はらぺこヴァンパイア 作:棗の
五時間目の授業が終わって、ホームルームも終わった。
天気は曇り。
今日も母が迎えに来ている。梓はリュックに机の中の教科書を入れて、蓋を閉めて背負う。
後ろで
今日も二人の友達はダンス部らしい。
ダンス部も話を聞いていると楽しそうで、入ってみると意外と面白いかもしれない。今なら疲れないし、歌う必要もないし。
「み、
梓の前に
赤い顔で目を逸らしながら、でも手だけはしっかり振っていた。
「うん。ばいばい。また明日ね」
「あ、あとでLINEするから!」
中村がちょっと大きな声で言うと、ひゅうっと男子たちが口笛を吹く。
中村が梓に告白したことは既にクラスの多数は知っていた。
「中村くんのどこがよかったの?」と聞かれ、「話したことがないから、友達からって言っただけだよ」と返す。そんなやり取りがここ数日で何度もあった。
梓は二つ前の席の
今日の由佳は様子が変だった。
朝ぎりぎりに登校してくるし、お昼も全く食べずに、机もくっつけずに机に伏せて寝ていた。
体調悪いって言ってた。「保健室行ったら?」と笹川が言うと、あと1時間で終わるしいいと言って伏せていた。
そして今も。帰る時間なのに顔を伏せている。
「由佳ちゃん? 大丈夫……?」
いつもと逆の立場。季節の変わり目だし風邪をひいたのかな。
由佳は伏せていた顔をずらして、梓を見た。
目の周りが赤い。目の下が黒くなっていてクマができている。
いつもよりちょっと濃い目のメイクで隠しているけど、隠しきれてない。
まるでさっきまで泣いてたみたいな。
「由佳、ちゃん……?」
梓は周りから由佳を隠すように前に回り、しゃがみこんだ。
由佳の泣き腫らした目が、梓を追いかける。
「……車で親が待ってるんでしょ」
「そうだけど……由佳ちゃんが心配だから」
そう言うと由佳は目を見開いて、笑って、ゆっくり立ち上がった。
けれども、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
「……梓。ちょっとだけ、来てもらっていい? 話したいことがあるの」
「話したいこと? 今でもいいけど」
「ここじゃダメなの。お願い」
ここじゃダメな話ってなんだろう?
「どんな話?」
「いいから。お願い。梓」
由佳は一歩梓に近づいて、泣き腫らした赤い目で梓を見上げた。
上気した頬。熱い吐息が梓の首筋を撫でるほどに近い。
「う……うん、わかった」
もしかして、私に怒ってる?
私、何かしたのかな……。
梓も固い表情で、鞄を背負った由佳に続く。
教室を出て、昇降口と反対側へ。
階段を上って、行ったことが無い廊下へ。
二年生の教室。2-1、2-2、2-3、トイレ、表札の無い教室。
表札の無い教室のドアを、由佳がためらいもなく開けた。
「そ、そこ、入っていいの?」
「いい。入って」
由佳が顔を合わせず言う。
梓は周りを見て、誰も見てないことを確かめて入った。
太陽の光が強い日の玄関先みたいな、入ることをためらう雰囲気。
教室の中は薄暗くて、机が端っこにまとめて寄せられていた。
僅かにカビ臭く、放課後の普通の教室と全然違う、なんだか寂しい雰囲気があった。
「由佳……ちゃん……?」
由佳が鞄を近くの机に置いて、振り返った。
腫れた目で梓をじいっと見ている。
