はらぺこヴァンパイア 作:棗の
家族が寝静まった深夜。
誰の家かもわからない古い家と家の隙間。
電話で指定された場所だった。
「ご足労頂きありがとうございます。
目の前にいるのは、ひょろりとした影絵のような人外。
身長2メートル近い、フェドーラコートを着たドーベルマンのように見える存在。
ブラックドッグ。
対峙する梓は、冬物のコートを寝間着の上に羽織っただけの姿。
寝間着姿はおろか、ホテルのバスローブ姿すら見られているこの人外相手に羞恥心もなかった。
梓はどの人間にも向けないような鋭い目つきを、ブラックドッグに向けていた。
この胡散臭い人外と話すこと自体が嫌だし、やっていることも、その態度も、話し方も、何もかも気に入らない。
人の遺体をまるでゴミみたいに扱う、何の感情も見出せない不気味な存在。
ヴァンパイアになって、学校に通って、たくさんの人間と触れ合ったからこそわかる、その異常さ。
何の生気も感じられない、影のような何か。
呼吸の音も、鼓動音も何も聞こえない、ただ視界だけがそこにいると伝えている何か。
それこそがブラックドッグだった。
「随分……状態が良くないようですが、いかがなさいましたか」
まるで壊れかけの家電を見るような口調で、ブラックドッグは言った。
「……さっきも言ったでしょ。私が食べられるものを買いたいの」
「血液は我々の販売できるリストには無いと申し上げたはずですが」
梓はギリッと奥歯を噛んだ。
そんなことわかってる。あんたが売ってくれないから、私は何人も人を殺さなくちゃいけなくなった。
「……血液以外で、ヴァンパイアが食べられるものを買いたいの。何かあるでしょ」
空腹でガンガン痛む頭の中で、梓は精一杯に考えた。
考えたうえで、その一言を思いついた。
ブラックドッグは、ネットで調べた”悪魔”みたいな存在だと梓は思った。
契約とかにうるさくて、人間を馬鹿にしてて、魔法みたいな力を持ってる。
悪魔と取引するときは、普通に聞いちゃダメだって書いていた。
こういうふうに、意地悪な相手を想定して聞かなきゃいけないって。
ブラックドッグは数秒、ゆらゆらと揺れて、一言呟く。
「ええ。ございます」
やっぱり。
ブラックドッグは血液を売らないと言ったけど、ヴァンパイアが血液しか食べられないと言ったことはない。
この不快な人外は、嘘はつかない。
「それでは三浦様、材料はお持ちですか?」
「ざ、材料? なんの?」
「三浦様のお食事の材料でございます」
おかしな言い方をしている。
ヴァンパイアが食べられる”それ”が何なのか言わずに、そんな質問をしてくる。
「材料って、なに?」
だからそう聞かないと、ブラックドッグは答えない。
ブラックドッグがふっと息を吐いた。馬鹿にするような笑いだった。
「何がおかしいの!」
「くふふっ……失礼しました。三浦様はご存じないのですね。ご存じないにも関わらず、ここまで動いていらっしゃるとは……くふふ……本当に、ユニークなお方ですね」
ブラックドッグはゆらゆらと影絵のような体を揺らしていた。
「……質問に答えて。血液以外の、食べ物の材料ってなんなの」
ブラックドッグは目のように見える白い切れ目を僅かに細めて、答えた。
「
それは少しだけ予想していたけれど、考えないようにしていたことだった。
この体は何を食べられるか知っているから。
「そんなのじゃない。そんなのじゃなくて! もっと何かあるでしょ!?」
梓は牙を剥きだしにして、目の前の冷酷な人外を睨みつけた。
「ねぇお願い! 何かあるでしょ!? 魔法みたいな食べ物が! ヴァンパイアだけが食べられる魔法の食べ物が!」
空腹のせいか、梓は気が立っていた。
この人外なら、魔法みたいな力で何とかしてくれると思ったのに。
お金さえ払えばなんとかなるはずなのに。
「魔法などと……そのようなものと同一視されることは、
しかし返ってきたのは、よくわからない言葉。
僅かに何かの感情が含まれていたが、焦燥感に駆られた梓にはそんなことはどうでもよかった。
「主とかどうでもいいから! 何かあるでしょ!? 誰も傷つけなくて、血と人間以外のものが!」
ブラックドッグは数秒、悩むようにひらひらと動いて、言葉を放つ。
「血も、人間の死体も、傷つけずしてどのように作るのでしょう?」
その言葉は鋭利な針のように、細く深く梓に突き刺さった。
「どっ……どうって……それをやるのが、あんたの仕事でしょ!?」
「そのようなビジネスはしておりません」
「どうして! あんたたちならできるでしょ!?」
「そのようなビジネスはしておりません」
「できるでしょ!?」
梓はブラックドッグに詰め寄った。すぐ目の前に、黒くゆらゆら揺れる影がある。
何の臭いも、音もしない。
「お願い! おなかがすいてるの! だから!」
梓は両手を合わせて、祈るように言った。
「おなかがすいておかしくなりそうなの! 誰かを襲いそうなの! お願い……助けて……っ!」
梓は
ブラックドッグは目のように見える白い切れ目を、僅かに動かした。
「料金を頂ければ、こちらで人間を殺害致しますが」
それは新たな情報だった。考慮していない可能性だった。
数秒、
「っ……そういう、こと、じゃなくて!」
そういうことじゃない。
そんなの、何も変わらない。
私が襲うか、この人外がどこかで人を殺すか。そのぐらいの違いしかない。
もっと、誰も傷つけなくて、スーパーで売ってる野菜みたいな。
安心して、誰にもごめんなさいって思わず食べられるような。
そういうものが、きっとあるはずなのに。
梓は何も言わずに
ブラックドッグは一礼して、夜風と共にかき消えた。