はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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第六章
ファーストキス-5月23日14時20分


 

ヴァンパイアと人間の少女が、空き教室から出た数分後。

 

(あずさ)は後悔と困惑の中にいた。

 

 

人生で初めて家族以外からキスされた。

その時、由佳(ゆか)ちゃんの涙が私の頬について、黒く焼けた。

由佳ちゃんが驚いて離れて。「どうして……」と驚かれて。

 

ティッシュで血を拭いて、インカメで傷が再生したことを確認した。

「由佳ちゃんは大丈夫? 怪我はない?」って言ったら由佳ちゃんがまた泣き出して。

 

「ストップ。私は痛くないし大丈夫だから。お手洗い行ってくる?」

 

前に遊びに行ったときみたいに言うと、由佳ちゃんは素直にお手洗いに行った。

 

 

ようやく一息ついて、現実と向き合っているのが、今。

 

 

由佳ちゃんは女の子が好きなレズビアンで。

私のことがずっと好きで。

私がヴァンパイアだと見抜いて。

私に告白した。

 

そして私は、それを受けた。

 

正確に言えば、私の中のヴァンパイアが。

 

血をあげるって言ってくれたから。

 

有り得ないと思った。でも体が動いていた。

 

私が他のことに一生懸命な間に、体を盗まれた。

 

体が操られるっていうシーンが、アニメとかでたまにあるけれど、あれに近かったものだと思う。

すうっと体が動いて、血のことしか考えられなくなって、あっけなくOKと言ってしまった。

 

まるでイライラしてる日に血液パックが目の前にあった時みたいに。

 

 

私はどこまで人間の部分が残っているんだろう。分からなくなってきた。

あまりにも由佳ちゃんに失礼なことだった。

 

 

一生懸命、全力で言ってくれたのに、血をあげるの一言でOKしてしまったから。

 

ヴァンパイアが言ったことだからやっぱり無し、なんて言えるわけもなかった。

 

 

由佳ちゃんはまるで子どもみたいにはしゃいで、泣いて。抱きついて……。

 

私にキスした。

ほっぺたに。

 

「ファーストキス、女の子なんだ……」

 

ファーストキスなんて言葉、初めて使ったかも。

 

まさか女の子からとは思わなかった。

しかも、つい数分前まで友達だと思っていた子から。

 

女の子同士のお付き合いって、何をするんだろう?

全然わからない。

由佳ちゃんは私に何をしてほしいんだろう。

 

 

「おまたせ! えっと、梓のお母さん待ってるんだよね。時間とってごめんね。行こ?」

 

お手洗いから出てきた由佳はそう言って、梓の左腕に自分の右腕を絡めた。ブレザー越しに頬をこすりつけた。

それもまた初めての経験。

妹のいない梓にとっては本当に人生で初めてのことだった。

 

「ゆ、由佳ちゃん、あの」

 

「由佳って呼んで。いい加減に」

 

「由佳ちゃ」

 

「由佳! 他の子と同じは嫌なの!」

 

梓より頭一つ低い由佳が、ぷくっと頬を膨らませて言う。

まだ鼻声で、目も泣き腫れている。

 

「えっと……ゆ、由佳?」

 

腕に抱きついた由佳が「なぁに?」と笑顔で聞き返す。

 

「その、このまま行くの?」

 

「そうだよ。恋人同士だし」

 

「ええっと、せめて手をつなぐのほうがいいかなーって思うんですけど……」

 

由佳はにやにやしながら梓を見て、「しょうがないなぁ」と腕を解いて、梓の手を握った。

梓の指を横からぎゅっと握る、友達つなぎだった。

 

由佳の手はほんのりと暖かい。

由佳はふにゃふにゃに口元が緩んでいる。

 

「梓は恥ずかしがりやなんだから。学校の中だけはこうしといてあげる」

 

「あ、ありがと」

 

はじめて手を繋いだけれど、心臓が跳ねたりしないし、どきどきもしない。

ただ感じるのは、生きているヒトの感覚。

 

 

由佳の中にも、血が流れてる。

もらえるかも。

 

 

梓はぶるぶると首を振った。

 

「あ、あずさ? ど、どしたの?」

 

「ううん。なんでもない。いこ」

 

由佳と手をつないで、いつもよりゆっくり歩く。

昇降口で靴を脱いで、学校の外へ。正門へ。由佳は手をつないだまま。

 

「あの。ママが迎えに来てるから、ここまで」

 

「なんで?」

 

「なんでって……その、えっと」

 

否定する材料がない。

 

 

 

由佳と梓は並んで歩いて、正門を出て裏手へ。

学校裏の広場に停まったワンボックスワゴンが見えてくる。由佳の記憶にあるナンバープレートが付いている。

 

「あれだよね。梓の家の車って」

 

「そうだけど……なんで知ってるの?」

 

「一台しか停まってないからわかるよ」

 

由佳は慌てて嘘をついた。梓は特に疑わずに歩く。

スマホが震えた気がしたので、由佳に見えない高さで取り出す。『ママ』と書いたLINEが1件。

 

『隣にいる子はお友達? 大丈夫?』

 