「……梓。ありがとう。梓に心配してもらえて、わたし嬉しかった」
由佳はそこでようやく笑った。
「う、うん。どういたしまして。大丈夫なの?」
「大丈夫。梓が来てくれたから、元気になったよ」
まるでママみたいなことを言ってると思ったし、ちょっと照れた。
由佳ちゃんは最近こんなふうな言い方をよくする。
……それだけ大事に思ってくれてるってことだよね。
「う、うん。ありがと」
だから梓はこくりと首を傾けて笑った。
少しぎこちなかったかもしれない。
その笑顔を受け取った由佳は、ごくりと唾をのんで、ふうっと息を吐いた。
虚空に浮かぶ台本を、静かに読み上げ始める。
鍛え上げられた憎悪と
確実に目の前にいるヴァンパイアを、我が物にしようと。
「……ねえ梓、この前遊びに行った
「うん。楽しかったよ。綺麗だったし、紅茶もおいしそうだったね」
由佳が紅茶好きそうという梓の直感は大当たりだった。
もし自分も人間のままだったら、一緒に飲めたのに。
「良かった。……
由佳の目つきが変わる。
怒ってるわけじゃない。悲しんでるわけじゃない。でも笑ってもない。
それは憎しみと、恋心と、悲しみを混ぜた、黒くねばつく目。
梓が人生で一度も向けられたことがない、
「…………え?」
川が怖かったのは確かにそう。流れる水だから。落ちたら大けがするし、もしかしたら死んじゃうかもしれない。
「アクセサリー見る時も、梓が十字架のネックレスに気付かなくてよかったよ」
梓が思わず一歩下がる。手が震える。
「今日も曇りで良かった。晴れだったら梓、怖くなっちゃうし」
「ご飯に行きたかったけど、知ってて良かったよ。梓が食べられないって」
由佳の足元から、黒い影が出ているような幻覚。それが自分を縛り付けてる。
あの人でなしのブラックドッグみたい。
失礼な感想だけど、相対したときの恐怖は、それに近い。
「……そっ、そうだね、ありがと! ごはん、家でしか食べられないし」
「家でしか吸えない、でしょ?」
由佳が薄く笑う。
梓はぼろぼろになった嘘の衣を縫い直して、自分の体に巻き付ける。
「う、うん! よ、よく知ってるね! えっ栄養調整食品って飲み物で」
「誰かからもらってるんだよね。噛んでる? 首を噛んでるの?」
決定的な一言。
「
不死のはずのヴァンパイアの心臓に、その言葉が突き刺さって、梓は赤い目を見開く。
白い両手が、ぐっと爪を立てて、目の前の人間を捕縛する姿勢になる。
ばれた。
ヴァンパイアだってばれた。
どうしよう。
由佳ちゃん以外は知らないはず。
殺して食う?
梓は心の中の囁きに、思いっきり口の中を噛むことで抵抗した。
どろりと黒い血が口内を満たして、外に漏れようとする血を手の甲で押さえた。
「……もっと早く気づいてあげればよかった。そうしたらもっとちゃんと、梓のためになることができたのに」
由佳の声色が変わる。いつもの声。自分のことを気遣ってくれる、友達の由佳。
「世界史の授業の時も、梓の苦手なものがでてくる日に教えたりできたし、お昼の時間も、梓のこと助けられた。健康診断の時だって、梓のことを詮索してくる人に言い訳もできた」
もしかして。
ただヴァンパイアかどうか、確認したかっただけ?
「……由佳、ちゃん?」
由佳は梓の赤い目を見て笑った。いつもみたいに。
「もう、牙も隠さなくていいよ。わたし、怖くないから」
どうして?
