はらぺこヴァンパイア   作:棗の

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償い-6月4日18時20分

(あずさ)はショッピングモールのカフェにいた。

 

 

昔から何度となく行ったおしゃれなカフェ。背の高いパーティションで四人掛けの個室が区切られていて、シックな色合いがおしゃれなお店。

高校生になってようやく、英語で書かれた店名を読めるようになったところ。

 

 

学校が終わって、父・浩平(こうへい)と一緒に車でショッピングモールに来たのが一時間ほど前。

買い物を終えたのが、ついさっき。

 

 

梓の前には一杯のコーヒー。向かいに座る浩平の前にはカフェラテと、甘そうなショートケーキ。

 

「いやー。久々に来たよここ。5年ぶりぐらいかな」

 

浩平が眼鏡の向こうの目を細めて、対面の娘に言う。

太陽の光を遮られたここは、娘にとって理想の場所の一つ。

 

「たぶんそれぐらい。ママが夜勤の時に来たよね」

 

梓も笑って返す。

手元のコーヒーは一滴も飲めないけれど、周りから変な目で見られたくないから頼んだ。

 

 

5年前、自分は人間で、パパは今と眼鏡が違ってた。

あの時は確か紅茶とシフォンケーキを頼んだ気がする。私の好きだったものの一つ。

うちの家族は全員甘党だから、こういう所に行くとテーブルが甘い物だらけになる。

パパもママもたくさんお仕事で頑張ってるから太らないけど、私はちょっと太り気味だった。

 

今は違う。ずっとずっとおなかがすいてる。今はまだ、体がおかしくなってない。

だから今じゃなきゃダメだった。

 

 

「……パパ、今日はありがとう。ママの誕生日プレゼント買えたね」

 

「僕の方こそありがとう。この前のデートの時に下見しといてよかったよ」

 

今日の目的の一つ。ママが家で寝てる間に二人で出かけて、ママの誕生日プレゼントを買う。

由佳(ゆか)とベイクォーターに行った時のネックレスも良かったけど、私の今のお財布だと小さな雑貨を買うのがやっとだった。

 

アンチライトを買うお金が最優先。

ママかパパがこっそり、私の財布にお金を入れてくれてるのは知ってる。

私が血以外食べられなくてよかった。おなかがすいても何も買わなくていいから。

 

バイトもしたい。ごはんもなんとかしたい。

私でもできることがあるはずだから。

その一つを今、踏み出すから。

 

 

「……あのね。パパ。相談していい?」

 

梓は赤い目を伏せて、手元のコーヒーを見た。

 

「もちろんだよ。かわいい娘のために頑張っちゃうぞー」

 

相談があることは何となく察していた。

梓は話したいことがある時、周りに聞こえづらい席を選ぶ。

一番奥の席に行きたいと梓が言ったので、いつもより甘いものを増やした。

 

「あはは。問題発言だよーパパ。でもありがと」

 

 

私がお腹がすいていない間に。

人間として、マトモに考えられる間に前に進みたい。

 

 

「パパは私が悪いことしたとき、ちゃんと謝るべき相手を考えてごめんなさいしなさいって言ったよね」

 

「え? うん。そうだね。よく覚えてるね」

 

梓が幼稚園ぐらいの頃から言っていること。心優しい梓が誰かを傷つけることなんて本当にまれだが、それでも色々な偶然が重なってそうなることがある。

そうなったとき、パパやママに謝るんじゃなくて、迷惑をかけた人に謝りなさいと言ってきた。

 

 

「……じゃあ、さ。()()()()()()()()()ときって、どうしたらいいのかな」

 

 

浩平の手が止まった。

 

「私ね。家に帰ってくるまでにたくさん悪いことしたの。色んな人を傷つけたし、色んなものを盗んだ。それは前、話したよね」

 

浩平は静かに頷いた。

 

13個の真っ黒い影が、梓の足元から渦巻いて現れて、梓の周りに立っていた。人型のそれらが白い目で見下ろしていた。

影たちが恨めしく言う。

 

 

――この怪物はようやく向き合おうとしている。

――愚かしくも、図々しくも。

 

 

理不尽に命を奪われた、この世に毛髪の一つも残されていない(むくろ)たちの上に怪物は立っている。

 

 

「私がやったことって、どうやったら償えるんだろう……たくさん考えたけど、分からないの。傷つけた人たちは、戻ってこない。奪ったものも、戻ってこないから」

 

当たり前のことしか言えてない。17歳なのに、子どもみたいなことしか言えてない。

13人殺した人なんてほとんどいない。

しかも、お腹がすいていたからなんて。だからどうすればいいかなんてわからない。

 

