はらぺこヴァンパイア 作:棗の
月曜日。
天気は曇り。
お昼休みに教室の外へ出て、ここにいた。
壁によりかかって、スマホでインスタグラムを見ていた。
梓はうっすらと笑いを浮かべて、忙しなく赤い目を動かしていた。
ここ最近、インスタのブックマークの数が増えてきた。
テレビで見たことがない俳優さんの写真ばかり。
若い男の人も、女の人もいる。
共通しているのは、首筋。
どの人も後ろを振り返っていたり、横顔だったりして、首筋が見えている。
生命を感じる、おいしそうな魅惑のライン。
その内側には、おいしい血が流れてる。
梓は微笑を浮かべて、写真をスワイプさせつづけた。
「……おいしそう」
いけないことだってわかってる。
だけど誰も見てないし、誰も傷つけてない。
だから大丈夫。
私はヴァンパイアだからしょうがない。
私だって、お昼休みは休みたい。
今日の午前中は辛かったから。
世界史の授業のせい。
教科書のどのページを開いても、教会とか、十字架とか、そういう絵ばっかり出てくる。
先生はすごく熱心に演技しながら教室の中を歩いて、ページをめくってない人を怒鳴ったりしてる。
あの人は苦手だし、世界史も苦手になりそう。
一生懸命覚えさせようとしているのは分かるけれど、覚えるのはあの先生の怒った顔ばかり。
そういう所に長くいると、私はストレスが溜まる。
だから、自分に甘くする。
「どんな味がするんだろ……」
ふーくんの首筋が一番おいしそうだけど、最近見つけた大学3年生の女優さんの首筋もすごくよかった。
今度の朝ドラのヒロイン役の人。きれいめの人で、ショートの髪先が首筋に絡まって、釘付けになってしまう。
おいしそうな人だと思ったから、インスタをフォローして、たくさんブックマークした。
私のブックマークは、おいしそうな人リスト。
だって私はヴァンパイアだから。
「へへ……」
梓は口を開けて、牙を舌でなめていた。
大丈夫。ここなら誰も来ないから。
ブックマークの写真をスワイプすると、知らない高校の女子生徒の写真が出てきた。
たまたま昨日の夜に見つけた知らない人で、モデルさんらしい。
おいしそうだったから、思わずブックマークしちゃった。
「……だめ」
ブックマークからその人の写真を外した。
同年代の人は、この”ごほうび”には使わないようにしようと決めてる。
危ないから。
私は高校生だし、周りの子を、それ以外の”何か”と思いたくない。
周りの子は友達。クラスメイト。それだけ。
そこは、絶対に越えちゃいけないところだから。
おいしそうな人の顔の上に、緑のポップアップアイコンが重なって、意識が人間の方に戻ってくる。
『梓ちゃん いま大丈夫? 保健室?』
珍しい人からの珍しい質問。
初めてかもしれない。
千夏ちゃんには、お昼休みどこにいるって言ったことはない。
由佳みたいについてきたこともないし。
『大丈夫だよ 教室行けばいい?』
すぐに既読がついた。
『あたしが話したいしそっちいくよ どこにいるの?』
教室じゃダメなのかな?