ヴァンパイアなのに。怪物なのに。
梓は信用できなかった。
いくら仲のいい友達でも――最近様子のおかしい由佳だからこそ――なんだか信用できなくて、どろどろした黒い血で汚れた口元は隠したまま。
「梓の牙、きれいだよ。赤い目もすごくきれい。白い肌もきれい。
全部全部すごくきれい。何度見ても、キラキラ光ってきれいなの」
由佳がにっこりと笑う。
「……あ、ありがとう」
梓は熱くならないはずの顔が熱くなった気がして、顔を逸らす。
由佳ちゃんもかわいいよって返したかったけど、出来なかった。
信じられないことが起きていた。
ヴァンパイアだとばれた。でも由佳ちゃんは私のことをどうこうしようとか思ってない。
むしろ助けてくれそう。
なんて優しいんだろう。
ヴァンパイアなんて空想の存在がなんでいるとわかったんだろう。
元々そういうオカルトに強い人なのかな。
でも今はそれがうれしい。
正体が露見した恐怖が、ちょっとずつ友人への感謝に変わっていく。
やっぱり由佳ちゃんは優しい。私のために色んなことをしてくれる。
梓が笑ってまたお礼を言おうとした時。
由佳の顔から、笑顔が消えた。
「…………でもさ。梓、すごくきれいだからみんなにも人気あるし、わたしの所を離れちゃった。わたしは誰より梓のことを知ってるのに」
また声色が変わる。
由佳は
どこか梓を非難するような目。はじめて向けられた目。
「私は別に、由佳ちゃんのところを離れたりしてないけど……」
心当たりは無かったけれど、もしかしてそう思われてたのかな。
だったら謝らないと。
昨日は中村くんのことでちょっと気持ちが焦っていたから、もしかして話しかけられたのに無視しちゃったのかも。
でも昨日って確かに由佳ちゃんは早退してたよね? LINEの既読がついてたのに返ってこなかったから、調子が悪いのかと思った。
梓がスマホを出してLINEを確認しようとすると「ううん。離れたよ」と由佳が言う。
「梓はわたしの前を離れたの。昨日」
「き、昨日……? 由佳ちゃんが早退したから?」
言っていることが全く分からなかった。
早退したのがまさか私のせい? なんで?
「違うよ。梓、告白されたでしょ。中村……くんから」
確かにされた。由佳ちゃんが知っていてもおかしくはないこと。
でもなぜ? なぜそれが、離れることになるの?
友達が一人増えただけなのに。
なぜそんなに怒った顔をしてるの?
みんな「おめでとう」とか「お幸せに」とか言ってくれるのに。
「梓はわたしの、運命の人なの。入学式からずっとずっと一緒で、毎日一緒にいたのに。昨日、離れたの」
「う、運命?」
言っていることが本当にわからない。由佳ちゃんってこんな話し方だっけ?
ドラマのワンシーンみたい。何か演技をしてるのかな。
由佳は天井と梓を交互に見ながら、薄く笑って話を続ける。
由佳は勝利を確信していた。
全部予定通りに進んでる。
梓は驚いてるし困惑してる。
梓の感情を操ってる。
全部わたしのペース。わたしのコントロール下にすべてがある。
さあ、クライマックスへ。
「そう。運命の人なの。入学式の時、一目惚れして、そこからずっと。だから、そばにいてほしい。ずっと」
ヴァンパイアの赤い目を見て、人間の少女は言葉をぶつける。
「わたしは三浦梓が大好きなの。世界一大好き。だから、恋人同士になりたいの」
由佳の言葉が、梓の心を撃ち抜いた。
「…………え?」
由佳は言葉を畳み掛ける。
「わたしレズなの。女の子が好きなの。梓が大好きなの。だから、恋人同士になりたいの」
本当は観覧車の中で言うはずだったこと。
こんな薄汚れた教室で言う事じゃない。
心臓の鼓動がさらに一段階ギアを上げる。
大丈夫。気持ち悪いって思われない。
絶対大丈夫。
梓はそんな子じゃない。信じてる。
絶対大丈夫。絶対うまくいく。
わたしの気持ちは伝わる!
中村のくだりは本当は入れるつもりなんてなかった。
でもどうしても言いたかった。
取られて嫌だった、寂しかったって伝えたかった。
梓に傷つけられたって訴えたかった。
梓の軽はずみな行動のせいでわたしは傷ついたって伝えたかった。
梓の不安も取り除いた。
ヴァンパイアでも大丈夫って伝えた。
梓は頭いいしわかってるはず。
全部汲んでくれる。
だけど、もう一度言っておく。
「わたし、
言葉がまるで音速を超えた風のように打ち付けられ、不死のヴァンパイアがよろめく。
由佳の言葉すべてが梓の心を揺さぶって、由佳が全く別の人に見えてくる。
それは由佳が放った最後の一撃。台本のその先に文字はない。
告白が失敗したらどうするかなんて考えてない。
ここで成功して、そして抱きしめて、キスをする。
書いていないけれどできると思ったから。
梓はかつてないほどに動揺していた。
一番仲良しで、親切で、ヴァンパイアでも怖がらないとまで言ってくれた由佳ちゃんが、女の子が好きな人で。
中村くんに告白されたから取られたと思っていて。
わたしが好きだと言っていて。
なんで? どうして? 私のどこが?
