はらぺこヴァンパイア 作:棗の
梅雨も近い学校の昼休み。
天気は小雨。まだ梅雨入りはしていないらしいけれど、なんだか雨が増えてきた気がする。
体育と雨が重なると屋内授業になってしまうし、そうなると休みづらくなる。
球技大会に出てしまったから、屋内体育なら出られると思われちゃう。
天気の心配をするのはヴァンパイアになってずっと変わらない。
好きなのは雨の無い曇りか夜。それ以外は全部嫌な天気。
最近また、ご飯の時間に外をぶらぶらすることが増えた。
私は殺人犯で、嘘つきなのに、仲良くしてくれるみんなを避けてる。
由佳ちゃんが早紀ちゃんに冷たくするようになったのは、彼氏さんの話をするようになってから。
由佳ちゃんはもしかして、早紀ちゃんの彼氏さんの、
嫉妬、なのかも。
それか、別の人に告白したけど振られたりしたのかな。
由佳ちゃんは可愛いし、好きな人がいても、彼氏がいてもおかしくない。
私よりずっと友達もたくさんいるし、私と違って人間だから、お昼にも遊びに行ける。
私も昔の彼氏にLINEブロックされた時、しばらく学校行く度に友達に嫌な態度を取ってた。
パパと釣りに行って、釣りの時にいっぱい彼氏の嫌だったところを言って、全部受け止めてくれて、それでちょっと落ち着いたけれど。
私がヴァンパイアにされたときも、まだその時の傷が癒えていなかった時だと思う。
由佳ちゃんみたいな明るい子でも嫉妬するんだ。ちょっと安心した気分。
彼氏に振られたとき、友達の彼氏いる子がすごく羨ましくて。
自分がみじめで、たぶん嫉妬してたと思う。
嫉妬する私はなんて醜いんだって思っていた。
今まで彼氏がいたのは、高校1年生の終わりのその一回だけ。
初恋の人が小学校の時にいたけど、告白できなくてそのまま別の中学に行っちゃった。
友達として由佳ちゃんに、私に何ができるだろう。
ご飯に行ったり、一緒にスイパラ行ったりするのが普通だと思うんだけど、ヴァンパイアには出来ない。
友達を元気づけることもヴァンパイアにはできないのかも。
私だからできないだけかもしれないけど。
「はぁ……」
コミュニケーション力、足りないのかも。
そういう本とか、買ってみたほうがいいのかな。
また頭の中の”やることリスト”が増えていく。
ママの血をもらう以外に、血液を得る方法を探すこと。
“ちょっと変わった人”になること。
由佳ちゃんを元気づけること。
コミュニケーション力を上げること。
パパと一緒に釣りにいくこと。
ヴァンパイアでもできるバイトを探すこと。
……人間に戻る方法を探すこと。
人間だった頃よりずっとずっと、ヴァンパイアの高校生活は忙しない。
だけど、逃げ続けていたあの頃に戻りたいとは、絶対に思わない。
ふと、足音が聞こえた気がして、梓の思考が止まった。
梓が体を起こして振り向くと、一人の男子生徒がいた。
廊下の行き止まり、閉まっている視聴覚室の前なのに、こっちを見ている。
私を、見てる?
その男子生徒と目が合って、目を逸らされた。
「……
その男子生徒を梓は知っていた。
梓の右斜め前の席に座っている男子生徒。名前は中村。
今どき珍しい、前髪の長いツーブロックの髪型。
ぱりっとワックスで固めて、首元にシルバーのチェーンネックレスが下がってる。
制服は第二ボタンまで開けてる。
偏見かもしれないけど、ちょっとバンドとかやってる人っぽい感じ。
だけど、真面目そうな感じの人。授業もちゃんと聞いてるし。
話しかけられた中村は後ろを向いて、首を振って、そして前を向いた。
額に玉のような汗が浮かんでいた。
「あ、み、
「こんにちは」
梓は微笑を浮かべて挨拶を返した。
「三浦、や、休んでるときにごめんな。ちょっと、話したいことあって」
梓は首をかしげた。
昼休み中に何か連絡でもあったのかな。でも中村くん、学級委員とかじゃないはず。
中村は指を体の前でこねまわし、目を逸らして左右を見て、乾き続ける唇を何度か動かして湿らせ、梓の赤い目を見る。
数歩近づく。梓に手が届くより数歩手前の距離。
中村の顔が
梓はいつもの真っ白い顔で、自分の前で立ち止まった中村を不思議そうに見ている。
「どうしたの?」
もしかして言いづらいことなのかな。
由佳ちゃんと早紀ちゃんが喧嘩してるとか。
そしたら
「す、好きです! 俺と! お付き合いしてください!」
梓の思考が止まる。
中村が直角におじぎしていた。
中村の放った言葉が確かに梓に届いて、梓は理解する。
遠くから男子何人かの声がする。梓はそっちを見ようとしてやめる。
今の目の前の状況を、必死で理解しようとする。
私が、男の子に、告白された?
