はらぺこヴァンパイア 作:棗の
土曜日。
真っ暗な部屋で、梓は机に向かっていた。
机の上には、スタンドに乗ったタブレットと、梓の自由帳がある。
椅子に腰かけた梓の膝には、ドロドロの黒い血にまみれたタオルが敷かれている。
ペンを走らせる音とタブレットをタップする音に混じって、梓が自らの下
笑みのない冷徹な顔で、タブレットとノートを交互に見つめる。
タブレットに映る情報を、ノートにメモしていく。
タブレット上には、真っ白い画面に横書きの文字が連なっている。
最近サービスが始まった、すごく賢いAIに質問できるサービスだった。
けれども。
『そのリクエストにはお応えできません。私は安全で有益なアシスタントであるよう設計されているため、違法行為や危害を及ぼす可能性のある情報に関する質問には対応していません』
梓が奥歯を噛んだ。
端的で冷酷な文面が、何回も並んでいる。
真っ白い拳が握りしめられた。
ふうっと息を吐いて、別の文字を書く。
『人間の血液が欲しいです。人を傷つけたり殺す以外で、どうしたら手に入りますか』
画面の向こうのAIが文字を紡ぐ。
『血液の売買は法律で禁止されています。違法行為や危害を及ぼす可能性のある情報に関する質問には対応していません』
「そんなことわかってる!!」
梓は声を荒げた。唾の代わりに飛んだ黒い血が、べしゃりと机の隅に落ちた。
血液を得る方法を調べていた。
けれども、言葉を変えても、聞き方を変えても、なにも出てこない。
画面の向こうのAIは、「法律違反だから」「できないことだから」と言うだけ。
空腹でぐらつく視界と、苛立つ指先を
『AI 質問 答えてくれない』
ずらりとネット上の知識が並ぶ。
『聞き方を変えてみましょう』『利用規約により答えられない可能性があります』『AIではなく人に聞いてみましょう』
「できないから困ってるの!」
思わず拳を握って、叩きつけてしまった。鈍い音を立てて、拳周りの机の天板が歪んだ。
血液を手に入れる方法は、相変わらず無い。
正確に言えば、誰も傷つけず、誰も殺さずに手に入れる方法はない。
「……傷つけない、ってどういうことだろう?」
噛みつく。これは絶対ダメ。間違いなく殺しちゃう。
じゃあ、ママがしてくれてる採血は?
ママは痛いはず。人間だから、針を刺されたら痛いし、ママはどんどん体調が悪くなってる。
それは傷つけてるコトと違うの?
私が他の人に「血を採ってください」ってお願いしたら、それは傷つけたことになるの?
「……できるわけないよ」
日本の法律だと、それもやっちゃいけないことらしい。
さっきこのAIが言ってた。
犯罪をするって考えただけで、背筋が冷たくなって、気持ち悪くなる。
もうこれ以上、犯罪者にはなりたくない。これ以上、ママとパパに迷惑かけたくない。
じゃあ、私が命に別状の無さそうな場所……指先とかを噛むのは?