13人、という数字は誰にも言っていない。だけど、パパとママは気付いている。私がおなかがすくまでの時間と、行方不明になっていた時間から逆算すればわかるから。

 

 

対面に座る浩平は、カフェラテを飲む間に、思考を巡らせていた。

 

心優しい娘を蝕む罪の影。数年に一度のニュースになるレベルの重罪を、娘は背負っている。

 

 

警察は表立って動いてはいない。

しかし、気配は常に感じる。

要注意人物として、確実にマークされている。

少しでも何らかの罪を犯せば、警察はすぐにでも踏み込んでくるだろう。

 

 

しかしそれでも、罪を償うべきとは思っていない。

大事なのは、その罪に娘がどうやって向き合い、前に進むか。

 

生きるために人を殺さなければならない人間など、法律は想定していないのだから。

 

 

 

「……確かにそうだね。僕にも分からない。だけど、梓ができることならたくさんあるんだよ」

 

「……私、出来ないことだらけだよ」

 

水がダメ、食べ物がダメ、太陽がダメ、薬が無いと外にも出られない。

神社にもお寺にも行けない。健康診断も受けられない。歌も歌えない。

カフェでコーヒー一杯飲むことも出来ないし、味の感想も言えない。

 

「そんなことないよ。梓、できないことより、できることを数えたほうがいい」

 

赤い目を潤ませて下を向いた娘へ、浩平は優しく声をかけた。

 

「梓は学校に行って、ママの手伝いもたくさんして、誕生日プレゼントだって買えてる」

 

「……そんなの誰でもできるよ」

 

「たくさんの悲しいことや辛いことを経験しても、それでもできてるんだ。それは、誰でもできることじゃないよ」

 

梓が顔を上げる。

赤い潤んだ目と、牙のある口。

到底怪物には見えない、優しく可憐な娘の顔だった。

 

「悲しいことや辛いことがあると、人は変わる。他人を妬んだり、同じ目に遭わせようとしたり、全部どうでもよくなって人を傷つけたり。それは弱さじゃなくて、仕方のないことなんだ」

 

自分の半生と、娘のいない空白の一年を振り返って、浩平は言った。

 

「でも梓は違う。ママとパパのために苦手なお昼に買い物に行ってくれたり、ママの誕生日を祝ってる。それは本当にすごいことなんだよ。梓」

 

人を飢餓のままに殺し、一人で放浪し続けた娘の心は、とっくに壊れていてもおかしくはなかった。

しかし娘は、妻のメッセージを見て帰ってきた。

そして早々に前を向き、歩み始めた。

 

 

怪物と人間で揺れる振り子のようなヴァンパイアの(てのひら)の上で、飢餓によって狂う自分を認識していたとしても、人であることを辞めない。

 

一家を支える身でありながら仕事にも身が入らず、退職直前まで追い込まれた自分に比べれば、なんと偉大なのだろう。

 

 

「……ありがと。パパ」

 

梓は笑って、顔を逸らした。深紅に輝く赤い目が、嬉しそうに細められた。

 

 

「あのね、パパ。私、やりたいことがあるの。私が最後に傷つけちゃった人……どこでいなくなったかわかるから。そこに行って、お花を供えたいの」

 

梓の記憶にはっきりと残る、今年の3月19日。

塾帰りの少女を駅から追跡し続け、人気のない高架下で殺した。

どの駅だったかは覚えている。

 

その人以外ははっきりと場所を覚えていない。

覚えないようにしていたから。ただのヴァンパイアに記憶なんて要らないと思ったから。

 

だからせめて、その人だけでも、(とむら)いたかった。殺した本人であったとしても。

 

 

梓の周りを取り囲む13個の影の内の一つがうごめいた気がした。

 

 

浩平はカフェラテをまた一口飲んで、ふうっと一息、天を仰いだ。

 

「……すごく良いことだね。だけど、パパは賛成できない」

 

浩平たちは知っている。

そこが直近の連続失踪事件のGPS消失地点として、警察の捜査対象になっていることを。

 

梓が行けば、”カルトに誘拐された被害者”から”殺人の重要参考人”へと変わる。

そうなれば、もう学校どころではなくなる。

 

そんな未来は歩みたくない。

すべての罪を妻と二人で背負うと決めたのだから。

 

 

「えっ……どうして」

 

「……梓、花を供えることはすごく立派な事だし、気持ちのこもったことだよ。

だけどそれは、()()()()()()()()()()()()()()()可能性だってある」

 

