はらぺこヴァンパイア 作:棗の
由佳は食べかけのインスタントの焼きそばの容器と包み紙をテーブルに置いたまま、ベッドに横になっていた。
泣き腫らした両目が痛い。
家に帰って片づけをして、ずっと泣いていた。
日が沈むまで泣いて。買い物に行く予定だったのに行けなくて。
非常食の焼きそばを食べて、ロック画面の
梓が取られちゃう。
梓が男のところに行っちゃう。
いつだってそう。わたしは奪われる側。
まともな親もいない。
まともな家庭もない。
まともなお金もない。
まともな、男の子が好きって感情もない。
中学三年生の時に告白したあの子はそのあと、彼氏を作ってた。
卒業式の時、階段裏でキスしてるのを見てしまった。
私が告白のあと、泣きながらでもキスしようとしたら「近寄んないで気持ち悪い!」って言ったのに。
男が下品に胸を揉みながらキスしてるのに、なんだか嬉しそうにしてた。
わたしのほうが絶対優しくできるのに、男の方に行った。
レズビアンが世の中では少数派なのは知ってる。
わたしだけじゃないことも知ってる。
みんなわたしと同じ考えじゃないことも知ってる。
でも、わたしはそれだけじゃない。
壊れた家庭と、仕送りだけで暮らす財布と、男への憎しみまで持ってしまってる。
わたしはいつだって奪われる側。
初恋の人を奪われて、運命の恋人の梓まで奪われた。
楽しかった家族の時間まで奪われた。
だから男は大嫌い。軽い女も大嫌い。
嫌い! 嫌い! 嫌い!
ぐうっとお腹が鳴る。
ほとんど食べてない焼きそばのところに、崩れるように戻って一口食べる。
おいしくない。冷めてるし固くなってる。
でもこれ以上のものを作る気力がない。
食べないともっと調子が悪くなる。学校にいけないと梓に会えない。
梓に――
「ああああああああああああああああああっ!!」
スマホを廊下に放り投げて、廊下とリビングを遮る扉をむちゃくちゃに叩いた。
何度も何度もたたいて、轟音が響いて、衝動のままに蹴ったら指から血が出て、べたんと尻もちをつく。
鼻水と涙が混ざって、ぐちゃぐちゃの液体が口から入って、喉を伝う。
叩きつけた手が紫色になって、震えてる。
痛い。心も体も痛い。
「あずさぁ……」
放り投げてしまったスマホの電源を入れて、りんごのマークが出た後にロック画面が出る。
私服の梓と至福の自分。
スタバの紅茶を手にもって、もう片手で遠慮がちにピースしてる梓と、梓の手にほっぺたをつけて指先でハートを作ってる自分。
やっぱりかわいい。世界一可愛い。
梓のためなら、どんなことでもできちゃいそう。
一回目のデートは満点とは言えないけど成功だった。
今日の夕方に土曜日のデートに誘って二回目。
その次の週の三回目でみなとみらいの観覧車を予約して、一緒に乗って、てっぺんで告白する。
完璧な計画だったのに。
全部全部男に壊された。
わたしはいつだって奪われる側。
「あずさぁぁ……」
ぐずぐずに泣きながら、スマホの写真に顔をこすりつける。
鼻水と涙が混ざった液体がスマホの液晶について、液晶がチカチカ点滅する。
梓からの言葉一つ一つが輝いて、かろうじて自分の崩壊を食い止めている。
もう梓しかいないのに。
それすらもなんで奪うの。
わたしが嫌いなの?
わたしが憎いの? あの人と同じで。
わたしがはずれくじだから?
再婚の邪魔になるから?
わたしが
「……片付けないと」
ゆらりと立ち上がって、スマホをもったままリビングへ。
冷え切った焼きそばを無理やり体に押し込んで、蓋と合わせてごみ袋に捨てる。
ごみ袋がちょっとズレて、両手で戻して。
散らばった麺のかけらをキッチンペーパーで集めて拭き取って、ごみ袋に捨てて。
ちょっとずれた座椅子を戻したらズレて。
戻したらズレて。
戻したらズレて。
「あああああああっ!!」
座椅子を蹴り飛ばした。素足で鋭利な部分を蹴ってしまってすごく痛い。
痛いのに何度も蹴る。
座椅子の上の座布団を持って、窓の方に投げ飛ばす。
洗って次の出番を待っていた、梓との双子コーデのカーディガンが落ちる。
落ちたものは戻さないと。
片付けないと。
カーディガンを拾って、しわを伸ばして引っ掛けている途中で、デートの時の梓の笑顔が浮かんだ。
その笑顔が中村の顔と一緒に遠くに消えた時、服をハンガーごと窓に放り投げた。
掃除の手間が増えるだけ。
無駄な事。
冷静な自分が言ってる。
でももう止まらない。
全部全部めちゃくちゃになっていく。
今のわたし、
心のどこかの自分が言う。
あの人の血を継いでる。娘だから。
「違う違う違う違う!! 違う!」
由佳は頭を抱えてベッドにもぐりこむ。
あの人とわたしはちがう!