「え……あ、あの」
意味のない言葉が漏れてしまう。
それだけで中村がびくびくと震えだす。
額に浮いた汗が、首筋に垂れて、さらに汗が止めどなく溢れる。
私、告白されてる。
どうしよう。
慌てて、自分がソフトテニス部の副キャプテンに告白した時を思い出す。
とげとげしていて、思い出したくない記憶を引っ張り出す。
ちくちくと痛い記憶を、頑張って心の中に広げる。
確かあの時は、返事を聞くまですごく怖くて、このまま死んじゃうんじゃないかってぐらいに心臓が速くて、早く答えが欲しかった――気がする。
答えないと。何か答えないと。
中村くん……そういえば入学式の時に、名前だけ聞いた気がする。
その後しばらくして、アルビノのことを何回か聞かれたし、休みの日に何してるか聞かれた。
ドッジの時応援に来てた。
それ以外は?
それ以外が無い。
クラスにいる男の子。それ以外の認識が無い。
私が薄情なだけ? 私が知らないだけで別のものがある?
私がヴァンパイアだから忘れてる?
早く答えないと。
中村くんと私は何だろう?
クラスの人? 友達?
「……え、えと、まだよく知らないし、お友達からでもいい?」
まさか自分が人生でこんな言葉を使うとは思わなかった。
でも良いとも駄目とも言えるほどよく知らない人だし、別に嫌な人じゃないし。
中村はびくんと震えて、目を見開いた。
泣き笑いの顔が、少しずつ笑顔に傾いていく。
「お、おねがいします!」
中村がそう言ったと同時に、廊下の向こうの階段の方から、男たちの歓声が上がった。
数人の男子が出てくる。みんな梓のクラスの男子たちだった。
男子たちは中村に駆け寄って、肩を組んで口々に祝福する。
「いやーやったな中村! お友達からだってよ!」
「三浦ちゃんもありがとな! こいつバカだけど良い奴だから! 仲良くしてやって!」
「バカ
「俺が今告白したのに何言ってんだ」
静かな視聴覚室前が一瞬で騒がしくなる。
当事者の梓の前で、男子たちが騒ぎ出す。
ただその誰からも悪意は感じなくて、中村を祝福していることは伝わってくる。
「三浦さんスマホ出して! LINE交換! こいつと!」
男子の一人に言われ、梓はスマホを出した。
中村も慌ててポケットからスマホを出して、一歩進んで向かい合う。
梓の耳に、中村の息遣いが聞こえた。
確かに生きている、人間の息遣い。
周りの男子たちが中村の画面をいじって「三浦さんロック画面にしろよー」とからかう。
中村がつたない手つきでLINEのQRコードのスキャン画面を出す。
梓もそれを見て、LINEのQRコードを出して、前に差し出す。
由佳と交換したときと少し似ていた。どっちも焦っているところが。
「あ、え、えっと。これでいい、かな……?」
梓が自分のスマホと中村を見比べて言う。
対面の中村は目の前に差し出されたQRコードを、高校の合格通知みたいな目で見ていた。
そっとかざして、画面に”三浦 梓”の文字が出る。
梓のLINEアイコンは柴犬だった。梓のおばあちゃんの家で飼っている柴犬。
友達追加して、青と白の猫のキャラクターがお辞儀しているスタンプを送った。
梓もそれに、由佳からもらった黒い猫のキャラクターのスタンプで返す。
中村の顔がぱあっと輝いた。
「み、三浦、こ、これからよろしく! たっ、たくさんLINEするから!」
ひゅうっと周りの男子が口笛を吹く。
中村の肩や腕をばしばし叩きながら、男子一行が梓のスペースから去っていく。
嵐みたいにやってきて、梓の気持ちに大波を立てて、去って行った。
「……私、告白、されちゃった……」
気のせいかもしれないけれど顔が熱い。
そんなことがあるなんて思わなかった。男の子と話すこともあまりなかったし、時々すれ違った時に挨拶するぐらいの人ばかりだった。
私が、本当に?
私、ヴァンパイアなのに?
