はらぺこヴァンパイア 作:棗の
明かりの点いていない真っ暗な部屋。
しかし梓には、すべてが月明りのようにぼんやりと光って見えた。
部屋の明かりをつけるかどうかはその日の気分次第だ。
なんとなく楽しければつけるし、そうでなければつけない。優しい闇がちょっとだけ心地いいと思う時もあるから。
今日は暗くしたい気分だった。
梓は手元のノートと睨み合っていた。
まだおなかがすいていないうちに、やるべきことをなんとかしたかった。
『たべものをなんとかする』
『体育にでられるようにする』
『ママの体調不良をなんとかする』
『
四つの見出し。
その下には色々なことが書いているけれど、どれも解決策まで至ってはいなかった。
そこにもう一つ、見出しが増えていた。
『
その見出しの下にはまだ、何も書かれていない。
「はぁ……」
中村くんとは友達。
千夏ちゃんも友達。
だから一緒にお出かけしても、全然問題ないはず。
由佳の怒った顔が思い浮かぶ。
あれから由佳とはほとんど話してない。
ごめんなさいのLINEが来て以来、事務連絡ぐらいしかなかった。
「……由佳だから、気にするだけ」
母からの教えを繰り返す。
私の気持ちを伝えれば大丈夫。
中村くんとは友達で、由佳は恋人。由佳以外に恋人はいない。
中村と梓はLINEでやり取りを続けていたが、かつての彼氏へ感じたような気持ちは全く湧いてこなかった。
もっと知りたい、もっと近づきたい、もっと好きになって欲しいって気持ちが、わいてこない。
それは自分がヴァンパイアだからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
人間の
「……やめた。別のことしよ」
ノートをしまって、スタンドに乗せたタブレットの画面をつけた。
タブレットの中には、淡いタッチで描かれたアニメが止まっていて、タップすると絵が動き始めた。Netflixで見つけたアニメだった。
Netflixが梓をどういう人物だと思っているのかは分からないが、おすすめに出てきたとあるアニメが目に留まったのがきっかけで見始めた。
生来の特異体質から人間の世界になじめない少年が、妖怪たちと交流するアニメだった。
梓はペンを指先で回しながら、無表情でじっとアニメを見ている。
学校だと愛想笑いをしているけれど、家だとそんなことは気にしていない。
妖怪たちと笑う少年のシーンになって、梓が小さく唇を噛んだ。
私が望まなかった道。望めなかった道。
私はこの少年の周りにいる妖怪たちの側かもしれない。
少年の側にはなれない。私は人間じゃないから。
昔、思ったことがある。
そうすればもしかすると血液も売ってるかもしれないし、友達だってできたかもしれない。
人間ではないけれど。
少なくともずっと一人で毎日怯えて生きるよりはいいと思ったから。
他のヴァンパイアがいることは、ブラックドッグから聞いたことがある。
だけど、それはアニメの中にいる、妖怪の人たちとは全然違う。
もっと無機質で、機械みたいだと思った。
元は同じ人間のはずなのに。
去年の6月頃。
まだ殺した人の数が、片手の指で済んでいた頃。
はじめてラブホテルに一人で泊まった時。
どうしても寂しくなって、今思えば血迷っていたけど――ブラックドッグを呼び出して、何か話そうと思ったことがある。
もちろんそんなことしても笑われただけだから、代わりに情報を買った。
「他にもヴァンパイアっているの?」
「ええ、もちろん」
ブラックドッグは何のためらいもなく答えた。
この頃から段々、この人外の性格が分かってきていた。
お金さえ払えばそれに見合ったものをくれる。そして、嘘をつくことはたぶんない。
”契約”という言葉にすごくこだわっている。
「どこにいるの?」
「三浦様と違い、人間社会の目立たない場所で暮らしておられる方が多いようです」
そして性格が悪い。好きでこんな暮らししてるわけじゃないのに。
「……話すことはできる?」
「ええ。お相手様に用件をお伝えし、了承なされば、費用をいただいて場を設定いたします」
それは予想外の返答だった。てっきり断られると思ったのに。
「ご用件は何ですか?」
「何をって、えっと……」
梓は使ったことがないけど、マッチングアプリみたいなものだと思った。