部屋も片付けられるし、男漁りなんかしないし、娘に八つ当たりしないし、友達もいっぱいいるし、何もかも違う!
絶対違う!
由佳はベッドの引き出しからタブレットを出す。
ロック画面の”Yuka.Y”の文字。
失われた由佳の残骸を示す文字。
ロックを解除すると、ブラウザが開きっぱなし。
次のデートプラン用に、みなとみらいのロープウェイのチケットの予約画面。
支払の方法とかを確認していたところ。
別のタブを開く。次のデート用の帽子。
インスタで見たベレー帽が可愛くて注文しようとしていたところ。
別のタブを開く。ヴァンパイアの伝説について。吸血鬼ドラキュラの映画のあらすじのwikipediaの記事。
全部全部、梓だけのため。
今日の夕方に、自分の手から離れてしまった梓のため。
由佳がタブレットをベッドの縁に叩きつけようとしたとき、スマホから音が鳴る。
LINEの通知音。
『由佳ちゃん、大丈夫? 早退したみたいだけど、体調悪いの?』
その文字がすべて、愛する梓の声で再生される。
違う。まだ離れてない。梓はまだいる。
心配してくれてる。
「あずさぁ……大好きなの……」
スマホを持って、ぎゅっと抱きしめる。
LINEを開いて、文字を打つ。
『中村に告白されたよねなんで受けたのあいつは梓のことなんか何もわかってないのに今からでも別れて』
そこまで画面に映ったところで、指が止まる。
こんなの送ったら嫌われちゃう。
梓が男に取られるのは悲しくていやだけど、梓に嫌われるのはもっともっと嫌。
だめ。自暴自棄になっちゃだめ。
梓はまだわたしのところにいる。
まだ嫌いになってない。
気持ち悪いって思われてない。
まだなんとかなる。まだ大丈夫。
クールダウンした頭が、今日の記憶を整理していく。
梓は中村になんて言った? まずは友達からって言った。
梓は中村のことをそんなに知らない。スマホを見せ合ってた。
たぶんLINEかインスタの交換。
梓と中村は話してる途中。
まだほとんどお互いのことを知らない。
「急がないと」
由佳はタブレットを持って、ブラウザを見る。
三回目の告白が一番成功率が高い。でも一回でも告白しちゃっていいはず。
時間がたつほど梓と中村は近づいちゃう。わたしから離れて行っちゃう。ならその前に。
奪われる側は、もう、いやだ。
わたしのほうがずっとずっと梓と一緒にいる。梓のこといっぱい知ってる。
梓がヴァンパイアだってことも知ってるし、梓がどれだけ苦労して学校に通ってるかも知ってる。
絶対誰にも負けない。
わたしが誰よりも梓のことを知ってる。誰よりも梓のためになれる。
それに梓が本当に必要なものも知ってる。
わたしが使える最後の手段。それは――
「……死なない、よね」
ぞくりと背筋が冷える。
梓の牙はすごく鋭くて大きい。
首に刺さったらどうなるんだろう。
インフルエンザの予防接種より痛いのかな。
人間は首の血管が弱点で、傷がつくと死んじゃうこともあるらしい。
血液。
梓にわたしが出せるもの。
だけど。
「怖くない。きっと気持ちいい。梓だもん。痛いことなんかしない。梓は優しいから」
いけない。梓を疑ってた。
梓は運命の恋人。絶対そう。
梓は優しいから、痛いことなんかしない。
由佳は炭酸を飲んで、座椅子を戻してスマホのメモを開く。
書きかけのデートプランを消して、新しい物を書く。
わたしは奪う側になるんだ。
梓はわたしのもの。
誰にも渡さない。
男にも、親にも、
梓はわたしのもの。
煮えたぎるほどの世界への憎悪と、梓への恋心と。
それらが心を燃やして、まるで打たれるのを待つ赤熱した鉄のようになる。
そこへ何度も、周到に、執拗に、金槌を打ちおろしていく。
憎悪を纏った刃は由佳の心の中に宿り、おそろしく輝く。
ヴァンパイアの恋人の心から憎い男を切り落とし、自分の元へ手繰り寄せるために。
明日が決戦の日。