深みに潜っていく思考が、予鈴によって引っ張り上げられる。
教室に戻らなきゃ。
梓はスマホをしまって、さっき男子たちが通って行った階段で教室へ戻っていく。
その少し前。
上級生の教室の前はやりづらいので、女子トイレの近く。
かろうじて梓の赤い目が見えるぐらいの距離。
由佳は梓の行動パターンから、梓が視聴覚室のあたりにいるはずと判断していた。
教室にいても不愉快な
そしてやっと梓を見つけたけれど、近づけなかった。
梓のことを意識しすぎて、赤い目と白い肌を見るたびに心臓がばくばくして、まともに話せる自信がない。
たくさん練習したのに、もう話すことも緊張してできない。
それに、もし見つかったら嫌われちゃうかもしれないし。
ありえないことだけど、もしかして……本当にもしかすると、避けられていて、わざとここにいるかもしれない。
その可能性を少しでも考えてしまうと涙が止まらなくなるから、固く封じて心の隅に投げ捨てた。
由佳はスマホを取り出す。ロック画面はこの前の初デートで撮った、梓と二人の写真。
念願の私服梓と、やっぱり子どもが無理して着てる感じのする自分。
その写真を見て、何度も何度も梓との一夜を妄想するだけじゃ満足できなくて、授業や休みの度に梓を目で追ってしまう。
もうどうしようもなく大好きで、このまま告白しちゃえば絶対OKという自信すら湧いてくる。
だけど告白は一回しかできないし、レズだってばれちゃう。
玉砕したって笑い話にできる男子と違って、本当に一回しかチャンスが無い。
気持ち悪いって思われないか怖くなって、怯えが募って、男子たちを見るたびに腹が立つ。
わたしはいつだって奪われる側。
わたしだって梓のことをじろじろ見たいし、ずっと見てたい。
でも梓にはレズだってばれてないし、嫌われたくなんかない。もっと好きになってほしい。
前のデートで握ってくれた手がまだ暖かい。
熱がずっと冷めない。
体の中でずっと炎が燃えていて、それがわたしを突き動かす。
そしてやっと、お昼休みのオフの梓を見つけた。
梓は愛想笑いしてない時は、ぞっとするぐらい冷たい顔をしているときがある。
ヴァンパイアだからだ。あれがヴァンパイアとしての梓の顔なんだ。
なんて綺麗なんだろう。
赤い目も、白い肌も、牙も、全部きれい。
そしてその綺麗な梓の前に、ありえないモノが立ってる。
男だ。
男が迫っているのを見つけた。
見間違いだと思った。
上級生の知らない人だと思った。でも違う。
中村
梓から見て右前の席。振り向いたら梓の顔を見られる位置にいる奴。
梓に対してずっと色目を使ってる。
梓が教室にいない時、男子たちに「お前絶対三浦のこと好きだろ」ってからかわれてるのを聞いて以来、要注意人物としてマークしてた。
軽音楽部所属で、女の子に対してチャラい行動はとってないけど、男だし絶対頭の中では下品なことしか考えてない。
最低な奴。梓のことだってほとんど知らない。
梓のおっぱいばかり見てるバカ男子に、梓がなんで体育見学してるのか聞いてたぐらい。
そいつが梓の前に行って、何かしゃべってる。よく聞こえない。
「す、好きです! 俺と! お付き合いしてください!」
そんな声がして、中村がおじぎをする。困惑する梓。
質の悪い冗談だと思った。
あの中村が? 梓に? 告白?
笑い飛ばせるほど
でも笑えなかった。
柱の影からちょっとだけ外に出して、梓の表情を見る。
嫌そうな顔をしてない。
嘘だ。ありえない。
なんで? なんで中村が梓に告白したのに?
なんで? 梓あいつのこと全然知らないでしょ。
全然知らないバカ男子に告白されたのに?
なんで?
嘘だ。嘘だ。ありえない。絶対ないはず。そんなこと。
「……え、えと、まだよく知らないし、お友達からでもいい?」
梓の声をはっきりと耳が捉える。
ちょっと低めの大人っぽい声。わたしの恋人の声。
その恋人から重たくて鋭いものを投げつけられて、胸の奥まで突き刺さって、絶命しそうになった。
顔をひっこめてしゃがみこんで、目を瞑った。
男子の歓声が聞こえる。
なんで?
なんでOKしたの?
梓どうして? 梓はわたしの恋人なのに。
わたしが梓のこと一番よく知ってるのに。
わたしとデートしたのに。
わたしとデートしたのに!!
梓はそんな子じゃない!
よく知らない男に告白されてOKするような子じゃない!
デートした数日後に別の人と付き合うような軽い女じゃない!
八坂みたいに彼氏ができた途端に自慢するような子じゃない!
もっと孤高で、クールで、優しくて!
違う違う違う。
ありえない!
ありえない!!
疑問と怒りと悲しみが、デートの高揚を全部流して、由佳の中で好き勝手に暴れまわる。
そのまま由佳をばらばらに引き裂いてしまいそうなほどに。
梓が遠くにいっちゃう。
他の人のところにいっちゃう。
由佳は泣いていた。
上級生に不審な目で見られながら泣いていた。
予鈴が鳴っても立ち上がれなくて、そのまま学校を抜け出して家に帰った。