はらぺこヴァンパイア 作:棗の
夜。
マンションの七階のワンルーム。
整然とした部屋の中、リビングのテーブルの上にはいちごのショートケーキが乗っている。横にはスマホスタンドがあり、
それらに満面の笑顔で向かい合って座るのは、部屋の主の由佳。
まだ目は泣き腫れているが、気分は有頂天だった。
もうこのまま外に出たら空でも飛べそうなほどに嬉しい。
こんなの何年ぶりだろう。まだ家が普通だった頃の誕生日以来かも。
この部屋の中でこんな気分になるなんて思わなかった。
「ケーキ買っちゃったー♪」
後先考えずに駅前でケーキを買ってしまうほどだった。
これは梓との恋人生活のはじまり記念ケーキ。
これからは、妄想が現実になるんだ。
梓がここに来てくれるし、一緒にケーキを食べて――はくれないけど見てくれるし、梓と一緒にベッドだっていけちゃう。
「ダブルベッド買っちゃおうかなぁ」
鼻歌を歌いながらタブレットでブラウザを開く。
告白前の最終確認として見ていた”絶対告白がうまくいく裏技集”のページを閉じて、ダブルベッドで検索。
由佳の1か月の生活費よりも高い。だが今はその価格に落ち込むことなんてなかった。
「あとはー梓用の歯ブラシとーコップとーバスタオルとー」
梓って何色が好きなんだろう。黒? そんなわけない。青系とか緑系の色が好きそう。
バスタオルはしっとり系かふんわり系どっちがいいんだろう。
まだまだ梓の知らないことがいっぱいある。でもこれからは恋人同士だから、今よりずっと機会が増える。
由佳はタブレット片手にケーキを食べつつ、スマホを見る。
何も通知が来てない。告白したのが14時。今は19時。
5時間も梓から連絡が無い。
もしかしてあの怖い親に怒られてるのかな。レズなんかと付き合うなって言われてるのかな。
車の中でずっと怒られて、LINEブロックさせられてるのかも。
胃がきゅうっとなって、目の前のケーキが急に場違いに見えてくる。
「……許せない」
思わずケーキフォークを噛んでしまった。
梓に乱暴したら許さない。誰であろうと絶対許さない。
それに、子どもをおもちゃにする親はもっと許さない。
きっとあの親はろくな親じゃない。
梓を送迎してるのも仕事してないからだ。
あんな時間に仕事してない大人なんていない。
梓は優しいし、親に逆らうタイプじゃなさそう。
そんなに暇なのに入学式にすら来ない親なんだから、きっと梓は怖がって何も言えないんだ。
殴られたり、蹴られたりしてるのかも。
わたしがそうされたように。
「……いけない。今日は楽しい日。今日は梓とのカップル記念日」
由佳は首を振って、つとめてケーキの甘さを意識した。
梓と一緒に飲んだ紅茶も美味しかったし、梓が紅茶好きなのも嬉しかった。
梓は、人間からヴァンパイアになった人なんだと思う。
この前見たアメリカのドラマではそういう設定があった。
本当はいくつなんだろう。すごく年上なのかもしれない。
どうしてヴァンパイアになろうと思ったんだろう。
梓はあんまり欲がなさそうに見えるけど、実はヴァンパイアになるのが夢だったのかも。
もし紅茶だけ飲めるのなら、学校でとっくに飲んでるはず。
あれだけ隠してるから、きっと今は一滴も飲めないんだ。
昔どこかで飲めた時期があって、スタバがあったころだから、百年前とかじゃないはず。
すごく気になる梓の秘密。
きっと梓と、すごく仲良くならないと教えてくれないこと。
梓は頭がいいし嘘は下手だけど、何かの拍子に喋っちゃう人じゃない。
梓と仲良しになること。
「……どうしよう」
梓はわたしを友達としか思ってなかった。
梓は優しいから、きっと合わせてくれると思うけど、梓の気持ちがもっと欲しい。
言葉だけじゃない。
態度も、心も、体のぬくもりも、全部全部ほしい。
もっと好きだって言ってほしい。
わたしの体を求めてほしい。
