
笹川がため息と共に言った。
「あ、ほんとだ。あっついからさぁ」
「帰り道に男子いるでしょ」
八坂が渋々ボタンを閉じて、笹川の隣に立って歩く。
数歩も歩かないうちにスマホを出して、LINEを開いた。溢れるような通知の中で、必要なものだけ取って開く。
「
最近八坂が付き合い始めた、隣のクラスの
LINEに、BeRealに、昼休みの校外デートにと、謳歌しているらしい。
「夜までやってること多いし。どうすんの? 帰る?」
「帰るよぉ。買い物したいし」
そうやって言葉を交わしながら、二人は歩く。
「インスタさぁ、また変わってるよねぇ。ハイライト見づらくなってるんだけど」
「そうね」
いつものように八坂が適当な話を振って、笹川が相槌を打つ。
中学の頃からずっと繰り返して来た流れ。
帰路の途中、
横浜駅から繋がった、そごう百貨店を目指していた。
笹川も人の波をぬってついていき、やがて百貨店内の雑貨屋に辿り着いた。
黄色い看板のよく行く雑貨屋。
「……ここ?」
「そぉ。ゆかっちに何か買おうと思ってさぁ」
「
千夏は無意識に、通学鞄の肩紐を握っていた。
一昨日の昼、八坂と喧嘩した友人。
八坂の表情を伺うと、垂れ目の眉をさらに下げて、足元を見ていた。
「ゆかっちにひどいこと言っちゃったからさ……お詫びに何かって感じで」
「……そうね。いいと思う」
八坂は化粧品のコーナーへ歩いていき、小さなハンドクリームを手に取った。
クロエの香水の大人びた香りに、近くにいた大人たちが思わず振り向く。
「ゆかっち、指とか爪荒れてて痛そうだしクリームとかいいと思ってさぁ」
消えかけた由佳の怒りの炎に、善意の薪をくべるような行為。
友達思いなのはいいことだが、由佳は早紀の図れる価値観で動いていないだろうと千夏は思っていた。
少なくとも、八坂にその”施し”を受けることを由佳は望んでいない。
まだ付き合い始めて少しだが、何となくその直感はあった。
「……そ、それはあたしが買っとくから、早紀はお菓子がいいんじゃない? みんなでシェアしようよ」
由佳の地雷が早紀のどこにあるかわからないが、自分に対してはかなり好意的だった。
どうしてかは分からないが、話していけばその内わかることだと千夏は思っていた。
その地雷を掘り起こそうとすることは、友達の一線を超えることだと思っていたから。
「そうしよ! あ、でも、あずちんの分……」
「……
千夏自身、由佳以上に、梓とどう向き合えばいいかわかりかねていた。
シェア用のお菓子といつも使う乳液を手にとって、レジに並ぶ。
その間に、千夏は思う。
授業中暇で梓ちゃんやクラスの人をよく見ている早紀が言うには、梓ちゃんはおなかをすかせたり、喉が渇いているような素振りもないらしい。
お弁当を一口欲しいって言ったこともない。
ネットで軽く調べた程度だけど、アルビノは生まれた時かららしい。
生まれた時から特別な食事しか食べられないのなら、普通の食べ物に興味がないのかも。
普通の食べ物を食べない人。
人生で一度もあったことがない人種。
梓ちゃんは何を思って、自分たちと一緒にお昼ご飯の場にいるんだろう。
誘ったのは軽率だったかもしれない。
あの優しく、ちょっと危なっかしい友人は、毎日食べたい気持ちを我慢しているのかもしれない。
「あずちん、夜にまとめて食べるタイプって思うんだよねぇ。夜に筋トレとかして、その後たくさん食べたりとかさぁ」
「そうかもね。梓ちゃん、姿勢すごくいいし何かやってそう」
同い年と思えない大人びた体つきの友人。
胸大きめの八坂よりもさらに大きいが、猫背気味の八坂と違って背筋は伸びていて、真面目そうな雰囲気。
肌も髪もものすごく綺麗で、美意識もすごく高そう。
運動は苦手らしいから、身体のケアをきちんとしている子なんだと思う。
そんな見た目と裏腹に、言葉やちょっとした動きが子どもっぽくて、アンバランスで、危なっかしくて——魅力的に見える。
八坂や由佳が惹かれるのもわかる、守ってあげたくなる感じの子。
長い間地方にいたらしいし、ちょっと人付き合いも苦手なタイプなのかも。
あの綺麗な赤色の目を潤ませ、悲しそうに昼食の教室を去る姿を見た時、なんだか放っておけない気がした。
お節介なのかもしれないけれど。
「2760円になりますー」
会計をQRコード決済で済ませて、店を後にする。
そごう百貨店を出ると、雑踏はさらに密度を増していた。
「ゆかっち、これで許してくれるかなぁ」
笹川の隣、手が触れるほど近くを歩く八坂は、悲しげに笹川を見て言った。
どこか懇願するように。
笹川は思う。
許すとか、許さないとか、そういう話ではないかもしれない。
早紀は確かにノンデリなところがあるし、距離感もちゃんとはかれていない。
だけど、友達として接する相手に嫌われるような子じゃないはず。
由佳の積み上げてきた過去の何かが、早紀の何かと合わないように見える。
何かは分からないが、それを言葉にすることが良くないことだけはわかる。
梓ちゃんとはまた違う方向で壁を感じる友達——由佳。
梓ちゃんと、自分と、早紀。その三人グループに、おのずと混ざって一緒にいる友達。
明るいけれど、裏表のある子だとすぐに気づいた。
その表しか、まだほとんど見たことはない。
裏を見せない理由は、おそらく——見せると嫌われると思っているから。
恐怖の感情かもしれない。
それなら、裏返すべきではない。
この仲良し四人グループを崩したくない。
リーダーぶるつもりはないけど、できることはしたい。
「……そうね。きっと大丈夫よ」
その言葉にぱあっと花開くように八坂が笑った。
「だよね! よかったぁ……」
自分にできることはなんだろう。
そう思いながら、笹川は八坂と共に雑踏の中へ混ざっていく。