はらぺこヴァンパイア   作:棗の

73 / 75
狩りの時間-5月30日21時45分

 

(あずさ)は空腹だった。

 

 

纏わりつくような不快感。

お風呂に入っても、きれいな夜景を見ても、欲しい服を通販サイトで探しても、ママとE-Z’s(イージス)のお正月ライブDVDを見ても、消えない。

 

太いロープが首に巻き付いて、締め付けているような感覚。

寒さを感じないはずなのに、寒い。

 

 

学校の数学ドリルを開いて、何も考えずひたすら解く。

真っ暗な部屋で、ぼんやりと光って見えるノートとドリルを交互に見て、解き続ける。

 

首が締まっていく。寒い。

 

梓は毛布を体に巻いていた。

温かい飲み物を取りに行こうとして、飲めないことに気付く。

コーンポタージュはまだ、ない。

 

宿題だった37ページの問題を解いて、次のページへ。

明日やるはずの部分。

梓の口が無意識に動いて、口内で下あごを刺す。どろどろの血が喉に伝って、首の拘束が緩む。

 

半ページ解いて、また首が締まる。

口が動いて、血が喉に落ちる。

さらに半ページ解いて、口が動いて、血が喉に落ちる。

 

「あっ……」

 

べしゃっ、と音がして、黒い血の塊がノートの端を汚した。

ティッシュで拭き取ったが、ノートの端にくっきりと黒い染みが残ってしまった。

ペンを置いて、口にティッシュを当てて洗面所へ。

 

鏡に映った自分は、口の両端に黒い一筋の汚れがついていた。

使い捨てのペーパータオルをたくさん取って汚れを拭きとった。ペーパータオルはまるでお風呂掃除に使ったみたいに汚れていた。

 

 

「……はぁ」

 

口を開けると、牙と歯がわずかに黒く染まっていた。

教科書で見た平安時代のお歯黒(はぐろ)みたい。

どろどろの溶けたチョコレートみたいなものが、口内に纏わりついていた。

 

「……ちょっとだけ」

 

もう宿題に戻る気にはならなかった。

 

スマホを取って机に戻る。

ドリルとノートを片付けて、インスタグラムを開いた。

ブックマークの中にある写真を一枚ずつ見て、スワイプしていく。

 

 

ごちそうのリスト。おいしそうな人がたくさん載ってる。

 

私はヴァンパイアだから。別にいいよね?

 

 

ふーくんの後ろを振り返った写真。耳元から首筋のラインがきれい。

メンバーの人が撮った、ロケバスで寝てるふーくん。

首が横に傾いていて、きれいなラインを描いている。

 

「へへ……」

 

今度ドラマに出る女優さん。髪を後ろで結って、帽子を被る前の写真。

後ろ髪の生え際から首の後ろのラインがきれい。

 

昨日の夜のバラエティに番宣で出てた若い俳優さん。いま大学四年生の男の人。こっちに流し目を見せてる一枚を選んだ。

口元から首、鎖骨のラインがきれい。

 

首。首。首。

頸動脈。

温かい血が流れてる、噛んだらぶしゅーって血が噴き出て、おいしいものが溢れてくるところ。

 

「おいしそう……」

 

無意識のうちに、舌で牙をなめていた。

はぁっと熱っぽい息を吐いて、口元が笑みを作る。

なんだか気持ちがいい。なぜかわからないけど、気分がよくなってくる。

 

「誰も見てないし……」

 

指先が迷って、一枚の写真でスマホの映像が止まる。

イチオシの一枚は、ロケバスで寝ているふーくんの写真。無防備な首がくっきり映っている。

 

生気に満ちた、きれいな首。

噛んだらきっと、おいしそう。

グチャグチャに噛んでしまいたい。

 

誰にも迷惑かけないし、誰も見てない。

大丈夫。

私はヴァンパイアなんだから、首筋に惹かれるのは当たり前。変じゃない。

 

 

由佳(ゆか)だって、ヴァンパイアだし当たり前ってスマホに書いてた。

由佳じゃないから大丈夫。相手はふーくん。

私が会えない人。だから安全。

 

