はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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第一章
「ごめんなさい」-2023年12月15日23時15分


(あずさ)は飢えていた。

 

 

上空に停滞する寒気で、一日冷え込んだ日。

気温は零度に迫るほどで、そんな中歩く人影はまばら。

 

駅から少し離れた、二車線道路の脇の歩道。歩道の左右には、電気の消えたオフィスと、コンビニ、チェーン店居酒屋。

街灯は明るいが、照らすのは車道のほう。

歩道は薄暗かった。

 

煌々と明るいコンビニの前を、20代程の男性が通り過ぎる。

コンビニにも、前にも、後ろにも一瞥もせず、手元のスマホでYouTubeを見ている。

 

その後ろを、三浦(みうら)梓が歩く。

 

黒いウール生地のフード付きダッフルコート。長いベージュのスカート。

黒のハイソックス。黒の学校指定ローファー。

 

フードから出る髪は肩までの黒髪。

顔立ちは10代後半ほど。

 

口をきつく引き結んで、目の前の男を追いかけて歩く。

 

その肌は純白だった。

梓の足元のガードレールよりも、眩く輝くコンビニの看板よりも白い。

毛穴一つ見当たらず、ファンデーションの切れ目すらも見えない。

 

フードの内にある、上向きにカールした睫毛の内の眼は、赤かった。

まるで鮮血のように。

 

 

梓は飢えていた。

 

 

コンビニを通り過ぎた男は、スマホに目を向けたまま交差点を曲がった。

その先にある地下鉄入り口に入るつもりだろう。

 

梓はぐっと拳を握りしめて、速足でそれに続いた。

 

男より数秒遅れて曲がった先で、周囲を確認した。

少し先に、地下鉄の入り口を示す青い看板。

誰もいない。車も来ていない。

営業中の店もない。

ビルの壁に付けられた監視カメラも、こちらを向いていない。

 

 

ここなら、食べられる。

 

 

拳をぎゅっと握り、赤い眼で男の背中をじっと見る。

口が少しだけ開いて、はぁっと息を漏らす。

 

梓は体を屈めて、まるで短距離走のスタートのように走り出す。

 

男までの距離は五歩。

 

一歩、二歩、三歩、四歩。

 

ローファーが甲高い音をあげる。

男が何かに気づいたように、スマホを下ろそうとする。

 

五歩目で、梓は男の首に食いついていた。

 

右手を男の肩に、左手を男の口にめりこませて、男に飛びかかった。

小さな口を精一杯に開いて、噛みついていた。

 

「あぅ……っ!」

 

男が何か叫ぼうとして、声は出なかった。

梓の左手人差し指と親指が、舌を掴んでいたからだ。

 

男は勢いよく歩道に倒れ、手から離れたスマホが歩道にカンカンと音を立てて転がる。

 

梓は荒い息を立てながら男の首筋を噛み続ける。

梓が突き立てていたのは、小指の先ほどの大きさの二本の犬歯だった。

皮膚を破り、大動脈まで達した歯の隙間から、鮮やかな赤の血が噴き出る。

梓の紫がかった舌が、そのすべてを逃さないと言うように、傷口をなめ続ける。

 

男は体を起こすために腕を動かそうとして、その腕が梓の肩に届く前に、動かなくなった。

急激に血液を失った身体は、びくびくと痙攣(けいれん)するばかりだった。

ショック状態に陥った男に、助けを呼ぶ意識は残されていなかった。

 

 

梓はもう飢えてはいなかった。

 

 

長い牙を男の肩からえぐるように抜いた。

少しだけ残っていた血が噴き出て、それも慌てて舌で舐め取った。

 

真白い肌には赤い血しぶきが飛び散り、もともと血で黒ずんでいたダッフルコートには、赤黒い模様が新しく描かれていた。

 

梓はふうっと一つ息を吐いた。

赤い目を細めて、一言。

 

「ごめんなさい」

 

小さな声で呟き、男の体を脇の下に手を入れ持ち上げる。

すぐそばのビルとビルの間の小さな路地に投げ入れて、自分もそこへ入る。

 

ふうっと息をついて、体を起こし、路地から顔を出す。

誰もいない。

近くに営業している店もない。地下鉄からも、誰も出てこない。

 

歩道に転がったYouTubeを流しっぱなしのスマホを拾い上げる。

画面を見ると、よく知っている音楽のMVが流れていた。

 

血まみれの指でタップして、それでも再生が止まらず。

また何度もタップして、画面が赤黒い指紋だらけになってようやく止まった。

 

梓はそのスマホを男の体の胸ポケットに入れて、はぁっと無色の息を吐く。

 

