はらぺこヴァンパイア 作:棗の
地下街に無数ある店舗の中の一つ、
梓が人間だった頃も何度となく通った場所だった。
そこにヴァンパイアの梓はいた。人間の
「すご……このアクスタ、誕生日イベントの時のやつじゃない!? ファンクラブのショップで売り切れてたやつ!」
「そ、そうなんだ」
八坂が水色のネイルの指で、
台座の部分にはHappy Birthdayの文字。そういえば誕生日が5月だったなぁと思い出す。
そういうことも思い出さなければならないほど、梓の中では記憶が薄れていた。
覚えているのは、ふーくんの首筋のきれいさ。異常なほどはっきりと思い出せる。
学校から帰って一息ついた梓に来たLINE。
八坂から、横浜駅の
梓は少し悩んだが、ついでに夏服も見たいから行くことにした。
八坂はダンス部終わりのまま来た夏の制服姿。
梓は白いパーカーにグレーのショートパンツと黒いタイツ。足元はブラウンのショートブーツ。初夏なのに、春っぽい装い。
通学用のリュックではなく、肩掛けの黒いミニバッグをかけていた。
駅の中は太陽の光が当たらないし、ちょっとおしゃれして行きたかった。
梓は地下が好きだった。
太陽の光を防げるし、雨の日でも歩ける。地下鉄で最寄り駅まで帰れる。
天井の低い店内に、何段にも重なって雑多なグッズが売られていた。
メンバーの顔写真の貼られたうちわ、ライブで使うケミカルライト、メンバーごとに横一列に並べられたアクリルスタンド。メンバーカラーごとのペンライトやブレスレットもあった。
「あずちんも何か買おうよぉ。ライブ行けなくてもさぁ」
八坂が手元の買い物かごに三つ目のアクスタを放り込んで言う。
梓はかごも持たずに、スマホを片手についていくだけだった。
「うーん……ごめんね、今週ちょっと厳しくて」
「グッズも厳しいの? あ! もしかして
八坂がにんまりと笑って聞く。
いつの間にか中村が梓に告白したことは、クラスのほとんど全員が知っていた。
「デートじゃないよ。お友達からって答えたから」
「お友達からねぇ……中村はそう思ってないかもねぇ。あずちんのこと狙ってる男子、たくさんいるらしいし」
八坂はブレスレットを手でもてあそびながら、楽しそうに言う。
何回言っても、「友達から」を理解してもらえなかった。お似合いカップルと思われてるのかな?
「まだデート行ってないの?」
「デートじゃないし……学校の外で会ったことはないよ。私の体調が安定しないから……」
体調のせいではなく、なにをどう話せばいいのかもわからなかった。
それに、
「そっかぁ。昼休みにちょっと学校抜け出してデートとかも面白くない? 私もカレシとやってるし」
「そうなの? えっと、隣のクラスの
「そそ。学校の近くのコンビニまでだけどねぇ。一緒に肉まん買って食べたりとかさー」
周りの同年代の子から迷惑がられても、八坂は気にせず笑って言う。
梓はそれとなく八坂に近づいて、狭い店内を歩く他の子たちへ配慮した。
由佳はもし私が、昼休みに「ちょっとコンビニ行かない?」って言ったら、喜んでくれるのかな。
私、食べられるものが何もないけど……遠慮させたりしないかな。
「ところでさー、ふーくんもいいんだけど、みーくんも最近アリかなって思ってきてさ! あずちんどう思う?」
急に話がこの店に合った内容に戻った。
ぼんやり顔が思い浮かぶ。赤っぽい髪で、背がちょっと低くて、弟っぽいキャラ。趣味がゲームで、YouTubeチャンネルでゲームをしてた気がする。
相変わらず梓の心は動かない。記憶にある情報しか出てこない。もっといろいろあったはずだった。
その情報に、
感情に、ぽっかりと穴が開いたよう。
「あー、う、うん。ありかも。末っ子っぽいし、カワイイよね」
「わかる! あずちんが言うとほんとお姉ちゃんみたいだよねぇ。あずちん大人っぽいし」
「私の方が年下だよ。会ったら湊さんって言っちゃう。早紀ちゃんもでしょ?」
「やー……言えるかなぁ。私一回だけ、みーくんに握手してもらったことあるんだよね。たまたま横浜駅にイベントで来てて、みんなに混ざって手出したら流れで」
八坂が恥ずかしそうに頬を掻いて笑う。
「すごいね。そんなことあるんだ……」
「めっちゃレアだよね。ライブでも握手できるってすごい稀じゃん。意外とみーくんって手が大きいんだよねぇ。知ってた?」
「そうなんだ。弟っぽいのに、結構がっちりした人なんだね」
どこかズレている気がする感想を、梓は頑張って作って呟く。
周りを取り巻くグッズも、こっちを向いて微笑むアイドルたちの顔も、どこか印象に残らなくて。
昔ここに、高校の友達と来たことがある。その時はすごくテンションが上がって、お小遣いぎりぎりまでアクスタを買った気がする。
そういえばどこにしまったんだろう。ママが勝手に動かすことはないと思うから、受験の時か彼氏に振られたときに勢いでどこかにしまいこんだのかも。
場違いな感覚。どうしてここに来たんだろう?
