はらぺこヴァンパイア 作:棗の
アクセサリーのショップから出ると、もう20時近い時間。
ここからが本番。
告白までのステップをもう一つ踏むんだ。
「あっ、
緊張で声が上ずってしまう。
あまりにも綺麗な梓の赤い目が、無邪気に自分を見ている。
「そうだよ。由佳ちゃんも?」
「そうそう。だっ、だから! 西口の方でカラオケとかどう!?」
完璧……ではないけど言えた。
梓は歌うのが好き。入学式すぐのときに言ってた。
ここで梓と二人きりになって、ちょっと抱きついて、ドキドキさせて、意識させる。
そこで女の子同士ってどう思う? って冗談ぽく聞く。できるだけ自然に。
梓から拒否されなければ今日は成功。梓は優しいしきっと大丈夫。
次に――
「……ごめん。カラオケはちょっと行けない」
梓が堅い表情で目を伏せて言った。
由佳の心臓が跳ねる。
「え、えっ? い、行けないって」
「ごめんね。カラオケ苦手なの。他のところにしよ?」
由佳は焦燥のままに、握ったままの手をぎゅっと強く引っ張り、詰め寄った。
「そ、そんなことないでしょ!? 入学式の次の日に歌うの好きって言ってたじゃん!」
梓が一瞬驚いた顔をして、申し訳なさそうに目を逸らした。
「そ、そうだけど……ええっと、最近ちょっと嫌な事があって」
梓が何か考えてる。嘘を考えようとしてる。
ヴァンパイアだからだ。
ヴァンパイアでカラオケが苦手? どこが?
十字架もお寺も水もない。暗いところだしむしろ好きな場所のはず。
歌が苦手? 聖歌とか讃美歌は苦手そうだけど、そんなの歌う人いない。
数秒ぐるぐる考えても答えが出ない。ヴァンパイアとカラオケは全然結びつかない。
それ以外のこと。普通の人としてカラオケが苦手。
歌が下手――たぶん違う。歌が下手な人が歌うのが好きなんて言わない。
カラオケで嫌な店員に当たった――お店の名前聞けばいい。
カラオケで怖い目に遭った――まさか。
「お……男の人関係?」
「男の人? ……あ、ううん。違う。そんなんじゃないよ」
梓は笑って首を振る。
クラスにそんなことする人いないし、私がそんな興味持たれると思えないし、と梓は思っていた。
しかし由佳にその言葉は届いていなかった。心の中で怒りと嫉妬が渦巻く。
何か隠してる。
ぜったい男だ。男が梓に乱暴したか、梓とデートしたんだ。
思い当たる奴はクラスに何人かいる。
梓は優しいし押しに弱そうだから、誘われたら断らないに決まってる。
デートも、カラオケも、もしかしたらその先も!
許せない!
由佳がぎゅうっと強く梓とのつながりを握る。
でも言えない。梓にまだ告白してない。
梓はフリーだ。
どうしよう。告白しちゃおうか。
ダメ。成功率が低い。
「……由佳ちゃん? どうしたの?」
梓が身をかがめ、由佳に目線をすこし合わせた。
急に黙って、口を引き結んでる。
怒ってる? なんで? カラオケそんなに行きたかったのかな。
あんなことが無かったから私も行きたいけど、今はどうしても行く気になれない。
「あの、ごめんね。カラオケ以外のところにしようよ。コーヒーのお店とかどう?」
由佳のプランがまた崩れていく。
球技大会といい、今回といい、梓の知らないことがまだいっぱいあるせいだ。
もっと知らないと。
梓にいっぱい話できて、ちょっと密着できるところ。
食べ物とお金を使う所以外で、高校生が行っても違和感のないところ。
思いつかない。どこに行っても大人が多くて、お金がないと入れないところばかり。
みなとみらいのロープウェイはまだだめ。次のデートで使うから。
観覧車もダメ。3回目のデートで使うから。
川沿いを歩くだけ……梓は川が苦手だからダメ。
頭がぐるぐるして、息が荒くなってくる。涙が出そうになる。
せっかく手に入れた梓とのデートの機会なのに、どうしてこんな悲しくなってるんだろう。
全部男のせいだ。男が梓に乱暴したから。
急に黙って体を震わせ始めた由佳に、梓は困り果てていた。
カラオケは由佳ちゃんの頼みでも行けない。誰かと一緒に行って、あの歌を聴かせるわけにはいかない。
あれからもう音楽も聴くのが嫌になってきていた。
ヴァンパイアが歌うなんてやっちゃいけないことだった。
由佳ちゃんとは結構仲良くなれたと思うし、夜なら遊びに行けるからOKしたけど……こういう時、どうすればいいんだろう。
「あ、え、ええっと、ちょっと座ろ。ね?」
梓はちょっとだけ力を入れて、機械みたいに締め付けてくる由佳の手を引いた。
由佳が「きゃっ」と小さな声をあげてよろめく。そのまま梓の体に倒れこむ。
由佳の繋いでいない方の手が、ちょうど梓の胸に触れた。
むにゅん、と由佳の手が梓の胸に沈み込む。
由佳が目を見開いて梓を、自分の手を見る。
妄想の中でしか触れなかったものを触ってる……!