男の前に座り込み、赤黒い首筋にまた噛みついた。

そこからいまだ漏れ出る血を、数分かけて吸い続けた。

 

 

喉を通る血がなくなって、梓は立ち上がりふうっと息を吐いた。

むき出しの膝には、どこかにぶつかって擦りむいたであろう、擦り傷がある。

擦り傷はどす黒く、真白い肌の中ではよく目立つ。

しかしそれを梓は気に留める気配もない。

 

梓は自分の腰からポケットティッシュを取り出し、手にこびりついた赤黒い血を拭きとった。

 

男の遺体をひっくり返し、腰のポケットを漁る。

左を漁って、右を漁って、財布を取り出す。

開くと、一万円札が四枚と千円札が二枚。小銭が少し。

 

「ごめんなさい」

 

小声で言って紙幣を抜き取って、元の場所へ戻す。

腰からピンクの財布を取り出した。

財布にはカワイイキャラクターが描かれていたが、赤黒い汚れがたくさんついて絵柄はわからなくなっていた。

財布を開いて、人の財布から抜いたお金を詰め込む。

手元に千円札を一枚だけ残した。

 

梓はスカートのポケットから、自分のスマホを取り出す。

金色のカバー裏にはプリクラが貼られていたが、赤黒い染みで何が映っていたかは判別できなくなっていた。

血まみれの指でスマホを操作し、電話をかける。

 

画面に映った名前は、”ブラックドッグ”

 

「……もしもし。死体、一つ、引き取ってください」

 

それだけ言って、通話を終える。

 

はぁっと息をついて、赤い眼を閉じて、男の遺体に両手を合わせる。

 

「なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。ごめんなさい。お腹がすいてたんです。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

両手を合わせて擦る音が数度鳴って、また路地は静かになる。

 

 

梓は路地の外から見えないよう、大型の室外機の陰に身を隠す。

室外機から出続けていた生暖かい風が、カラカラと音を立てて止まる。

 

どこかの店が営業を終えた。

エアコンが止まったのなら、横のビルから人が出てくる。

早く逃げないと。

 

梓はきゅうっとスマホを握る。

 

「はやく来て……」

 

胸の前にスマホを抱える。

こういう時に動くはずの心臓は、もうだいぶ前から動いていない。

額に浮くはずの汗も出てこない。

恐怖をごまかしたくて、まだ少しだけ血が残っている自分の牙を舐める。

 

路地の外の道路を一台車が通って、それでもまだ呼んだものは来ない。

ぎりぎりと奥歯を噛んで、左右のビルに切り取られた天を仰ぐ。

 

切り取られた天の一部が、すうっと黒い布に覆われた。

 

布はするすると竜巻のように巻いて、梓と遺体の前でにゅうっと伸びて、成人男性ほどの高さになった。

布はトレンチコートをまとった長身の男のような姿を取る。

頭には輪郭だけのフェドーラ帽。

その左右からは、ドーベルマンのような犬の耳が飛び出ている。

 

犬のように見える頭部に、白い切り込みが三つ入って、鋭い目と笑った口のような形になる。

 

背丈にして180センチほど。

黒い折り紙だけで作った切り絵のような異形がそこにいた。

 

「ご利用いただきありがとうございます。それでは、料金を頂きましょう」

 

異形が慇懃(いんぎん)な男の声を出した。

 

梓はさっき抜き取った千円札を差し出す。異形からすうっと布が伸びて、千円札が吸い込まれる。

 

「では、処分いたします」

 

異形の足元が伸びて、男の遺体に絡みつく。

まるでゴミ袋に入れるような音を立てて、男の遺体が折りたたまれ、伸びた足元にしまい込まれていく。

ごきっ、こきゅっ、と、男の骨が折れる音が何度かこだまする。

異形の足元が地面に染みこむように伸びて、散らばった血痕を飲み込んで、黒く染めていく。

 

梓はじいっと赤い目で異形を睨みつけていた。

何度見ても好きになれない光景。

何の感情もないような処理。

でもこれをしないと、自分が捕まってしまう。

 

時間にして30秒ほどで、遺体とその一部だった物はすべて、異形の足元に収納された。

異形の足元が靴先まで戻り、腰のあたりが折れ曲がる。

 

「遺体の処分を完了いたしました。またご利用くださいませ。三浦様」

 

梓は答えず、怒りをはらんだ赤い目でそれを睨みつけていた。

 

異形は糸を失った操り人形のようにはらはらと地面に落ちた。

地面の染みと見分けがつかなくなって、消えた。

 

路地裏に梓だけが残される。

もう殺しの痕跡は、髪の毛一本無かった。

 

