はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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おなかすいた(二)-5月28日12時21分

 

(あずさ)は空腹だった。

 

 

なんだか自分の体がおかしい。

頭が痛くて、喉の奥が渇く。風邪のひきはじめみたいな状態。

 

 

季節の変わり目だし、梅雨入りしはじめたせいか天気もずっと曇りか雨だし、気がめいっちゃう。

風邪ひくなんて人間らしいところもあるなぁ。

 

「……はぁ」

 

わかってる。

おなかがすいてるんだ。ヴァンパイアが。

 

 

ママからコーンポタージュをもらえるのは、最初に作ってもらった数回を除くと、二週間ぐらいに一回だけ。ママの体がもたないらしい。

 

コーンポタージュの量を測ったことはないけど、たぶん血液パック一つとそんなに変わらない。

おいしくて、温かくて、気持ちが落ち着く。

 

だけど……どうしようもなく足りない。

もっとたべたいのに。

 

 

そして今朝になって、とうとう始まった。

 

ヴァンパイアの空腹は、人間の風邪みたいなものからはじまる。

頭が痛くて、喉が渇いて、なんだか無性に悲しくなってくる。

 

 

おなかがすいてることを認めたくない気持ちはずっとある。

おなかがすいてるってことは、何をしなければならないのか知っているから。

 

一人で逃げ続けていた時は、動きを最低限にして、次の避難先まで行って眠るを繰り返していた。

そうして我慢できないところまで行くと、何もかも放り投げて人間を追いかけ、そして殺した。

 

 

もうそんなことはしたくない。

したくないのに、食べ物が無い。

 

 

当たり前のことだけど、ずっとずっと目を逸らしてきたこと。

普通の高校生はそんなこと考えないから。

 

 

梓は保健室の天井を眺める。

体操服を着てベッドの上。締め切って遮光された個室スペースの中にいた。

前の授業が体育で、見学中に気分が悪くなったことにした。

 

 

梓は半身だけを起こして、家から持ってきた黒いタオルを手に取った。

タオルを広げて、顔に押し当てる。

 

 

”がまん”しなくちゃ。

 

 

私は今から人間の首を噛むんだ。()()()()()()()()()()()

 

梓は目をつむって、自分の下あごを牙で勢いよく刺した。口内をどろりとした自分の血が満たして、それが喉の奥に流れていく。

喉の渇きが少しやんで、頭痛がすうっとやわらぐ。

 

 

タオルを離すと、溶けたダークチョコレートみたいな液体がこびりついていた。自分の口の中から出た、真っ黒いヴァンパイアの血。

これを飲んで、少しだけ飢えをしのぐ。痛みもない。感覚もほとんどない。ただ自分から出たものを自分で飲む。

 

個室で赤い目が光り、梓の白い頬に黒い液体が飛び散る。

3回、4回、5回噛んで、6回噛んだ時に、どろりと口から黒い血が漏れてしまった。

ヴァンパイアの血が指に飛び散って、白い指に黒い点々模様ができる。

 

「……はぁー」

 

口の中の血を飲み込んで、タオルで拭いて、ため息をつく。

誰にも見せられない自分。

 

何回噛んで、口の中がどろどろになっても、咳き込んだりもしない。呼吸していないから。痛みもない。噛んだところにもまだ噛んだ感覚がある。傷がすごい速さで治っているから。

 

 

……いけない。また悪いことばかり考えてる。

 

 

スマホを取りだして、インスタグラムを開いた。

好きな女優さんがストーリーを更新してる。次のシーズンのドラマのオープニング撮影をしたらしい。

 

きれいな人。次のドラマは医療ものらしくて、白衣を着て、机に向かってる写真。

横顔がすごくきれい。

 

E-Z’s(イージス)のふーくんのストーリーも更新されていた。

メンバーみんなで焼き肉に行った時の写真。メンバー五人の中でふーくんは一番左で、横を向いていた。

横顔がすごくきれい。

 

横顔の下、首筋。

 

「へへ……」

 

どうしてか笑いが漏れた。

梓はインスタのブックマークを開いた。色んな人の、横顔の写真がたくさん。健康的な耳から首筋のラインが白く光って見える気がする。

 

 

ブックマークに、横顔の写真ばかり集まっている。

いつからかは覚えていない。

だけど、なんか良いなって思った写真を集めていると、自然とそうなっていた。

 

 

梓は体を丸めて、横向きに寝転がってスマホを眺める。

ぼんやりした目で、口を閉じたまま何度か牙を下顎に刺す。写真を左右にスワイプして流していくたびに、口を動かしてどろどろの液体を飲み込む。

 

