はらぺこヴァンパイア 作:棗の
空気が重い、という言葉がぴったり。
薄暗い車内で、そのまま眠れるぐらいに安心できるはずなのに、知らない人の車に乗っているみたいだった。
由佳と別れて、一言も一美は言葉を発していなかった。
梓は不安げな赤い目で、バックミラーと自分のスマホを交互に見ている。
スマホには通知もないし、この場を打開する答えもない。
「……おかえり。梓。今日は色んなことがあったみたいね」
ようやく発された一美の声は固かった。
まるで原稿でも読んでいるみたいだった。
「う、うん。ほんとに色んなことがあったよ。今日の世界史の時も怖い絵があって、頑張って隠したんだけど、消しゴム落としちゃって」
梓はつとめて明るく喋った。
車のエンジン音や、周りの車の走る音が異様に大きく聞こえる。
「お昼もさ、
汗をかかないはずなのに汗が出てくる気分。早く家についてほしい。
「……梓、ごめんね。焦らせちゃったみたいね。
一美は自分が放っていた威圧感を反省した。
あまりにも予想外で、あまりにも衝撃的だったから、気持ちを抑えきれていなかった。
梓はちょっと涙目になっていた自分に気付く。
ママが怖いと思ったのが人生で二度目になった。
ポケットからティッシュを出して、赤い涙を拭いて、話す。
「……今日の放課後、由佳ちゃんについてきてって言われて、空き教室で告白されたの。
由佳ちゃんは女の子が好きな子で、私のことが入学式の時からずっと好きだった、って」
さっきよりは車の音は聞こえなくなっていた。
母の後頭部で緩く縛った髪が、上下に揺れた。
「それで…………OKして、付き合う、ってことに、なり、ました……」
過程を飛ばして、結論だけ伝えた。
さすがに言えなかった。
「血をあげる」って言われたら体が勝手に動いたなんて。
そんなの、本当にただのヴァンパイアみたいだから。
どれだけ由佳ちゃんが頑張っても、私が考えても、血をあげるの一言だけで動いちゃう。
そんなの本当にただの醜い怪物だから。まだ人間でいたい。
また車の音が大きくなってくる。
バックミラーで、母の目元しか見えない。ちょっと疲れたような、皺の寄った目元。
「……梓は、いっぱい考えたうえで答えたのね?」
すこしだけ固い声。
梓はちくりと胸を刺す罪悪感を隠して、頷いた。
「考えたよ。由佳ちゃんは、私がヴァンパイアだって気付いてた。それでも、綺麗だから、可愛いから、世界一好きだから、って……」
自分が言ってて恥ずかしくなる。
こんな血に飢えた怪物に、これ以上なく似合わない言葉ばかりなのに。
「……嬉しかった?」
「うん。ヴァンパイアってこと、隠さなくていいよって。知ってたらもっといっぱい助けることができるからって。認めてもらえた気がして。嘘つかなくてもいいんだって」
それは本当の気持ちだった。
由佳は梓の嘘を全部見抜いて、それでも傍にいることを選んでいる。
そんな人は、家族以外だと誰もいない。
これからは由佳ちゃんの前でだけ、嘘つかなくてもいいって考えると、気が楽になる。
由佳ちゃんはもっと大切な”友達”になった。
由佳って呼び捨てにするのは、まだちょっと抵抗があるけれど。
「……梓は、女の子と恋愛したいと思った?」
「ううん。まったく。だから分かんない。友達として好きなのはわかるんだけど、それって、その……こ、恋人と、何が違うのかなって」
恋人、なんて言葉、カラオケの歌以外だと人生で初めて使ったかもしれない。すごく恥ずかしかった。
今その立場になっているのに。
「わからないのも当たり前よ。大人でも分からない人がたくさんいるんだから」
一美が前を向いたままふふっと笑った。
大きな交差点で車が揺れて、梓は前の座席を掴んだ。「ごめんね」と小さく一美が言った。
「女の子同士なんて、分かる人の方が少ないから。星野さんにも、よくわかってないのかもしれないし」
「そうなの? 由佳ちゃん、すごく経験豊富そうだけど……」
友達もいっぱいいるだろうし、色んな女の子と付き合ってきたんだと思う。
というか、経験豊富そうってなんか悪口っぽくてよくなかったかも。
「よくわかっていなくても、わかっていても、お互いに探っていくのが恋人同士よ。