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

梓はロケバスの中にいた。

真っ暗なバスの中で、眠ったままの桐生楓馬(きりゅうふうま)の首を掴んで、噛みつく。

温かい鮮血が出てきて、喉を通って、自分の体に行き渡る。

 

 

現実の梓は赤い目を薄く開いて、牙をむき出しにして何もない空を噛んだ。

噛むたびに下の唇に牙がこすれて、裂傷から漏れた黒い血が梓の顎に新しい模様を作っていく。

 

 

喉には何も伝わらない。けれどもなんだか、気持ちが和らいでいく。

 

もっとほしい。せめて何か噛みたい。

 

 

梓はベッドの縁に丸めて置いた黒いタオルを取った。

くしゃくしゃに丸めて、両手におさめて、牙を立てて噛みついた。

 

 

布を引き裂く音が響く。

 

 

これは布じゃない。

ふーくんの首。

私は今噛んでる。

血を吸ってる。

人間を狩って、食って、血を吸ってる!

 

 

「がううっ! ふううっ!」

 

梓はタオルを床に押さえつけて、唸り声をあげて何度も噛みついた。

黒色のタオルに、新しい黒の模様が生まれていく。

引き裂かれた繊維に、何度も牙が突き刺さる。

 

体を曲げて、抵抗する獲物を押さえつける。

 

 

これはふーくんの首!

噛んでる!

血を吸ってる!

 

 

「あはははっ!」

 

噛みついて、引き千切って、血管をむき出しにして、吸い上げる。

鮮血がダンスして、引き裂かれた肉片が舞い上がる。

 

 

楽しい。

これ楽しい!

 

 

噛みつくたびに鮮血が飛び散る幻想。

ヴァンパイアが見せる夢に乗って、何度も噛みつく。

 

 

4回、5回、6回噛みついて、タオルがぼろぼろの布きれに変わっていく。

噛んだ感触が足りなくて、自分の腕に噛みついて、黒い血が白い絨毯に飛び散る。

 

 

夢の中でふーくんの首がズタズタになって、湧き出る鮮血が減っていく。

頸動脈の内側、頸椎を噛み砕いて、どろりと溢れる体液が足元に滴っていく。

 

さらに数回噛んで、顔を上げた。

四つん這いのまま、天井を見上げた。

ふうっと一度、長い息を吐いた。

 

 

 

梓の口から笑みが消える。

夢が終わり、現実が戻ってくる。

 

 

ここは私の部屋。

ボロボロの糸くずになったタオルと、その周りに散らばる真っ黒い汚れ。

 

 

自分の腕には抉り取ったような傷がいくつもあった。

タオルと一緒に噛みついていたらしい。

抉り取られた白いヴァンパイアの皮膚の内側は紫がかっていて、真っ黒い墨のような血が腕を伝っていた。

()んだ傷痕が、内側から沸騰するように動いて、傷が塞がっていく。

 

 

「…………カーペット、汚しちゃった」

 

ふわふわのカーペットに、墨汁をぶちまけたように黒い血が撒かれている。

 

このカーペット、お気に入りだったのに。

丸洗いできるのかな。

タオルも捨てないと。

 

ティッシュで腕の傷を適当に拭いて振り返ると、部屋のドアが開けっぱなしだった。

そっと廊下に出ると、リビングと廊下を隔てるドアは閉まってる。

 

 

きっとママにはばれてない。大丈夫。

 

 

レジ袋にぼろぼろのタオルを入れて、縛って玄関のごみ箱に入れた。

 

 

体に纏わりつく不快感は、もうなかった。

何も食べていないけれど、空腹に怒るヴァンパイアは満足したらしかった。

腕の傷も、黒い血の汚れだけ残して塞がっていた。

 

だけど。

 

「……もうちょっとだけ」

 

今度こそちゃんとドアを閉めて、別の人を獲物にして、何度も空を噛んだ。

 

 

誰も見てないから大丈夫。

誰も傷つけてないから大丈夫。

気が済んだら、宿題をするから。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。