梓はゆっくりと路地裏を出た。

ちょうど横のビルからジャンパーを着たおじさんが出てきて、ビルの入り口を施錠していた。

梓は会釈して、足早にJRの駅へと歩いていく。

駅舎に書かれた上野駅(うえのえき)の文字を目指して。

 

 

 

そうして、数分後。

個人経営の漫画喫茶に、梓はいた。

 

入口の食券販売機みたいな券売機で、『ナイトパック 2000円』の表示を押して、2000円を券売機に入れた。

機械が頑張っている感じの音を出して、ぽとりと券が落ちてくる。

それをぼろぼろの受付のトレーに置いた。

 

受付の中には誰もいないけれど、『防犯カメラ作動中』の張り紙。

無機質なカメラが自分を見ていた。

 

梓はじいっと赤い目でカメラを見て、目を逸らした。

 

券に書いてあった個室に入って、スマホと財布をテーブルに置く。

カーテンを閉め、電気は点けずに、カギをかける。

 

真っ暗な個室で、腰に巻いていた黒い男物のウエストバッグを外し机に置いた。

黒い無機質な椅子に座り、天井を見上げる。

 

ここは駅から離れたところにある漫画喫茶。

使うのは何度目か分からない。

夏の頃に来たことがあるかもしれない。

 

「…………ごめん、なさい」

 

心の中に渦巻く罪悪感に、せめてもの心からの謝罪を口にした。

 

罪悪感に満ちた心から浮かんでくる、つい数十分前の記憶。

全部全部思い出さないよう、目を逸らした。

 

スマホの電源ボタンを押した。

画面右上の時刻は23時50分。

その横には”SIMカードなし”の表示。

 

部屋の壁に貼られたWi-Fiのパスワードを見て、設定画面から入力して、Wi-Fiを繋いだ。

インターネットに繋がれたスマホから一件の通知。

お天気アプリが明日の東京都台東区(とうきょうとたいとうく)の天気を教えてくれた。

雨は降らないらしい。

アプリで明日の日の出を確認した。7時45分。

 

7時にはここを出なきゃいけない。

近くに24時間過ごせるところがなかった。

 

中から財布を出して開ける。

血のついた一万円札が全部で四枚。千円札が六枚。

 

備え付けのスマホ充電器にスマホを差して、明日の昼に過ごせる場所を調べた。

明かりの無い部屋で、スマホの光が梓の顔を照らす。

人形のような、何の表情も伺えない顔だった。

 

『漫画喫茶 24時間 身分証なし 明日』

 

『学生 漫画喫茶 お昼』

 

『家出 学生 泊まれるところ』

 

指以外微動だにせず一時間調べて、歩いて30分ぐらいの隣の駅にお昼に過ごせる漫画喫茶を見つけた。

 

営業開始6時。営業終了24時。

年齢確認の書類だけで鍵付きの個室に入れて、現金だけで決済できるところ。

個人経営っぽい。

 

「いけるかも……」

 

梓はメモアプリを開いて、その名前を『上野駅の近く』と書いた欄の下にメモした。

 

数分インターネットの海をさまよって、使えそうなお店を何件か見つけた。

お店の紹介ページの必要な情報だけを目がピックアップしていく。

 

個室がある。鍵がかかる。決済は現金。

身分証確認不要で、年齢確認の書類だけのところ。

 

ルートを見ると、そのお店の前まで地下で行けるらしい。

今いる場所から15分も歩けば地下道があった。

 

「……地下なら大丈夫なはず」

 

今は体の調子もいいし、きっとなんとかなる。

最悪、ずっと地下にいればいい。

冬だから日の出ている時間は短い。

確かあの辺は地下にドトールがあった。

コーヒーで3時間ぐらい粘れるし、寝ることだってできる。

 

ふうっと息を吐いて、スマホを置く。

備え付けのティッシュで両手を拭く。

どす黒い血を拭きとって、ごみ箱に捨てる。

 

そういえばコートを脱いでいなかったことに気づいて、コートを脱いだ。

黒いセーターに灰色のインナー。

真っ白い肌は、首筋以外露出していない。

 

首筋にも赤黒い模様が散っていた。

だけどそれはもう固まりすぎて、擦っても食べられなさそうだった。

 

「……お風呂、入りたいなぁ」

 

お風呂があって、学生が利用出来て、お昼も空いてる。

そんなところは早々なかった。

 

もう明日はホテルに泊まっちゃおうかなと思ったけれど、ふるふると首を振ってその考えを消した。

お金が足りない。

たったそれだけのために無駄遣いなんかできない。

奇跡的にお金がたくさんあるとき以外は、ホテルは使わない。

そう決めたんだから。

 

「明日は6時半ぐらいかな」

 