私は怪物なのに。
由佳ちゃんのほうが可愛くて、友達もいっぱいいて、私よりずっと色んなことができるのに。
胸が痛い。気のせいかもしれない。ヴァンパイアに痛覚なんてないから。だけど三浦梓にはある。
由佳ちゃんは彼氏に振られたと思ってた。違うの?
女の子が好きだから、彼女に振られたになる?
相手は誰? まさか
彼氏の話をする前から、早紀ちゃんと由佳ちゃんはちょっと距離があった。
早紀ちゃんは女の子が好きなわけじゃない。なんで?
ぐるぐる回る思考の中でも、目は情報を届けてくる。
目の前の由佳ちゃんは自分をずっと見つめているけど、目が潤んでいる。
ずっと昔の私や、昨日の中村くんと同じ。
何か。何か答えないと。
「ま、まずは友達から」
「もう友達でしょ!? わたしと中村って同じ扱いなの!? 違うでしょ!?」
どうして中村くんに言ったことまで由佳ちゃんは知っているんだろう?
「え、えっと、由佳ちゃん落ち着いて」
「落ち着いていられるわけないでしょ!! ちゃんと見て! わたしだけを見てほしいの!」
由佳はもはや冷静さを失っていた。
もう用意したものはない。ただただ感情のままに涙を流しながら、甲高い声でまくし立てていた。
「わたしは梓が大好きなの! 世界一好きなの! だから友達同士は嫌なの! その他大勢と一緒は嫌なの!」
梓は由佳を、どこか一歩引いて見ていた。
やっぱりドラマのワンシーンみたいだと心の中の自分が言う。
こんなに激情に駆られた気持ちをぶつけられた経験なんて一度もない。
ちょっと余裕そうに見えた由佳が、何の余裕もなく、ぎゅうっと両手を握りしめて梓を見ている。
由佳の茶色い目に、自分の赤い目が映っているのが見える。
動いてない心臓がどきどきしそうになる。自分の手が震えているのがわかる。
動揺してうまく声が出ない。
私、今、告白されてるんだ。
女の子から。
「あ、え、えぇと、由佳ちゃんにはもっと良い人」
「梓よりいい人なんていない! 運命なの! 梓に一目惚れしたの! 大好きなの!」
「だって私人間じゃな」
「そんなこと知ってるしどうでもいいの! その目も! 牙も! 全部全部きれいで大好きなの!
梓が無意識に築いた壁が、由佳の言葉で揺らいでいく。
ヴァンパイアだから。怪物だから。犯罪者だから。
そんな異常で
そんな気持ちはずっとあった。
みんなに仲間だと思われても消えない、呪いみたいなもの。
二度と消えない傷が作った、心を守る壁。
その壁に由佳の言葉が刺さって、穴を穿つ。
由佳から放たれた燃え盛る感情の矢が、壁の向こうで孤独に震える少女の心へ突き刺さっていく。
熱い。
太陽の光みたいな、焼け付くような熱さ。
触れれば燃えてしまいそうなほどに熱い、生気に満ちた感情。
梓は思わず片腕で目を隠していた。
その腕を由佳が握って、ふりほどいて、背伸びして梓の顔へ近づく。
「お願いっ……大好きなのっ……世界一好きだからぁっ……気持ち悪いって思わないで! わたしの気持ちにも、気付いて……っ」
「気持ち悪いとは思ってない、けど……」
「けど!?」
由佳が梓の両肩を掴んで、顔を近づけてくる。
あと数センチでキスできる距離。
梓も由佳もキスした経験なんて一度もなかった。
呼吸をしていない少女と、荒く息をする少女が向き合う。
恋慕と憎悪と悲哀を混ぜた吐息が、梓の顔に絡みつく。
「え、えっと、私」
どうしたらいいかなんてわからなかった。
色々なことを想定してきたのに、由佳が言っていたことはどれも想定していない事ばかりだった。
由佳ちゃんは女の子が好きなレズビアンで。
由佳ちゃんは私がヴァンパイアだと気付いていて。
由佳ちゃんは私に告白した。