愛してるって、誰よりも大事だって、親よりもずっと大事で一生一緒にいたいって言ってほしい。
梓からは一度も好きって言われてない。まだ。
ケーキを食べる手が止まる。
胸の奥から黒いもやもやしたものが湧いてくる。
梓は、どう思ってたんだろう。
告白して、「血をあげる」って言っちゃった途端、びっくりするぐらいあっけなくOKしてくれたけど、それ以外は。
まだ不安は続く。
あれだけ頑張って、もがいて、梓の彼女の立場を手に入れたのに、まだまだ続くんだ。
梓の気持ちは手に入れてない。
終わりじゃない。始まりだったんだ。今日は。
「楽しいこと……楽しいこと……」
すぐに不安になっちゃう。こんな根暗じゃ梓に嫌われちゃう。明るい子でいないと。
梓の前ではパーフェクトな由佳でいて、もっと頼ってもらって、好きって言ってもらいたい。
現実の梓と、”わたしの中の梓”には、違いがたくさんある。
わたしの中の梓は、クールでお姉さんっぽくて、わたしの頭を撫でてそのままキスしてくれる。
梓が何を考えているのか、よくわからないことが多い。
無愛想なわけじゃないけどあんまり自分から喋らないし、告白する前もした後も、あんまり態度が変わらない。
わたしがいっぱいスキンシップしても、いつもの由佳だって思われてる気がする。
いつもじゃない。付き合うまでいっぱい我慢してたのに。
我慢しててえらいって褒めてほしかったし、頭を撫でてほしかったし、キスしたらドキドキしてほしかった。
そのまま暗がりに連れ込んで、情熱的なキスをしてほしかった。
「わたしだけ勝手に騒いでるみたいじゃん……」
今日だってそう。梓からもちゃんと親に説明してほしかった。
あんな態度だったら疑われちゃう。全然何もやましいことなんてないのに。
梓だって手を繋いだり、キスされたりしたら絶対嬉しいしドキドキするはずなのに、顔色も全く変わらない。
何の反応もないと悲しい。無視されてるって思ってしまう。
わたしからの片思いじゃない。
梓だってちゃんと思いを返してくれるはず。
絶対そう。いっぱい好きって言えば。
……だけど、そんな梓でも反応することだってあった。
「血をあげる、かぁ……」
本当は言うつもりなかったことだけど、梓は血のことを話した時だけ全然違う反応をした。
一瞬、まるで映画のヴァンパイアみたいに笑ってわたしを見てた。
夕方の教室だったのに真夜中になったみたい。
怖かったけど、いつもと違う梓が見れてドキドキした。
「梓はヴァンパイアだもんね」
あの表情だって、絶対わたししか見たことない。
わたしだけに見せてくれる秘密の梓。恋人だけに見る権利のある、ヴァンパイアの梓の顔。
わたしだけ。わたしだけが知ってる梓がいる。わたしにしか見せない顔。
ヴァンパイアの恋人が見せる、ヴァンパイアとしての顔。
すっごくロマンチックでドキドキしちゃう。
わたしの血に誘惑される、ヴァンパイアの梓。
「首筋をみせたら、そのまま襲われちゃうのかな」
頬が熱くなる。
あんな綺麗な顔でそのまま首を噛まれたら死んじゃうかもしれない。
いつも落ち着いてて、牙を見せることすらためらってる梓が、牙をむき出しにしてる所。
わたしの首を掴んで、笑って噛みつく梓。
欲なんてあんまりなさそうな梓が、がっついて、乱暴にわたしを掴んでくる。
そんな日がきっとくる。
いつかわたしも吸われちゃうのかな。
ホテルに連れ込まれて、ベッドに乱暴に寝かされて、押さえつけられて、服を脱がされて。
「……いいよ。梓なら。ぜんぶあげるから」
ふうっと熱い息が漏れた。
気が付くとケーキの上にケーキフォークが落ちてしまっていた。いけないいけない。
由佳はケーキのいちごを食べて、スマホをもう一度見た。
19時21分。LINEが来ない。
あれから何も送ってない。
LINEトーク画面を開く。トークの最後は梓のもの。
『今日早退したみたいだけど大丈夫? プリントあったら取っておくね』