梓は財布とスマホをコートのポケットにしまって、コートを壁に引っ掛ける。

椅子のリクライニングを倒して、胸の前で手を組んで、目を閉じた。

 

寝息もなく、梓はまるで死体のように動かなくなった。

 

 

 

 

 

翌日の朝。

夢もなく、梓は目覚める。

真っ暗な漫画喫茶の個室で赤い目を開けた。

 

 

すぐに起き上がり、ウエストバッグをつけて、コートを羽織った。

スマホと財布を確認して、コートのポケットに入れた。

 

鍵を開けて店の廊下スペースへ出た。

お店の入り口のガラスドアの隙間から、そっと外を覗く。

 

まだ日は出ていない。

繁華街は寝た時とさほど変わらない暗闇のまま。

 

ウエストバッグから黒いストールを出して、目から下に巻く。

赤い目だけがじろっと動いて、駅の改札と逆を見る。

 

昨日調べた道筋を、梓は走る。

最初は競歩で。

早歩きで、走りで、ダッシュで。

 

梓はほとんど地面すれすれを、体をかがめて走っていた。

たたたたたたたっと漫画のような音を立てて、自転車よりも早く梓は歩道を走る。

そのまま10分もせずに地下道の入口にたどりついた。

入口から地下道の中へ、一気にジャンプする。

一瞬の浮遊感。

50段ほどの階段を飛び越して勢いよく着地したが、だれも見ている人はいない。

体をかがめて走って、目的の漫画喫茶至近の入り口を目指す。

A16出口を見つけて、片足だけで地面を蹴って、階段を五段飛ばしで駆け上がる。

 

まだ暗い地上に出ると、雑居ビルがあった。

いかがわしいお店とかが入っているぼろぼろのビルの三階に、目的の漫画喫茶の名前があった。

エレベーターに乗って、三階のボタンを押した。

壊れそうな音でゆっくりと上がる間、誰とも会わないように祈った。

 

三階でエレベーターのドアが開いて、狭い通路のガラス戸を開けた。

 

ちゃりんちゃりん、と()()()()()

梓はまるで銃弾でも飛んできたようにしゃがみこんだ。

 

「やだ。やだ。やだ……!」

 

牙が下唇に食い込むほど歯を食いしばって耳をふさぐ。

音がやむのを待っていると、戻ってきたガラス戸がお尻に当たり、また鈴の音が鳴る。

 

怖い。

()()()()()()()()()()

ここはもうだめだ。二度とこない。

 

数分して立ち上がって、ふうっと一息ついた。

たばこの吸い殻が散らばっている床から目を逸らして、前にある古い券売機を見た。

受付の横にある券売機に三千円を入れる。

 

受付の中に人はいない。監視カメラと、その横に張り紙があった。

『無断利用は警察に通報します』

『ここは喫煙所ではありません』

そう書いていた。

 

受付機から券が一枚出てきて、受付機横の小さなテーブルを見た。

『未成年の方は氏名と年齢確認書類をご記入ください』

テーブルの上の紙をじっと見て、ふっと目を逸らした。

 

個室のドアを開けて、椅子と小さいテーブルだけが置かれた部屋に入る。

部屋に窓はない。良かった。

 

 

「はーっ……」

 

時計を見ると、7時21分。ぎりぎりだった。

まさか入口にあんな罠があると思わなかった。

あの音は本当に怖い。

どうしてかわからないけれど、すごく怖い音。

 

色んなお店の入口に設置されているから、入れないお店も増えた。

 

ゴミ箱の横にラミネート加工された紙が貼ってある。

お店からのお知らせの紙だった。ここはシャワーを使えるところらしい。

だけど自分には使えない。

 

コートを脱いで壁にかけ、ウエストバッグを置き、スマホを充電器にさして、Wi-Fiを繋いでブラウザを開く。

まだ知らない宿泊候補地をネットの海から探し出そうとした。

値段はナイトパックで千円から二千円ぐらいで。

 

「……だめか」

 

数分探したけれど、新しい所は見つからなかった。

メモアプリの中から一つお店を選び出して、グーグルマップに名前を入れて経路を確認した。

ここから歩いて15分ぐらい。

 

天気予報のアプリを開いて、今夜の天気を見た。

雨は降らない。大丈夫そう。

今夜の予定が決まった。

 

スマホと財布を確かめて、リクライニングを倒して天井を見た。

 

「起きるのは10時半ぐらい、かな」

 

そう言って梓は目を閉じる。

 

 

寝て、起きて、逃げて、寝て、起きて、寝て、起きて。

 

殺して、食べて、消して。

 

寝て、起きて、寝て、起きて。

 

 

何か月も、ずっとその繰り返し。

 

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