聡い娘は、その言葉で何を言いたいのか察した。

娘の口がいくつかの言葉を紡ごうとして、すうっと目が逸らされた。

 

「……逃げてるだけだよ」

 

「パパはそうは思わない。梓、それは梓がするべき償いじゃないんだ」

 

浩平は意思を宿して、梓に言葉をぶつける。

法も、倫理も、社会通念も超越して、ただ一つの目的のために。

 

「梓ができることはそれだけじゃない」

 

梓は驚いていた。大人がそんなことを言うなんて。

嬉しさと驚きと、ほんの少しの否定が心に渦巻いて、きゅっと口を引き結んで、言葉を絞り出した。

 

「……私だっていやだ」

 

それは偽らざる本音だった。

 

 

捕まりたくない。

普通の高校生になりたい。

ごはんを毎日食べたい。

お世話になった人に、恩返ししたい。

 

 

13の罪の影がざわめいて、梓に黒い鞭を振り下ろす。身勝手な少女を声なき魂たちが糾弾する。

 

それを打ち破るように、浩平は梓へ話しかけた。

 

「梓はパパとママに、幸せをくれたんだ。一度いなくなって、それでも帰ってきた。それは梓しかできないことなんだ。

ママは毎日寝る前に、梓が帰ってきてくれて良かったって言ってる」

 

一美は毎日のように繰り返していた。時に楽しそうに、時に悲痛に。

それは妻を支える杖でもあり、妻を縛る鎖でもあると浩平は思っていた。

 

「梓が学校に通って、ご飯の時間に今日あったことを話してくれる。休みの日にパパとママと一緒に買い物に行ってくれる。それは梓にしかできないことだよ」

 

梓は照れたように笑った。

赤い目と浩平の目が交差する。キラキラ輝く吸い込まれそうな瞳に、浩平はため息をつく。

 

「そ、そうだけど。そういうことじゃなくて」

 

梓は穏やかな両親の優しさに溺れそうになるが、踏みとどまって主張する。

 

「あはは。わかってるよ。そういうふうに、人に優しさや幸せを配るっていうのも、梓ができることの一つだと僕は思うよ」

 

「優しさを配る……?」

 

 

「善意をみんなに贈るんだ。ボランティアとか、そういうのはどうかな」

 

梓の赤い目が見開く。白い指が、口から見える牙を撫でた。

 

「そっか……いいかも。どういうのがあるの?」

 

「たくさんあるよ。災害現場、障がいのある人たちの支援、社会から見捨てられてしまった人たちへの支援。捨てられた動物たちへの支援。

どうしても、厳しい立場になってしまう人や動物たちはこの社会にたくさんいる。そういう人たちを助けるのがボランティアだ」

 

娘がこくこくと頷いて話を聞いている。

 

「梓の優しい気持ちで、そういう人たちを手伝う人たちの一員になること。それも一つのやれることなんじゃないかな」

 

梓が笑顔で頷いた。

 

梓はスマホを取りだして、何かを調べ始めた。

浩平はケーキを一口つまむ。娘の笑顔の前で食べるケーキはいつもよりもおいしい。

 

梓のスマホ上でめまぐるしく画面が変わる。

梓の知らないボランティアの世界がそこにあった。

この社会を支える人たちが作った無数の善意の結晶が、梓にはキラキラ輝いて見えた。

 

 

「……これ、いいかも。動物の保護施設のボランティアだって。早朝と夜間の清掃や動物のお世話……お世話って何をするの?」

 

「そうだなぁ……保護猫とかって人間に辛く当たられた子が多いから、そういう子にやさしくして、見守ったりするとかじゃないかな」

 

梓が空を見て微笑を浮かべ「いいかも」と呟いた。

実家で犬を飼っているし、できることはあるかも。

 

「……でも、この体で怖がられないかな。私の手、すごく冷たいし、目も赤いし」

 

「梓は優しいから大丈夫だよ。今度の休みに見学に行ってみる?」

 

梓が笑顔で頷いた。

 

「このイベント運営ボランティアってなんだろう? ブラインドサッカー?」

 

「目に障がいのある人たちがするサッカーだね。そういうところの準備とか道具の管理とかじゃないかな」

 

「……いいかも。サッカーゴールぐらいなら持ち上げられるかな?」

 

梓が自分の掌を見て言う。華奢なその見た目からは想像もつかないような力を秘めている。

 

梓はまたスマホを見て、いくつかの団体を見つけて、浩平と意見を交換する。

自分に今できる償いとして。

 

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