『二階の視聴覚室のところにいるよ』
特に隠すことでもないしそう返した数分後、笹川千夏がやってきた。
「やっほー」と手を振って、梓の隣の壁にもたれかかった。
「そっか、ここなら日が当たらないしゆっくりできるよね。軽音の人たちいなければ」
「うん。今日はいないみたいだから、使わせてもらってる」
笹川は梓がどうしてこんなところで時間を潰しているのかも、深く追求しなかった。
人間なら疲れるはずの場所にいることも気にしていなかった。
「湿気すごいよね。教室よりここのほうが乾いてて過ごしやすいかも」
「人が多いと、どうしても湿気が
「だよね。髪整えに一回帰りたいぐらいだよ。お手洗いも混んじゃうし」
梓も怪しまれないように、誘われたらお手洗いに行くようにしていた。
確かに最近、鏡の前が混みがちな気がする。
自分の髪も、なんだか毛先がうねうねしていた。
「梓ちゃんの綺麗な髪の秘訣、こういうところにもあったのかもね」
笹川が明るく笑った。
いまだに笹川のような明るくてクラスの中心の子と話せているのに違和感があって、ちょっと控えめに頷くだけだった。
「千夏ちゃんの髪もすごく綺麗だよ。維持するの、大変じゃない?」
「アリガト。まあねー。バイトもそのためにやってるようなもんだし」
「スーパーでバイトしてるんだっけ?」
ちょっと前にLINEで教えてくれたことだった。
「そそ。人手足りないし、梓ちゃんが来てくれたら嬉しいかも。夜シフトだしね」
生前に一緒にいた子たちと違って、フットワークが軽くて、すぐに誘ってくれる。
梓は「ありがとう。いつかお願いしようかな」と社交辞令に留めた。
「……そういえばさ。
しばらく会話が続いて、笹川が言葉を切り出した。
梓はぼんやり宙を見て、記憶をたどって、困ったように言う。
「特に何もないよ。お友達だし」
中村との仲を、一日一回は誰かに聞かれる。
答えはいつも一緒。
”そういうキャラ”として、クラスに溶け込めてる証なのかもと梓は思っていた。
体調悪い病弱キャラよりは、何十倍もいい扱いだった。
「まあそうだよねー。あいつ、梓ちゃんに遠慮してるし」
「わ、私がこうやって教室にいないのもあると思うから。中村くんが悪いわけじゃないよ」
梓が慌てて言うと、「わかってるって」と笹川は笑った。
「……でさ。その中村がさ。あたしと梓ちゃんの三人で映画見に行かない? って言ってるんだけど、どう?」
「三人で? 映画?」
予想していない誘いだった。
中村とのLINEでそんな話は全く出てない。好きな映画も知らない。
それに、三人で?
中村くんと千夏ちゃんって、実は仲がいいのかな?
「そ。梓ちゃんがよければあたしもいいよって中村には伝えてる」
「私が? 千夏ちゃんと中村くんで行くんじゃないの?」
「なんであたしが中村と二人で行くの」
呆れた顔で笹川が言う。
この恋愛に不慣れな友人は、もしかするとその意図が分かっていないのかもしれない。
二人きりだと場が持たない中村が、笹川という仲介者を置いて梓とデートするための場所なのに。
「えっ……う、うん? 中村くん、映画好きなのかな」
梓は不安げな目で、廊下の向こうを見た。
遠くの方で上級生が歩いているぐらいで、知っている人はいない。
スマホにもLINEは来ていない。
「……梓ちゃん? どしたの?」
笹川はそっと、梓の顔を伺った。
何かを、怖がっているような顔。
誰かに追われてる?
誰かに、いじめられてる?
それとも。もしかして。
「あっ、う、ううん。なんでもないよ。ちょっと考えてもいい?」
笹川は笑顔で頷いた。
そして、数秒、様子をうかがって、いつもの口調で聞いた。
「……梓ちゃん、何か悩み事とかあったら言ってね」
「あ、う、うん! ありがと。千夏ちゃん」
恋愛経験のなさそうな友人は、そう言って笑った。
口の端から僅かに八重歯が覗いていた。
そこからまた、いつものように友人と話す中で、笹川は思う。
今日はなぜかずっと伏せていて、梓に対していつものような執着を見せていなかった。
ご飯の時間も「食欲ないから」と一人でどこかに行った。
もしかして、梓ちゃんは由佳のことを気にしたのかも。
由佳が昼休みに、ここで梓ちゃんと話しているのは、なんとなく予想がつく。
笹川自身、由佳が梓に向ける気持ちが、ただの”友情”や”世話好き”を超えていることは何となく気付いていた。
もしかすると。
由佳は、
もしかしたら、だけれど。
だがそれを追求する気はなかった。
誰にも言わないということは、言ってほしくない、触れてほしくないという事だから。
そこに触れることは、友達としてのラインを超えることだと思っていた。
それに……たとえそうだとしても。
由佳の行為には目に余る部分があった。
梓が誰かと――特に男子と喋ろうとすれば、すかさず割って入って男子を睨みつける。
明らかに、梓が自分以外の誰かと仲良くすることを快く思っていなかった。
由佳が男嫌いだとはわかっていた。それは仕方がない。
だが、それを梓にまで強要するのは、間違っていると思っていた。
中村と梓の仲を、仲介すること。
それが今の関係にヒビを入れることになるかもしれないけれど。
この浮世離れした友人には、もっと幸せになってほしいから。
それが笹川千夏の思いだった。