「あずちんやっぱりクールだよねぇ。ちーちゃんもさ、あずちんって本当に同い年なのかわかんなくなるって言ってたし」
「そ、そうかな。15歳だよ私。遅生まれだし」
嘘だ。本当は17歳。17歳はヴァンパイアで迎えたから、この場合は16歳が正解なのかもしれない。
「わかってるよぉ。あずちんみたいに背が高かったらよかったのに」
八坂は梓を見上げて笑う。梓より10センチぐらい小さい。由佳よりもちょっと背が高いぐらい。
高校生の女の子らしくてかわいい身長だと思う。
「早紀ちゃんは可愛いし、背が高いと困ることもいっぱいあるよ」
梓が笑って言う。梓の赤い目と、八坂の茶色い目が交差する。
一瞬、八坂の頬に朱が差して、ぱっと笑った。
「あずちんに言われると照れるよぉ。ありがと。背が高いと服のサイズとかちょっと困るって言うよねぇ」
「そうそう。フリーサイズだとちょっとおなかがでちゃうし……」
梓はヴァンパイアになって背が伸びた分、着れる服もちょっと変わってきていた。中学生っぽい服はもう着れないし、どっちかというと大学生っぽい服が似合う。
別にそれを悲観はしてないし、少し嬉しくもあった。人間だったときの憧れの服が着れる。服代はかかるけれど。
「あずちんってほんと、夜と昼で全然服違うよねぇ。制服と私服のイメージのギャップがさ」
「太陽の光が無い日だったらもっと自由に着れるんだけどね」
「……あ、そっか。光がだめなんだよね。大変だよねぇ……だけど得した気分かも。あずちんの私服めっちゃ可愛いじゃん」
八坂が屈託なく笑った。
「ありがとう。来る途中まだ明るかったから、パーカーじゃないと怖くて……」
「怖いんだ? 日焼けって怖いよねぇ」
八坂はうんうんと頷いて、「じゃあ会計してくるねぇ」と言ってレジに向かった。
梓はそっと店を出て、外でスマホを見る。
LINEの通知が2件。
『梓いま家にいるよね?通話しない?』
『家事とかやってるのかな 返事してほしいです』
梓は苦笑して、LINEを返す。
『出かけてるから夜なら通話できるよ』
すぐに既読がつく。しかし返信は来なかった。
梓はスマホをしまって、ぼんやりと雑踏を見る。
仕事帰りや学校帰りの人がたくさんいる。時々こっちを見る人もいるけど、特に目立っている感じはない。
けれども目立ちたくないし、ミニバッグからベレー帽を取り出して被ってみる。
赤い目はどうしても目立つし、興味がなさそうにスマホでインスタグラムを見ることにした。
ふーくんのインスタでストーリーが投稿されてる。
誕生日ライブ限定アクスタ販売のお知らせ。
そっか。さっきのは限定だったんだ。見れてラッキーだったのかな。
“誕生日ライブ限定アクスタの販売”。それ以上でもそれ以下でもない。
感情が、湧いてこない。
そのためにバイトしたり、ママに交渉したりした記憶はあるのに。
そこに幸せや喜びや、生きててよかったって気持ちが、溢れていたはずなのに。
「……はぁ」
こういうのを、つまらない人間になったって言うのかな。もう人間じゃないけど。
早紀ちゃんにもなんだか申し訳ない。推しが一緒って思われてるのに、当たり障りのないことしか言えない。
ヴァンパイアのせいなんだと思う。一年間もずっと感情を殺して生きてきたから、その後遺症かもしれない。
それとも、人間が犯すには大きすぎる罪を犯して、天罰を受けたのかもしれない。
昔、聞いたことがある。
神話の中で神さまたちは、悪いことをした罰として、感情の一部を奪われたり、周りの人を不幸にする呪いを受けたりしていた。
私だってきっと呪われている。
「……何やってんだろ」
楽しい場所のはずなのに。
だめだ。また良くないこと考えてる。