私って横顔好きだったのかな。

正面からの写真より、横や後ろを振り返った時の写真の方が、なんだか好みな気分。

 

きれいな首。

生気に溢れてて、白くて。

 

「おいしそう……」

 

陶酔した表情で、無意識に呟く。

 

 

「……梓? なにしてるの?」

 

「きゃあっ!」

 

梓は思わずスマホをベッドに落としてしまった。

慌てて飛び起きると、遮光カーテンから顔だけ出した由佳(ゆか)がいた。

ジトっとした目を向けている。

 

「……体調が悪いって聞いたから来たんだけど、ずいぶんとお楽しみだったみたいで」

 

由佳が遮光カーテンを閉めて、梓のベッドの前に立った。

湿っぽい目つきで、梓のスマホを睨んだ。

 

 

そこに映っていたのは、E-Z’s(イージス)桐生楓馬(きりゅうふうま)のドラマ撮影後の一枚。インナー姿で、カメラを見上げるように撮影した一枚だった。

 

「あ、い、いや。これは、ちょっと」

 

「…………梓も女の子なんだね。やっぱり。安心したような残念なような」

 

わざとらしく由佳がため息をつく。

 

「女の子だよ。ふーくんが好きな事知ってるでしょ」

 

「知ってるけど。……運動後の汗だく男子にメロつくって、梓も結構ベタなんだね。がっかり。クールな梓のイメージが崩れちゃう」

 

はぁーっと大きなため息をつく由佳。

 

「別にそういうわけじゃないけど……ていうか別に呼んでないし……」

 

梓はスマホを裏返して、由佳から目を逸らして言う。

ただ写真を見てただけだし、やましいことなんて何もないのに。

 

「彼女の心配をして来たのに、そういうこと言っちゃうの? 梓が体調悪いのに気付かないとでも思った?」

 

由佳が梓の手を握って、顔を近づけた。由佳の顔がちょっとずつ赤くなっていく。

 

「風邪ひいたの?」

 

梓は口ごもる。

ヴァンパイアが風邪をひかないことを由佳は知らない。だけどここは学校で、もしかすると外に先生がいるかもしれない。あんまりはっきりとは言いたくない。

 

それに、なんとなくだけど……風邪ひかないって由佳に知られることは、良くない気がした。

自分が寝ないことを知られたときみたいに。

 

「ま、まあそんな感じ。頭痛い」

 

「薬はもらったよね。まだならわたしが」

 

「あー、え、えっと、飲める薬って制限されてるからダメなの。ありがとう」

 

由佳が後ろを向いて、小さく頷く。

スマホを出して、メモアプリに文字を打つ。

 

『本当は?』

 

梓もスマホを出して文字を打つ。

 

『頭が痛いのは本当 風邪じゃないけどたまにこうなるの』

 

『原因はわかってるの?』

 

『あんまり ヴァンパイア専門の医者なんていないし』

 

『親も知らないの?』

 

その時の由佳は、口元がわずかに笑っていた。

 

『知ってたらとっくに聞いてるよ』

 

この不調の原因は、知られたくない。

 

 

由佳はその文字を見て、梓に顔を近づけ、右の頬にキスをした。

 

「じゃあわたしが調べてあげるから。任せて」

 

吐息を感じられるほど近くの由佳の声。

 

 

由佳は勝利を確信して笑っていた。

梓の母親よりも自分が近くにいられる。一歩前に進める。

インターネットで調べればきっと出てくるはずだから。

 

 

一方の梓は、その言葉よりも、キスよりも、意識の中にただ一つしか無かった。

 

目の前にある、由佳の首筋。

白くて、きれい。

その内には血が流れてる。

 

たべもの。

 

 

ヴァンパイアは赤い目を細め、微笑を浮かべて体を前に傾けた。

 

紫がかった舌が、由佳の首筋を舐めた。

 

 

――おいしい。

 

 

「ひゃあっ!?」

 

ひやりと冷たい接触に驚いた由佳が、首筋を押さえて後ろに跳びあがった。その拍子に遮光カーテンを踏みつけて、派手に尻もちをついた。

 

 

梓が慌てて手を差し伸べたのと同時に、カーテンの向こうから保健の先生の声がした。

 

三浦(みうら)さん? どうしました?」

 

「あ、えっと、様子見に来てくれた友達がカーテンで転んじゃって。すみません!」

 

ぱたぱたとスリッパの足音が遠ざかっていく。

由佳は首筋に手を当てたまま、まんまるな目をますます丸くして梓を見ていた。

 

「だ、大丈夫? 痛くなかった?」

 

「あ、あぇ……あず、さ、いま、何を」

 

何を? と記憶をたどって一秒。梓も赤い目を見開く。

 

 

()()()()()()()()()()()

 

なぜ?