少し悩んで、返す。

 

『うん 前話したクラスの由佳ちゃんだよ』

 

 

文字を打つ梓を、由佳はじっと見上げていた。

 

 

梓とのつながりの手が急に冷たくなった気がする。

ぎゅっと強く握るけど、文字を打ってる状態のまま。

 

”梓の彼女”が構ってほしいって思ってるのに構ってくれない。

 

ううん。まだ早い。

まだ梓はびっくりしてるし、梓はレズじゃないはずだから、まだ振り向いてくれてないだけ。

 

怒っちゃダメ。

嫌われないように、好かれていきたい。

 

今のこの瞬間ですら、全部夢だと思っちゃうぐらいに信じられない時間。

手に触れることすら難しかった梓と恋人になって、手を繋いでる。

 

一度手の中に入った梓を、失うわけにはいかない。

 

 

由佳は作り笑いを顔に貼り付けて、梓の腕に頬をこすりつけた。

車の中にいる、梓の母親に見せつけるように。

不安に怯える自分を押し殺して。

 

この先にいるのは、梓の母親。

よく話題に出てくる人。

きっと梓に最も近い人。

 

 

梓が車の後部座席のドアの前に立った。

由佳をちらりと見て、ドアのボタンを押した。

電子音が鳴って、ドアが開いた。

 

 

三浦一美(みうらかずみ)星野(ほしの)由佳が、相対する。

 

 

「おかえり。梓」

 

一美は疲れた顔で笑って、梓を迎えた。

そしてすぐに、梓の横にいる娘の友達を見た。

 

「こんにちは。星野さん。梓の母の一美です」

 

そう言って笑顔で会釈する一美。

由佳もぺこりと頭を下げて、その目をまっすぐ見て言う。

 

「こんにちは。梓さんのお母さん。梓さんとお付き合いをさせてもらってます、星野由佳です」

 

「えっ!?」

 

梓が驚いて由佳の方を向く。

由佳は笑顔のまま、「でしょ?」と梓を見て言う。

 

「え、ま、まあ、そう、だけど……」

 

一美も笑顔を貼り付けたまま、由佳と梓を見比べる。

 

 

娘の目線。その口ぶり。

この子は嘘は言ってない。心当たりがある。

 

でもまだ口を開くつもりはなかった。

 

 

「あ、梓からも言ってよ。わたしが勝手に言ってるみたいじゃない」

 

由佳が焦ったような口調で梓を急かした。

 

梓も焦っていた。

もっと段階を踏んで言うつもりだったことまで由佳に言われた。

もっとゆっくり話して、その後車の中で、ゆっくり事情を説明するつもりだったのに。

 

「あ、あの、ね。うん。そういうわけで……お、お付き合い……してるから」

 

テストですごく悪い点を取った時みたいな気分だった。母の顔と恋人の顔を交互に見ながら、梓は言った。

 

由佳は梓の照れ顔を満足げに見て、勝ち誇るように笑った。

そして、目の前にいる梓の母の顔を見た。

 

 

ほんの一秒だけ。凍り付いたような無表情があった。

自分にだけ向けられた目線。大人が放つ制御された負の感情。

 

 

怖い。

 

 

ひゅっ、と由佳の喉の奥から息が漏れて、梓の手をぎゅっと握った。

 

 

「……そう。わかったわ。もう梓を連れて帰っていいかしら? この後買い物に行く用事があるの」

 

「は、はい。時間を取ってごめんなさい。またね、梓。あとでLINEするから」

 

由佳はなんとかひび割れた笑顔を取り繕って、梓の手を放した。

梓は軽く手を振って、車に乗り込んだ。

ひりついた空気は梓も感じていて、一刻も早く優しい闇の中に戻りたかった。

 

 

「……そうそう。星野さん。一つ確認したいんだけど」

 

一美が余所行きの笑顔を張り付けたまま、由佳の方を見て言う。

 

「梓が雨の日に車で帰っているのは知っているかしら? ()()()()()()()()()()?」

 

由佳は笑顔の仮面をつけたまま、一美の方を見て言う。

 

「いいえ。雨の日はついていきません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

それはお互いだけが分かるやり取り。

 

 

一美は知った。この子は梓の秘密にたどり着いてしまっている。

由佳は知った。この母はやっぱり梓の秘密を知っている。

 

 

梓がドアを閉めるボタンを押すと、電子音と共に後部座席のドアが閉じた。

由佳は一歩下がって手を振った。

 

ドアの中は遮光シートで見えない。手を振り返してくれたかは分からない。

 

 

車が由佳の前を去って、由佳は一人ぼっちになった。

 

 

「……はぁー。こわかったぁ……」

 

ぺたりとその場に座り込んでしまった。

 

すごく怖かった。

一瞬だけ。あんなに怖い顔できる人いるんだ。

絶対あの人は普通の母親じゃない。

何の職業なんだろう。殺し屋とかかな。怖い。すごく怖い。

 

でも知らないと。

これから何度も会うことになるかもしれない。

 

 

それにわたしは梓の一番なんだから。

梓の恋人なんだから。

絶対にわたしだけのものだから。

 

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