指先から、ちゅうって吸うだけ。
ママを噛めば、指先からコーンポタージュが溢れてくる。暖かくておいしくて、噛み応えもありそう。
ママだけじゃない。
由佳は私にキスしてくれるし、指先にキスするぐらい、いいかも。
ちょっと噛んじゃったって言い訳すれば大丈夫そう。
「なに言ってるの……有り得ないでしょ」
ふうっとため息をついて、心のどこかで腹をすかしたヴァンパイアを叱る。
この牙で噛みついて、ちょっと血が出るだけで済むわけない。
なにより由佳も、ママも、食べ物じゃない。
それは傷つけてることと同じ。
思考が、汚染されてる。
段々、抑えられなくなってきてる。
誰も傷つけず、誰も殺さない方法で血を得る方法を調べてるはずなのに、すぐ目先の食べ物のことを気にしちゃう。
頑張って、勉強するときより熱心に、ちゃんと調べようとしたのに、すぐに噛みつきたくなる。
さっきからママが時々、廊下とリビングをうろうろしてることも知ってる。
音で分かるし、匂いもする。
暖かい、コーンポタージュの香り。
梓は首を振って、タブレットに文字を打つ。
『血が保管されてる場所
画面に検索結果がずらりと並ぶ。赤い目が文字をなぞる。
「献血、車……」
それはヴァンパイアになりたての頃に見たけれど、見ないふりをしていたところ。
病気やケガで一刻も争うほど危ない人のために、善意で血を集めている場所のはず。
そんなところを襲うなんてできない。
人の善意を踏みにじることなんてできない。
そこは私のご飯の場所じゃない。人を救うためのところ。
そのはずなのに。
『献血車の中はどうなっているのか教えて下さい』
画面の向こうのAIが文字を紡ぐ。
『献血車の中は車体前方の受付・問診スペースと、車体後部の採血スペースに分かれています』
『献血した血は献血車のどこにありますか』
『採血後すぐの血液は自動採血
「車内に設置されてる冷蔵庫……」
「バーコードが貼られてるパックの中に血がある……」
指が機敏に動いて、画像を検索する。
「車体の後ろに冷蔵庫がついてる……」
「白い不透明な扉の箱……」
ノートの上にバスを上から見た絵が描かれ、その後ろにハートマークがつく。
「後ろの扉は力ずくで開けられる……」
梓の口元が、嗜虐に歪む。
「ドライブレコーダーがついてる……」
ヴァンパイアの本能がヒトの知能を糧に、作戦を立案する。
ちょうど一年前、人を襲おうとしたときのように。
「指紋は……私には無い」
「個数のチェックはしてないことが多い……」
「盗んでもバレにくそう……」
人は傷つけてない。
誰も殺してない。
だから。
盗むなら。
「…………梓」
気が付くと、梓の後ろに
青い顔で、けれども厳しい目つきで、娘の背中を見ていた。
「それは、だめよ」
犯罪の計画を立てている娘を、親として見過ごすわけにはいかない。
それは踏んではいけない一線。
「……辛いのは、本当によくわかってるわ。だけど、それはだめ」
空虚な言葉を紡いで、娘にぶつける。その表情は読めない。
ただ、普段なら呼べば振り向く娘は、タブレットを見たまま、微動だにしない。
「盗みはだめ……ううん……献血車は確かに警備が薄いけど、街中には防犯カメラもあるわ。目立つ場所でしか献血はしていないし、人に見られたら……」
感情に訴えようとして、やめる。
論理的に、その計画の矛盾を突こうとした。
「……うるさい」
聞き間違いだと思った。
人生で一度も、娘からぶつけられたことのない言葉が飛んできた。
目の前のヴァンパイアがゆっくりと振り向く。
赤く輝く目と、感情の伺えない真っ白い顔があった。
「……なにがわかるの? なにが、わかってるの?」
一美が思わず、後ずさる。
ヴァンパイアが立ち上がり、一歩で間合いを詰めた。
「わからないでしょ? ねぇ。なにが分かるの? 人間に、何が分かるの!?」
牙をむき出しにして梓は一美に詰め寄った。
おいしそうな首から、コーンポタージュの香りがする。
「ねぇ! おいしそうな香りさせて! なにが分かるの! ねぇっ!」
一美の引き結んだ歯から、恐怖の声が漏れる。
「ひいっ」と押し殺した悲鳴が漏れて、それが梓の耳に届く。
梓の赤い目から、淡い赤色の涙が零れ落ちた。
今にも人間の首に伸びようとした手をぎゅっと握って、一歩後ろに下がった。
「お願い、ちかよら、ないで……ママ……」
一美は恐怖に屈した自分を恥じて、娘に手を伸ばした。
その手から、娘は更に一歩下がって逃げた。
「
一美と梓の間の宙に、一美の筋張った指が固定されて、すうっと下げられた。
一美は静かに梓の部屋のドアを閉めた。
梓は涙を腕で拭って、ベッドに潜って毛布を被った。
ぐしゃぐしゃと下顎を噛む音だけが、部屋の中に響いていた。