おいしそうだから?

そんなことない。由佳は食べ物じゃない。噛みついていいわけない。

 

 

「……わたしの首、なめた?」

 

言い訳をする前に由佳が真実に辿り着いてしまった。

由佳は梓の唇をじっと見ていた。

 

梓の赤い目がすうっと横に逸らされた。

 

「……ごめん。変なことして」

 

おなかがすいてるからだ。

普段全然、かけらも思ってもないことをやっちゃう。

 

「へ、変っていうか、えっと……」

 

由佳がしりもちをついたまま、顔を真っ赤にして梓の唇を凝視している。

 

「その、きょっ、今日は記念日だね! 梓の首舐め――」

 

「静かにして! 保健室!」

 

梓が由佳の口を手でふさいだ。

スマホを出して、メモ帳に文字を打つ。

 

『いやなことしてごめんなさい忘れてください』

 

由佳がぶんぶんと首を振って、梓の隣に座った。まだ紅潮した顔のまま、スマホで文字を打った。

 

『いやじゃないよ! すごくドキドキした!』

 

『フォローありがとう もうしない』

 

『なんで! 嬉しかったのに!』

 

由佳は梓の腕をぎゅっと掴んだ。

首を傾けて、健康的に白い首筋を見せてくる。

 

『梓ってヴァンパイアだし首が好きなんでしょ? わかってるよ』

 

梓を上目遣いで見上げて、ウインクする。

そうして一言、耳元で囁く。

 

「わたしは梓の彼女だよ。ね? この体は梓のもの」

 

 

衝動。

 

 

梓は由佳の肩を掴んで引き寄せた。

由佳の笑顔が恐怖に固まって、ひゅっと声が漏れる。

 

ヴァンパイアが笑った。

 

 

由佳は興奮と恐怖がないまぜになった顔で、恋人の異質な笑顔を見ていた。

きゅうっと両腕を縮めて、口を引き結んだ。

 

 

「あず、さ……?」

 

 

――たべていいの?

 

ダメ! 絶対ダメ!

 

 

 

梓は片手で自分の口を塞ぎ、目を逸らした。自分の指を思いっきり噛んで、自分の血を飲んで、ふうっと一息ついた。

由佳の肩から手を離して、スマホで文字を打った。

 

『あんまりそういうこと言わないで 由佳を噛む気ない』

 

捕食されかけた由佳は、陶酔したように大きなため息をついた。

 

 

すごい。今のが梓なんだ。

怖くて、綺麗。

梓が血を吸うときってこんな感じなんだ。

すごく、ドキドキしてる。

 

おなかの下がきゅんきゅんして、梓を求めてる。

 

梓がわたしを求めてくれた。

わたしのカラダ、梓に求められてる。

 

やっぱり梓はヴァンパイアなんだ。

クセになっちゃいそう。

こうすれば梓は、わたしを求めてくれる。

 

 

『今日も梓の可愛いところ見れちゃった 大好き』

 

由佳はスマホを見せて、ウインクした。

梓は目を逸らした。布団をかぶって由佳に背を向けた。

 

「体調が悪くなってきたから少し寝るね。おやすみ!」

 

由佳は梓の肩を撫でて、「おやすみ」と去って行った。

保健室の先生に由佳がお礼を言う声と、ドアを閉める音を聞いて、梓はふうっと一息ついた。

 

 

嵐のような一瞬だった。

けれども、調子がよくなった気がする。

頭はまだ少し痛いけど、喉の渇きは収まった。自分の血以外何も食べていないのに。

 

由佳の首を舐めただけ。血も出ていない。

だけどなんだか、暖かくて、おやつを食べた気分になる。

 

舌先に残る甘い味を、牙に擦り付け、それをまた舐める。

じんわりと痺れるような、甘美な味がする。

由佳の血の味なのかも――

 

「違う……」

 

由佳はご飯じゃない。わたしが噛んだら死んじゃう……じゃなくて、由佳はそもそも食べ物じゃない。

 

 

――この体は梓のもの。

 

 

違う。由佳にはもっと自分を大事にしてほしい。

私はそんなこと望んでない。

女の子同士のお付き合いって、そういうことじゃないはず。

血が欲しくて首を舐めるなんて、普通のカップルは絶対にしない。

だから私もしちゃいけない。

 

由佳がおいしそうなんて、思っちゃいけない。

 

「うぅー……」

 

ぐちゃぐちゃの気持ちを無理やり止めるために、梓は1時間後に起きようと念じて目を閉じた。

体を丸めた姿勢のまま、梓は動かなくなった。

 

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