事実が乗った皿が梓の前に並べられる。
どんなお店にもないコース料理。
次に何が出てくるのかもわからない。
食べられるものが出てくるのかも。
「ねえお願い! あずさ! ねぇ!」
由佳がぼろぼろと涙を零して、梓の肩を掴んで叫ぶ。
梓は慌てて自分の中の遠い記憶を探る。ちゃんと答えたかったから。
最後に付き合った彼氏の思い出。
生きていた頃の、ソフトテニス部の副キャプテン。
どうして好きになったんだっけ。
かっこよくて、背が高くて、みんなをまとめる頭のいい人で、話が面白くて、私が頑張ったら褒めてくれて。
顔も好きだけど、ぶっきらぼうだけど優しそうだって思ったから。
付き合ってもっと色んなことを知りたいと思った。
由佳ちゃんとの思い出。
由佳ちゃんは友達として、入学式の時からずっと一緒にいて気にかけてくれる。
距離がちょっと近いけど、途中から私がヴァンパイアだって気付いていたんだと思う。
配慮してくれたり、みんなにそれっぽい言い訳をしてくれたり。
気持ちが暖かくなる。
学校で一番仲のいい人はって聞かれたら由佳ちゃんって答える。
この前のベイクォーターのお出かけも楽しかったし、一緒に撮った写真も見てると楽しくなる。
ヴァンパイアだってわかっていても近くにいてくれて。
それと前の彼氏への思いはどう違うんだろう。
全然違うはず。だけど恋したことと、恋されたことは同じのはず。
本当に? どう違うの?
普通の学校の友達とは違う。中村くんとは違う。
仲のいい友達?
でもこんなに激しい気持ちをぶつけられたのは初めてで、そもそも友達の好きと恋人の好きの違いって―—
「血も吸っていいから! わたしの血もあげるからぁっ!」
その言葉ですべての思考が吹き飛んだ。
梓は記憶と経験を掻き集めて、好きという気持ちの意味から確かめて、誠実に答えようと思っていた。
その思考がすべて打ち砕かれた。
戸惑う梓のその手から、
赤い目が細められて、震えていた両手が止まる。
腕が動いて、人間の少女の片腕を掴む。
由佳がその冷たさか、梓の動きか、その顔かに驚いて、目を見開く。
由佳の首筋に目が行く。
よく見ればきれいで、噛んだらきっと美味しそうだった。
なんでこんなに近くに餌があったのに、気付かなかったんだろう。
この人間の血は、どんな味がするのだろう。
食べたい。
食べたい!
もっとたべたい!
もっと! もっと!
たべたい!!
「……いいよ」
ヴァンパイアは笑っていた。嗜虐的で、無邪気な笑顔。
新たな食べものの前で。
星野由佳は驚愕していた。
目の前の梓は笑っていた。
一対の牙を見せて、まるでいつもと違う、なんだか妖艶で、映画の中のヴァンパイアみたいに。
だけどそれが綺麗で、美しくて、幻想的で。
おそろしく輝く深紅の瞳が、自分だけを見つめている。
入学式の時に見た、この世のものとは思えないほどきれいな真っ赤な瞳。
食べられちゃう。
噛まれちゃう。
だけど、それはきっと……気持ちよさそう。
切るつもりのなかったカードを切ってしまった。
だけど思いが通じた。
拒絶されなかった。
わたしの彼女は、ヴァンパイア。
「あ、あず、さ。あの」
「いいよ。なろ。こいびとに」
梓は拙い口調で言って、首をちょっと傾けて笑った。
由佳は爆発した気持ちのままに抱き着いて、梓の冷たい頬にキスをした。
その日から、梓は由佳の恋人になった。
その日から、由佳は梓の新たな血の提供候補者になった。
【あとがき】
作者です。第五章、完結となります。
お楽しみいただけましたでしょうか。
由佳と梓の関係はさらに深く、戻れないところまで進んでいきます。
感想・評価等頂けますと、大変励みになります。