はらぺこヴァンパイア 作:棗の
梓の向かいの左右の席には、シーザーサラダ、ほうれん草のおひたし、秋刀魚の塩焼き、白ご飯。
梓の前には、赤い液体が八割ほどまで入ったスープの容器が一つとスプーンが一つ。
人肌程度に温められている。
梓はその赤い水面を見て、自然と笑みをこぼす。
赤い目がキラキラと輝いている。おいしそうな香り。
コーンポタージュの香り。
スープの容器に入った、ママの血。
「「「いただきます」」」
三人で手を合わせて、梓も容器を取って、スプーンで中身を口に運ぶ。
疼く牙を抑えて、これはコーンポタージュだと念じて。
喉から鼻へ抜けるコーンの香り。
変質したヴァンパイアの嗅覚によって感じる血のにおい。
温かくて安心する味。
ママを噛みたい。
ううん、ダメ。
噛みつくなんて良くない。コーンポタージュは噛んで食べるものじゃない。
飲んで、温かさを楽しむもの。
梓の赤い目が柔らかく細められて、疼く牙がおさまっていく。
梓の視線が
そのたびに梓は自分を叱って前のテレビに視線を戻す。
これはママが作ったもの。なんでママを見る必要があるの?
おいしくて温かい。それだけで十分でしょ。
胸の中が暖かくなっていく。どろりとねばつく液体が喉を潤す。
おいしくて、温かくて、もっともっと欲しくなる。
だけど、今日はこの一杯だけ。
誰も傷つけていないわけじゃない。ママの体調は相変わらず良くない。
それでも誰かが死ぬよりはずっといいから。
きっとそう。
「おいしい?」
一美が疲れた笑顔で梓に聞く。
梓はスープの容器を置いて、笑顔で頷く。
「おいしいよ。ママの作ってくれたコーンポタージュ」
「良かった。ちょっと古くなってたから……二週間ぐらい前だったかしら」
「前のよりおいしいよ。ありがとうママ」
梓の牙がずっと疼いている。
このコーンポタージュの出所を知っている。
あのきれいで細い首を噛めば、もっとおいしい。
梓は一瞬顔をしかめて、目を閉じる。心の中で渦巻く気持ちを叱って、おとなしくさせる。
まるで
一口飲むごとに、それは燕のヒナみたいに口を開けて、もっと寄こせとせがんでくる。
梓はもう一度真っ赤なコーンポタージュをすすって、ふうっと息をつく。
一瞬湧いた殺人の衝動を消して、現実の悩みと向き合う。衝動から逃げるために。
「……あのね。今日、学校で男の子に告白されたの」
「すごいね。気になってた人かい?」
「ううん。クラスのあんまり知らない人。だからお友達からどうですかって言っちゃった」
クラスメイトから話しかけられるようになってきたことも、球技大会でヒーローになったことも話していた。
だが
「中村くんって人で、軽音楽部でギターやってるんだって」
「へぇ。いいじゃないか。ギターできるなんてすごい」
一美もうんうんと頷いている。
「かっこいい人なの?」
「うーん……わかんない、かな。
これは本心だった。
いわゆる
真面目そうな人だとは思う。
「明るい女の子の普通ってことは、かっこいいってことなんじゃない?」
一美は笑って言った。
「それで、梓はどうしたいの?」
「……わかんない。どんな人かもわからないし、嫌な感じの人じゃないから、話してみてるけど。まだどうなりたいとか、どうしたいとかはわかんないよ」
文字だけだとよくわからない人だった。緊張してるのかな。私と話すだけでそんなに緊張するものなのかな。
「どうしたいかって思った時にまた決めればいいのよ。梓、告白されるの初めてよね」
「うん。私でいいのかな……」
こんなヴァンパイアでいいのかな。
「梓はすごく綺麗だし可愛いから、惚れちゃったのね。きっと」
「そ、そんなことないよ……」
一か月ぐらい言われているけど、いまだに実感がない。
きれいというより怖いの方に入りそうになるから、牙が見えないように笑ったりするのが大変だった。
学校じゃなければカワイイめのメイクができるけど、さすがに校則違反だし。
「『私のどこが好きなの?』って聞いてみたら? ふふ」
「やだよ恥ずかしい。真面目に聞いてよママ」
一美が青い顔で笑う。
「梓のルビーの瞳も、雪みたいな肌も、みんなにはきっと魅力的だと思われているはずよ。
梓が話しやすくなって、球技大会でも活躍したから、どんな人なのかわかってきたのかもね」
「……私、怖いって思われてないかな」
「落ち着いててきれいな人って思われてるわよ」
実際は落ち着いているんじゃなくて、太陽の光に耐えているだけ。
人間だった時とそんなに変わらないはずなのに、なんだか全然違う立場になっている。
「梓に告白したいって思ってる男の子は結構いたのかもしれないよ。中村くんが告白したとき、何人かいなかった?」
今度は浩平が問いかけた。
「うん。お友達からって言ったら、何人か男の子が出てきた」
「もし中村くんがダメだったら俺がって思ってる人がいたのかもね。それか、中村くんが男友達多くて、いい男なのか」
「私相手に? そんなに……?」
もしかして、からかわれてるのかな。
生きていた時もたまに、男の子から体のことをからかわれたりしたことがある。
三浦はテニスやってるのに太ってるとか、友達の子と比べられたりとか。
私に告白するゲームとか、してるのかな。
どっちにしろ男の子たちの考えはよくわからない。
でも、中村くんが別に嫌われてそうな感じはないし、いい人なのかも。
そんな、いい人に私は選ばれて、告白された。
それは、いいことなのかな?
「何したらいいのかな」
「梓はもう答えを出しているわよ。とりあえずお話をして、友達から始めたらいいの」
よくわからなくなって、真っ赤なコーンポタージュをまた一口飲む。
湧いてくる衝動を、中村くんから聞いた話で押しつぶしてみる。
軽音楽部に入ったばかりだけど、バンドまだ組ませてもらえなくて、ドラムの人がいないから他のクラスも探してるって言ってた。
「知り合いにいたら紹介するね」って言ったら「ありがとう」って言ってた。
私がもし人間だったら、もっと嬉しかったのかもしれない。
ヴァンパイアになって、そういうことがよくわからなくなってる。
そういえば由佳ちゃんが午後になって急にいなくなった。
先生は早退したって言ってた。
どうしたんだろう。お昼前に午後からの体育のことを話した時は、むしろ私の体調を心配してくれたのに。
あとでLINEしてみようかな、と思いながら最後の一口を飲み干す。
おいしい。
ママの方に向いた視線を、テレビの方に戻した。
熱い息をふうっと吐いて、容器を置く。
そして三人で手を合わせて、言った。
「「「ごちそうさまでした」」」