告白する前の日のもの。
そこからお互いLINE上では何もしゃべってない。このトークの後、友達から恋人に変わったのに。
何を送ろうか帰る間にずっと悩んでいた。記念すべき恋人になってから最初のLINE。
たくさん候補はあった。
『今日から恋人だね』
『愛してるよ梓』
『恋人同士だし学校以外でもLINEするね』
『梓のためなら何でもするよ。親なんかよりずっと』
『さっきはありがとう』
『今何してる?もしかしてわたしのこと考えてた?』
『ずっと一緒にいたい』
『大好き』
どれがいいんだろう。他の子は何を送ってるんだろう。
千夏に相談しようとしたけれど、指が動かない。
誰に? って絶対聞かれる。梓とは言いたくない。レズだってばれちゃう。気持ち悪いって思われちゃう。
適当な男の名前出す? 誰がいる? クラスの男子誰だってお断り。
最初が肝心。
梓は鈍感だし、ふわふわしてるし、メッセージ性の強いやつ――
『梓大好き。愛してる。世界一愛してる。梓もだよね?』
そこまで打って、無表情で消した。
これはさすがにだめ。引かれちゃう。よく言えたと思う。
それに仮にこれで送ったとして、『友達かな』って言われたらそのまま死んじゃうかもしれない。
急に自分の身が、心が惜しくなる。
失うものなんてもうないと思ってたのに、今はある。
私の恋人の梓。絶対に、絶対に離したくない。
『離れないで』
また消した。
恋人っていう立場を手に入れたのに、なんだか前よりもっとLINEの送信ボタンが重たくなってる。
梓に嫌われたくない。離れてほしくない。ずっとずっと傍にいてほしい。
ケーキを食べ終わっても、まだ何も送れていない。
食器を洗って、洗濯機を回してもまだ。
時計を何度も確認しても何も変わらない。
梓とわたしの思い出は止まったまま。
20時を回っても梓からLINEがない。
もう6時間も喋ってない。恋人なのに。
付き合ってゼロ日目なのに別れちゃうの?
何度かスマホの画面を見て、ロック画面の写真を隅から隅まで見て、LINEを開いて文字を打つ。
汗に濡れた指で何度も打って、目を瞑って送る。
『梓大丈夫? 何かあったの?』
今までと何にも変わらない文章。ただ会いたかったし、梓が無事なことを実感したかった。
1分待って、2分待っても既読がつかない。
3分待って、洗濯機を見に行っている間にLINEの通知音が鳴る。
時が動き出す。
『大丈夫だよ 家にいるよ』
友達だった頃と変わらないLINE。
「はぁー……」
全身から力が抜けた。
はじめてのLINEがこんなのでよかったのかな。全然ロマンチックじゃない。
やりたいことなんて無数にあったのに、何も出来てない。
洗濯機が終わるまで、テレビで映画を流しながらタブレットで調べる。
『カップル 電話 タイミング』
『電話 寝るまで 誘い方』
そんな言葉で調べていく。
梓の感覚が、全身に戻ってくる。
梓の手はすこし固くて、無駄なお肉がついてない。
爪の色が薄くて、宝石みたいに綺麗だった。
全部全部綺麗すぎて、あの指先で顎の下を触られるだけで心臓が爆発しちゃうかもしれない。
梓のほっぺたは、冷たくて、柔らかかった。
味はしなかった。人生で初めてのキスだけど。
思い出すだけで、胸の奥に熱が灯る。
梓の表情で、感触で、熱で、心が埋まっていく。
夜が深まっていくほどに、梓に会いたい気持ちが募っていく。
それはずっと変わらない。
だけど会えないし、恋人の気持ちは友達のまま。
テレビを消して、電気を常夜灯に切り替えて、夏物パジャマの上下を脱いでベッドに投げる。
「あずさぁ……」
燃え上がる気持ちの行き先がなくて。
「あずさぁ……お願い……いっしょにいて……」
薄暗い部屋に、艶のかかった声がこだまする。
スマホに映った恋人の顔を見ながら、熱い吐息を吐く。
今はまだ自分の横にいない、恋人の裸を夢想して。