はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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おつかれさま-5月18日20時35分

ついにこの時が来た。

 

 

血液パック。

最後の一つ。

 

 

「……はぁ」

 

(あずさ)は冷蔵庫の前で、特大のため息をついた。

 

 

今日は楽しかった。

ヴァンパイアになってはじめて、友達と遊びに行った。

 

由佳(ゆか)ちゃんはちょっと様子がおかしかったけど、最後は笑ってくれた。

 

ヴァンパイアの私でも、友達と楽しくお出かけができるんだ。

 

心の奥が暖かくなって、ちょっと鼻歌を歌ったりしていた。

 

こんな時に血を食べたらもっと楽しくなると思って、軽い気持ちで冷蔵庫を開けたのが良くなかった。

 

 

残りの血液パックの数が片手で数えられるようになってから、怖くて自分で開けてなかった。ママにお願いしていた。

だけど今日はママがお風呂に入ってたし、うっかり開けてしまった。

 

 

もう、次の血液パックを手に入れる方法がない。

 

 

そんなことわかりきっているから、目を背けて、学校生活が忙しいからって思っていた。

 

だけどまた、現実は背中まで追いついてきていた。

 

ヴァンパイアの体は心臓も動いていないし、汗もかかない。

そのはずの体が、ぐらぐら揺さぶられて、牙の先が渇くような錯覚。

 

この体だって知ってる。

最後の一つの血液パックを食べたら、次のごはんがいつか分からないって。

 

 

「……梓? どうしたんだい」

 

後ろからの声に振り向くと、梓の父・浩平(こうへい)がいた。先にお風呂に入っていたらしくて、寝間着姿だった。

梓に水滴がつくとまずいので、最近はドライヤーで髪を乾かしてから出てきている。

 

「あ……う、ううん。なんでもない。ごめんね、ジュース取る?」

 

梓が閉めた冷蔵庫の引き出しがどこなのか、浩平は見逃さなかった。

僅かに唇が何かを呟こうとして、梓の横をそっと通って、冷蔵庫の上段から炭酸飲料を取り出した。

 

冷蔵庫の前で、親子の目線が交錯する。

 

「……梓も、ごはんにする?」

 

先に口を開いたのは浩平だった。

梓はこくりと頷いて、リビングのソファに座った。

テレビをつけると、もうバラエティ番組の時間は終わっていて、ニュースの時間になっていた。

 

広がる格差、外国の戦争、殺人事件。そんな話題が流れてくる。

それは小さな針となって、梓の心を傷つける。

 

 

浩平は冷蔵庫の引き出しを開けて、最後の一つの血液パックを手に取った。

冷たく、どろどろの液体の入った化学繊維の塊。娘にとっての唯一にして最大のごはん。

 

浩平はごくりと唾をのむ。

妻がいつも、どうやって娘に食事として出していたのかは知っている。

梓がまだ小さい時、妻の代わりに哺乳瓶を温めたこともあった。

それと同じようなものらしい。

 

フリーザーバッグに血液パックを入れ、お湯をボウルに溜めて、そっと浸す。

僅かな水音に梓が振り向いた。

赤い目がぼんやり輝いて、にっこりと笑っていた。

 

「えへへ……今日はパパがつくってくれるの?」

 

そう言ったのは娘なのか、娘の中の何かか、どちらなのだろう。

 

梓はぴょんと跳ねるようにソファから起き上がって、浩平の横にやってきた。

ぱたぱたと軽い足音が、浩平の背筋を冷やす。

 

そうしてやってきた梓は、お湯の中でできあがりを待つ血液パックを無邪気に覗き込んだ。

体全体を浩平に押し当てるように近づいて。

 

「あったかい血、もうすぐたべられるよね?」

 

「そ、そうだね。もうすぐできるよ」

 

 

梓が自分への体の接触を避けるようになったのは、小学校の高学年ぐらいだった。

無邪気に「パパ」と呼んで手を握ろうとする娘も、思春期を迎えればおのずとそうなると知っていたし、僅かな寂寥感以外に何も感情は無かった。

 

 

しかし今の梓は、まるでその頃のように無邪気に体を押し付け、浩平と血液パックを交互に見ている。

淡く輝く赤い目の奥の感情は窺い知れないが、少なくともそこに娘の可愛さを感じることはできなかった。

 

「これ、最後の一つなんだよね。ねぇパパぁ、どうやって食べればいいとおもう?」

 

知っている。妻が娘の食事周期を管理し、特にここ一週間は、食事も最低限にしていたことは知っている。

新たに買うことも、増やすこともできないはずのものが、最後の一つになることはわかりきっていた。

 

 

それに対し、()()()()()()()()()()()()こともまた知っている。

これが最後とならないことも知っている。

 

 

「い、いつものように、パパと一緒にテーブルで食べよう。ママは今お風呂に入っているし」

 

その声は僅かに震えていたが、娘はそんなことを気にもしていなかった。

無邪気な笑顔のままで、赤い目でじいっと浩平を見た。

 

「……パパの手からたべちゃだめ?」

 

ヴァンパイアはこくりと首をかしげた。

 

「てっ……手、から? どういうこと?」

 

零さないようにボウルを握った浩平の手に、冷たい汗がにじんだ。

 

「パパが血をもって、私がそれを噛むの。だめ?」

 

そんなこと、一度も言われたことがない。

目の前の娘は、なぜそのようなことを?

 

娘の牙はとても鋭い。

触ったことはないが、妻からできるだけ触らないほうがいいと言われていた。

それを触ることが、娘の心に深い傷を負わせるからと。

 

ふうっと息を吐いて、浩平はボウルから手を離し、ヴァンパイアの方を向いた。

 

出来るだけ優しく、諭すような口調で。そう念じて。

 

「……そういう食べ方はよくないよ。梓、いつもみたいに、タンブラーに入れて食べよう。それでいいかい?」

 

僅かに牙のある口が開いて、何かを言いかけた。

娘の紫がかった色の口内から、ちろりと紫の舌が見えた。

捕食者の赤い瞳がじいっと浩平を見て、悲しそうに逸らされた。

 

「……うん。ごめんねパパ。ありがと」

 

それは愛しい娘の声だった。

冷たい体温が浩平の体から離れた。

 

 

「……今日はおつかれさま。友達と遊びに行って、疲れたんじゃないかい」

 

きっと疲れているだけ。

疲れたからちょっとだけ、わがままを言いたかっただけ。

そうに違いない。

 

「そう、かも。でも楽しかったよ。みなとみらいのベイクォーター、すっごく綺麗なとこだった」

 

 

浩平は妻がそうしているように、皿の上に血液パックを置き、タンブラーとタオルを並べて梓の前に出した。

 

 

梓は静かにタオルで巻いて血液パックに噛みつき、タンブラーに落として、ゆっくりと飲み干した。

 

 

次の血液パックが無い現実も、父に対して見せてしまった汚い一面も、血液の甘い味がすべて押し流して行った。

 

 

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