この底知れない人外がそんなことをしているのも意外だけれど。
「まずは趣味とか、血液型とか、MBTIとか……」
ブラックドッグの表情は分からないが、明らかに馬鹿にしたような笑いが聞こえた。
「何がおかしいの」
「三浦様は本当にユニークな方ですね」
そしてこの言葉が、ひとのことを馬鹿にしている時に出てくることもわかっていた。
「だって。私だってそうなんだからみんな思うはずでしょ。さびしいって思わないの」
まだこの頃は、”ただのヴァンパイア”として生きていなかった。
辛かったし、悲しかった。
雨の日に悲しんで、快晴の日に悲しんで、曇りの日に微かに喜んでいた。
そんなことに意味がないって思って、感情をなくして生き始めたのは、これよりもう少し後だった。
「そう思うのは空腹の三浦様だけです」
何の迷いもなくブラックドッグは返答して、ちょっと驚いてしまった。
この人外の化け物には、騒がしくも優しい妖怪たちのような情感がない。
言葉は通じても気持ちは決して通じない。
「……だ、だって、みんなおなかがすくはずだし、仲間が欲しいって思うはず。他のヴァンパイアにされた子だって、人殺しなんてしたくないって思うはず」
ヴァンパイアだって元は人間だ。人殺ししたくてしてる人なんて絶対いない。
私みたいに、満腹になるたびに悲しくなって、何日も涙が止まらないはず。
そう思ったのに。
「そう思うのは三浦様だけです」
ブラックドッグがゆらゆら揺れている。笑いをかみ殺しているのかもしれない。
「そ、そんなわけない。寂しいって思わないの。みんなで一緒に暮らしたりしたいって」
「そう思うのは三浦様だけです」
「……あ、あんたに。何が分かるの? わかったようなこと言わないで」
この人外に気持ちなんて通じないってわかっているはずなのに、そうやって気持ちをぶつけていた。
たぶん私は、寂しかったんだと思う。
「我々は他のヴァンパイアの皆様のことも存じております」
この時はこの言葉の意味がはっきり分からなかったけど、今ならわかる。
ブラックドッグはいつも私を見ている。私が呼べば部屋の中にだってすぐに来るように。
そして私だけじゃない。他のヴァンパイアのことも見ている。
どうして見ているのかは分からないけど。
「なぜ、仲間が欲しいと思うのですか?」
本気で理解できていないような口調だった。
「ヴァンパイア同士悩み事を相談したり、その、仲良くなったり、血を分け合ったり」
「何のためにですか?」
「なんのって、友達とか……」
「自分一人と我々のみですべてが事足りるとなった時、なぜ更に増やそうとするのでしょう?」
その言葉の意味が分からなかった。
住む所も、服も、食べるものも。何にも足りてないのに。
この目の前の自称ビジネスマンは、嫌がらせで血を売ってくれないのに。
「だ、だって。話せる人がいたほうが楽しいじゃない」
「ヴァンパイアの皆様は、血を吸うことこそが最高の快楽だと感じておられるようですね。我々も吸血の快感を増幅させる薬を販売しております」
「い、いらない! 私だって、別に楽しくて食べてるわけじゃ、ない……」
ブラックドッグはゆらゆらと揺れていた。笑っているのかもしれない。
「三浦様は本当にユニークなお方ですね」
だんだん自分がとんでもないお子ちゃまに思えてきて、梓は「もういい」と言い放った。
ブラックドッグは腰のような部分を折り曲げて、すうっと消えた。
思い出すとだんだん腹が立ってきて、アニメの再生を止めた。
アニメとして成り立つために当たり前だけど、主人公……人間には好意的な子ばかり出てくる。そうじゃないのは一話限りのゲストとして、噛みつかれたり追い払われたりする。
私はどっち側なんだろう。
流れているシーンではちょうど、真っ黒い煙のような妖怪が、主人公の使役する白い妖怪に噛みつかれ、追い払われている所。
私はこのシーンで、どこに立っている人なんだろう。
「はぁ……」
なんで私は自分からストレスをために行ってるんだろう。
いけない。気晴らしにもなってない。
昔はこういう時に胃がモヤモヤしたりしていたけど、今はもうしない。
だけどなんだか気分が悪くて、Netflixのホーム画面に戻って、また別の作品を探しはじめた。