楽しいこと考えないと。
スマホのカメラロールを開いて先頭の写真を見た。
由佳と一緒にベイクォーターに行った時の写真だった。私の、恋人の写真。
まさかこの後付き合うとは思わなかったけど……また行ったら、違った見え方をするのかな。
だけど、まだ楽しさが足りてない。
「…………」
インスタグラムのブックマークを開いて、桐生楓馬の写真を見た。
体を張ったロケ終わりの、ジャージ姿で汗をかいたまま振り返ってこっちを向いた画像。
首筋がすごく色っぽくて、見てると楽しくなる。
スワイプして別の写真へ。桐生楓馬がロケバスで寝ている写真。
また噛みたくなってきた。
「へへ……」
梓は牙を舌でなめて、首筋の部分を拡大した。
おいしそう。
見てると、胸の奥が熱くなってくる気がする。
ここを私は噛んだんだ。気持ちよかった。
何度も噛んで、たくさん血を飲んで、おいしかった。
どんな味がするんだろう? ママはコーンポタージュだった。ふーくんは――
「ほぉ? あずちんも隅に置けませんなぁ」
「きゃっ!?」
気が付くとすぐ横に八坂がいた。夢中になっていた梓は気付かず、慌ててスマホの電源ボタンを押してポケットにしまう。
ショップの袋を持った八坂は、うんうんと納得した顔で頷いていた。
「わかるよぉ。ロケバスのふーくんの写真、メロいよねぇ」
「え、う、うん。そうだね。人が寝てるところって珍しいし」
八坂は梓の横の壁によりかかって、楽しそうに語る。
「ふーくんて寝相悪そうなのに、めっちゃ姿勢よく寝てるよねぇ。破天荒キャラだけど根は真面目な子なんですよ」
「芸能人さんだしね……プライベートもちゃんとしてそう」
「わかるー。あずちん気付いた? 楽屋でふーくんの机周りだけ、絶対に除菌シートおかれてるんだよぉ。すごく綺麗好きなのかも。でも潔癖症とかだったらやだなぁ」
笑って、残念がって、ころころと八坂は表情を変える。
梓は牙を見せない笑顔を貼り付けて、よく見てるなぁと心の中でつぶやくのみだった。
「あずちんはファンクラブは入ってないんだよね」
「うん。会費がちょっとね……」
「じゃあさぁ、ファンクラブに入ってないからこそ気付くふーくん情報とかあるー? ちーちゃんも言ってたけどさ、外からしか見えないこともあるって言うし」
難しい質問が飛んできた。無いって言いたい。
いや、ある。
ふーくんの首筋がきれいで、噛んだらおいしいってこと。
言えるわけなんてない。そもそも妄想だし。
梓はあいまいに笑って「早紀ちゃんのほうが詳しいよ」と相手を褒めるだけにとどめた。
「ありがとぉ。あずちん頭いいし、色んな所見てるから知ってると思ったんだけどなぁ」
「余裕のある時だけだよ。体調がいいときだけ」
八坂はちらりと梓の顔を見た。
「今は調子よさそうだねぇ。大変だよねぇほんと。休んだ時さ、連絡くれたらお見舞い行くよぉ」
「ありがとう。そういえば、早紀ちゃんってどこに住んでるの?」
「私は
「私は
「なんで? ……あ、そっかぁ。地下鉄だと太陽の光が当たらないから」
うんうんと梓は頷いた。八坂は笑顔のまま「大変だよねぇ」とつぶやく。
「そっか。そしたら横浜駅ってあずちんにとって過ごしやすいんだ」
「そうだよ。地下とかビルの中なら、日焼けのこと気にしなくていいし」
「そしたらここで遊ぶときはあずちん誘えば大丈夫だね。あずちん、体弱いしどういうところなら大丈夫なんだろうねってちーちゃんと話してたんだよぉ」
梓は「あっ」と声を出してしまった。
そうか、そういうところも言わないと気を遣われちゃうんだ。
「ご、ごめんね。わかんないよね、アルビノって珍しいし」
