はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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父と娘(一)-5月15日19時15分

三浦浩平(みうらこうへい)は自宅付近の公園にいた。

 

 

(あずさ)、ボールを投げればいいのかい?」

 

「うん。思いっきり投げて。本気で」

 

娘の三浦梓と共に。

 

遊具のまばらな、住宅街の真ん中を開けて作られた公園。

昼は子どもたちが遊んでいる公園だが、日が沈めば殆ど誰もいない。

端っこの方で高校生男子二人が、スマホでゲームしているぐらいだった。

 

 

今日の夕食は外で食べることになっていて、食事前の運動も兼ねていた。

 

浩平が帰ると、妻の一美(かずみ)は眠っていた。

一美の体調を心配する梓に「じゃあママは休んでもらって、外で贅沢しちゃおうか」と言った。

 

梓は収納で眠っていたバレーボールを引っ張り出し、浩平を公園に連れてきた。

 

その理由はわからないが、理由を聞くよりも、高揚の方が勝った。

 

 

 

浩平は思う。

夜だからこそ、娘は楽しそうにしている。

きれいな服を着て、子どもみたいにはしゃいでいる。

男の子がいたらキャッチボールとかしたのかもしれないが、梓とは一度もしたことが無かった。

まさか初めてがこんな夜の公園だとは思いもしなくて、ちょっと可笑しかった。

 

ヴァンパイアとは本当に不思議なものだ。

ぞっとするほど冷徹な表情の時もあれば、昔の梓と変わらない顔をすることもある。

それはまるで振り子のように揺らいで、娘の心を惑わしているのだと思う。

 

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愛する妻から、愛する娘のここ一か月のことは聞いていた。

無数の苦痛と悲しみを抱いて、それでも学校に通い続けていると。

それほどまでに娘は、逃亡の一年の間で今のこの瞬間を渇望していた。

 

娘は多感な時期だし、男の自分ではどうしても直感的に理解できない事もある。

医療に精通し、自分よりもよほど多くの悩める人と触れてきた妻の方がうまくやれることもたくさんある。

だから自分は、金銭でもって家を支えようと決意していた。

 

しかし今は、それ以外のことも娘のためにできるようだった。

それが堪らなく嬉しかった。

 

「パパ! 思いっきり投げて!」

 

浩平はぴょんぴょん跳ねる娘へ、全力でボールを投げた。

念のため外れても大丈夫なように、低めの弾道で。

 

梓は赤い目をすうっと動かして、しゃがみこんで、バシン! と音を立ててボールを両手で掴んでいた。

梓の髪の毛がふわりと動く。立ち上がって、ボールをじっと見る。

 

「……あれ? パパ、本気で投げた?」

 

「8割ぐらい本気だよ。ちょっと運動不足で衰えたかも」

 

梓はボールを片手で上空へ放り投げた。ボールは数メートル舞い上がって、梓の手に吸い寄せられるように落ちた。

 

「ちょっとゆっくりすぎない? もっと早く投げても大丈夫だよ」

 

梓はしゃがんで、片手でボールを転がした。

ボールがまるで蹴り飛ばされたような速度で迫ってきて、浩平は腰でボールを掴んだ。乾いた音が夜の公園に響く。

 

「……あ、ごめん。パパ大丈夫?」

 

「すごいね。大丈夫だよ。いいボールだった」

 

浩平は額の汗を拭った。

元ハンドボール部とはいえ、15年近くのブランクは無視できなかった。特撮映画のCGみたいな動きをしたボールに、背中から汗が噴き出る。

 

「じゃあ今度はもっと早く投げるよ。いい?」

 

「いいよ。思いっきり投げて」

 

梓が白い手を小さく振った。

 

浩平は片手を振りかぶって、アンダースローで投げた。

梓は首を傾けて、赤い目がボールを追いかけて、半歩ステップして、左手ですくいあげて、右手が上からボールを押さえた。

 

「……今のって何キロぐらい出てるかな?」

 

「うーんどうだろう。50キロぐらい?」

 

「そう? なんかすごくゆっくりだったけど……」

 

梓が不思議そうにバレーボールを見ている。

 

「梓は動体視力がすごいのかもしれないね。それに力も強い」

 

浩平はシャツのボタンの一番上を外して、娘に背を向けてぱたぱた仰いだ。

四十を超えたばかりの体でいきなり全力を出して、肩が悲鳴をあげていた。

 

 

梓はボールを置いて、歩いて浩平に近寄って、小声で言う。

 

「あのねパパ。私、球技大会があるの。たぶん投げたら大けがしちゃうから、取ったり、他の人に渡す練習をしたいの」

 

ようやく、いきなり始まったキャッチボールの意図を理解した。

 

「……そういうことか。それなら練習に付き合うよ。種目は?」

 

「ドッジボール。取って他の人に渡す役目ならできるかなって」

 

梓は思う。

出たいって言った以上、できることはしたい。

取って渡すだけならきっと大丈夫だから。

 

ヴァンパイアの腕力や動体視力は、私が思っている以上にすごい。

さっきのパパのボールぐらいなら、見てボールの網目を数えて取って投げ返すことだって出来そう。

もちろんそんなことはしないけれど。

さっき転がしたのだって、ちょっと力を入れただけだったけど、すごい速さになっちゃった。

 

なんだか私、おばあちゃん家にあった古い扇風機みたい。

昭和時代の、ボタンを押すと三段階で風の強さが変わる使いづらいやつ。

すごく弱い、弱い、すごく強いの三つしかなくて、子どもの頃、すごく弱い以外怖くて押せなかった。

 

ちょっとでも力を入れると、漫画みたいな力が出ちゃう。

そんなものいらないから、今はただ、気兼ねなくドッジボールができる力が欲しかった。

 

この公園も、昔と見え方が違う。

光がないところも、青っぽく光って見える。

ヴァンパイアが持ってる暗視能力のせい。

 

 

「そうだね。だけどさっきの取り方だとちょっと怪しまれるから、お腹で押さえるように取ろう。ボールを押さえすぎないようにね」

 

浩平は梓にゆっくりとボールを渡し、年甲斐もなく動いて人間らしいボールの取り方を教えていく。

 

昔この公園で梓とテニスの練習をしたときみたいで、夜の闇すらも淡く光って見えていた。

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