「あ……ごめん。大丈夫だった?」
「だっ、だだだ大丈夫! ごめん!」
由佳が両手を放して飛びのいた。
爆発しそうなほど心臓の鼓動が速くて、両手が震えてる。
梓のおっぱいを掴んだ形のまま、手が固まってる。
じんわりと暖かくて、すごく、柔らかかった。
「あのさ。ちょっと座らない? そこのベンチ空いてるし」
梓は特に顔色も変えずに言って、近くのベンチに目を向ける。
由佳は何度もうなずいて、梓のすぐ横をぴったりついてぎこちなく歩いた。
ベンチに由佳が座ると、梓は近くの自販機からペットボトルのお茶を買った。
由佳からすこし離れて座って、お茶を渡した。
由佳は胸の奥が風邪をひいたときみたいに熱くて、冷たいお茶を流し込んだ。
すうっと気持ちが落ちついてくるけれど、梓の胸に触った手だけはすごく熱い。
触っちゃった。
人生で初めて他の子のおっぱいを触っちゃった。
しかも梓の。
やっぱりおっきい……。
その喜びの足元から、湧き上がるように不安がこみあげてくる。
触るのは付き合ってからのはず。
梓が女の子同士でもそんなに悪くないって思う人だって、確認してからのはず。
そうじゃないと――
全部飛ばしちゃった。
気づかれたらどうしよう。
レズだって言うのも告白するときのはずだったのに。
嫌われたらどうしよう。
――ごめん。無理。
遠い記憶。
半年ぐらい前の、由佳が中学3年生の時。
ずっと一緒だったあの子。
大好きで、いつも遊んでくれて、辛い現実を忘れさせてくれた明るい子。
本気で好きになって、気持ちが抑えきれなくて、友達のうち一人じゃイヤだったから。
たくさん調べて、たくさん準備して。
一緒に旅行に行った日の夜に告白した。
――じょ、冗談だよね? 友達同士でそういうことしよう、って。
そして砕けて、由佳の中学生活は壊れた。
誰にも相談できなくて、無限に止まらない涙が止まったら中学が終わっていて。
高校になる直前に、梓に出会った。
この人が絶対に運命の人なんだと思った。
神様が二回目のチャンスをくれたんだと思った。
だから失敗したくないし、嫌われたくない。
今度こそ。
「由佳ちゃん? 大丈夫?」
現実に引き戻される。
恋人が赤い目で心配そうに自分を見ていた。
だめ。やっぱり大好き。
「体調悪くなった?」
「う、ううん。大丈夫。大丈夫だよ。あ、あの! さ、触っちゃってごめんね」
梓が一瞬疑問の表情をして「ああ」と納得。困ったように笑っていた。
「いいよ別に。私がちょっと力入れすぎちゃったんだよね。こけなくてよかった」
「え!? い、いいの!?」
「うん……?」
梓は、由佳が何に驚いているのかよくわからなかった。
気まずい瞬間なんて誰でもあるよね。
胸の大きい子とかだと、トイレの手洗い場とかで肘が当たっちゃったりすることもある。
自分が当てられる側になるなんて夢にも思っていなかったけど……。
由佳は「そっかぁ……いいんだ……」と下を向いて笑った。
手元のお茶のペットボトルを揺らして液面を見ていた。
梓は目を逸らして、さっき見てきた店を思い出す。
高校生のお小遣いでも行けそうなところ。
由佳ちゃんは甘い物をよく飲んでるし、紅茶とか好きかも。
「私、紅茶好きなんだけど、一緒に買いにいかない? お金大丈夫かな」
「え? 紅茶飲めるの?」
ヴァンパイアだし飲めないんじゃないの?
「今は飲めないけど、ちょっとだけね。香りを楽しむだけ。アールグレイティーの香りとか、勉強中にね」
アールグレイが好きだったのは本当だが、そんなことはヴァンパイアになって一度もしなかった。
紅茶のにおいも分かるけれど、いい匂いと感じるほどでもなかった。
梓がこくりと首を傾けて笑った。
後ろのイルミネーションが梓の顔を彩っている。
幻想的な明かりが、梓の美しさを何倍にも高めている。
夜の暗闇と、幻想の灯りを吸って、真っ白い肌のヴァンパイアが輝いている。
赤い魅惑の瞳と、僅かに見える牙が、どこまでも美しくて。
距離は数十センチ。
ちょっと身を乗り出せば、そのままキスできそう。
由佳の指がベンチを掴む。体が前に動く。
だけどそれ以上、踏み出せなかった。
「じゃ、じゃあ、わたしが紅茶買うから。一緒に香りを楽しもうよ! ね?」
代わりに出たのは、友達同士の提案。
精一杯の努力で、そう言った。
梓が笑顔で頷いて立ち上がった。
由佳も立ち上がろうとして、白い手が前に差し出された。
梓が笑っていた。赤い目と、ちょっとだけ見える長い牙。
大好き。梓。
全部のデートプランを捨てて、大好きな気持ちのままにその手を取って、二人で歩いた。
スターバックスの紅茶を買って、二人で顔を近づけて、写真を撮った。
その日は時間切れになって笑顔で別れた。
目的は達成できていないけれど、梓ならまた誘っても来てくれる。
その時にきっと。