「いいんだよぉ。言わないと分かんないことってたくさんあるし。あずちん、優しいから遠慮しちゃうってちーちゃん言ってたからさー」
梓が自分のことで手一杯になっている間でも、友人たちはそれぞれの視点で自分を見てくれていた。
嬉しい。
胸が暖かくなる。
私はちゃんと、友達でいられてる。当たり前のことなのに確かめると嬉しくなる。
梓はまるで家にいる時みたいに柔らかく笑った。一対の牙が鈍く光った。
八坂はその笑顔に一瞬見とれて、「やっぱりかわいいねえあずちん」と笑い返した。
「あずちんって大人っぽいけど、なんか時々すごい子どもっぽい顔するよねぇ。不思議」
「そ、そう? どういうときに?」
「うーんなんだろ? あずちんって口を隠して笑うとき多いけど、隠さずに笑顔の時とか? 闇歯……じゃなくて八重歯がきれーに見えてるとき」
一瞬、背筋に冷たい感覚が走った。思わず手で口を隠した。
「あっ、ごめん、気にしてるんだったよね。でもさぁ、私はほんと可愛いと思うよぉ。ちーちゃんにも怒られたけど、あずちん、気にしすぎだって」
一切の悪意もない笑顔を向けられて、どうしようか迷ってしまった。
私が、気にしすぎなのかな。
そもそも牙を見られるのが嫌なのは、怖い物を見せたくないから。
絶対こんなの可愛くない。怖いだけ。
ママもちょっと怖がってる。目と肌は褒めてくれたけど、牙は何も言ってない。
これは人殺しの道具。私が噛むのは人間だけだから。
「……気持ち悪くない? この2本だけ長いって」
「なにが? 変わってるなぁって思うけど、気持ち悪いって……私はないかなぁ」
特に深く考えている風もなく、虚空を眺めながら八坂はつぶやく。
梓はそっと自分の手を口からどけた。
いいの? 本当に?
私が気にしすぎているだけなの?
「ほんとに? 怖く、ない?」
八坂はにっこり笑って「全然!」と言った。
梓はそっと、口を開けたまま八坂を見た。
八坂はにっこり笑って「やっぱりカワイイじゃん」と言った。
「あ、ありがとう」
「あずちんはすっごく可愛いし優しいからさぁ、遠慮するコトないって」
屈託なく笑う八坂に、梓もにっこり笑った。
人間の少女とヴァンパイアが、雑踏の中で笑い合った。
柔らかい空気のまま、女子高生二人は雑踏を歩く。
「あずちんさー、この後は何か予定ある? カラオケとかいかない?」
無邪気な質問に、梓の笑顔が固まった。
一美と二人で行った、冷たい暗闇の記憶がフラッシュバックする。
「……ご、ごめんね。このあと、家で用事あるから」
梓は片手を軽く振ってそう言った。手が震えていた。
けれども八坂は「そっかー残念」と特に残念がる様子もなく言って、そのまましばらく歩いて、駅の改札で解散になった。
行きかう人が増えた気がする。会社に行っていた人たちの帰宅ラッシュの時間。地下鉄で帰らないと。
地下鉄のホームまで歩いて、スマホを見た。
17時30分。ちょうどいい時間。ママはまだ寝てるかな。パパはそろそろ帰ってきてるかな。
その文字のすぐ下にLINEの通知が2件。星野由佳。
『どこいってるの?』
『スーパーで買い物じゃないの?』
2件目は10分前だった。梓は苦笑する。
『早紀ちゃんと
そこまで打って、文字が止まる。
なんだか送ると、良くないことになる気がする。
「……明日でいっか」
梓は文字を消して、『買い物に行ってたよ』と打って、人ごみの中に紛れ地下鉄へ。
ちょっと煙草臭かった。
梓の白い肌を見て、何人かが顔を上げるが、すぐに各々の手元のスマホに逸らされた。
ヴァンパイアが人間に紛れて乗っているのに、誰も気にせずに地下鉄のドアが閉まる。
ドアの上の行先表示が変わるのを、梓は静かに眺めていた。