梓は星野さんのこと、もっと知りたいって思う?」
「うん。思うよ。好きな食べ物とか、好きな映画とか」
これも本当の気持ち。
由佳ちゃんは確かにちょっと距離が近いし、さすがに学校の中で腕を組むのは恥ずかしいし、手をつなぐのも恥ずかしいけど……もっと仲良くなりたい。
それに。
せっかくヴァンパイアだってばれたし、いろんな話もできそうだから。
私の悩み事とかも、聞いてもらえるかも……化け物だって引かれない程度に。
「……じゃあ、一応聞いておくけど、
「う、うん。だって中村くんは、OKしたわけじゃないし、友達だし……」
実は頭から抜けていたなんて言えなかった。
「……わかったわ。もう一度確認するけど、梓は関係を続けたいと思うのね?」
その質問への回答には、少し時間がかかった。
家につく前の最後の交差点を曲がる。
マンションの駐車場に入る直前で、梓は答えた。
「うん。由佳ちゃんとは、一緒にいたい、と思う」
それも嘘のない本当の気持ち。
車が止まって、一美がようやく梓の方へ向いた。
疲れた顔で、顔色も悪かったけれど、柔らかく笑っていた。
「そう。わかったわ」
エンジンを切って一美は外に出た。梓もそれに続いて、リュックを担いで外に出た。
母の背中を追って我が家へ帰りながら、梓は思う。
家に帰ったら、由佳ちゃんのどういうところが好きで、だから恋人同士になったのか、ちゃんと人間として向き合いたい。
そのうえでも同じ答えを出すのかは分からないけど、関係を終わらせたりするつもりはないから。
こんな私でも、由佳ちゃんは好きって言ってくれた。
13人も殺した怪物なのに。ヴァンパイアなのに。アルビノを騙る嘘つきなのに。
むしろこんな中途半端な気持ちでいる自分のほうが醜い気がして、なんだか恥ずかしかった。
「血が欲しくてOKしました」なんて絶対言えないから、せめて人間としての部分で、ちゃんと向き合うこと。
由佳ちゃんと中村くんを比べることも、すごく失礼で良くないことだと思うけど。
気持ちを自分の中でちゃんと言葉にして、それから答えること。
それが勇気を出して告白してくれた由佳ちゃんに対して、怪物の自分ができる、最低限のことだと思った。
「ああ、どうも。
唐突に、背後から男性の声がした。
一美の足が止まり、考え中だった梓が一美の背中に軽くぶつかった。
梓がすかさず振り返ると、40代ほどの男性が立っていた。
ポロシャツにチノパンの、どこにでもいそうな格好の男性。
顔は笑っているが、目は笑っていない。
その顔に、梓は見覚えがあった。
「あ……刑事、さん……」
一美と共に警察署に行った時、行方不明事件の担当だと紹介された若い刑事さん。
一美と
「こんにちは。梓ちゃん。体調は大丈夫?」
好意的に見えて、その内側から何かを見透かそうとしているような目線。
逃亡中に何度も見た警察の目だった。
「あ……はい……今日は、ちょっとだけ……」
梓は目を逸らして、自信なさそうに言った。そう言うように言われてきたから。
一美が刑事に向き直り、ぺこりと会釈した。
「どうも。
「どうも。
刑事・大橋の慇懃な笑みに、一美は余所行きの笑顔で返した。
「あれから、危ないことはありませんか? お車で送迎されているので、大丈夫だとは思いますが」
「ええ……今のところは。娘も、少しずつですが良くなっています」
一美は手元のスマホの時計を見たが、大橋は笑顔を崩さなかった。
「それは良かったです。学校にも通えるようになって、私も安心しましたよ。私も娘がいるんですがね、今年中学に入ったばかりで。入学してすぐは、なかなか目が離せませんよ」
梓はわざとらしく深呼吸をした。
呼吸していないことをバレたくなかったから。
「我々も目を光らせてはいますが、くれぐれも、よろしくお願いしますよ」
よろしくお願いします。――何を?
梓は聞きたかったが、口には出さなかった。
警察が求めているものなんて、わかっている。
「ええ。勿論ですよ。お手数をおかけします」
一美が深々と頭を下げると、大橋も僅かに会釈した。
「では、また」
大橋は梓と一美に笑いかけ、マンションの敷地から歩いて去って行った。
「……行きましょ」
犯罪者たちは、逃げるように家に入っていった。